とある酔っぱらいに腹をたて、あまりに嫌気がさしたところ、帰宅してからの料理の際に包丁で深く指を切ってしまい、さらに悲しい気持ちになった。血はいつまでも止まらず、すわ血の海かと思われたが、壊死しない程度に傷口を押さえよとのアドバイスを携帯電話の向こうの友人からもらって何とか事なきを得た。
翌朝はかなり強い雨となった。劇場で演劇をひとつ観てから、神楽坂の出版社が運営するセレクトショップに行き、そこで売られている本をだらだらと物色した。「料理の本」「宇宙を感じる本」「旅の本」のような、さまざまなテーマ別にこぢんまりと本が並べられている中で、私の目を引いたのは、酒飲みにまつわる本をあつめたコーナーだった。私は『最後の酔っぱらい読本』という、吉行淳之介が編んだ、さまざまな作家たちの、酒にまつわる随筆集を手に取ってめくった。
中国語に<酒悲>という言葉がある。酒に悲しみをまぎらそうとし、かえって酒に悲しみを倍加させてしまうという意味にもちいられる。
(中略)
もちろん中国にかぎらず、人のいるところには必ず、葛藤と悲哀はあり、酒のあるところにはまた必ず、忘我とそれに背反する酒の悲しみというものがある。
(中略)
そして酒精のもつ魔性は、この<酒悲>の感情がわかりだすころに、加速度的に膨張する。一宵の宴席に酔いしれ、床の間を便所とまちがえたり、高歌放吟、その酒量の多さをほこったりしているあいだは、まだ無邪気な段階なのであって、まかりまちがえても、翌日、保護所の門をでるころには正常に復している。
(中略)
だが<狂酒>から<酒悲>の段階に移行すると、こんどは自分が無限に小さな存在にかんじられはじめる。つまり酒によって己れみずからを知ってしまうのだ。そして一人でなめるように酒をのみ、茫然と虚空に目をそそいで、なにかひとり言をしたりするようになりだすと、もう軽犯罪法ではいかんともしがたい状態になっているとみてよろしい。「いいお酒ですな」と人に感心されるようなのみかたが、あんがい静かな絶望の表現であったりする。
(「酒と雪と病い」高橋和巳)
最初に目についた章をここまで読んで、かの酔っぱらいを赦そうかという気が少しわいた。まあ、彼のあれが<酒悲>のためかはわからないけど、酒飲みもいろいろ大変だというのは、わからなくもない。私は気性が激しいだけで、そこまで強情ではないのだ。読みすすめると、筆者である高橋和巳は<酒悲>のあまり旅に出て、放浪したあげく病気になってしまい、今は酒が飲めなくてそれが悲しい、という境地に達し、それでその随筆は終わった。悲しいのにさっぱりとしたその文体にひどく同情して、とりあえずその本を買って近くの珈琲屋に行った。まあでも、私がかの酔っぱらいを本当に赦すかどうかは、次に会った時に決めよう、と思い、そこではこの本の続きは読まず、持っていた須賀敦子の随筆集(川上弘美が編者で、装丁もすばらしい。文藝春秋社の本)をしみじみ味わって、それでしばらく酔っぱらいのことは忘れた。
2015年2月27日金曜日
2015年2月26日木曜日
2015年2月25日水曜日
私たちの春
その日はとても春めいた気持ちのよいお天気で、アイサが空を見上げながら「日本のいちばんいい季節はいつなの?」と言った。「私は春と秋が好き」と答えて「日本の春はお花がたくさん咲くから本当にきれいなの、ほら、そこのつぼみも春の花よ」などと話しながら道を歩いた。「秋にも花が多いの?」とアイサが続けて言うので「そんなに花は咲かないけど、私は9月生まれだから秋が好き。それから、秋は紅葉がきれい」と教えた。彼女は「あ、紅葉って知ってる!」とはしゃいだ。そのあと「じゃあこれから春が来て、秋に向けてどんな仕事をしていくの?」と言われたので、日本の劇作家や俳優に話を訊いてインタビュー記事を書くことを継続してやっていこうと思ってる、と言った。そしてこれは自分でも驚いたけれど、その後にふと「今は日本語だけで書いてるけどそのうち英語でも書きたいなって思ってるよ」という言葉が自分の中から出てきたのだった。アイサは「それはいいわ」といって、自分が私の仕事の対象に入るかもしれない未来を、ごく自然に了解してくれたようだった。
