2019年9月24日火曜日

祖母の長兄からの手紙


祖母の、戦死なさった兄がお書きになった手紙。(戦後、兵士たちの遺稿集として「群像」に掲載されたもの)
  

***
敬夫へ。
 先日は外泊の折皆の元気な姿に接し兄として嬉びこの上もないものでした。
 今日はお前に私の考へてゐること及びお前に言つておきたい事を、東京行の列車の中で書きます。よくよく熟読玩味して下さい。兄さんも学校に居る時は、自分の力を少くとも他の学生達の如くにでなく、自分の思ふ方向に対して向けてきたと今でも自覚してゐます。先日お前の買つたといふ本を見せて貰ひ、お前の勉強の対象が、私のそれを同じものに向けられてゐることを見て、一面嬉しさを禁じ得ないとともに反面ある意味での怖しさに駆られました。
 まことに現代の学生の宿命とでも言ふべきものを感ぜずには居られません。
 矛盾を社会の機構の中に見出した時、若い血が命がけでそれを解決しようとする。その姿は美しいものです。その姿はたゝへられねばなりません。命がけでやることに何で悪いことがありませう。
(中略)
お前は史学に専念すると言ひましたね。歴史を読む事は良い事です。人間が今迄に経てきた足跡を静かに想ひ、その中から、社会を歴史を世界史を人生を観照し、その中から自己の使命を見出すのです。
(中略)
もう少し現実的であれ。学校の机上の空論から離れた本当の勉強に入る様お願ひします。また少しむづかしい事を書いてしまひましたね。要するに私が軍隊に入り学生生活と比べてみて感じた事を書くのです。軍隊という処は一口では云へないが、とにかく愉快な場所ではありません。しかし、それが如何なる批判をうけると受けぬとに限らず、それはこの社会に現実に存在するのです。だから云ひたい事は、お前が正しいと信じた事も、正しいと想つた様には行かないのです。お前も坂梨と同様に素直な境遇に育つた人間なのです。少くとも私と同様に社会の逆境の中に居らない人です。
 前置きが長くなりましたが、具体的な事を書きます。現在の日本を見ながら、現代の学生の仕事はいさゝか変化したのではないでせうか。学生が学生の本分のみに専心するには余りにも慌しき社会をみます。それでお願ひします。私のゐない家の者の、男の子のお前が中心となり、自分の身辺の者の為に動く様にして下さい。お前には未だ未だ解らないと思ふが親の愛と云ふものを痛感するのは自分が逆境に入つた時始めて解るのです。
 どうか、父母上に、
「また機会ある日に」知子にたくす。

2019年9月10日火曜日

▼カテゴリについて

日常の記録のほかに、旅をした時は特別に記録をつけています。以下、カテゴリ別に説明を記載。

2018シビウ国際演劇祭日記
初めて単独で批評家として招聘していただいた、ルーマニアのフェスティバル滞在記。だいぶ文体が変わっているのが自分でも分かります。


2016デュッセルドルフ滞在記
FFT Düsseldorf NIPPON PERFORMACE NIGHTに招聘され、ドラマトゥルクとして会期終わりにドイツを訪ねた時の記録。この2か月前から藤原ちからはひとりでリサーチを繰り返し、本を製作していたので、私のこの日記は、彼が仕事を終えたあとのもので、彼の苦労や孤独を汲み取ることがうまくできていなくて申し訳ないです。フェスティバルの様子やデュッセルドルフの街のこと、毎日のたべものなどの備忘録と思ってお読み下さい。


小豆島滞在記
瀬戸内国際芸術祭2016年夏会期に、劇団ままごとに帯同して「喫茶ままごと」の店員をしていた時の記録。劇団員の話はときどき出てきますが、坂手港の人々との交流が中心となっています。文中の固有名詞はあえて統一していないので、最初に出てきたあの人が、次はそれとわからない形で再登場していたりもします。


城崎再訪記
2016年7月に、ふたたび城崎国際アートセンターに滞在した時の記録。『演劇クエスト』改訂を目的に滞在しました。昨年出会った人々との関係がより成熟し、「ただいま」「おかえり」と言えるようになってからの日常です。


城崎日記
2015年8月に、『演劇クエスト』制作のために城崎国際アートセンターに滞在した時の記録。はじめて訪れた但馬で、だんだん人々との交流が深まっていく様子を書いています。


2012年北京日記
2012年6月に、まだ会社員だったころ、北京に出張した時にノートにつけていた日記メモを転記したもの。食べたものの話や、現地法人の中国人社員さんとの会話などの記録。天安門事件が起きた記念の日に北京に居合わせたことは、忘れがたいことです。


2012北京再訪日記
同年9月に北京にふたたび出張した時の記録。この年は、反日デモが大変に盛り上がって、危険ではないかと言われつつも、ひとりで現地に送り込まれたのでした。

2018年11月7日水曜日

11/3/2018 シビウ演劇祭報告会にて

初めまして、ただいまご紹介いただいた、落 雅季子です。

お手元に写真をプリントした物をお配りしておりますのでそれにそって、今日これまで発表されてきた方の話とは違う方面から、ルーマニアについて、シビウについて、文化についてどう考えるかお話しようと思います。

まずは今年の演劇祭滞在にお声かけくださった、北川大輔さん、谷口真由美さん、ありがとうございます。

あっ、実は今日着ているこれ、ルーマニアで買った服なんです。海外では、そこのもの買ってみる、着てみる、みたいなのことを私は結構大事にしてまして。この白いワンピース、一目惚れして買ったんですけど、日本だと着どころがないから(笑)。あとは、シビウの街でこのストールかぶって歩いてたら謎の家族に絡まれてごはん3000円くらい奢らされましたけどね。ストールは50レイでした、安いでしょ。赤、黒、白って揃えました。



