2023年9月12日火曜日

通過と霊化のフェミニズム --劇団ダンサーズ『都庁前』劇評--

落 雅季子

岡田智代が、かつて私に語ってくれたことがある。今でこそ還暦を超えたダンサーとして精力的に活動をしている彼女だが、結婚して子供を持った当初は「10 年間は、自分のまわりからダンスの存在をシャットダウンして、子育てに専念する」と決めていたと。そうしなければならないという枷を自らにかけ、芸術から離れた時期があったのだと。子供を産み、母になったという理由で。

だから彼女が「この作品について、書いてほしい」と私に言ったとき、私は彼女が話を終える前にうなずいた。書かなければならない、と思ったからだった。「この作品を、女の人が観てどう感じたかを、言葉にしてほしいの」。私はふたたびうなずいた。上演に登場した俳優 4 人のうち 3 人が女性だったこと、本作『都庁前』がフェミニズムを題材とした戯曲であること、その戯曲を執筆したのが岡田利規という男性であること、それら様々なファクターが絡み合ってクリエイションの中で、俳優おのおのが抱えたもどかしさを私は瞬時に想像した。二度目の私の返事に、岡田智代はやっとほっとした顔を見せた。


劇団ダンサーズは、2018 年 10 月に生まれた「ダンス作戦会議」から派生した、ダンサーによる演劇プロジェクトである。今回上演された『都庁前』を含む岡田利規の『NŌ THEATER』は 2017 年にドイツのミュンヘン・カンマーシュピーレで初演された。同作は 2018 年に京都でドイツ人俳優による輸入公演が行われたが、劇作家岡田の書いた「日本語の原文」で『都庁前』が上演されるのは今回が初めてのことだ。『都庁前』は、夢幻能のかたちを取って書かれた戯曲で、40 分ほどの短い作品になる。

まず地謡、アイを兼ねる岡田智代がグレーのセーターに黒のパンツという装いで、椅子を持って現れた。彼女はマスクを付けており、上演中は外すのかと思ったがどうやらそのままのようだ。続いて、青年(ワキ)を演じるたくみちゃんが壁沿いを這うように変形クラブステップで登場する。オレンジとグリーンのジャケットにジーンズというラフな服装だが、やはりマスクをつけている。(その後登場するふたりの女も同様だったことも付記しておく。)

青年は、自分は広島の出身で東京見物に来たと話す。羽田空港からモノレールに乗って都庁前に来たということは、浜松町・大門駅から都営大江戸線に乗ったのであろう。東京でもっとも地下深くを走る大江戸線。路線図を見るとわかるのだが、大江戸線は不完全な環状線で、ひらがなの「の」のような形をしている。その「の」の字の交差地点にある都庁前駅は、終着駅のようでもあるが実際は練馬方面・両国方面への分岐点となっており、非常に使い勝手が悪く乗換も難しい、東京の吹き溜まりのような場所である。

青年が、ソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)の舞台になった西新宿のパークハイアット東京を見てみたいと語りながら地下鉄の出口を探しているところに、女1(シテ)を演じる神村恵が黒い服をまとって現れ、下手にうずくまった。照明も薄暗くなり、女1を蛍光灯で下から照らすように変化する。女1は喋っているあいだ青年に一瞥もくれないが、青年の方は、急に自分に話しかけてきた女1をきちんと見ているのが印象深かった。きちんと、とは言っても堅さや真剣さがあるわけではなく、色素の抜かれた好奇心とでも言うべき、ピュアネスによるものである。

神村は足先でわずかに床を摺ったり、壁に触れたり、しゃがんだりという小さな動きを繰り返しており、そこはかとなくその土地に張り付いている地縛霊のような粘着性を感じさせる。女1は広島出身の女性都議会議員の話を唐突に始め、その議員を知らないという青年に「物を知らないですね」などと冷たく言い放つ。神村の話し方はやや冷淡過ぎるが、これはマンスプレイニングの構造を青年女逆にしたものではないか。だとすると皮肉に見せかけた権力構造(社会的強者が弱者にこれ見よがしに説明する)の反復強化になりかねず、女性がかつて男性に苦しめられてきたやり方で、男性である青年を苦しめることになってしまう。そんな不安を抱きかけたとき、客席でひとりの男性客が声を出して笑うのが聞こえた。

青年が「どうして僕今こんなに非難されてる状況にいつのまにか置かれてるんですかね」と言ったときのことである。

演者やほかの観客がどうかは知らないが、私はこうした笑い声を聞き逃さない。女性から男性へパンチのある台詞や状況が繰り出され、男性が女性からある種の攻撃に遭うシーンのとき、あるいは、自分が思いもよらない、つまり自分の知る「女」、そうであってほしい「女」の範疇を超えた言動をしてきたとき、客席で男性客が声を出して笑うことは珍しくない。今まで数えきれないほどそうした場面に出くわしてきたし、それは女性劇作家・演出家の作品で見受けられる傾向がある。何がおかしいのかわからないし、黙って観て受け止めていればいいのにといつも思うが、女性から痛烈に非難されたり、過激な台詞を浴びせられたりして、ショックを受ける状況に精神が慣れていない脊椎反射なのだろう。不均衡だ。悲しい。男性の笑い声を聞くといつも思う。

話を本筋に戻す。女1は、都庁に行くなら議事堂の前の広場に立っている女の姿を見なければならないと告げ、姿を消した。両手をゆっくり広げたり、閉じたり、下げたり、まるで空気を包んでその場の温度を操るかのような動きで。

すばやく駅員に扮した岡田は青年に、今の女はフェミニズムの幽霊だと説明する。ここで語られるのは、2014 年に都議会で起きたセクハラ野次問題だ。ある女性議員が東京都の妊娠・出産への支援体制について質問をおこなっていたさなか、男性の声で「自分が早く結婚したらいいんじゃないか?」「お前は子供産めないのか?」という野次が飛び、その後、自民党が批判にさらされて対応に追われたという一連の出来事のことである。その後「フェミニズムの幽霊」が都庁前駅ホームに出るようになったと駅員は語るが、その呼称を広めたのは駅でべろべろに酔っていた品のないおっさんだという説明には何ともやるせない気持ちにさせられた。下品なおっさんが「フェミニズム」なんていう言葉を知っているとも思えないし、それならおっさんの吐いたゲロに滑ってホームに転落死して幽霊になった女性の方が、メタファーとしてはえげつないが、まだ説得力はあるんじゃないか……と私が考えてしまうほどには、徹頭徹尾リアリティが排除された戯曲であった。男性の中にあるミソジニー(女性嫌悪)を、観客に見せるための構成である可能性も否定できないが、たった 40 分の中でこうした小さな違和感を蓄積させる様は、女性が社会で日々直面する小さな理不尽の蓄積によく似ていて、わざとなら岡田利規の技巧に感嘆するとともに嫌悪感をも抱く。そう、わざとなら。

▼さて、素直な青年は議事堂の前の広場に向かった。木村玲奈演じる女2(ツレ)が、入場する。ベージュのインナーにグレーカーディガンを羽織り、ボトムスはデニムのロングスカートという、女1とはまた異なった雰囲気だ。木村の長い髪はそのまま垂らされている。女2は、野次を受けた女性議員のくやしさを胸に、日々その広場に立ち続けているらしい。青年はここで客席に移動し、観客と同じ方向から女2を眺め始める。舞台中央の女に明かりが当たり、影が出来る。女2は、議会での野次騒動の顛末を饒舌に語り始める。

たいして長い場面ではない。それなのに私は、女2が台詞を発し続けることに苦しさが募った。あまりに直截的な台詞と詳細な説明。お願いもう黙って、大丈夫だから、そんなにつらいことを話さなくていいから、とわずかな時間で何度も思った。

野次を飛ばした男は、対象の議員個人を見ていたのではなく、彼女を通して「女」の総体を罵っていた。女性という性別に属していたこと、ただそれだけで女性議員は個人性をはぎ取られ、主体性をなくした存在に貶められた。極度の暴言や暴力によって深い傷を負ったとき、人は沈黙するか笑ってやり過ごしてしまうパターンが多く、それが暴力の発覚を遅らせる構造にもつながっている。主体として語る能力と気力を奪われてしまうこと。それは性的不均衡に基づくものに限らず、暴言・暴行の被害者にとっての大きな苦しみなのである。

それでいてなぜ女2は、語れるのだろう? 尊厳と主体性を奪われ、毎日毎日どこかで、これからもそれらを奪われていくであろう「女」は、何を拠り所にしてこの戯曲を発話すればよいのだろう? それこそが、劇団ダンサーズの出演者たちが、今回いちばん苦しんだ点ではないか? 