2015年2月23日月曜日
黒髪の祖父
祖父が夢に出てきたことは、記憶にない。死ぬ直前よりもずいぶん若い姿で、彼は庭のほうから歩いて来た。その時私がいた場所はもう何年も前に取り壊してしまった祖父母の家で、縁側で祖父をじっと見ていたのだった。部屋の奥には祖母もいて、しかし彼女は、病を患ってベッドに臥せっていた。手を差し入れたベッドの中で触れ合った祖母の指の細さにぎょっとした。彼女はずっと無言だった。急に、廊下のほうで、弟の泣き声がした。私の弟は三歳くらいの姿で、涙を振り飛ばして泣いていた。よく聞くと弟は泣きながら「またみんなでおうちでおひるごはん食べたい」と言っている。弟を抱きしめて、頭をなでてなぐさめて、私も一緒に泣いて目が覚めた。起きてから、弟が三歳だったころの幸せな風景をいくつか思い出して、今自分のいる場所がそこからどれほど遠い場所であるか、考えてみるまでもないと思いながら現実でも少し泣いた。
2015年2月19日木曜日
男の子どもたち
やっぱりいつかきっと、遠くない未来に、たぶん子どもを持つだろう。持ってもいい、とあらゆるものから許される時が来て、そのとおりになるだろう。そんなことを考えていた夜のこと、もう寝ようかという時になって、急に頭をよぎったのは、私の子どもはきっと男の子で、どこか遠い異国の地で戦に倒れ、私よりも先に死ぬ、という予感だった。子どもを失った私は、悲しみに暮れ、また煙草を始めて、それがもとで肺がんになって死ぬだろう、ということまで感じて涙が出た。三十年の昔、私の曾祖母がそのように、フィリピンで戦死した長男を思って死んだように。
実家で何となく時間を過ごしていた。弟が二階から降りてきて、私のために新しいアールグレイの缶を開けてくれた。「まきちゃん、人にお茶淹れてもらうの好きでしょ」と彼はなにげなく言った。人に淹れてもらったお茶は、本当に味が違う。一日に何杯も何杯も、孤独にティーカップを干す私のことを、弟はよく知っているのだ。
実家で何となく時間を過ごしていた。弟が二階から降りてきて、私のために新しいアールグレイの缶を開けてくれた。「まきちゃん、人にお茶淹れてもらうの好きでしょ」と彼はなにげなく言った。人に淹れてもらったお茶は、本当に味が違う。一日に何杯も何杯も、孤独にティーカップを干す私のことを、弟はよく知っているのだ。
2015年2月5日木曜日
シルキーちゃんの涙
ある明け方に私の夢に現れたシルキーちゃんは、魔法にかかって涙を流せなくなってしまったお姫さまだった。シルキーちゃんの呪いの秘密は港町のある場所に隠されていることまでわかったけれど、赤い宝石の結界に阻まれ、謎の解明には至らず目が覚めた。シルキーちゃんの涙のゆくえが今も気にかかる。
誰かの夢に登場できるのは嬉しい。もし人が私の夢を見たら教えてほしいし、いちばんいいのは、こんなふうに日記にして残してくれることである。
2015年2月1日日曜日
愛すべき子ども
私の中の幽霊が成仏した日に、わざわざ遠くの町のドトールまで出かけていって、背広の男と会った。背広の男は私の話を聞いて「どうかよく考えてから決断してほしい。わたしも、娘がきみと同い年で、きみと同じ仕事をしているから事情はよくわかる。父親からしてみればきみの気持ちは止められない。でも、くれぐれもよく考えてほしい」というようなことを、関西弁で言った。私は関西の言葉を話したことがなく、体内にその蓄積がないので、彼の言葉をここで再現することができない。