▼自己紹介
実は私は大学時代、演劇を専門に学んでいたわけではありません。法学部を出てから、ITエンジニアとなって死ぬほど働いたのち、演劇批評やインタビュー記事を書く仕事にたずさわりつつ、フリーランスの演劇批評をしています。

法学部にいたと今言ったのですが、ゼミは国際関係論でして、卒論を、当時拡大途中だったEUをテーマにして書きました。実は私、高校生の頃から東欧革命が大好きで……。

今から説明しますが、東欧革命というのは、1989年に起きた東欧諸国の一連の民主化の革命の話です。なので、ルーマニアはずっと行ってみたかったのですが、何しろ治安が悪い。シビウはそんなことないんですけどね。だからほぼ15年〜20年越しに念願かなって、初めてのルーマニアに行ってきたというわけなのです。

これは現地の人から教わったのですが、私の名前のochiというのはルーマニア語で「オキ」と読み、「目」という意味だそうです。とってもいいですよね。それを聞いた時、この目を使ってきちんとルーマニアの風景を目に焼き付けないといけないなっていう思いを新たにしたのを覚えています。


▼ルーマニアの歴史
共産主義時代のルーマニアについて、国際政治専攻だった私から少し解説します。

シビウ演劇祭が25周年ということは、始まったのが1993年になりますね。ルーマニア革命が1989年なので、シビウ演劇祭は革命からわずか4年後に始まっているわけです。それがどれほど大変なことだったかは、想像を絶するものがあります。そして25年……四半世紀、ひとつの演劇祭が続いてきたということは、人ひとりが大人になって余りある時間が演劇祭とともに刻まれてきたということになります。

1989年がどんな年だったかというと、まず6月4日に天安門事件がありました。未だに中国では6月4日の天安門の警備はとても厳しいです。話が逸れて申し訳ないけど、当時の仕事で付き合いのあった40代の中国人部長は、中学で習ったのはロシア語だったって言ってましたね。中学生が英語習うのと同じ感覚で。今(の中国人の中学生)は英語やってるらしいですけどね。

だからまず私は、シビウの街中を歩きながら、ボランティアをしている子供たち、遊んでいる子供たち、パフォーマンスに出演している子供たちの姿を見て、「この子たちは革命を知らないのだ」「独裁者であったニコライ・チャウシェスクを知らないのだ」と思ったんです。だから、ボランティアが、人のために働くということが、文化芸術が、欧州三大演劇祭として人々の中に浸透するまでに、どれほどの人々の尽力があったかは想像してもしつくせない。10日あまり滞在しましたが、それは毎日考えていましたね。

ニコライ・チャウシェスクという独裁者は1964年に大統領に就任し、89年に失脚するまで、24年間、独裁体制を敷いていました。だから、今年シビウ演劇祭が25周年を迎えたということは、初めてその長さを超えて、シビウ演劇祭が独裁に勝利したと、そういうことだと言えるんです。

チャウシェスクはね、息子が(体操選手の)ナディア・コマネチを無理やり愛人にしてたとかそういう話もあります。それでコマネチはアメリカに亡命したんですけど。とにかくそういう話には事欠かないです。

ルーマニア革命のもう一つ重要なことは、一連の東欧革命の中で唯一、人々の血が流された、死者が出た革命だったこと。89年の夏ごろ、ポーランドでの革命を皮切りに、東欧では次々と共産政権が倒れました。

ルーマニア革命は、シビウよりもうちょっと大きい、ティミショアラという街で起きた、今思えば小さな市民暴動が起きたのがキッカケとなって起こりました。その鎮圧のためにチャウシェスクが軍を出し、ティミショアラの人々を弾圧しろと命令した。そこからドミノ倒しです。ティミショアラの市民鎮圧に反発した、ワシーリ・ミリャという国防大臣が銃で死んだのが、数日後に発見されました。その真相は闇の中なんですがそれがチャウシェスクの粛清だったんじゃないか、許せない、という鬱憤の溜まっていた軍部の独走による、一種の集団ヒステリーで国が倒れました。

半日であっという間に大統領夫妻は捉えられ、即日、銃殺されました。2018年現在では、そんなことなかなか、考えられないですよね……。

ちなみにシビウ演劇祭で上演されたシルヴィウ・プルカレーテの作品『スカーレット・プリンセス』にあった、権助が引き回しのうえ銃殺される場面は、チャウシェスク大統領夫妻の暗喩で間違いないです。なぜかというと、それだけ共産主義の時代に弾圧されてきた演劇人が、銃殺というモチーフに無意識であることは有り得ない。

……というようなことが、様々な知識とあわせて観ると、鑑賞可能になるわけです。

ちなみにルーマニアの貨幣はレイ(レウ)、バニです。ルーマニアは、2007年にEU加盟してますけど、財政状況がまずいんでユーロは許されてません。来年導入予定らしいけど、EU幹部と言えるドイツやフランスは、ルーマニアのユーロ導入どころではないかもしれません。


▼キリヤックの言葉
正式に招聘していただいたということで、シビウ演劇祭の創始者であり、現在のディクレターでもあるコンスタンティン・キリヤックに面会する機会があったのですが、その中で私はキリヤックに訊ねました。「革命の余波が残る25年前のルーマニアで演劇祭を始めた当時と、今ではどう違うか」と。

回答の中で非常に印象深かったのは「フェスティバルを始めた当時、夜20時になると街に人通りなんかなかった」と。相互的に監視しあう中で、街中の人がフェスティバルを楽しみ、国内外から人々が集まるなんて、そんなことは有り得なかった。だから、今の華やかな演劇祭の街としてのシビウになるまでには途方もない人々の熱意と努力があったのだと思うのです。