どこを見渡しても、自分の話を聞いて理解してくれる人がいると思えない世界で、自分が受けた屈辱について話して何になる? (私を含む)女たちは、今この台詞を客席に向かって言えるほどに、他者を、男性を信頼できている? 女として生きてきた中で、幾度も幾度も打ち砕かれてきた他者への信頼を、こんななめらかに言葉にできるほど、回復できている?  

でもわかっている。これは演劇だから、台詞で俳優が何を発話していても、本当にそれが発話されているかどうかは確かなことではない。女2はずっと黙ったまま広場に立っていると、女1は言った。だから女2が滔滔と台詞で説明をするのは観客のためであって、彼女は「本当は」ずっと黙っている。これは心の声にすぎない。そう戯曲を読むこともできる。 

しかし戯曲に台詞が書いてある以上、発話される声は聞こえるし、俳優は台詞を言い続ける。そのことに木村玲奈は、身体で対抗した。床に横たわったのである。体重を地面に預け、ダンサーのアイデンティティとも言える、動こうとする体の能動性を、無にした。地謡の台詞が挟まれつつ、横になったまま台詞を続ける木村。そして彼女は体の軸を回転させ、人間のさらなる受動的体勢である、うつ伏せになった。語りはやめない。そうして女たちの無念が頂点に達したとき、女2はたったひとりの女ではなくなった。女性たちがこれまで社会で味わわされてきた屈辱の総体である幽霊、女1が再びあらわれ、女2はすっと立ち上がった。女1が女2の手をにぎる。そして青年はふたりの女に吸い寄せられるように、客席から舞台に戻っていった。 

女1が憑依した女2は、ゆっくり、緩慢といっていいほどの遅さでこぶしを持ち上げた。「突き上げた」という動詞はふさわしくなかった。ただ、目線よりも高い位置にこぶしを「持ち上げた」のだった。これは沈黙という抗議をつづけるに至った、女2の傷ついた内面を、神村と木村が本能的かつ緻密に表出させた動作だった。それを青年は、見つめていた。 


▼ 後日、オンラインでのポストトークにて木村に質問をする機会があった。「一連の女2の台詞を発話するのは、つらくなかったですか」と私が尋ねたところ、彼女から興味深い返答を得た。 

「なんかでも不思議でした。自分自身でもあったし役の女でもあるしこれをここで言うことってどういうことなんだろうみたいなこととか……お客さんに向けてもちろん台詞は言っているんですけど、(私は)俳優じゃないので言葉がお客さんに伝えられないんじゃないか、内容が入っていかないんじゃないかって心配で、あのシーンは情景というか、議員の人たちの話を淡々と伝える大事なシーンかなと思っていたので、自分や女2の感情よりも、本に書いてあることをお客さんに理解してもらえるだろうか? ということに意識がいっていたんですね。だから、言っていてしんどかったというのは正直なかったですけど……でも一回だけ稽古中に、すごい涙がぶわーって出てきたことがあって、自分でも結構それはすごいびっくりな状況で、ダンスしてても突然泣き出すなんてことは、ないので。(技術的に)出来なくて泣くっていうことはあったけど、自分の言葉じゃない言葉を言っているのによくわからない涙が出てくるのは、もしかしたら(女たちの)そのつらさみたいなのが溜まって放出されたのかなっていう感覚は、あったかな」 

https://www.youtube.com/watch?v=58LgX8MfoSs&feature=youtu.be 

(※1:33:00から抜き出し) 

先ほど私は、暴力に遭った人間が主体性を奪われる話をした。数えきれない暴言や暴力にさらされてきた女たちの歴史を感じながらも、ダンサー・俳優として、舞台上での主体性を手放さない方法に体でたどり着いたのが、あの地面に伏し台詞を言い続ける場面だったのだと私は思う。 


▼ フェミニズムの戦いは(ほかの多くの権利をめぐる戦いと同様に)終わりがなく、一歩ずつ進んではまた退いて、途方もない時間がかかる。私はもう、自分が生きているうちに女性の権利が今以上に向上することは無理だとすら考えることがある。そういう意味では、私は自分がフェミニズムの幽霊になることに、すでに覚悟を持っている。なぜ戦いは進まないか。その理由のひとつが、女性が女性であるということでこうむる不利益には、時期および内容の流動性があるということである。 

若い時分には、異性から性的に搾取されることを処世術として使って生き抜くしかない場合もある。結婚すれば嫁ぎ先の慣習に従うことや、妻としてのふるまいが求められ、時には「女のくせに」と婚家の人間から貶められることもある。保育園の待機児童問題で悩んでいるワーキングマザーも、子どもが小学生になれば保育園を必要としなくなる。自分が性差に基づく偏見に晒されてきたことに気づくこと、更にそれを言語化できるようになるまでには(前述した、暴力への抵抗としての沈黙も含めて)時間がかかるし、言葉にしないまま一生を終える女性もいるだろう。 

私たちは、生きている限り女であることから降りることはできない。しかし私たちがこうむる不利益はあまりに多様だ。不利益は次から次へやってきて、ひとりの女性の一生を、フェミニズムの目覚めは流動的に通過する。経験が相互に蓄積せず、ひとりひとりの苦しみは捨て置かれたままになる。そうした時間的空白、非連続の上に立つ未完の城がフェミニズムだ。 

本作で、その通過に重ねられるのは、霊化である。女の幽霊が都庁前に現れることについて地謡は言う。 

 

それがなんのためなのか、男たちよ、考えてみたらいい。 


 

「男たちよ」? 私は台詞に強烈な違和を覚えた。続いて、絶望に似た悲しみに襲われた。違う。男たちに考えてほしいのではない。私たち女が失った主体性と傷つけられた尊厳を回復する方法を、女といっしょに考えてほしい。 


 

私たちを弔うためにはこの都市の、この国の、 


メカニズムが、変わらなければいけない。 


そうでなければ私たちの魂が鎮まることはない。 


人口が減り、経済がやせ細り、 


あなたたちは滅びていく。 


(中略) 


それはもう、<女性の問題>ではない。 


私たちの魂を、あなたたちは鎮められるのか?  


それはあなたたちの問題だ。 


私たちの魂を、あなたたちは鎮められるのか? 


 

地謡の台詞の中、女1と2は地謡のいる舞台の隅へ集まる。青年は舞台中央に立ち尽くし、ぼけっと聞いているようでいて、目線を女たちから逸らしていない。それが救いだった。女1と女2が舞台から去っても青年は動かない。そして静かに、先ほど女2がそうしたように、右手を上に伸ばした。自分の意志ではなく、何者かに上から吊られるような重力の操り方で、青年はそれをおこなった。 

ラストシーン、青年は都庁へ向かうべく、駅員にあらためて出口を聞いて退場していった。手を頭上に「持ち上げ」たまま、彼はトコトコと袖に消えていった。 


▼ 明るくなった劇場で私はまず、自分たちを鎮めてほしいとは考えない、と思った。「滅びていくことにおいてジェンダー間に格差はない」という台詞もあったが、女は(男がそうでないのと同様に)、この国が滅びないためのメカニズムの歯車でもない。 

それに、幽霊という言葉が、どうしても引っかかった。能だから、幽霊が登場する形式なのはわかる。でも今を生きる私たち女の意志は、干からびた死体や焼かれた骨に宿る未練ではない。積み重なった無念の歴史は確かにあるが、数えきれない殴打によって世界への信頼を失い続ける日々は、これからも女を待っている。その無念さを、霊化した形で登場させてほしくはなかった。今も女たちの心からは鮮血が噴き出し、流れつづけている事実を、もっと直視してはくれないのか? 集合体の霊として、個人の男性を攻め立てたいなんてこれっぽっちも思っていない。ただ屈辱を味わい、「幽霊」というよりは「非人間」とされ、生きたまま折り重なって倒れている女たちを、幽霊ではない形で、人間としてよみがえらせるような演劇を誰か見せてはくれまいか? 