また男の子を生んで育てる夢を見た。これまでは私が誰の子とも知れない子どもを生む不安な夢ばかりだったが、今朝は初めて父親なる男性が登場して、一緒に育児をしてくれた。子どもは静かな手のかからない子で、父親によくなつき、ごはんを食べさせてもらっていた。それで私は何も困ったりあせったりせずに、その様子を眺めていた。
2015年1月29日木曜日
二人の食卓
帰りが遅くなった夜に、出来心でコンビニのグラタンを買って食べてしまった。おいしくなさに後悔して吐き出したいと思ったが、そんなふうに食べものを粗末にできるようには育てられていないのだった。ただ「虚しい」と思いながら咀嚼しつづけた。食べながら、私は何よりも、人が、私のいる前でコンビニのごはんを食べるのが嫌だったのだ、と初めて思い至ってフォークを噛みながら少し泣いた。おいしいと思うものを一緒においしいと思えるのが幸せ、などと人は言うが、まずいと思うものを一緒にまずいと思えない悲しみのほうが、私には重要なことなのだ。
2015年1月24日土曜日
愛といっても差し支えない2
20代の最後の最後で、とうとう彼女は、恋人と四年の交際を実らせて結婚を決めてしまった。結婚なんてつまらないものだよ、もっと自由な新しい生き方をしたっていいんだよ、とあれだけ忠告したにもかかわらず。
保守的な憧れで結婚するのではないのだからいいのだ、と彼女は言った。ただ来るべきときが来た、と思ったのだと。それを保守的と言うんだってば、と思わないでもなかったけれど、今、目の前、三方向に広がる大きな鏡に映る彼女は、真っ白なウエディングドレスを着て微笑んでいる。ふんわりしたスカートには、ばかみたいに大きなリボンがついていて、ひとりでこんなものを着た自分の姿を眺めていることに、彼女はちょっと興ざめした。夫になる男は、寝坊してドレスの試着にはやってこなかったのだ。
「もうちょっと、飾りのないシンプルなものが好みです」と、彼女は担当の女性に伝えた。そのあと選び直してもらったノーブルなデザインのものを何着か淡々と試着し、好きなものと似合うものは違うのだ、ということに気がついて彼女はドレスショップを後にした。結婚式は、これまでの自分の埋葬と引換えに行われる祝祭なのだ。そう考えた彼女は、帰宅の道すがら、愛する男たちに順番にお別れを言いに行くことに決めた。
男たちの部屋はどれも違っている。ある男の部屋は、出会ったころは整然と片付いていて、散らばっているものと言えば古いコンピュータ雑誌くらいだったのだが、彼女が通うようになってから、衣服とかコンビニ弁当のごみが床に放置されるようになった。彼女はどうも、男の先天的なだらしなさを引き出してしまうようなのだった。彼女がかいがいしくこの部屋を片付けることはもうないので、早く新しい娘が現れることを願ったけれど、彼女がいなくなれば、もとの几帳面な彼に戻るだろうとも思った。
ある男は、彼女が部屋を訪ねると競馬予想に夢中で、先週の負け越し金額を得意げに話してくれた。彼女は彼のそういう陽気なところが好きだったが、彼はあまりにも陽気に昼間から缶ビールをあけたりしていたので、彼女が黙って出て行ったことにも気づかなかった。