そして、この橋。この橋の上で嘘をつくと橋がくずれるという、「嘘つきの橋」と呼ばれるいうシビウの観光名所です。あ、でもこの橋の上で市長が重要な発表とかするらしいですよ。「本当のことだ!」っていうパフォーマンスの意味で(笑)。

でもね、注目してほしいのは、この背景の屋根にある目みたいな窓。今は可愛い観光名所となっていますが、当時は隣人を相互監視するために使われていたとキリヤックは言いました。共産圏の相互監視はエグいです。隣人の誰も信用できない。すぐ密告されて連れて行かれる。

それでですね、先ほどから何度も話に出ているフェスティバルクラブ(※ナショナルシアターの裏庭でビールなどの屋台が出ており、深夜までボランティアやアーティストが交流できる場所)という場所で、40代の男性に「革命のこと覚えてる?」って聞いたんです。ただ彼は「あんまり覚えてないな。子供だったからなあ。10歳くらいかな。拳銃ごっこがめっちゃ流行った!」って言ってまして、子供ってすごいな、タフだなと思いましたけど(苦笑)。彼はきっと幸福な方だったと思うんです。暮らしていたのがシビウだったというのもあるでしょう。ブカレストだったらそうはいかなかったはず。でも、その彼でさえ「両親からは、家の中での話は外でするなって言われてた」と言ってましたね。

ブカレストに行っていない上に、危険すぎて確認不能のため、見てはいないんですがブカレストでは、今でもマンホールの下で、「チャウシェスクの子供たち」と呼ばれている青年たちがギャング化して暮らしてるらしいです。共産主義時代には国策として出産が奨励されていたんですけれど、結果的に革命後に親に捨てられた子供たちが麻薬漬け、暴力漬けでブカレストの地下に暮らしているんです。

だからルーマニアは今も非常に治安および経済状況の不安定なところであり、良い面の賞讃だけをするのは間違っています。記憶にある人も多いと思いますが、2012年にはブカレストにて、女子大生が強姦殺人で殺される事件がありました。大変心を痛めました。実は彼女は私の母校の後輩であり……だから、今回、私には彼女が見られなかったルーマニアの景色を見るという意味の旅でもありましたね。(※現在は、ブカレスト空港ではきちんとナンバーを確認したタクシーしか入れないなど、対応が取られているようです)


▼日本との違い
皆さん実感されているとおり、文化には力があります。文化芸術の浸透はとても時間がかかるものです。

最初に谷口さんがお話してくださった、オスマン・トルコからの侵略を防いでいた、武力で超えられなかった石の壁を文化が超えるという「民衆の壁」の話はまさにそれを象徴するものです。

そして、写真に戻りますが、これは街中にあふれていたお花です。メインストリートのカフェ、それからナショナルシアターの演目の初日に配られたバラの花です。一輪ずつ観客に配られました。一番下のは、初日だったり楽日だったりに、お花を渡す係の人がいて、舞台上にお花が置かれるんですよね。その自然さ、上演を寿いでいる様子に、私は文化の根付き方の違いを感じました。お花が美しいということは素晴らしいことなんです。花を贈るというのは、あなたがいてくれて嬉しい、すばらしい作品をありがとうっていう意味でしょう? お花が私たちを迎えてくれている。それは、ひいては、街が私たちを迎えてくれるということにつながるわけです。




まあ、ここまで「違い」ってさんざん言ってきましたけれども「違い」を感じるためには、比較対象が必要なわけです。

フェスティバルクラブみたいな場所、普通の日本のフェスティバルにはないです。例外はありますけど。基本的にはない! 22時になったら劇場は閉まる。だから、楽しむ、感動するだけじゃなくて、どうして日本にはそういう場が少ないのかっていう問いを持ち続けてほしいなと思います。
 
そして、この演劇祭専用アプリケーション。これは元エンジニアとして非常にエキサイトしました。チケットの予約、地図、日程まで検索可能で、これを開発してバグ無しで稼働させるのはなかなか、相当頭いい人が関わってる。ユーザインタフェースも素晴らしい。控えめに言って最高でしたね! このレベルのものは、日本では見たことない気がします。


最後に、出会いについて話そうと思います。「素劇 楢山節考」を観に行く途中で、アレクサンドラという女性と一緒になりました。上演後、彼女を見つけたので、声をかけてまた一緒に帰ることにしたんですね。アレクサンドラに、「字幕で『山の神様』っていう言葉が出てきたでしょ。 "God" と書かれていたけれど、あなたたちの神様とは意味が違うの、わかった?」と訊いたら、それは理解できた、と言っていた。「ただ、周りのみんなは拍手していたけれど、so hard story だったから私はとっても手を叩く気にはなれなかった……素晴らしかったけれど!」と言っていて、感受性豊かでとても聡明な女性だと思いました。

『楢山節考』を読んだ方はご存知かもしれませんが、小説の中には、命が惜しくて楢山に行きたくないと泣きわめく老人の描写があるんです。『素劇 楢山節考』では「蟹」の登場する歌が歌われるのみでしたが、実はこの「蟹」、とても恐ろしい意味で、そうして死にたくないと泣く老人の手足の骨を砕き、それでも這って帰ってこようとする姿を揶揄して「蟹」と言っているエグい意味なんですよ。

そのことをアレクサンドラに説明したら「(字幕の)crabがそんな恐ろしい意味だったなんて……」と震えていましたけどね。そういう意味では日本のカンパニーが作品を輸出する時の在り方を考える余地はもう少しあるかなと思いました。

その時、アレクサンドラは黒地に白い小花模様のフレアワンピースを着ていて、素敵ね、と言って褒めたら「でも、この白い花が今はおりんに降り積もった雪に見えるわ。だから今日のことは忘れないわ」と彼女は言っていました。 忘れられない出会いです。