とはいえ、戯曲には「女2は生きた人物として描かれているし、女1は自分は『死んだ特定の女ひとりの幽霊ではない』と言っていて、整合性もバランスも取れている」という回答がしっかり示されている。その事実には隙がなく、大変明晰に理解できる。 

でもこの感覚的な違和感、拒否感、反発を私は無視できない。正論であることによって反論を防御する、能的なる構造と戯曲の言葉選びに、私は苦闘してこの劇評を書き上げた。恐らくはクリエイションのさなか、俳優たちも同じ心持ちだったのではないかと思う。 


都庁前で遭遇した女たちの無念を無意識にインプットされたかのような青年の右手。頼りなく、しかし高く、青年の手が女2と同じ位置に掲げられたエンディングは、希望だった。今を生きるどの世代の人間も、虐げられ非人間化された女性がふたたび人間として生きられるような、言葉や身体表現を見つけなければならない。女の無念を「鎮める」のではなく、これから先、男性と女性が共に生きて理解しあい、違和感を少しずつ解消しあって生きる未来を望みたい。切に、望みたい。 


◎プロフィール 

落 雅季子 

1983年東京生まれ。批評家。LittleSophy主宰。2009年から演劇・ダンス批評を始め、2017年からは文体と拮抗する身体の獲得のため、クラシックバレエの学びを積極的に行なっている。 

Twitter:@maki_co 

<引用> 

岡田利規『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』白水社(2020)より 


 

2022年9月28日水曜日

流行り病

 週末から何か、起きにくくて眠りすぎる感じがあった。


▼8月15日(月)

普段ならしないような寝坊。多摩永山病院へぎりぎり向かう。12:30出社。バレエレッスンにも行けた。この時点では特段の体調不良を感じてはいない。


▼8月16日(火)

起き抜けに、エアコンで乾燥したときのような喉の痛み。少し不思議に思いながら出社。問題なく業務をおこなう。海外出張に向けて一応受けようと思い、PCR郵送の手続きを9:30に出す。何となく予感がしていたのかもしれない。上司は15:30ごろ帰宅。喉がチリチリ傷む、と母には14:30にはLINEで一報。咽頭痛は良くならないまま退社時間。帰りの地下鉄でやけに眠い気がして、普段なら寝ないのに座ったまま寝てしまう。喉の違和感消えず。

嫌な予感が消えないのでクイーンズ伊勢丹でアイスクリーム、ゼリーを買い込む。帰宅してホワイトシチューを作り、一人前食べきるが最後の方、飲み込むのが少し難しい心持ちがしたので熱を測ると37.7ほどあり、これはと思いつつ母に電話。その後37.8~38度くらいに上がる。咳も出ていて、喉が、これは絶対エアコンのせいでは無いなというぐらいには痛い。

取り急ぎ上司に連絡。明朝また電話することにする。風呂を済ませ21時頃眠るが、数時間と続けて寝付けない。ネットスーパーアプリで買い物をする。

深夜1時、寒いので脚立を持ち出し、冬用の毛布を出してくるまる。目が覚めるたび喉が痛い。カロナールを飲み、熱は3時過ぎ現在、37度に落ち着いている。


▼8月17日(水)

発症二日目

4:51 体温37.6度 咽頭痛のため声が潰れる。関節痛あり。そこから体温上昇と痛み、体調の異変により眠れなくなる。

5:10 バレエの先生に一報を入れる。しばらくクラスはお休みし、引き続き注視して連絡することになる。

5:16 寝付けないので、いつも早起きの上司にWhatsAppし、6:15に電話。その時点で熱は37.8ほど。上司は枯れた私の声に驚いていて、出張はキャンセルとする。朦朧としていたので、上司がすべてアメリカへのメールを書いてくれて助かった。アメリカはまだ前日午後なのでレスポンスも早く、ホテルのキャンセレーション・コンファームがすぐに来た。

カロナールのおかげで、37.2まで下がる。日本の旅行代理店や、大使館関連でいくつかメールを書く。10:00からのオンラインミーティングはとても傍聴もできない状態なのでキャンセル。ここから解熱剤をいったん止める。

家族、3-4日以内に会った友人には状況を連絡し、気をつけてほしいと頼む。

13:00前に自治体に電話相談。東京都陽性者登録センターの案内を受ける。

38.9まで上昇した熱は下がらず。パルスオキシメーター97。発熱、咽頭痛、痰、悪寒、頭痛。14:30にいつものネットスーパーのおじさんが来てくれるがインターホン越しに、今は話せないから置いてくれと頼んだ。おじさんが帰ってから、届けられたばかりの雪見だいふくのごく小さいのを3つ食べた。

暇なので体温を測ってしまう。38.8から、39.4まで上がったのが17日のピーク。


▼8月18日(木)発症三日

激烈な喉の痛みは昨日よりあるが、起き抜けの体温は37.3まで下がる。

調子の良いうちに風呂に湯を張り、洗髪と入浴。閉めたままのカーテンの向こうから雨の音が途切れず聞こえるので洗濯はしない。

その後36.9まで落ち着くなどし、会社とのメールやり取りも進める。食欲が特になく固形物ではなくゼリー、果物を食べる。アイスクリームは重そうなので今日は控える。

火曜朝に出していた唾液検体では時期が早すぎたこともあって陰性だった。にわかには信じがたく、また何か証明書がないといろいろ困る、と思い、病院紹介ダイヤルにかけて近所のクリニックを20:15に予約。

16:00 平熱近くまで下がったのがまた38度前後を行き来するようになる。熱っぽく怠い。

17:15 38.2、その後38.3まで上がって病院の時間まで何とか少し眠ろうと思うが、1時間半ほどで目が覚める。都の案内者には「公共交通機関はなるべく避けて」と言われていたので、私的交通機関であるところの自転車で行こうと決める。何とか運転もできるだろう。

なんとか時間をやり過ごし、予約時間にクリニック到着。外で診察するから中には入らないでくれと言われていたので、まず到着を知らせる電話。先客の付き添いがベンチを占領していたのでクリニック横の道端ににへたり込んでしまった。しばらくすると医師がガレージに招き入れてくれ、医療用抗原検査。これは自分で鼻腔を拭いとるもので「しっかり取らないと陰性出ちゃうから、しっかり取って」と言われる。見た感じ、声の感じ、様子の全てで私が陽性なのはわかるのだろう。そのかいあって、即座に陽性が出る。あっさり出てほっとした。解熱剤、喉の痛み軽減、痰切り、咳止め薬などももらって帰る。帰宅後すぐに厚生労働省からのSMSが来た。

 陽性が確定したので、バレエの先生にもお詫びとお休みの連絡メールを書いて眠る。

 

▼8月19日(金)発症四日目

喉の激痛で1時すぎから断続的に目が覚める。まんじりともしないまま明け方5:00過ぎから仕事のメールをいくつか書く。夜通し回していた洗濯槽のクリーニングがやっと終わる。声はかなり出にくい。

一眠りして8:53。体温は38.4。洗濯機を回してみる。二度目の宅急便が母から届く。飲料多めで何ものどを通らない身としてはありがたい。母が何度も電話をしてくるので、声がほとんど出ないから閉口した。

厚生労働省からのSMSに従ってシステム登録をする。眠るとストーリーの入り乱れたおかしな夢を見ながら眠る。

昨夜内科で処方された薬のおかげで喉の痛み、たんの絡みは少しましになるが、痛いことに変わりは無い。発熱は午後に至るまでずっと38度を下回らず。14:08時点で38.2。以降そのようなラインがずっと続く。