ある男は、西の都に娘と息子と妻を持っていた。妻がときどき監視にくるので、彼女は男の部屋には何も置いていなかった。いつ来ても、この部屋には男の妻の気配が満ちていて、彼女はその生活を浸食することをひそかにおもしろがっていた。男が彼女を好きでたまらないことはよくわかったが、会っているとき常にぺらぺらと子どもたちの成長について話し続けるのには閉口した。始めは、罪悪感からくる行為なのだと思っていたけれど、他に話すことがないのだとわかってからは、彼に対する彼女の興味は失せた。男は最近家庭菜園に執心で、餞別に、と言ってプチトマトを包んでくれた。彼女は、実用的な果実よりも、もっと役に立たない美しい花束がほしいと思った。もらったプチトマトはその場で一粒食べて、あとは公園に埋めた。
ある男は売れない小説家で、独りで3LDKの広い部屋に住んでいた。本当は人と住むつもりだったんだけど、と、いつだったか彼は言葉少なに語ってくれた。男は左胸にひよこを飼っていて、彼女が彼の胸に耳を当てると、いつもその声がぴよぴよと聞こえた。彼女が別れを告げると男は寂しそうに笑って、どこへも行くな、というかわりに、どこへでも行ってしまえ、と言った。彼女は彼の、真夏でも毛布をかけて眠るところが好きだった。一緒に眠るときは暑くて閉口したけれど、男たちの部屋を知るということは、彼らの寝室のルールを知ることで、それがうれしかったのだ。
最後の男は稼ぎの少ないミュージシャンで、実家住まいだったために彼女と会うのはいつもラブホテルの一室だった。だから、彼女が彼との生活をイメージできたことはなかった。最後に君を抱きたいと彼が言ったので、彼女は了承して服を脱いだ。さっきドレスの試着をしてきたことを思い出し、今日は家の外で服を脱いでばかりだな、とちらりと思った。男は彼女の従順さに満足して、結婚してもこれやろうよ、と言った。彼女はその得体の知れない意欲にあきれながら、笑ってそれを断った。
すべての男を見納めたあと、彼女は母に電話した。母は「ドレスの試着どうだった」と彼女に尋ねた。うん、再来週もう一度行ってそれで決めるよ、と彼女は答えた。母は「再来週なら私も都合がいいから一緒に行こうかしら」と言った。そのあとで、「とにかく結婚するというのは生活を選ぶということなんだからね」と、何か釘を刺すような口調で続けた。生活を選ぶってどういうことだろうと彼女は思った。生き方、っていうことかな。でもそれもたいそう保守的な言葉だな。だいたい、こんな自分にこれから先ずっと誰かと暮らしていくことができるのだろうか? 誰かなんて言ったって、そんなの夫と決めた男に決まっているのだけど。彼女は電話越しの「幸せになるのよ」という母の言葉に適当な返事をしてから切った。
彼女は一度自分の部屋に戻った。幾度となく鍵を回して帰ってきたこの部屋からも、もうすぐ去らなければならない。彼女と一緒にベランダに出て、マンションの五階から遠い夕日を眺める。幸せになるのよ、とさっき母は言ったけれど、これはこれで今結構私幸せなんじゃないかな、と彼女は思っていた。
もう少ししたら寝坊した男の家に行かなければならない。彼は、今日は家でゆっくりすることにしたらしく、婚約者のウエディングドレスの試着をすっぽかしたくせに、掃除や洗濯なんかして過ごしているらしい。その神経が彼女にはわからない。もちろん彼のことを彼女は好きだったが、その理由は実は未だによくわからないままで、しかしそのために彼女は彼を選んだとも言えるのだった。彼が何者であるかは無関係に、彼女は彼のそばにいたいと思っていた。何もかも、理由はわからない。それが愛なのかもしれないとぼんやり思ったりもする。彼を知るためなら、彼の未知を引き受けることができると思えたので、彼女は結婚することに決めたのだ。でも今日だけは、自分が閉めてきたいくつもの部屋の扉を思って少し泣きたい気分でもあった。