▼楽しいだけではない
最後にひとつ言いたいのは、芸術と政治は密接に関連しているということです。厳しいこと言いますけど、批評をやる上で、無知は罪なんです。政治的な演劇もある、演劇的な政治もある、かつては演劇がプロパガンダに利用されたこともあります。そこは非常に注意深くいてほしい。

楽しいだけではないんです。1989年のルーマニア革命の時の難民受け入れ、確か日本は二人とか、三人とかだった気がします。ふざけてますよね。それって、今の外国人労働者とか移民の問題についてもまったく進歩してないんですよ。

ボランティアは大いに素晴らしい。だがしかし、ボランティアということの意義を問い直し、搾取されていないか、あるいは芸術が誰かを搾取するものになっていないか、自問自答し続けてください。それは東京オリンピックに対してどんなふうにカネが動くか、考える材料にもなるでしょう。

知識同士のコンテクストの繋がりをトレーニングすることで芸術っていうのは鑑賞可能となります。きちんと背景を知ること。知性のシナプスをつなぐこと。アンテナを張りまくること。

今日の会でもいろんな人の思いを知ることができて、本当によかったです。本当に感謝しています。日本のある種の貧しさの中で、皆さんが文化に対してどう動くか、何ができるか、苦しくても考え続けることを芸術の世界では幸せと呼ぶんです。

そしてそれは、もはやシビウ演劇祭に関わった皆さんにも他人事では、ないんです。

2018年6月18日月曜日

二度目の謁見(14.06.2018)

早起きしてしまったので、朝食はひとりで食べた。それから8時過ぎにホテルを出て、嘘つき橋の脇の階段を降り、ロウアータウンへ。
 
ウエディングドレスショップが立て続けに並んでいて、東欧風の、日本の桂由美とかハツコエンドウとかには絶対ないようなナチュラルなヴィンテージ感に、見とれていた。こうした、温かみのあるウエディングドレスなら着たい。
 
ああ、なぜひとりで(ひとりじゃないけど)こんな国に来てしまったのか、何もかもが遠すぎて、でもそれはその何もかもを手放したからであって、そうしてこなかったら今私はここに居られないし出会った人々と出会えていないのに、身体が崩れて煉瓦のひとかけらになってしまいそうな気持ちで上を見上げると、窓から白と黒のネコが二匹、顔を出していた。顔だけでなく半身を乗り出しており、のんびりと優雅に町を監視していた。
 
「にゃー」「ミャオー」など様々な鳴き方を真似して気を引き、シャッターに収める。ふらりと現れた東洋人ももともとのこの町の住民も、ネコには関係ないらしい。

両替所に行くも「9時からしかやってない」と言われる。なお、その時、時刻は9:30であった。ルーズベルト。ルーズリーフ。ルーズソックス。(これは「ルーズ」と変換するにあたり入力ソフトが提案してきた3つの単語である)OK, I'll come back later.
 
しばらくのち、両替は無事できた。古着屋さんにお邪魔してはワンピースを試着させてもらったりする。今日の収穫は、今のところなし。薬局で美容クリームを買えるだけ買う。
ボランティアのGS嬢からランチの誘い。広場奥のカフェでスープをふたつ頼む。私は、グリーンのペーストスープにハードボイルドエッグが乗ったもの。GS嬢はグーラッシュ。たくさん話し合い、よい意見と体験の交換ができた。
その後、14:45TK女史とKM嬢と3人でルーマニアレストランでランチ。チョルバというスープを二つ、サルマーレというロールキャベツ、肉とママリーガの盛り合わせでおなかいっぱい。
 
その後、ひとりで町いちばんの評判のジェラテリアでピスタチオアイスを食べる。ふと、スーパーマーケットの側に、特に私好みのおみやげもの屋を見つける。ルーマニア南部のロマ風の赤いストールを買った。
 
幸運なことに、同行者を探していた人をひとり見つけて "The Scarlet Princess" 二度目の観劇。

初日は歌舞伎の花道の横だったため字幕が見づらかったが、後ろの席の見やすさよ!! 助かる。プルカレーテ、やっぱり展開が早すぎるというか緩急が凄まじい。姫が権助に犯されて子供できてから、生まれたときから閉じたままだった彼女の左手が開くのが原作だけど、プルカレーテ版は逆で、もっと早く左手が開いた。
初日から大きく演出を変えた点は、見あたらない。

でも原作だと権助に犯されてから姫が彼に惚れると思っていたのだが、プルカレーテ版にはそのくだりがなかった。犯される→権助の刺青を見つける→惚れて自分の腕にも刺青入れる、が原作だったような……?

プルカレーテ版は、姫が最初に彼の刺青を見つけ、犯されずに自分で彼を誘っていた。
あとでKM嬢が調べたところ、歌舞伎では姫が権助に犯されたシーンはセリフでしか出てこないらしい。犯された時の快感が忘れられずに、姫は自分から権助を誘って、二人は抱き合う……ということで、プルカレーテ版は歌舞伎版に忠実なのかもしれなかった。
あと、白菊と死に損なって、桜姫を白菊の生まれ変わりと信じてつきまとう清玄の気持ち悪さと変態さもなかなかだった。

最初、白菊と清玄の心中の思い出から始まったため、物語は清玄の走馬灯になるのかと思いきや、生命力溢れる桜姫に乗っ取られてしまった。メインテーマは、恋した男が悪人だった女の業だった。

清玄と再会して恋に落ちる話じゃないのは謎だとかねがね思っていたが、しかし、これは白菊とともに死にきれなかった清玄の情けない人生の結末でもあり、その業が彼を幽霊に、最後には化け物にしてしまったのだ。