悪寒が強くなったので湯たんぽをつくる。不思議と良く眠れる。

ゼリーは飲みこめるがプリンとアイスクリームは吐く。甘さと濃度の問題なのだろう。喉の奥のひどい炎症のせいで、何を飲んでも苦みを感じる。体温37.7を確認して就寝。テレビ、YouTubeのたぐいは見る気が起きない。ラジオなど音声メディアは聞くことができる。


▼8月20日(土)発症五日目

ついにいっさいの声が出なくなる。昨日までわずかにここに残ってくれていた私の声も、どこかへ避難してしまったようだ。すかすかささやき、テグスのような細さの糸で空気を震わせるのが精一杯である。熱は下がり、36.6となる。今日の夜上司は米国へ出張へ出る。そう思うと同行はとても無理であった。13:48 ちょっと顔が熱くなってきたので測ると37.3。36度代との違いは大きい。14時過ぎにまた37.4でそこから貼り付き。午後になると上がる傾向なのだろうか。熱はあるが、レッグウォーマーにひざ掛け、長袖のパジャマを着て、籐椅子でかぎ針編みをはじめるくらいの落ち着きは取り戻した。固形物は受け付けず、むしろゼリーの中の果物も食べられず、水とナトリウム飲料を混ぜてひたすらストローで吸っている。ちょうど医療保険担当者から連絡が来たので、自宅療養でも出るという入院日額給付について尋ねる。37.5から張り付きで今日も日が暮れる。深夜1:21に目が覚め、習慣で体温を測るも37.1のまま。今ひとつ調子出ず。


▼8月21日(日)

発症六日目にしてようやく少し底を打った感。喉の痛み、微熱の気配はあるものの、声以外はだいぶ元に戻ったような気がする。声はスカスカで大変小さい。起きたときの体温は36.6から37度前後。編み物などをしたい気が起きる。10:00前後で、37.3ある。横になる。ここから午後までうとうとするが、毎週見ているお昼のテレビ番組がないのでまた寝る。長袖のパジャマで汗をかく。適当な時間にゼリー飲料、ナトリウム飲料、水を取る。小さいハーゲンダッツも食べた。マルチパックという、コンビニで売っているよりもっと小さいハーゲンダッツである。かわいいので心の慰めになる。編み物をやってみたが毛糸が絡まってあきらめ、残りの毛糸もろとも、まるごと捨ててしまった。36.7を確認して就寝。


▼8月22日(月)

7:30起床、体温36.8。起き抜けにかなり咳込む。コーヒーを飲んでみるがマグカップ一杯飲むのに午前中いっぱいかかる。声と食欲がとにかく戻らない。17:00の時点でやはりまだ37度。平熱と行ったり来たりといったところである。夕方以降は37.3まで上がることもある。かぎ針編みを再開する。夕食に粉末タイプのスープと、薄い食パン(10枚切りの1枚)を食べる。友人がプライベートな音声データで励ましてくれて、非常に心強い気持ちになれた。


▼8月23日(火)

夢見が悪い。まだ見知らぬ人に期待したい願望が自分にもあるのかと考えながら起床。体温は36.6。平熱に戻ってきて、声も少しずつ出るようになる。しかし療養期間、日ごと体力が低下してゆくのを感じる。風呂を沸かす。体を流す気力体力は幸い毎日あったが、三日ぶりの洗髪と入浴だろうかと思う。相変わらず疲れやすくて食欲がない。無調整豆乳のオートミール粥、コーヒーを食べるが胸焼けする。ベッドパッド、シーツを洗濯して干すまでは元気だった。12:30ごろ、体力が尽きて横になる。しかしまたもや食べたヨーグルトで胃がもたれ、気持ち悪い。寝付けるわけでもないので、起きて少しかぎ針編みをしたりするが気持ちが続かない。18:00前に卵粥を食べて、活動限界。体温37度。咳き込むたび身体の熱を感じるのがつらい。

やはり夕方は37.2度まで上がる。結局37度台が4日間続いているとも言える。母が玄関越しに白米を届けてくれた。


▼8月24日(水)

平熱で目覚め、午前中をやり過ごして昼前に微熱を出しながら一日乗り切る流れが定着。体力は戻らない。ビブラートの効いたような状態ではあるが、不安定な発声が戻りつつある。ストレッチ、アラベスク、パッセバランスなどをやってみる。腸腰筋の疲労が取れて、もしかしたら身体の柔軟性は左右対称になっているかもしれない。22日前後の、バレエの先生とのメールやり取りを見返しながら現実味のなさに、ぽかんとしている。「31日から復帰したい」と自分は一応言っていたが、復帰して何がしたいのか、いやもちろんバレエである、しかしそのことが理解にうまく繋がらなくて呆然としてしまう。誰が、どこに、何のために復帰するというのだろう。


▼8月25日(木)

アイスクリームは喉が焼ける。午後は14〜15時にはだいたい37.2度出てしまう。夕方から続けて眠って連絡がつかなくなり、母を心配させる。起きた合間に電話を折り返したが、そのときには夜9時を過ぎていた。ストレッチは諦めて寝続けることにする。だってこのときは、自分がもうバレエを踊りたいと思う日なんか来ないだろう、何が良いと思って舞台芸術を知ろうとしていたのかまったく思い出せない、と思っていたから。演劇はともかくとして、私は本当にバレエをやっていたのか? あの自分と今の自分がずいぶん隔絶されてしまって全然思い出せない、と本気で混乱していることを、やっと考えはじめて、絶望して、眠るしかなかった。バレエの先生の顔も何だかおぼろげな記憶になってしまった。


▼8月26日(金)

目覚め36.6。アメリカの上司から陰性の連絡がきて、ほっとする。仕事ではないがそれ以上に重要(と言える)メールのやり取りに疲れきって10:30には37度を超えてしまう。どうせ効かないけれどカロナールを飲んで、パソコンは切る。



<療養期間10日間を終えての簡単な所感>

典型的な症状はいくつかあれど、重さは本当に人それぞれ、ひとりひとりのものである。この傷の個人性と、人生観に影響を及ぼす感じは、災害や戦争の体験と少し似ているのではないか。帰還した人間が何も話せない状態とたぶん今、少し似ている。誰も同じ目に遭ってほしくない思いは強くある。でも、話してもわかってもらえないならあの時のつらさは人に話したくない。


 

▼8月29日(土)

バレエが好き、と夕べ急に思った気持ちが、朝起きてからも残っていたことが嬉しくて泣いた。夕方、地下鉄に乗って職場に行ってみる。少し作業をして20時前後に帰宅。


 ▼8月28日(日)

感染して以降、はじめてバリエーションの振りをさらってみた。そうできる体力が戻ってきたからとも言えるし、さらってみたいと初めて、そうこの12日間で初めて思えたからである。

 

▼8月29日(月)

以降出社。弱りきって疲れやすくなりすぎた自分の体を何とかオフィスまで運ぶ。運んだら終わりたいぐらい、それだけで疲れてしまう。余計なことを考えさせてくるものがあまり視野にいないのは良い。

 

▼8月31日(水)

出社三日目。まだ朝一36.8度ほどある。微熱は一週間以上続いたが、徐々に退いていくのだろうか。今日からバレエクラスに戻る緊張のために昼間からずっと手が冷たかった。息切れが不安だったが、プティ・ジャンプを少し休んだだけであとはついていくことができた。ピルエットは回って降りるときに着地がかなりずれた。


そこから後に1週間ほどかけて体と心のリカバリをし、再び踊るモチベーションを取り戻すことになる。そうして誕生日を迎えたころの私は、憑き物が落ちたように、視界がクリアだった。


▼9月28日(水)

久しぶりに日記。朝夕に微熱が出る症状は残っていて、長く喋るとのども痛むので何かの炎症反応が続いていることを感じている。微熱の収まる時期はまだ予想がつかない。


2022年1月31日月曜日

2014年7月10日

 この時間の電車には、帰り道の高校生がたくさんいて、絶え間なくしゃべっている。時々、部活の先輩を見つけては挨拶したりしている子もいる。「子」もいる、などと今書いたが、高校生たちを「子」と感じるようになったのはいつからだろう。

