2013年6月12日水曜日

恋のたましい

昔の日記は、今のわたしの感覚と全然一致しない記述も多くて、完全に過去になってしまった、と思うこともよくある。
そんなときは、わたしでも時間さえ経てば変われるんだな、と思ってほっとしたりする。
あのときは日々が過去になる日が来るなんて思えなかった。
なるかもしれない、とは思ったが、本当に信じたりはできなかった。
若さの一番つらいところは、そういう息苦しさであるのはわたしが今さら言うまでもない。そのときどきで、人生は美しかったり手に負えなかったりした。わたしは何とかそれを生き延びた。

それにしても、よくも恋のことばかり書いているものだと思う。 
幼なじみの女の子には、あなたが人生を謳歌するとろくなことがないから
こと恋愛に関しては、満足しないまま死ぬのが望ましいとまで言われた。
満足しないまま、と言ったって、わたしが満足することはきっとあり得ないから、この話は果たして成り立つんだろうかと思う。
満たされるためなどに恋愛しているのではないし、しようと思ってしたこともない。
寝てみたいと思った人と寝るのをやめろ、という意味で言われたのかもしれない。でも(信じてもらえるかはともかく)わたしはまったく衝動的なたちではないし、行動を起こすことなど滅多にないのだ。(何しろわたしは男の人が苦手。でもそれはまた別の話)
わたしとあなたの間にあるものをわざわざ言葉で越えなくたっていい、と思うときにだけ、身体を使っているような気がする。

好きだと思った人が同じように自分を好いてくれることがうれしくてそれを目指して恋愛したこともあったかもしれないけど、今はそういう気持ちにまったくなれない。
もう恋などしない、というような自分の諦めを、わたしは心底信用していないけれど、少なくとも、ある程度の軽はずみなものにかかずらっていられるほどもう若くないのだ。
特別だと思う人のことは、これから先の人生でもずっと特別だと思い続けるくらいでなければ、特別だなんて言いたくないと思う。(掛け金としての肉体がそこにないとしても)

昨日は久しぶりに、生理痛で泣いた。
痛くて泣いたというより、血が溢れたことに対して。
どうもおかしな日だった。いつもより息も苦しくて、眼前が霞み、足元が覚束なくなった。紺色のスカートでよかったし、タイトスカートでなくて本当によかった。トイレでスカートの裾を洗うと、水が赤く染まって流れた。固く絞ったタオルで叩いて、そのままよろよろとフロアに戻った。
この年で、血でスカートを汚すというのがどれだけショッキングで屈辱的なことか。先週読書会で読んだ本に、初潮を迎えた女の子が絶望して「みんなにバレるくらいならこのままトイレで死ぬ」という台詞を言っていたが、正にそんな気持ちだった。
でも、鮮血のインパクトなんて本当はどうでもよくて、理不尽な鈍痛、運命づけられたようなこの痛みに何より消耗していた。
痛くなることには慣れるし覚悟もできるが、痛みそのものに慣れたり、感じなくなるということはない。

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