そう思うと清玄が、始めからひげを長く生やした老人の風貌だったり、黄色の異様な衣装で現れたり、スマートさをいっさい見せさせてもらえなかったのも分かる。死にきれなかった清玄への、罰の物語というのが裏にある。桜姫が清玄を選ばないからあんなにおじいちゃん清玄が暴走してキモくなるのだ。

毒蛇で死んでなお幽霊として姫にまとわりつき、最終的には祟り神のような全身白いモフモフになって彼は死んだ。じじい、モフモフになって死す。

モフモフは実は序盤で、娼婦になる前の桜姫を襲う役回りとして群れで登場していた。おそらくあれは、男性たちの欲望の根源のイメージ。モフモフは刀を股から出していて、あれは男性器のメタファーなのだと思った。それらモフモフを斬り捨てたのが権助であり、のちに姫は彼に惚れたものの、自分の父と弟を殺したのが権助とわかり、権助との子どもも殺し、市中引き回しのあげく権助を撃ち殺した。

引き回しの場面は、ルーマニア革命で殺されたチャウシェスク大統領夫妻の隠喩だろう。そして権助は、チャウシェスクとおなじ銃殺で死んだ。

この作品では、原作の歌舞伎よりも桜姫が強い自立した存在である。そのように「女性像」を書き換えてくれて、プルカレーテ氏、ありがとうという気持ち。桜姫は、搾取する権助をも討ち取って、自らの幸せを手に入れた。赤ちゃんは、可哀想であったが……。

桜姫の衣装が真っ赤である! という強さを改めて感じた 。最後には彼女はキャミソールドレススタイルの衣装を引き裂き、ブッダのような様相になる。あの強さは、レット・バトラーを手放して、自分の道を歩んでいくスカーレット・オハラにも見え、非常に力づけられた。クライマックス、カーテンコールでポーズを決める桜姫と権助のカッコイイことよ。なお、桜姫は男性、権助は女性が演じた。
 
衣装その他については今後随時追記。

2018年6月16日土曜日

パパとママのために僕は死ぬ(13.06.2018)

13:30より、フォーラムを聞きに行く。街中の、入口の分かりにくい、しかし内装はスタイリッシュな会場。この日のテーマは "Role of the Built Environment Shaping Visitor Experience" というもので、パネリストはディレクターや建築家など様々な職種の人物たち。デンマークのルイス・ベッカー氏、アメリカのエリック・バンジ氏、ルーマニアのアレクサンドル・ガヴォツデア氏、日本からは隈健吾氏が参加。特に印象深かった言葉をいくつか。

ルイス・ベッカー氏による「アイコニックな建築は人々のアイデンティティになる」。

エリック・バンジ氏による「劇場をつくる際、あるいはどこかを劇場と見なす場合に考えるべきことはふたつだ。そこにやってくる人々のこと。そして、コンテクストのこと」。

アレクサンドル・ガヴォツデア氏による「共産主義時代のルーマニアの劇場の建物は古かったが、人々が集まる場所としてはよかった。この20年でかなり改修が進み、(シビウ演劇祭のディレクターである)キリアックが2000年頃から演劇祭を拡大していった。人々が、演劇というものを、(※筆者補足:おそらく何かのプロパガンダとしてではなく)アートとして楽しむようになったのもその頃からだ」。

16:00近くになってから、劇場にゆくTK女史を見送って、KM嬢とファストフード店で遅いランチ。チキンライス、チョルバ・ド・プイ(鶏肉のスープ)を食べる。量が多い。そして美味しい。

17:00ごろ、ホテルのスパでひと泳ぎ。温水プール以上、温泉未満の水温。プール並みの深さがあり、スイッチを押すとジェットバスが動き出したり、滝から水が流れ出てきたり、なかなかのスケールだった。ただし、スイッチを押したものの止め方が分からず、そのまま横のオフィスの人に状況を託してスパを出た。

18:00からラドゥ・スタンカ国立劇場にて Teatrul Metropolis というルーマニアのカンパニーによる "Hamlet, The Prince of Denmark" を観劇。舞台はシンプルなソファ、古いテレビ、そして上手に生演奏のピアノや管楽器、コーラス。上演時間が休憩ありの2時間50分と知らされていたので、原作どおりに進めるのかな? と思って観始めたが、先代デンマーク王の亡霊が現れるのではなく、彼の葬式のシーンから始まったのでやや意表をつかれた。若々しく威厳のある父で、ハムレットが父をいかに慕っていたかが表される。葬儀後、先代王は舞台上に再び現れ、ハムレットに自らの死の真相をほのめかす。存在感が強い。これはエピローグへの伏線。

以下、『ハムレット』のあらすじ、登場人物は読者が知っているという前提で書き進める。

ハムレットは、父と自分の写真をロングTシャツに安全ピンで留めている服装。かなりラフである。それに対し、クローディアスやホレイショーや、ローゼンクランツ、ギルデンスターンは、王室関係者らしい服装とまではいかなくてもかっちりしたスーツ、ベルベットのようなコートを着ている。レアティーズに至っては革ジャンで、不良っぽく気が強そう。しかし不思議とちぐはぐには見えず、ハムレットがやさぐれた引きこもりだから、だらしない格好をしているように素直に受け入れることができた。マザーコンプレックスかつ、強いファザーコンプレックスを抱いており、母がすぐに再婚したことが嫌でたまらず、そのあまりコミュ障になってしまった若者がたまたま王子だった、というように受け取れる。あるいは、王室のように裕福な「家庭」だからこそ、安心して甘ったれることができたというか。

ちなみに舞台上に英語字幕が出るが、オペレーションのミスがひどく、スピードが早すぎてまったく読めない部分が多々あった。『ハムレット』でなかったら完全にストーリーを見失っていた。「弱き者、汝の名は女」を始め、有名な台詞の数々はそのまま使用。

