2013年11月2日土曜日

作り花

僕らは手書きの文字がもう読めなくなってしまったのですよ、と昨夜彼は言った。飲めない彼は、それでもノンアルコールを何杯か干していた。自分の考えてることを分かってもらえると思ってない人って字がきたない傾向にありますよ、数学が一番できる人の答案って読めなかったでしょ、と私は言った。そのあとは、コピー機のない時代は台本をガリ版で刷っていただろうけれど、それすらない時代は写本していったのですかね、おそらく車座で、などという想像をしあった。

寝つけなくて、身体の半分かそれ以上はずっと起きたまま、少し陽が高くなったようだった。二度、明確に目を覚まして行動したのは覚えている。しょうがないので本気で眠ろう、と思って目を閉じたら本気を出しすぎて、次に目を開けたときには、しばらく何もわからなくなっていた。あれ、私今死んでたんじゃないかな?と思って身体を起こした。危なかった。電気をつけないままの夕方の室内ほど、寂しい場所はない。

ステージで女の人のエロティックな振舞いを見る、というのは男性にとってどういう体験なんだろうと、六本木の新世界で思った。でもまあ、「見る」ことが何かを喚起する特別なものだということは、あれだけ強い視線を向けられたら想像がつく。歌を聴くとか、ステージの女を見るとかいう体験は、比較的他人と共有しやすい。でも、たとえば酒をのどに流し込むときの感触とか、それが口もとからこぼれてしまった、というようなもっと閉じた瞬間があって、それは(私にとって)見られることで知らないうちに身についてしまった媚びの毒を抜くようなことなのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