2013年11月18日月曜日

理解と寂しさ

老人ホームまで、大伯父の部屋の整理に行った。母の従姉とその夫君が先に来ていて、書棚やCDラックを片付けていたので、私も参加した。段ボール箱に古い本とCD(ショスターコーヴィチ、バッハ、ヘンデルが主)を詰めて、譲ってもらった。ほしかったけど言い出せずに念じていたら、大きな書棚本体も譲り受けることができることになった。

返送しなければならない書類があったが、極限まで放置したあげく、ついに極限を越えたので、夜中に速達を準備する羽目になった。電車で新宿の郵便局まで行こうと思っていたが、近所の道をふらふら歩いているうちに、なぜか青梅街道まで歩いて行くのもいいな、という気を起こしてしまい、霜月も半ばの寒い夜ということも忘れ、片道20分弱を歩くことにしてしまった。愛する町を足で愛でるキャンペーンの一環として、ひとけのない道を一生懸命歩いた。善福寺川の中には緑の草がはえていて、たぶん、セキショウモという草だと思うが、あまりに多くしげりすぎているように思うので好きではない。郵便局に行ってから、青梅街道の上の歩道橋にのぼってしばらく爆走する車を見ていた。このまま道路に落ちる想像を何度もしたが、私が落ちる日は今のところはやってこないはずである。帰り道、歩くのが嫌になったのでタクシーを拾ってやる、と思ったが流しの車がまったくやってこず、結局歩いて帰った。途中、MN嬢に電話したら彼女は何とパリにいて(この前、ハワイにいたばかりではなかったか?)電波が悪かったのでおしゃべりはあきらめた。他にこころよく電話に出てくれそうな友達も思いつかなかったので、今日はひとりで歩く日なのだ、と思い定めて家を目指した。

夜道を歩きながら今日一日のことを思い返していたら、しばらく封印していた「寂しい」という気持ちがお湯のように涌き上って流れ出して大変だった。今日会えた何人かの人。会えたけれどすぐ別れた人。会ってしばらく一緒に居た人。でも皆、結局離れてしまう人。普通に、事故もなく生きると仮定すれば一応まだ結構人生は残っているはずで、これだけ生きた成果としては、大人になったら寂しくなくなると思っていたことは、大人になっても寂しいということが分かっただけにすぎない。

理解者を得るということが人生においてどれほど起こりがたい出来事であるかは、ちょっと考えれば分かる。顔をあわせるだけの人、訪ねてきてくれる人、好きだと言ってくれる人はいても、理解してくれる人、というのはつくづく得がたい。 会話をする人に恵まれていたり、いつもそばに誰かがいるからあの人は寂しくないだろう、などと考えるほど、この日記を読むあなたは愚かではないはずだ。

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