あえて言うなら、クローディアスがくつろぐ時など、たまに舞台上のテレビが付けられて白黒映像が流れるのだけれど、ある種の現代化にしては不成功だったように思われる。

演技のスタイルは、いわゆる真っ正面からの熱演。ガートルードとクローディアスの性愛描写も肉感的である。ハムレットの悩み方が、マザコンとファザコンのミックスの上に成り立っており、内向的だが、その在り方に説得力を持たせるだけの自分勝手なキレっぷり。甘えて母に当たり散らす、狂った息子に見えた。

そんなかっこ悪めのハムレットとなぜ(表向きは隠されているけれど)相思相愛……? と感じてしまうほど、オフィーリアは魅力的。鼻っ柱が強い訳ではない、お嬢様ゆえの気の強さがにじみ出ており、第一印象がまず好感。そこから、10代の少女(ですよね、確か?)らしい、あの年代特有の熱っぽさと真正面からハムレットにぶつかっていく様子。「尼寺へ行け!」と言われて、打ち拉がれるのではなく戸惑って怒って、最終的に泣いて去っていく。まさに、リアルな恋人同士の喧嘩。「え……どうして? 何で急にこんなこと言われなきゃならないの?」という、雰囲気。

ここでのハムレットはかなり暴力的にオフィーリアを虐める。首をつかんで床に押しつけ、髪を引っぱり、罵倒する。実はそれがエロティックに私には見えて、なぜならその力の奮い方に押し殺された歪んだ愛情を感じてしまったからだ。乱暴なセックスに興じるカップルのよう。日本でここまでの暴力的な描写は見かけない。やはり、演出家が俳優に、無意識に配慮してしまうのだろうか? それとも、愛と暴力が恐ろしくも紙一重であるという感覚を表出させる演出があまり好まれないのか?

そのあと、ハムレットがクローディアスの悪事を暴くために劇中劇を上演するのだが、そこにはオフィーリアも来た。ピンクのドレスの盛装で、気丈にハムレットを無視。そのつんとした感じが私の気に入る。あとで気づいたことだが、ここでオフィーリアがただ怒っているだけであり、落ち込んでいない、むしろ恋人同士の派手な喧嘩に収まっているということは、のちに彼女が狂ってしまうのは父、ポローニアスがハムレットに殺されてしまったからで、肉親の絆というのがこの演出において重要視されていることがわかる。

最高だったのは、ポローニアスの殺し方が剣ではなく角材での撲殺だったこと。「ねずみかな?」という例の台詞のあとにハムレットが大きな角材を手に裾にさがり、下手からものすごい殴打の音。そして頭から血を流し、よろよろと現れたポローニアス。衣装で血糊で床が汚れるのをさりげなく防ぎ、ガートルードが死体を引っ張って上手にはけるのもスムーズで美しかった。

さて、ご存知のとおり、ポローニアスから怒濤の死の連鎖が始まるわけである。

気がふれてしまったあとのオフィーリアの素晴らしさを、伝えきれる気がしない。落書きだらけの乳母車をひっぱってきた彼女は、白いレースの洋服、輝くティアラを頭につけ、まるでお姫さまごっこをする幼児に退行してしまったようだった。そんな幼児じみた彼女は人形遊びをしながら、人形同士を笑いながら性交させたりする。つまりここから大切な処女を捧げたハムレットが父を殺したというショックが窺い知れるわけで、レアティーズがいくら宥めても彼女の狂気は止まらない。ちなみにこの期間、ハムレットはクローディアスの陰謀でローゼンクランツ、ギルデンスターンとともにイングランドに行っており、不在。かなりオフィーリアの狂気の過程に時間が割かれる。一度はけて、舞台上が薄暗くなり、天井から小さな滝ほどの量の水が振ってくる音がする。そこにやってくるオフィーリア。振りそそぐ水で遊び、笑い声をあげながら歌い、水たまりにばたんと倒れ込んで、溺死。俳優がひとり出てきて、オフィーリアを抱き上げて裾に下がる。

さて、身代わりにローゼンクランツ、ギルデンスターンを殺してきたハムレットがイングランドから戻ってきた。ローゼンクランツ、ギルデンスターンの二人は容姿も服装も似ていて、ボーイズラブのような描かれ方をされていたのも手が込んでいたので死んだのは寂しかった。物語上致し方ないとはいえ。

ハムレット、ホレイショーが出くわしたのはオフィーリアの墓を掘っている墓掘りたち。彼女の死を知らず高揚しているハムレットは墓掘りたちとギターを引いて歌い出したりする。そこへオフィーリアの棺が運ばれてくる。このオフィーリアの遺体の美しさは、ジョン・エヴァレット・ミレーの有名な絵画を超える素晴らしいもので、薄いヴェールをかけられ息ひとつしないまま目を閉じていた。彼女の葬儀の描写が、冒頭の先代デンマーク王の葬儀と同じスタイルで執り行われたのも象徴的だった。それを目撃したハムレットはショックを受け、棺に追いすがって墓に入る。レアティーズが「お前のせいだ!」と言いながら殴りかかり、二人してオフィーリアが埋葬された墓の中で、彼女の遺体を踏み荒らしながら乱闘する様子は、死後のオフィーリアのみじめさをいっそう際立たせていた。

そして二人はフェンシングで決闘することになる。えっ、フェンシングのマスクをかぶるとどっちがハムレットでどっちがレアティーズか分からない! と思ったが、ハムレットのフェンシング服の背には王家の紋章が刺繍されていて、それで見分けた。あと、たまにマスクを外して息をつくので、それでも判別可能だった。かって飛び散る真珠の玉。お互い、毒のついた切っ先で傷を付け合い、死を覚悟したハムレットは毒の残っているグラスを手にし、クローディアスを信じられないほどの力で押さえ込んで抵抗する義父の口にグラスを押しつけ、酒を流し込む。ここも爆発的な暴力、explosive violence.......を感じて身の毛がよだつ思いがした。

