2016年9月3日土曜日

ある日(堤防)

朝、劇作家とミュージカル女優、その幼な子、俳優がフェリーで帰っていくのを見送ってから、喫茶に行ってひとりでカレーをつくった。朝の体操は日曜日で終わっているのだけれど、毎日誰かが朝のフェリーで帰るので、見送りついでに喫茶に出勤している。8時前、店の扉をあけて空気を入替え、お湯をほんの少しだけ湧かして紅茶を入れ、窓を閉めてから、外に出て煙草を吸う。少し歌もうたう。それが今の自由だなと思う。

朝4時まで起きていたことは別に関係なくて、喫茶が暇だったからちょっとエリエス荘に戻ろうと思ったのだった。それで、まあちょっと眠ってもいいかなと思い、薬を飲んだら当たり前だけど起きられなくなり、もう秋だから部屋もそんなに蒸し暑くないし、昼過ぎまで休んでしまった。休んだわりに罪悪感が残って意味がないのだけれど、記憶がないから罪悪感もあまりない。でも、今思い出してこうして書くのはやはり申し訳ない。この気持ちは、昔、会社を午前半休して、そのまま、忙しくもないし私が行かなくてもいいだろう、とずるずる全休したりした時の気持ちに似ている。

自分の行動を思い出すと、たしか喫茶にふたたび出勤する前、風が涼しくてあんまり寂しいから、堤防の上にのぼって海のふちをしばらく歩いたのだった。道路を挟んだ店のガラスに私の姿が映っていて、なんとなく写真に撮った。それで、こんなに海のそばを歩いていても、もう「落ちてしまいたい」とか「引きずりこまれる気がする」とか思わないことに気がついた。そうして私は、無事に喫茶に復帰した。ちょっとした魔法が、必要な時に必要なだけかかるように、最近の私はなっているのだ。

私が眠っていた頃、喫茶で働く若い子たちは、麗しのニーナの息子とその父と、瀬戸の浜に行ったらしかった。あとで、8月最後の日、晩夏の海の写真を見せてもらった。そういえば私は、月を見に車を飛ばしたことはあるけれど、昼間の瀬戸の浜には行ったことがない。

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