2018年6月12日火曜日

緑の瓶、紅の姫(09.06.2018)

疲労の蓄積により、起きたのがAM9:49であった。ボランティアのI氏から受け取るものがあって9:30に待合せしていたのに、すっかり寝坊してしまった。あわててメッセージしたところ、同じホテルに滞在しているKM嬢に手渡してくれたとのこと。ホテルの朝食は10時までなのだが、行けるだろうか? とKM嬢にLINEすると、時間が9:55にもかかわらず「まだ皿に盛ってる人いるんでいけます!」と返事があったため、とりあえず急いでグラウンドフロアの食堂へ。

洋風のビュッフェで、きちんとした朝ごはんである。ベーコン、ハム、ソーセージなど肉の加工食品は言うにあらず、スクランブルエッグに目玉焼き、チーズ、サラダ、パン、シリアル、コーヒー、紅茶各種取り揃えてある。

昨日、空港でとりあえず50ユーロぶんだけレイに両替したので、近くのスーパーマーケットでナチュラルウォーターを2リットル買い、ホテルの冷蔵庫に備蓄する。ついでに、昨日飲んで記憶をなくしたチューハイ、レモンビールも買う。 

11:45に集合して、近くの本屋にて、本日 "One Green Bottle"(邦題:「表に出ろいっ!」)の初日を迎える演出家・野田秀樹氏のプレトークを聞きに行く。以下は、私が聞き取った範囲のメモ。司会者は野田秀樹氏の活動にかなり詳しいようだった。


司会者「"One Green Bottle"というタイトルが美しい。ヒデキ・ノダをreflectしているようだ」

野田「演劇との自分のキャリアの出会いは高校生。学校の演劇クラブに入ってそこは男子校だったので、なかなか男子だけの芝居を探すのが大変で、4、5人の男子の芝居を自分で書き始めたのがきっかけ。作家をやりながら役者をやっているのは当時から続いている。なので、femel boyもナチュラルに書ける。日本には歌舞伎の女形というのがあるように、not unusualなことなんです」

司会者「高校生の時も、女の役を男がやった?」

野田「そのプロダクションではね。アクトレスを男の配役にしたりすると、ミラクルが起きるから。change the gender on stage.」

司会者「iconicだ」

野田「僕はイギリスのテアトルコンプリシテで演劇メソッドを学んだ。kind of miracleなことだった。第二次世界大戦以降、日本のカルチャーは変わった。ナチュラルにウエスタンカントリーの文化を受け入れた。ただ、それが infuluence too muchしてしまったかもしれない。日本人はJapanese traditionalな歌舞伎のようなmany things を忘れてしまった。
ステージでの僕のバランスはactors, author. Japaneseのtoradiottionalな動きを取り入れつつ、ウエスタンなものもミックスしていきたい。能とかもそうだ。能をアレンジして、fantasticなものにもしたいし。
1997頃、日本にはヤングジェネレーションのカルチャーシーンがあって、we had one special style, underground, kind of ... そのアングラさにインスピレーションを受けたんですね。クオリティはそんな高くなかったけど、ウエスタンがtoo muchだったところから、go back to traditional したように思う。それを僕はfunnyだしfineだと思ってる」

司会者「crazyだけどいいと思った?」

野田「幸いにして僕はキャリアスタートのころから多くの観客に恵まれた。70年代の僕の演劇のグループは大きかった。でもそれが有名になるピークだったのかもしれない。そこから僕が本当に欲しいもの、つくりたいものをつくるようになった。moneyのためではなくね。for my life. 70年前に日本がつぶれたところから、劇場が生き延びる方法を考えている」

司会者「いわゆる大御所と、インディペンデントな若い作家を東京芸術劇場では呼んでますよね」

野田「......Yes(ちょっと苦笑)」

司会者「conpromisedっていうことですね。あと10年後、あなたは自分自身のプレッシャーがなくなってからどうしたい?」

野田「今はやりたいことたくさんあるけど、その時その時にやりたいことをやるしかない。10年前は芸劇からオファーされてつくってたけど、今は若い人たちとつながりを持って若い劇場にしていきたい。それはきっとうまくいくだろう。大変だろうし、frastratingだろうけれど」

司会者「芸劇は数年前、若いディクレター(※藤田貴大のことと思われる)が『ロミオとジュリエット』をやりましたよね。エネルギッシュでしたね」

野田「フラストレーションもありましたけど、でも僕が演出じゃないしね。でも、とてもハッピーな出来事でしたよ」

司会者「西洋の俳優のphysicalityと東洋の俳優のmentalityはどう違います?」

野田「日本は「ただやれ。do!」と入ればやります(会場笑)。Why? How? とか言わないよ。西洋はみんな は? 何でこれやるの? って言うでしょ(笑)。think about before acting.」

司会者「
ところで、シェイクスピアとの関連について訊きたい。シェイクスピアを現代化するとはどういうことか? 皆さん、野田さんのシェイクスピア演出作品には、メフィストとか出てくるんですよ。hybridityですね」

