2022年1月31日月曜日

2014年7月10日

 この時間の電車には、帰り道の高校生がたくさんいて、絶え間なくしゃべっている。時々、部活の先輩を見つけては挨拶したりしている子もいる。「子」もいる、などと今書いたが、高校生たちを「子」と感じるようになったのはいつからだろう。

私の母校では、うるさくするとすぐバスの乗客から学校に電話があるので(とてつもなく目立つ制服なのだ)しょっちゅうバスの中での沈黙キャンペーンみたいのがあった。正直、うっとうしいとしか思わなかった。私はバスの中では静かにしているつもりだったし、大勢で帰る(=そういう友だちがたくさんいるタイプの)子どもでもなかった。でも今はわかる。子どもとは、そこにいるだけである種のむせかえるような音波を発している。それは弱った大人にはてきめんに響く。
高校生のころはあんなに喋ることがあったはずなのに、今は家でもどこでもほとんど黙っていて、話すことがあんまりない。今は日ノ出町のカフェでひとりぼやっとしていて、隣の席の小学生が親に「あたし幼稚園のころとは違うんだから!」と力説するのを聴いている。少女よ、君の何倍年を取ろうとも、私はあのころとは違うって、思い続けて人は生きていくみたいだよ。