2013年8月1日木曜日

夜の線路沿い

不随意に涙が出る。人といるときにもそうなので(誰とでもではない)時に驚かせたり興ざめさせたりしていないか心配だ。涙だけですむならまだしも、声が出てしまうこともあって、そういうときは真剣に泣く形になってしまう。理由はいくつかあるが、悲しさやうれしさを実感した瞬間にそれが過ぎ去る、ことに対して反応が過剰なのだと思う。今気づいたけど、過去って「過ぎ去る」って書くんだな。当たり前か。 

数日前、電車の地鳴りと、横で話す人たちの会話を聞きながら、まだ新しい場所に行ける、という希望が私の中にはもうない、と思って絶望していた。遠くに行く、ということが人生の負荷にならない人がこんなにもたくさんいて、それに比べて私の恐れているものの実体の無さが情けなくて、あまりに絶望したので、途中から話がよく聞こえなくなってしまった。でももし、こういう距離感で書けるものが本当にあるなら、もうそれだけを見ていたい。

無知が人を傷つける可能性について、考えている。関係ない話だが、妹にこの間「まきちゃんにずっと『無知は罪悪』って言われ続けたのを覚えてる」と言われた。私、そんなに厳しく騒いでいたかしら、と思いつつ、横で聞いていた弟も同意していた。私の性格のきつさは、親ではない姉という近しさではよく作用するのかもしれない。ちなみに妹と弟は私を名前で呼ぶ。「お姉ちゃん」とか呼ばれてみたかった。そして、私は、他人よりもっと自分に厳しくいないといけない。 

夏なので、花火大会のことを思い出す。横浜の大観覧車に並んだこともあるし、川越、神宮球場や東京湾、荒川。よくもいろんなところに行ったものだ。もう息切れしてしまって、花火の美しさを見上げるより、下を向いてつかの間溺れたい気持ちのほうが強い。

こう見えて私は、愛がなければだめ、などと思うほどにはロマンティストなので、単なる興味には身構えてしまう。

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