私の母校では、うるさくするとすぐバスの乗客から学校に電話があるので(とてつもなく目立つ制服なのだ)しょっちゅうバスの中での沈黙キャンペーンみたいのがあった。正直、うっとうしいとしか思わなかった。私はバスの中では静かにしているつもりだったし、大勢で帰る(=そういう友だちがたくさんいるタイプの)子どもでもなかった。でも今はわかる。子どもとは、そこにいるだけである種のむせかえるような音波を発している。それは弱った大人にはてきめんに響く。
高校生のころはあんなに喋ることがあったはずなのに、今は家でもどこでもほとんど黙っていて、話すことがあんまりない。今は日ノ出町のカフェでひとりぼやっとしていて、隣の席の小学生が親に「あたし幼稚園のころとは違うんだから!」と力説するのを聴いている。少女よ、君の何倍年を取ろうとも、私はあのころとは違うって、思い続けて人は生きていくみたいだよ。

2021年9月12日日曜日

情景とストーリー(2021.08.29)

青木さんはなぜ今、車の免許を取ろうとしているのだろうと思う。機会を逸し続けて今決意したのか、何らか必要に迫られているのか。ともかく青木さんは学科教習のあと(おそらく食事の時間を挟んで)第一回目のリハーサルとなるスタジオにやってきた。マーチに向けた資料、音源を放り込むGoogleドライブもでき、私はそれらをのぞき込みながら創作の準備段階のスープのようなものの匂いをかいでいる。

青木さんと宮永氏は先日おこなわれていたフジロックフェスティバルの配信について盛り上がっていた。「三日三晩YouTubeを付けっぱなしにしていた」と熱く語る青木さんの言葉を、後日友だちのフジロック愛好家に話したところ「や、フジロッカーみんなそんなもんやったよ」と返ってきたのでやはりそういう熱量が音楽人にはあるのだと思う。私自身はオリンピックも世界バレエフェスティバルも、なぜ能天気に楽しめる人がいるのかわからなくなっていて、というか楽しんでいいのか、どう振る舞っていいのかまったくわからずに、この時期は硬直していた。前述のフジロック愛好家は「わかる。配慮しきった人が軒並み今崩れてんねや。年末年始もゴールデンウイークもオリンピックのときも、ずっとずっと黙っとったアーティストが、フジロック開催で崩れたのをわたしは見た」と言っていて、その会話を交わしたはこのリハの日よりあとのことだったから、つまり8月29日時点では私はまだもやもやを抱えていて、でも青木さんと宮永氏がフェスティバルを楽しんだ様子を知ることができて、ひとりだけの霧が少し晴れた。東京パラリンピック開会式も同月24日におこなわれていて、ウォーリー木下さんとか蓮沼執太さんとか、見知った顔が並んでいたので少しリラックスしてそれについて宮永氏と話すこともできた。

さて練習である。今泉仁誠さんのつくった合唱曲「オリーブ」を歌うことになっているので、パートに分かれて音程を取ってみる。女子高だったころの音楽の授業しか経験のない私には、混声合唱が初めてだ。パウンチホイールは高校の合唱部が母体になっているバンドなので合唱には強い。「オリーブ」の伴奏ピアノは和音とアルペジオの組合せが浜に寄せる波を思わせる。

私は、坂手に住むある夫婦のことを歌にしたいと申し出て快諾してもらったのでそれを練ることにして、そのあとは街の紹介ラップづくりのためにホワイトボードに案を出しあう若人たちを見ていた。今夏のみなとまつりを訪れたこゆっきー主導で、島の新鮮な印象が次々語られるのがまぶしかった。

まだ上演の全貌は固まらず、ストックの曲やレパートリーをさらったりもする。神戸港と坂手港を結ぶフェリーの中で流れる「二人を結ぶジャンボフェリー」を初めて聞いたときはなかなか衝撃を受けたものだったと思い返す。海で隔てられた遠距離恋愛を描いた歌謡曲だが、瀬戸内海の穏やかな雰囲気と相まって知らないうちに忘れがたいものとなってしまう名曲である。しばらくは歌が流れ始めるとすぐに下船準備をしたものだったが、慣れてからは、早く列に並んでもしょうがないし、港に船を舫うまでには時間があるからワンコーラスほどは聞き流すようになった。私は夜行便で早朝に坂手に着くスケジュールが多いから、この歌を聞くと否が応でも目を覚まさねばという気になる。

ちょうど10年前、『わが星』を成功させて『朝がある』を生み出す手前だった、ままごと主宰の柴幸男にインタビューしたことがある。同人誌向けのインタビューで今は私の手元にしかない冊子だがそこで彼はこう語っている。「やっぱり死ぬこと、生まれることのどっちかだったら感動する。両方体験したことある人いないんで。だからちょっとでも動くと、感傷に引き寄せられちゃうんですね。いて、いなくなると人は"いなくなった"ことに感動できるんですよ。」その言葉は折に触れて思い出している。訪れる。また離れる。別れがもたらす時間の有限性に感動する。でも島には、そこで生まれて生きて死ぬ人がいる。その何にも起こらない様子を、私は書き留めたい。一瞬のきらめきを、肌寒さを、通り雨を閉じ込めて、時間が流れなくても感動したい、のかもしれない。

始動(2021.8.15)

9日にグループラインが早くも整備されてしばらく経っていたが、今日、まとめ係を担当することになったほんなつから全員向けにやりたいことを募るメッセージが来た。26歳を昨日迎えた、とメッセージの余白に書いてあってそれで私も自分の26歳のころのことを思い出してみた。しかし12年前の自分はシステムエンジニアの業務に追われすぎて、いったん体内ミトコンドリアが崩壊するがごとく演劇創作から遠くなり、ようやっとフィクションの文章や人に読ませる観劇記録を細々書く覚悟を決めたというかその業から一生逃れられぬことに悠長に絶望していた頃だったので、めぐまれた早熟の才というものは見ていてとてもすがすがしい心地がする。

青木さんは、2014年に小豆島・坂手で上演されたおさんぽ演劇『やねにねこ』の余韻を今も胸に熱く持っていて、その主題歌を作りたいと言っていた。初期衝動をそのかたちのまま持ち続けるのは青木さんの素晴らしい美徳である。たいていは時の風に吹かれてさらさらなくなったり、自我が邪魔をして姿を変えたりしてしまうものだから。

それで18日の夜、zoomで顔合わせをすることになった。「夕飯を食べてから20時スタート」という青木さんの言葉で、青木さんは食事をとても大事にしているんだなあと思う。この言い回しはあとあとも使われ、前述の仮説を補強していくことになる。そういえば4月に下北沢のスタジオでメンバーとライブのリハをしたときも、青木さんはよくラーメン屋に寄ってから来ていた。私は、食と命に頓着がないので平気で「ゼリーだけ」というカブトムシみたいな食事とか、「フライドポテトだけ」という家畜豚みたいな食事をしてしまう。生きることを大切にしたいと青木さんにはよく思わされる。

打合せにはこゆっきー(パウンチホイール)を除くメンバーが参加し、9月末に島に滞在する予定を確認したり、宿泊場所の手配などを検討したりした。既存の曲と、あらたに作りたい曲のアイデアを自由に出して、とにかく幅を広げる。宮永氏から「島で生まれ育った人と一曲作りたい」という言葉が出て、それは島の外から来て一過性の音楽を奏でて楽しい時間をつくるだけのことではないから、とても良いだろうと思った。

演劇は楽しい。音楽も楽しい。あまりにその作用が強く、あとに訪れる悲しみを忘れてしまうほどに楽しい。日常に光を当て、つかのま輝くのが嬉しくて、光の消えたあとのことまでなかなか形に残せない。私たちは旅人だ。自分たちが去ったあとにもそこで暮らす人たちに、敬意を持っていることをずっと忘れないでいてもらえる、そんな曲をつくりたい。とにかくそれだけを強く思った。あなたたちの暮らしのにぎやかしではない、どうせ自分たちのことを忘れると思われたくない、それを示した上で忘れたり忘れなかったり、変わったり変わらなかったりしたい、そういう恩返しを、したい。

