2013年8月13日火曜日

プライベートスカイラインⅡ

大伯父のお見舞いに行った。体調がよくないのだ、と電話で言っていた彼は、老人ホームの自室のベッドで、上下とも下着のまま横になりっぱなしだった。おみやげに、西荻窪のこけしやの小さいチーズケーキを持っていったので、一緒に食べた。

大伯父は、昨年から勉強を始めたという戸坂潤という哲学者の思想について、マルクス主義を使って一生懸命説明してくれた。私がときどきとんちんかんな応答をするので、あなた、それ私が以前書いたの読んでないのか、とぼやきながらも嬉しそうにして、今月出したばかりの新しい評論同人誌をくれた。彼は、自室に大きな書棚をいくつも持ち込んで、壁中を本とクラシックCDと写真のアルバム(自分で撮ったもの)で埋めているので、話に応じて「そこのあれ取って」と言われる。レーニンの『哲学ノート』は、ものすごく紙が古くて、漢字の書体も戦前ぽい難しいもので、奥付を見たら「昭和9年」と書いてあった。大伯父がマルクス主義の話を始めると、レーニン、スターリンまで網羅しないと終わらない。彼にとっては何しろ生きてその目で見てきた道なのだから、こちらも耳を傾けないわけにはいかないのだ。

どういう流れだったか忘れたけれどもヘンリー・フォンダの話になって、『黄昏』のVHSを持っていけと言って、私の鞄に押し込んだ。そのあと音楽の話をしながら、やっぱり僕にはベートーヴェンの『交響曲第九番』とヘンデルの『メサイア』が最高だ、と言うので、伯父さまがそんなふうに主観的に「最高!」なんて言うの珍しい、と私が言ったら、伯父はベッドの上で顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

水谷豊の『相棒』はカント的な絶対正義に基づいているのだ、と、ダシール・ハメットのハードボイルドミステリに絡めて話すのは、このところ大伯父のお気に入りの言説である。そのままカントとヘーゲルの話をずっとしながら、テオドール・W・アドルノの『否定弁証法』を読みたいのだ、と彼は言った。君のスマホでどの出版社から出ているか調べて、と言うのですぐ探した。Amazonのマーケットプレイスに出ているのが分かったので、私は即断で画面を操作し、注文した。来週これ持ってきますよ、と約束すると大伯父は、古本屋の在庫まで私の手元で調べられると知って驚いていた。でもそのとき私は、早く彼にこの本を渡さなければ、時間がもうない、と思ってしまったのだ。

お昼ごはんのチャイムが鳴ったけれども、大伯父は黙ってベッドに横になったままだった。しばらくすると、介護士さんがごはんを持ってきてくれた。介護士さんは、机の上の食べかけのチーズケーキを見て「わ!よかった!食べたいもの、好きなもの、食べてね」と喜んでいた。それで私は、普段彼がもうほとんど食事を取れていないことがわかった。その日は老人ホームの夏祭りイベントで、お昼のメニューは焼きそばだった。

背中が痛い、と言うので手を伸ばしたら、触らないでほしい、と言う。 肺の悪性腫瘍が、広がっているのだ。私は自分の手を引っ込めたかわり、大伯父の手をじっと見ていた。彼の手は、亡くなった祖母(彼の妹)の手と、骨張り方や指のそり方がよく似ている。帰り際、本棚に九鬼周造の『「いき」の構造』を見つけたので借りた。読んだら、返すためにまた会いに来るのだ。つかの間のお別れ、という意味で手をぎゅっと握ると、彼はぼそっと「君と話すのが一番うれしい」と言った。その声がずっと耳に残って、駅に向かう市内循環バスの中でちょっと泣いた。私たちは確かに血もつながっているけれど、年齢を超えてつながる魂みたいなものがもしかしてあるのかもしれないと思ったら、たぶん、何年経って思い出しても、泣いてしまう。

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