野田「謝ります(笑)」

司会者「Too late!(笑)」

野田「シェイクスピアを日本語に訳するのは、とてもとても難しい。伝えたい気持ちがついていかなくて、だからjapaneseのいろんな要素を入れてみるんです。僕が生まれた時から日本は何となくstupidな雰囲気だったし、なんでそうだったかは説明できないんだけど、TVから得られるようなカルチャーにフラストレーションを持ってた。日本のTVは、イヨネスコとか、そういう不条理的なboth sideがあるんですよね。60〜70年代くらいかな。fantasticと言えるかもしれない。
ただ僕の作品はすべてコメディから始まっている。だからそのように寄せていく。だからHappyになってもらえればいいし、コメディにしたいと思ってやっているんだ。make they happy.たとえ悲劇でも。
シェイクスピアの傑作は、語弊を恐れずに言えばteribbleだ。ただ頭から終わりまで悲劇ってことはないので、必ず喜劇にできる要素があるんだ」

司会者「黒澤明はシェイクスピアの影響を受けていましたね。黒澤、蜷川幸雄らのスタンダードに対してあなたはどういったスタンスですか?」

野田「黒澤さんの作品は、僕がつくる演劇とはtotally differentだけど傑作だと思う。蜷川さんは、only tragedy. コメディにすることはほとんどない。でも僕の考えでは、コメディに関しては、僕の方が蜷川さんよりいいと思います……(笑)」

司会者「ちょっと質問を変えよう。男女の性別を入れ替える演出について」

野田「たとえば、日本の漢字と中国の漢字は似ている。traffic が生まれている。どういう意味かというとカルチャーも似ている。クロスオーバーしていく。クロスしたところに新しいカルチャーが生まれる。だから、male, femaleをクロスオーバーさせて新しいカルチャーを生むんです」

司会者「これは今日の作品も楽しみだ!!」

野田「フラストレーションが溜まられるかもですよ(笑)。歌舞伎には大きく影響を受けていますが、僕は歌舞伎の作者にはなれないので、違うものとしてリフォームしています」



"One Green Bottle"まで時間があったのでホテルに戻って少し休む。街はとてもにぎやか。子どもたちの姿がとても多い。

"One Green Bottle"は、幕が歌舞伎風、下手奥に能で言うところの橋掛かりがある。そこから俳優が入場してきて、物語の始まり。とてもオリエンタルでありながら、不条理劇であり、面白くはあったのだが、先ほどのトークにもあった和洋折衷の加減が少し緩やかなのが気になったので、終演後に野田氏にロビーで訊ねてみた。歌舞伎や能の要素が入り乱れていて、境界が曖昧だったのは意図的なことですか? と訊ねると野田氏は丁寧に答えてくださった。いわゆる橋掛かりは能では死者が通ってくるところ。あの場所から俳優が入ってくるということは、観る人が観ればすでにこの登場人物たちは死んでおり、その回想がこの演劇なのだということがわかるだろう。しかし、欧米の観客にその文脈のすべてを伝えるのは難しい。取捨選択、演出の結果だ、と。

同じような思いは、その夜に観たシルヴィウ・プレカレーテの新作 "THE SCARLET PRINCESS"(原作:鶴屋南北の歌舞伎『桜姫東文章』)でも抱くことになる。事前に、衣装監修に携わったという日本の方とお話していたこともあり、劇中で着物が使われないことは知っていた。しかし、結論を一言でいうと「めっちゃ歌舞伎だった」となる。どういう意味かというとあらすじ(http://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/1458)は各自で調べてほしいが、プレカレーテなりの原作へのリスペクト、読み込み具合がひしひしと伝わるものであった。そして、桜姫はかなりアグレッシブな人物像へ書き換えられており、強姦されるというよりは自分で盗賊の男を誘うような解釈で描かれていた。普通なら、これだとまったく物語の意味が違ってきてしまう。しかし、これがルーマニア人演出家が歌舞伎を再構築するということであるのだな、と納得させる力があったのは不思議だ。大人数を、広い舞台上の空間で解像度高く稠密に配置し、動かし、時に静止させてきっちり魅せる、というカタルシスがあったことも大きい。

終演は0:45であったため、市街ゆきにチャーターされていたバスで帰る。ホテルの前で煙草を吸っていたが、例の衣装監修に携わっていた方(国立劇場等でいつもお仕事をされている方)と行き会い「……あれ、率直に言っておもしろかったですか? あれは、歌舞伎なんですか?」と至極もっともな質問を受けた。

たとえば私は杉原邦生演出の木ノ下歌舞伎などをよく観ているから、歌舞伎を、その時代、その土地によってどう翻案するかということにあまり抵抗がない。むしろまったくないし、新しい解釈で古典を知ることが好きである。しかし、顔は白塗りで、服はドレスもしくは布をかるく羽織ったようなものを、長年、本当の(というのもおかしいが)「伝統芸能」に携わってきた人がどのように感じるのか、継続して両者をつないでいくべきかもしれないという思いがわいた。とにかく、彼については「あれは立派な歌舞伎の翻案であり、リスペクトが感じられたし、プレカレーテなりの仏教観が示されていて、新しいものだった」と伝えた。

部屋に戻ると1時を過ぎていた。シャワーを浴びて冷蔵庫にあった缶チューハイを1本飲んで、寝る。

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