その後グループラインで調整が進み、8月29日に下北沢のスタジオで一度試しにリハーサルしてみることになった。いずれも手練れの音楽家たちだ。集まれば音が生まれるだろう。

あなたもマーチに(2021.8.9)

ほんなつと映画に行った。彼女の誕生日が近かったのでアイシングクッキーをいくつかデパートの地下で買って、待ち合せの場所で待っていた。映画は中国の古い伝承をモチーフにしたもので、主演声優も主題歌もとてもよかったし、私もほんなつも満足してパンフレットを買って映画館を出た。

そのあと近くのモスバーガーで、軽い食事をした。店には映画の主題歌をうたっていたグループメンバーの等身大パネルがあって、夏のスパイシーバーガーを華麗に宣伝していた。ほほえむことなく、唇の端を引き結んだ表情で夏を熱く彩ることのできる男に私はあこがれる。

ハンバーガーを食べ終えたところで、実は小豆島に行く計画があって、とほんなつが話を切り出した。小豆島で、街にまつわる演劇と音楽のライブをする予定だという。マーチというタイトルで、彼女の所属するバンドであるところのパウンチホイールがこれまで下北沢でおこなってきたシリーズになる。2015年から断続的におこなわれていて、2017年11月24日以来、4年ぶりに創作することになったらしい。昨年から続く世界的な混乱情勢の影響で資金あれこれの都合がつき、初めて下北沢を飛び出してマーチをするのだが、わたしは小豆島に行ったことがないのです、と言うほんなつの話を聞き終わらないうちに同行やら共作やらすべてを含めて承諾していた。詳しくはいずれ書くが、ほんなつにも島にも恩がある。

パウンチホイールメンバーの青木拓磨さんと小豆島の縁は深い。2014年の「港の劇場」での音楽活動をわたしは観ていたし、その母体となった劇団ままごとの活動にその後青木さんが携わる場、たとえば横浜の象の鼻テラスにもよく居合わせた。歌う人、奏でる人のことは、演じる人のことを眺めるよりもっと遠くから、畏敬の念をもって見つめてきた。そんな彼らと私の言葉が、重なる日が来ようとは。5年前の夏に過ごした時間で得た劇団ままごとへの深い感謝はもはや私の血肉となり、それがかつて自分から切り離された恩義だったことさえもう区別がつかないほどになっている。今なら、青木さんがままごとを通して感じ取った演劇と音楽の交差する可能性を、私もすこしは理解でき、力になれるような気がする。そう思ったし、自分も島には行きたいし、ほんなつに見せたい景色はたくさんあるし、それですぐに承知したのだった。

ほんなつからはその夜「クッキーおいしかったです!」と連絡が来た。もらったクッキーをすぐに食す、彼女のそうした素直さが好ましい。もうすぐひとつ大人になる彼女の一年に、幸多からんことを。

2020年12月11日金曜日

▼カテゴリについて

日常の記録のほかに、旅をした時は特別に記録をつけています。以下、カテゴリ別に説明を記載。

2018シビウ国際演劇祭日記
初めて単独で批評家として招聘していただいた、ルーマニアのフェスティバル滞在記。だいぶ文体が変わっているのが自分でも分かります。

2016デュッセルドルフ滞在記
FFT Düsseldorf NIPPON PERFORMACE NIGHTに招聘され、ドラマトゥルクとして会期終わりにドイツを訪ねた時の記録。この2か月前から藤原ちからはひとりでリサーチを繰り返し、本を製作していたので、私のこの日記は、彼が仕事を終えたあとのもので、彼の苦労や孤独を汲み取ることがうまくできていなくて申し訳ないです。フェスティバルの様子やデュッセルドルフの街のこと、毎日のたべものなどの備忘録と思ってお読み下さい。

小豆島滞在記
瀬戸内国際芸術祭2016年夏会期に、劇団ままごとに帯同して「喫茶ままごと」の店員をしていた時の記録。劇団員の話はときどき出てきますが、坂手港の人々との交流が中心となっています。文中の固有名詞はあえて統一していないので、最初に出てきたあの人が、次はそれとわからない形で再登場していたりもします。


城崎再訪記
2016年7月に、ふたたび城崎国際アートセンターに滞在した時の記録。『演劇クエスト』改訂を目的に滞在しました。昨年出会った人々との関係がより成熟し、「ただいま」「おかえり」と言えるようになってからの日常です。


城崎日記
2015年8月に、『演劇クエスト』制作のために城崎国際アートセンターに滞在した時の記録。はじめて訪れた但馬で、だんだん人々との交流が深まっていく様子を書いています。

批評家ワークショップレポート
2015年春に世田谷パブリックシアターでおこなった批評ワークショップの記録です。7日間、すべて違う文体で記録するというミッションを自分に課していました。

2012年北京日記
2012年6月に、まだ会社員だったころ、北京に出張した時にノートにつけていた日記メモを転記したもの。食べたものの話や、現地法人の中国人社員さんとの会話などの記録。天安門事件が起きた記念の日に北京に居合わせたことは、忘れがたいことです。


2012北京再訪日記
同年9月に北京にふたたび出張した時の記録。この年は、反日デモが大変に盛り上がって、危険ではないかと言われつつも、ひとりで現地に送り込まれたのでした。

2015-04-07 世田谷パブリックシアター演劇部 批評課(7日目)

 世田谷パブリックシアターの会議室。七日間にわたった批評課の最終日、わたしは、偶然残っていた中学生演劇部古参のミス・カチューシャ、中学二年生ながら華麗なファッションでみんなを魅了するミスター・ジャケット、ワークショップ内で行ったインタビューでその才能を開花させたミス・インタビューの三人に話を聴くことにした。



柏木陽 さて……俺がいない方が好きなこと言えるだろ?(部屋を出て行く)


藤原ちから じゃ僕も……あばよ。またどこかでね〜。


ミス・インタビュー あ、あの……! どっかで会ったら、こんにちはって言っていいんですか?


藤原 え……? もちろん。


イ 「仕事モードの時は話しかけるな!」とか言われんのかなと思って……。


藤原 なんでよ(笑)。大丈夫だよ、道ばたでも劇場でも。じゃあね〜。


 藤原、去る。

 部屋には中学生三人と、落だけになる。


― じゃあ始めます。まず、どうして世田谷パブリックシアターのワークショップを知ったの?


イ 演劇のワークショップやってみたいなと思ってネットで探したんだけど、今まで都合が合わなくって、やっとこないだの冬、第三期に来れたーっていう感じです。だからこれが二回目。


ミス・カチューシャ んっとねー、わたしは、最初は演劇やりたくて、劇団探して! 事務所探して! っていう勢いだったんだけど、お母さんがここのワークショップ見つけてきて、いいんじゃない? 最初はこういうところからスタートしてみれば? みたいな感じになって、行ったらハマっちゃった♪ みたいな(笑)。


ミスター・ジャケット 僕は、急に演劇がやりたくなった、というか……。


― え、すごい。どうして?!


ジ わかんないんですけど……そういうのないかなって急に調べ始めて、家の近くに劇団があって、そこに行こうと思ったんですけど、いい感じに毎週予定が入ってて、そこはあきらめ……。で、いろいろ調べて行くうちにここに辿り着いて、一番近い時期のワークショプが冬の第三期で。だからミス・インタビューと同じタイミングで始めました。




▼わかること・わかんないこと1

― 今回はタイトルに「演劇部 批評課」って付いてたじゃん。「批評のワークショップ」ってやってみてどうだった?