死を覚悟したハムレットは「ママー!!」と叫び、ガートルードに寄り添って腕を取り、死んだ母親に抱きしめられながら息を引き取った。最後まで、父と母に執着し、母を奪われた憎しみを具現化した若者として、ハムレットは死んだ。

ここまで原作に忠実に上演されてきたように思われるが、フォーティンブラスの存在はすべてカット。王室が舞台ではあるけれど、隣国との緊張関係や軍事的、政治的な描写をなくし、ひとつの「家族」の物語に演出されていたというわけだ。ホレイショーは、フォーティンブラスではなく、観客に向けて「この悲劇を語り継ぎましょう」と言う。そこへしずしずとやってきたのは、先代デンマーク王。彼が累々と重なる死者たちの遺体の手を引き起こしたところで、終幕。

その後のエピローグシーンが秀逸だった。舞台上に、劇中で死んだ人々が全員現れ、自分たちの写真を大きく引き延ばしたネガフィルムを壁に貼って、横並びになる。赤い照明に照らされたのち、再び暗転。どれほどの死者が溢れた悲劇だったことか。毒殺、撲殺、手紙のすり替えによる殺し、溺死。どれも哀れだ。「家族」がこじれた結果、これだけの人が死んでしまった。それらを非常に情熱的に演じ切った俳優たちも見事だった。私が素晴らしいと思ったのは、特にオフィーリア、ハムレット、クローディアス。

KM嬢は22時からの別の演目のために早々に退出。私は、雨がぽつぽつ降る中、劇場側のフェスティヴァルクラブに寄って、ボランティアやゲストの友人たちと少し話した。ビールを1杯飲んでいたところ、 赤ワインを見知らぬ男性ボランティアからごちそうになる。彼は今年40歳とのことで、生まれてこのかたずっとシビウに住んでいるという。「1989年の革命を覚えている?」と訊ねると「自分はあの時子どもだったけれど、子どもたちの間でしばらくおもちゃの銃撃戦ごっこが流行ったよ」と教えてくれた。流血の記憶がすぐそこにある国。今も流血の可能性と地続きにある、この大陸。

降り出した雨は夜中に激しい雷雨に変わり、まるでこの世が終わるみたいだった。それでも、誰が死んでも、いくつ政権が変わっても、また世界に朝は来るのだ。

2018年6月14日木曜日

私はどんなふうに振る舞えばいいの?(12.06.2018)

朝食では、スクランブルエッグではなくゆで卵に挑戦。久しぶりにゆで卵を食べた。

午前中、KM嬢と今度は街の北側へ散歩。坂の上にあるアッパータウンと、下にあるロウアータウンの境目まで行く。アッパーとロウアーというのは階級を意味するのではなく、観光地であるアッパータウンか、住宅街であるロウアータウンか、という違いしかない。

昨日のように、手当たり次第に雑貨屋に入ってはおもしろそうなものを探して歩いた。嘘つき橋(The Bridge of Lies)の脇に、小さな洋服店を見つける。入ってみるととても感じのよい女性が店番をしており、ブルーの花柄のノースリーブワンピースがあったので鏡で見ていると「試着する?」と聞いてくれた。調子にのって他にも2着着てみたが、最初のブルーのワンピースがいちばん気に入ったので、買った。80レイ。

日記を読んでくださっている皆さんからは、お前は服と食べ物とコスメしか買っていないのか、とお叱りを受けそうだが、ちゃんと、評判のよい演目は追加でチケットを購入している! 演目の人気が出てしまい、取れない時もあるけれど……。

あまりにブルーのワンピースが気に入ったのと、外がとても暑かったので「このまま着ていくのでタグを取ってください」とお願いし、着替えて散歩を続けた。Tシャツ、ジーンズで歩いていた時に比べて、急に、男性たちの視線がこちらに向き出したのがわかる。あからさまに声をかけてくる男が増えた。ChineseかKoreanかJapaneseかは恐らく彼らにとってどうでもよくて、東洋人がなんかイケてるワンピース着て腕と脚を出してるぜ、フー! と言った感じなのかもしれない。やや複雑な気持ちになり、道ばたで煙草を取り出して盛大にふかしてやった。私のおしゃれは私のためだし、私の喫煙は私のためである。

チョルバ・デ・ブルタというハチノス入りのガーリックスープを近くのファストフード店で食べる。9レイ。スープだけかと思っていたらパン付きで、私の胃袋にとっては立派な軽食になった。具がめいっぱい入っていて美味しい。街には子どもがたくさん集まってきており、アイスクリームなどの屋台を含め、ここのファストフード店にも子どもが大勢来ている。いやに子どもの人数が多く、引率の大人が少ない。学校の遠足っぽいな、と分かることもあれば、これは誰がどの子の親? みんな子だくさんすぎない? と思うくらい、子どもだらけのこともある。子どもたちはアイスとレモネード、それからドーナツが大好きだ。

20時から、"LURRAK"というコンテンポラリーサーカスの演目を観る。Lurrak Antzerkiaというスペインのカンパニー。登場人物はある工場で働く労働者たち、それを統率するいけすかない上司がひとり。工場を模したステージ上で、女性が宙からぶら下がった鉄の輪で華麗にアクロバットを繰り広げたり、屈強な男性がロープパフォーマンスをおこなったりする。上司は終始、嫌みったらしく、でも肉体的には弱っちい役柄で、ときどき台詞はあるものの、字幕がなくてもジェスチャーと口調だけでシチュエーションが分かるくらい、戯画化されたものだった。その中でサーカスとしての技が次々繰り出され、最終的には上司もロープで釣られて力強くパフォーマンスし、結局、労働者と上司は和解しておしまい、という筋書き。途中で、パフォーマーたちが観客を何人かステージに上げて一緒に踊らせるシーンがあったが、中盤にそのシーンを組み込む意図は不明。そして当然かもしれないが、選ばれたのは恐らくルーマニア人(もしくはヨーロッパのどこかだ。つまり、白人だ)であり、パフォーマーたちは東洋人の私になんて目もくれなかった。