未知のものに惹かれながらも怯えて、涙をこぼしている彼女のこと、可愛いなあと思うけれど、そんな彼女とももうすぐお別れしなくてはならない。もう少しやさしい言葉をたくさん掛けてあげればよかったかな。でも彼女はそんなやさしさに惑わされるような子ではないものね。だから静かに、さようなら。幸せの正体がわからなくたって、幸せになることをどうか恐れずに。今の私に言えるのは、ただそれだけ。
保守的な憧れで結婚するのではないのだからいいのだ、と彼女は言った。ただ来るべきときが来た、と思ったのだと。それを保守的と言うんだってば、と思わないでもなかったけれど、今、目の前、三方向に広がる大きな鏡に映る彼女は、真っ白なウエディングドレスを着て微笑んでいる。ふんわりしたスカートには、ばかみたいに大きなリボンがついていて、ひとりでこんなものを着た自分の姿を眺めていることに、彼女はちょっと興ざめした。夫になる男は、寝坊してドレスの試着にはやってこなかったのだ。
「もうちょっと、飾りのないシンプルなものが好みです」と、彼女は担当の女性に伝えた。そのあと選び直してもらったノーブルなデザインのものを何着か淡々と試着し、好きなものと似合うものは違うのだ、ということに気がついて彼女はドレスショップを後にした。結婚式は、これまでの自分の埋葬と引換えに行われる祝祭なのだ。そう考えた彼女は、帰宅の道すがら、愛する男たちに順番にお別れを言いに行くことに決めた。
男たちの部屋はどれも違っている。ある男の部屋は、出会ったころは整然と片付いていて、散らばっているものと言えば古いコンピュータ雑誌くらいだったのだが、彼女が通うようになってから、衣服とかコンビニ弁当のごみが床に放置されるようになった。彼女はどうも、男の先天的なだらしなさを引き出してしまうようなのだった。彼女がかいがいしくこの部屋を片付けることはもうないので、早く新しい娘が現れることを願ったけれど、彼女がいなくなれば、もとの几帳面な彼に戻るだろうとも思った。
ある男は、彼女が部屋を訪ねると競馬予想に夢中で、先週の負け越し金額を得意げに話してくれた。彼女は彼のそういう陽気なところが好きだったが、彼はあまりにも陽気に昼間から缶ビールをあけたりしていたので、彼女が黙って出て行ったことにも気づかなかった。
ある男は、西の都に娘と息子と妻を持っていた。妻がときどき監視にくるので、彼女は男の部屋には何も置いていなかった。いつ来ても、この部屋には男の妻の気配が満ちていて、彼女はその生活を浸食することをひそかにおもしろがっていた。男が彼女を好きでたまらないことはよくわかったが、会っているとき常にぺらぺらと子どもたちの成長について話し続けるのには閉口した。始めは、罪悪感からくる行為なのだと思っていたけれど、他に話すことがないのだとわかってからは、彼に対する彼女の興味は失せた。男は最近家庭菜園に執心で、餞別に、と言ってプチトマトを包んでくれた。彼女は、実用的な果実よりも、もっと役に立たない美しい花束がほしいと思った。もらったプチトマトはその場で一粒食べて、あとは公園に埋めた。
ある男は売れない小説家で、独りで3LDKの広い部屋に住んでいた。本当は人と住むつもりだったんだけど、と、いつだったか彼は言葉少なに語ってくれた。男は左胸にひよこを飼っていて、彼女が彼の胸に耳を当てると、いつもその声がぴよぴよと聞こえた。彼女が別れを告げると男は寂しそうに笑って、どこへも行くな、というかわりに、どこへでも行ってしまえ、と言った。彼女は彼の、真夏でも毛布をかけて眠るところが好きだった。一緒に眠るときは暑くて閉口したけれど、男たちの部屋を知るということは、彼らの寝室のルールを知ることで、それがうれしかったのだ。