カ 正直、いつもだったら「戯曲からやってみよう」とか「登場人物つくろう」とかそういう系で、わたしは演じるのが好きだから、「批評」って違くない? って思ったけど、まあおっさん(=柏木陽のニックネーム)の名前書いてあるし、これは絶対なんかつくるなーと思って、いいなーって思って来た(笑)。てか、おっさんの名前じゃなくても来たと思うけど、来た♥︎


イ え……あ、あの、何かすごい、失礼なんですけど……批評家ってちょっと正直うさんくさいなとか思って……。だってその、ごはん食べていけるのかなとか思って……何してるのかなとかよくわかんなくて。うさんくさいならうさんくさいなりにちょっと見てみようかなと思って……す、すいません……。


― それおもしろーい! おもしろーい! 実際会ってもよくわかんなかったでしょ?(笑)


イ あんなことしてて、生きていかれるの……?(みんな笑う)今さんざん親から将来のこと、進路決めなさい、とか資格を取れるような仕事につきなさい、とか言われてる中でこういうオトナを見ると「え、ええー……?!」ってなるのはちょっとあります。


ジ そうですね……僕は、「批評って何だろう?」っていうところから始まって、チラシの演劇部批評課っていう文字を見た時に、「批評」より「演劇」に目が行って……。正直、今現在あんまり、パッとはしてないんですけど……でも批評っていうものがわかってなくても、自然とやってたんじゃないかなって。劇つくったりする中に、自分では意識してなくても批評っていう要素があったんじゃないかと。


― 「パッとしない」っていうのは「批評」って何だかよくわかんないってこと?


ジ そうですね。


イ やだー、話が難しいよー(笑)


カ やーなんかー、ていうかー、このワークショップ全部わかんないから、もう、普通(笑)。


― 普通?!


カ なんかね、人生で初めてやったワークショップがトバズニハ(伊藤キムにより結成された中高生パフォーマンスグループ)だったの。で、キムさんの時点でわけわかんないし、中学生演劇部来ててもいつもわけわかんないし、で、今までもいろいろやったけど、全部わけわかんないし、でもわけわかんないの好きだから、この批評課もわけわかんなくて、たのしい(笑)。だからね、もうわけわかんないの当たり前? で、わかると逆に「あ、わかっちゃった」みたいになるから。わかったことないけどねっ(笑)


― でもさ、わけわかんないのと、内容が難しくて理解できないのとはちょっと違うじゃん。今回はどっちだった?


カ 何ていうか、「批評って何?」って訊かれて、「ちからさんは『愛と距離』みたいなこと言ってたよーん」ってことは言えるけど「えー?しらなーい」みたいな?「でも楽しいよー!」みたいな感じ?(笑)


ジ 実際楽しかったんですよ。


カ そ、楽しいもん。


― パッとしなかったけど楽しかった?


ジ 楽しかったです。


カ だってパッとしないのはいつもそうだから!


― (笑)


イ でもすごい自由にやらせてもらった気がする。おっさんとかちからさんは、質問を投げかけても、「こうした方がいいよね?」みたいな裏のニュアンスを含んでない。「こういうのもあるし、他の案もあるよね。どっちがいい? どうする?」って言ってくれるから。さっきおっさんが演劇にもいろいろあるって言ってたけど、すごくいいところのワークショップに来てたんだなって思った。




▼演じて応答するということ

― 今日、『地域の物語』という公演をつくった人たちの前で、別の作品をつくって演じて返すってことをしたじゃない? そもそもそういう応答の仕方って例がないと思うんだけど、みんなも初めて?


カ そうだね、初めてかな。


― 緊張した?


カ いやあ……。


イ え、めっちゃ(してたじゃん)。


カ 違う違う、緊張するのはいつでもそうなの! 始まる直前にウーッてなるんだけど、それは相手に返すからとかじゃなくて! だって、返すけど、もううちらの作品になってるから、それを見せるだけだから、あんまり緊張しなかったけど……。正直言うと、(『地域の物語』出演者の)ヨウコさんとかシラさんとかにインタビューした話をやった(作品内に取り入れた)じゃん。それが、ちょっと……まあ別にいいと思うけど、違うふうに受け取っちゃってたら、ちょっと……どうなんだろう、って……ヨウコさんとかシラさんの反応見ちゃった。


イ わたしも〜。めっちゃ顔見た〜。


カ だからそれはあるけど、でもそんな特別! みたいのはなかった。


 世田谷パブリックシアター学芸スタッフの“にらだい”がお菓子を持って来る。にこにこして、邪魔しないように去って行く。


カ あ、マッカデミア〜♪ 開けてい?


― そっか。でもその後皆さんからその場で感想もらったじゃん。それはどう思った?


カ (マカデミアチョコを食べながら)ほっとした。「あたしこんなこと言ってないけど」とか「そういうつもりじゃないんだけど」じゃなくて、ちゃんと見てくれてるなって。よかった。


ジ 発表のあと、みんなちゃんとコメントくれたのがすごいうれしかった。


― そうだね。相互的な感じがすごくしたよね。




▼中学生から見た「批評」

― 演劇を演劇部でやるっていうと、みんな出るつもりで来てるんだよね? だけど今回は『地域の物語』の感想文書いたり、出演してた人にインタビューしたり、いろんな演劇との関わり方を体験できたと思うんだけど、面白かった?


カ やっぱり文章は苦手だなって思った、ヒヒ(笑)。だから、ちからさんとかおちまき(落雅季子)さんとかすごいなって思って。ある人の話を演劇にしてください、って言われたら出来るけど、感想書いてくださいって言われたら無理だ、ウェーッてなった。


イ 最初は演じる方が面白いなーと思ってたけど、文章書いて組み立てたりとか、ここはもうちょっとこうしたほうが……とか考えるのもすごい面白いなーと思って。わたし、文章書くのそんなに嫌いじゃないんですけど、でも書いてるとこう、型にはまる感じがしてきて……でも今回いろいろやって、もうちょっと違う形もあるのかなとは思いました。


ジ やり始めたら書けるんですけど、自分からやろうとはあんまり思わなかった。でも自主的に書こうっていう気持ちを、強引ではあるんですけど、引き出してもらって、また新しい見方というか演劇の感じ方があるんだなって思ったりしました。


― あたしも中高大学と演劇をやってたんだけど、卒業して会社員やって紆余曲折経て、今は劇評を書くということがいちばん自分にしっくり来てるのね。結構回り道してるというか、だから演劇とのいろんな関わり方があることを伝えられたらそれだけでよかったかなって思うんだよねえ……。でも「批評課」って付いてるから何か書かされるんだろうなっていう予感はあったでしょ?


カ なかった(即答)。


― なかった?!


カ だって、だってさあ! あれだよ?! チラシに「柏木陽」って書いてあったから!(笑)まあちからさんの名前もあったけど……ちからさんに最初に会ったのはキャロマグの座談会(vol.6の中学生演劇部特集)の時だったんだけど、そん時のちからさんの印象はね、「おもしろい人」(笑)。


イ マスクちゃん(ワークショップ参加者のひとり)がやくみつるに似てるって言ってた(笑)。


カ・ジ (爆笑)


カ 座談会の時はただ話しただけだから、文章のイメージがなくて。何かねえ、そこまで「えっ、書くの?!」とはなんなかったけど、「ま、批評だし、やるのか……やんのか」みたいになった。でも全然ホントに、書くと思ってなかった。


ジ 僕は若干覚悟はしてた(笑)。


イ あたしは書くかなーとは思ってたけど、そこまで嫌いじゃないから、ここでいいの書けば褒められるかなあ〜うふふ〜、みたいのはちょっとあった(笑)


― 実際批評家であるちからさんって、どんな感じに見えた?


カ すごい優しい人!


イ え〜! 絶対に裏では、フフ……みたいなとこある!


カ でもさ、おっさん(=柏木陽)はさ、優しいけど怖いっていうか、ヘンでしょ! にらだいもお菓子買って来てくれたりして優しいけどヘンじゃん。で、最初に会った(伊藤)キムさんも相当ヘンだったから、ちからさんに会って「お、ちゃんとした人だ〜普通の人だ〜」と思って(笑)でもねえ、ちょっとねえ、何かねえ、隠してるとこはありそう!


イ だって普通の人だったらこんなとこ居られなくない?


カ うん。そうだね。


― こんなとこって……?


イ 批評とか演劇の世界。


カ あとおっさんとも話が合ってるしね。


イ おっさんと普通に話せる時点できっとヘンだよ。


ジ ちからくんって、よくわかんないけど、おもしろいんですよね……なんか会いに行きたいっていうか、話を聴きたい……よくわかんないけど、また批評課をやるなら聴いてみたい。


― 話長いけどいいの?(笑)。二日くらい前にすごい批評家モードになってベラベラ喋った日あったじゃない。終わってから振り返りの時間にもすっごい喋ってたから、あれ。


ジ (爆笑)


カ 部屋の外まですごい聴こえてた!


