2013年7月6日土曜日

抑制

昨日、私が毎朝(致命的ではないにせよ)起きられないのを見かねた友人が、モーニングメールをくれたが、返信だけまじめにして、また15分寝てしまった。申し訳ない。でもどうしてあと15分寝ようと思ったのか思い出せないし、信じられない。

異動してから帰りが早い。たまに、昔の部署の後輩Tに会ったりすると「帰るの早いって聞いたんすけど、ほんとすか」と聞かれる。ちょうどそのころ私はもう帰ろうと思ってカバンを持っていたりしたので「ちょっと早くないすか、まだ18時すよ」と恨みがましく笑うTに、私はもう昔の私じゃないのかもね、と言って、手を振って別れた。

という話と関係あるかはわからないが、ある劇評を書いた。少なくとも、異動していなければ平日にその芝居を観ることはできず、土曜日に2回目を観ることもできなかっただろうから、確かに異動してよかった。今回やってみて、淡々とあらすじや演出や作家性の分析をする劇評は、もしかしたら私は書かなくていいんじゃないか、と思えた。「ヴァレリー的なものが安岡的なものを凌駕している」みたいなやつとかも。(※例文は気にしないでください)全部を平等に書くという、フェアネスさは捨てる。これに関しては特に、作家側の反発と不満は強いのではないかと思うが、たとえ印象批評と揶揄されたって(されてないけど)かつて「劇評の可能性を自分から狭めるようなことをするな」って言われたのを、信じてみようと思っているのだ。そのための、技術と私性の抑制について、時間を使いたい。

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