こうして朝から少しずつ蓄積してきた違和感は、次の演目を観て横溢することになる。

それが、イギリスのカンパニーである Luca Silvesrini's Protein "BORDER TALES" である。マチネ公演を観たKM嬢から「ぜひあなたの感想を聞きたい」と意味ありげな(ポジティブな意味の)連絡をもらっていたので、ドキドキしながら劇場へ向かった。ちなみにルカ・シルヴェストリーニは、城崎国際アートセンターに2015年に滞在し、街の人々と "CROSS ROAD" というコミュニティダンス作品を手がけたコレオグラファーでもある。城崎の友人たちがことあるごとに「ルカは素晴らしい人だ」「あの作品は最高だった」と今でも言うのをずっと聞いていた。彼らの話しぶりから、ルカ・シルヴェストリーニこそが、発足して2年目ほどだったアートセンターを、決定的に街に認知させたのだと私は感じている。城崎の人は愛を込めてルカを「魔法使い」と呼ぶ。ほんの少し現実を解体してねじを締め直すだけで、まったく世界を変えてしまう「魔法使い」なのだ、と。

"BORDER TALES" は、ダンスと台詞を交えた作品。初演は2013年、エジンバラにて。主人公は、典型的なイギリス人男性。ばりばりのBritish Englishを喋り、エリザベス女王を尊敬している、と語る。そこへ、Irishの男性、両親がイギリスに移民としてやってきたムスリムの男性(申し訳ない、国の設定は失念した)、同じく台湾から両親に連れられてきたアジア女性、同様の環境のナイジェリアの血を引く黒人女性、コロンビアのミュージシャン(実際に劇中でも演奏していた)などが現れる。彼らは自らのルーツとアイデンティティを語りながら、それでもイギリスに受け入れきってもらえない虚しさを抱えている。ナイジェリアにルーツを持つ女性は「私の母は昔からいつもこう言ってたの! 女はめしを作れ! 家事をしろ! って。でも私はそれが嫌だった。だからロンドンに住んでる」と言う。台湾移民2世の女性は「みんな私に聞くの。どうしてイギリスに来たの? って。でも、私はここで生まれてここで育ったから、そんなの聞かれても困る」と語る。

主人公は、そうした全員を招いて "Welcome" と書かれた風船を持ってきてパーティをしようとする。しかしそれは空回りし、彼は勝手に、客人たちの飲み物を「ジャスミン茶」とか「ウイスキー」とか決めつけてしまう。ムスリム男性が「ハラルウォーターをくれ」と言った時に戸惑ったところは、笑いどころではあった。もちろん、笑う人は誰も居なかった。随所に民族的な舞踊、それらがコンテンポラリーにアレンジされたものが交えられ、複雑な境界の問題が身体のリズムとともにダイナミックに盛り上がってくる。身体が伴っているから、頭でっかちに先走っている感じがなく、嫌みがない。

しかし、昼間から「女性であること」「東洋人であること」の、当たり前の異端さをじわじわと感じていた自分、そして狭い日本に嫌気がさしてヨーロッパで日本のことなんか忘れたいと思っていた自分にとって、 この演目はとても切実なものだった。もし私が、舞台に上げられていたら、君の宗教はShinto, 君の飲み物はgreen tea と言われていたことだろう。そして「女性ひとりでヨーロッパに何しに来たの?」とも、問われる。直接言われることはなくても、絶対に、彼らのまなざしが私にそう問う。

終盤、主人公はみんなの気持ちがわからず「どう接していいかわからないから教えてくれ!」と叫ぶ。しかし別の人物から「それは自分で考えろ」と言われてしまう。主人公以外のダンサーたちは客席、あるいは舞台の奥に散り、懊悩して落ち込む主人公を眺めている。

日本で、政治的な問いを含む作品がつくられることは珍しくない。でも、日本である以上、宗教の問題は観客に響かないし(私が宗教にかんする点において日本の観客をまったく信用していないというのもある)、これだけの人種が移民で首都に住んでいるということを可視化すること自体がおそらく難しい。いちばん近い問題は、在日韓国人の永住権にかんするテーマだと思うが、今のところ在日韓国人の現在、3世を越えてもはや4世に突入しようとしている時代、を描写している作品に出会うことは稀だ。それが私の知見不足だとしても、少なすぎる。絶対に。

脱線するけれども、日本の植民地侵略時代を描いた作品や、日本からの南米移民を描いた作品は、ある。いくつかの権威も得ている。だが、日本国内に住む外国人のこととなると、まだまだこれからだ。これからに、本気で期待したい。そうでなかったら、日本の演劇界には希望がなさすぎる。

何度か公言していることだが、私は大学生の頃の恋人が在日韓国人3世であったため、その頃から移民、在日韓国人のことを非常に自分ごととして捉えて考えてきた。考えるほど「俺とお前は違う」「絶対にお前は俺を理解できない」と言われた記憶がよみがえる。それは、打ちのめされてパーティを途中でやめてしまったあの主人公の姿に、重なるのだ。魔法使い、ルカ・シルヴェストリーニに私があらためて掛けられた呪い、あるいはまじないが日本で解ける日は、いつになるだろうか。

終演後、拍手をしながら流した涙は、感動したからではなく、悲しくて悔しくて、でもそれをルカがこんなふうに掬いあげてくれたのが何より嬉しかったからだった。