最後の男は稼ぎの少ないミュージシャンで、実家住まいだったために彼女と会うのはいつもラブホテルの一室だった。だから、彼女が彼との生活をイメージできたことはなかった。最後に君を抱きたいと彼が言ったので、彼女は了承して服を脱いだ。さっきドレスの試着をしてきたことを思い出し、今日は家の外で服を脱いでばかりだな、とちらりと思った。男は彼女の従順さに満足して、結婚してもこれやろうよ、と言った。彼女はその得体の知れない意欲にあきれながら、笑ってそれを断った。
すべての男を見納めたあと、彼女は母に電話した。母は「ドレスの試着どうだった」と彼女に尋ねた。うん、再来週もう一度行ってそれで決めるよ、と彼女は答えた。母は「再来週なら私も都合がいいから一緒に行こうかしら」と言った。そのあとで、「とにかく結婚するというのは生活を選ぶということなんだからね」と、何か釘を刺すような口調で続けた。生活を選ぶってどういうことだろうと彼女は思った。生き方、っていうことかな。でもそれもたいそう保守的な言葉だな。だいたい、こんな自分にこれから先ずっと誰かと暮らしていくことができるのだろうか? 誰かなんて言ったって、そんなの夫と決めた男に決まっているのだけど。彼女は電話越しの「幸せになるのよ」という母の言葉に適当な返事をしてから切った。
彼女は一度自分の部屋に戻った。幾度となく鍵を回して帰ってきたこの部屋からも、もうすぐ去らなければならない。彼女と一緒にベランダに出て、マンションの五階から遠い夕日を眺める。幸せになるのよ、とさっき母は言ったけれど、これはこれで今結構私幸せなんじゃないかな、と彼女は思っていた。
もう少ししたら寝坊した男の家に行かなければならない。彼は、今日は家でゆっくりすることにしたらしく、婚約者のウエディングドレスの試着をすっぽかしたくせに、掃除や洗濯なんかして過ごしているらしい。その神経が彼女にはわからない。もちろん彼のことを彼女は好きだったが、その理由は実は未だによくわからないままで、しかしそのために彼女は彼を選んだとも言えるのだった。彼が何者であるかは無関係に、彼女は彼のそばにいたいと思っていた。何もかも、理由はわからない。それが愛なのかもしれないとぼんやり思ったりもする。彼を知るためなら、彼の未知を引き受けることができると思えたので、彼女は結婚することに決めたのだ。でも今日だけは、自分が閉めてきたいくつもの部屋の扉を思って少し泣きたい気分でもあった。
未知のものに惹かれながらも怯えて、涙をこぼしている彼女のこと、可愛いなあと思うけれど、そんな彼女とももうすぐお別れしなくてはならない。もう少しやさしい言葉をたくさん掛けてあげればよかったかな。でも彼女はそんなやさしさに惑わされるような子ではないものね。だから静かに、さようなら。幸せの正体がわからなくたって、幸せになることをどうか恐れずに。今の私に言えるのは、ただそれだけ。
ダイヤのパヴェ
いつもポーチを持っている。従姉のハワイみやげで、ハイビスカスの形のアップリケがついたものだ。中身は指輪と今年の初詣で買った学業お守りで、気分と場面によって、ポーチから様々な指輪を出して付け替える。いつもは右手の薬指にダイヤモンドの指輪だけをはめているが、週に二回はもうひとつ出して、左手にもはめる。雨が降ってほしくない日は、稀代の晴れ女だった祖母の形見のサファイアの指輪を取り出す。そういう時は実際よく晴れる。
ごめん眠っていた、という言い訳を受け取って1時間、銀座で待ちぼうけていた。綺麗な指輪をたくさんはめた私は、デパートの宝飾品売り場を見て時間をつぶすこともできずに、こうして日記を書いている。こんなふうに遅刻されるのは初めてじゃない。そう、もちろん初めてじゃない。黙って我慢しながら、今はくちびるの皮をむいている。
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