ジ 突っ込めばすごい話を聴いてくれそうな人だなって思う。


― いつかお酒とか飲んだらいいんじゃないかな。もう、すごい飲むよ……。


ジ 飲みそう〜(笑)。


 にらだいが突然現れ「ちからさんたちどこ行った?」と言いながらじゃがりこを自然につまみ、一本食べて風のように去る。


イ あ、食べてった。


カ やっぱヘンな人だよ〜。食べ方もヘンだよ〜、ウケる〜。


イ あたしも食べよ〜。


― いつもの演劇部と今回の批評課では何か違うなってことはあった?


カ え、何かね、動かない。


イ あー、お尻が痛くなったね。


カ あと宿題? これまでもある時はあったんだけど、何か今回はちゃんと形にしてくる宿題だった。いつもは「考えといて〜」とか、そういう感じのノリで、文章でちゃんと提出して読む! みたいのはなかったから、ちょっと「ウヒ?」ってなった。


― 期限も厳しかったよね。


カ 次の日だもん(笑)。


イ 眠いし(笑)。私、朝書いたりしてた。


カ 私も朝書くこと多かった。前日の帰り際にだいたい文章考えてて、家帰って書くの忘れて、寝て起きると、その当日より客観的に思えるからちょっと直して、みたいな。


― それって演劇の台詞とか振りを考えて来てっていうのと一緒な感じ?


カ 文章にするのはね……なんか違った。なんかね、いつも演劇やる時のイメージは……「わちゃわちゃわちゃわちゃ〜♪うひょひょひょひょ〜♪」だけど、今回は「うひょひょひょひょ〜♪」の前に、ちょっとキチッとした感じがあって、「うひょ? キチッ! うひょひょひょ〜♪」みたいな感じ。で最後は「うひゃー!」みたいな感じだった。


― その「うひゃー!」は発表のこと?(笑)


カ そ(笑)。


イ でもライブくん(※ワークショップ参加者のひとり)の感想文は、ああそんな形で来たんだって思ったよね。文章じゃなくて、絵とか図だった。


― それをまさにミス・インタビューが朗読することになったよね。


イ 来るなって思ってた。あの順番だと絶対あたしのとこで止まるなって思ってたらホントに来ちゃって。


カ あれ逆に当たりじゃない? おもしろくない?


イ そうは思った。やればそれだけで何かになるから当たりは当たりだけど。


― 読み終わった後に「ちょっと私の意見とは違った」って言ったよね。そこをちゃんと伝えて良かったと思うよ。ライブくんも一瞬ウッとなってたけど、飲み込んでたよね。


イ そう、だって……違うから。いつもだったら言わない気がするけど言っても大丈夫かなって。わかんないけど、もしかしたら家で泣いてるかもしれないけど。


― 何で大丈夫だって思ったのかな?


イ 場所が場所だし……彼も……言っても大丈夫、人としても大丈夫だし……批評課だし……言っても受け止めてくれるかなと思いました。


ジ それ自体「批評」な感じがする。発信する側の感覚があって、受け取った側からの批判と共感があって、何か違うことが起きる、みたいな。


イ 後で帰り道に「やっぱさーあたし嫌いなんだよねー」って言うのは批評じゃないと思う。相手がいて、伝えるつもりで言ってるんだったら批評だけど、「やっぱさー違うしー」って裏で言うのはただの意見。


― ちからさんに聴かせたらそれ、にやにやして喜ぶと思うよ。


イ ……それはちょっと何かやだ(笑)。




▼高校生になったら

― 高校生になっても演劇はやりたい?


カ とりあえず、世田パブのワークショップには来る♥︎ 最初は演劇科がある高校に行こうとしてたんだけど、親とも話し合って、一番演劇ができるのは今選んだ学校だなと思って。なんか、すごいたくさん演劇やるの。授業で。演劇部はないんだけど、でも面接の時に「ぜひ演劇部つくってください」って感じだったから「あ、はーい」って(笑)。演劇部つくりたいんだけどさーって言ったら入ってくれそうな子もいて。


イ あたしは中高一貫で、部活とかが変わるわけじゃないので、演劇部も一応あるんですけど今から入るのはちょっとアレかなーってのがあって、演劇やるのは学校じゃない場でもやれるかなって思って。さっき振り返りの時におちまきさんも言ってたけど、情報収集を怠るのはそれこそ「怠慢」なので(笑)


― あれはパズドラの攻略方法をネットで調べるかどうかって話です(笑)。


カ でもおちまきさんパズドラやってそうなイメージ。あ、わっかるー♪ って思った。CMに出てそう。


イ あー!


ジ 出てそう!


カ ね、わかるでしょ? こうやってこうやってんの(スマホ画面を操作しているマネ)。


イ わかるわかる! 斜め下くらいからの(アングル)。


― そんなこと初めて言われた……。


カ きゃはー!


イ (それた話を戻す)や、まあ何かそれでがんばって探していけば、やれないこともないかなーって思った。でもなかなかネットで検索しても情報が出てこなかったりとか、終わっちゃったワークショップの感想とかが出て来て、そこは私もがんばんなきゃいけないなーって思うけど。


ジ うちも中高一貫で、演劇部がなくて……部活は剣道やってるんですけど、それもそれで楽しいし、それとは別でワークショプ探してみたくて、ここ以外のも体験したくて。さっきのおっさんの「世の中にはおもしろい演劇だけではなく、おもしろくないものもある。いろんなものに触れてほしい」って話もそうですけど、一回若干おもしろくなさげなところにも行って、それでもう一回ここに戻ってきた時にどう感じるのかなって思ったりもして。あと、何だろう……自分たちだけで、やってみてもいいんじゃないかなって思ってます。




▼わかること・わかんないこと2

― 二日目に、いろんな作家の文章を声に出して読んだじゃん。結構難しい文章もあったけど、意味わかった? 石原吉郎とか宮本常一とか、すっと入ってこない文章が多かったと思うんだけど。


カ や、なんか、普通だった。


― 普通?!


カ や、難しいけど、その文章について感想書けって言われたらちょっとヤだけど(笑)、これの芝居をつくりたい、みたいな。感想書くのは無理だけど、芝居つくってって言われたら楽しそうだな〜って思ってた。みんなの聴きながら。


― あの朗読おもしろかったもんね。


カ おもしろかった!


ジ 今回の批評課自体たぶん「わかんないけど付いていった」感じがすごい、演劇してるな〜って感じだった。なんだかんだ突破してきたのを、身体ですごい感じたというか。


カ でもね、結構あとあとになって、何かわかる時がある。前のとかで「あ、これあたし知ってる♥︎」みたいな。やり方とかじゃなくて気分的に。「これ知ってるわ〜出来るわ〜」って、みんな周り戸惑ってても(笑)。だからこの批評のやつも、そうなりそうな気がする。


ジ うん、絶対糧になりそうな気がする。


イ ダメにしたくないよね。七日間もここにいたから。そういう経験を。「ああやったね、終わったね」じゃなくて。あとあとに持って来るというか。持って来るのは私たちだから、誰かが持って来てくれるわけじゃないからそういうのはがんばんなきゃいけないなって。


ジ 七日間で身体にインプットされて、感覚をさ、何だろう、思い出すというかそういう作業がこれから必要なんだと思う。


イ 学校の生活に戻れるかな……(笑)。


― またこの批評課ワークショップあったら来てみたい?


カ 批評課であることもそりゃそうだけど、高校生が出てもいい世田パブのワークショップだったら何でも行く♥︎


― 宿題書かされても?


カ 行く♥︎




▼大人になっても演劇やる?

― 大人になったらどうなるんだろうね。


イ それ思うー。


― 大人になっても演劇やる?


カ え、やりたいー。


ジ でもおちまきさんの場合逆じゃないすか?


イ 逆に訊きたいんですけど、演劇部に入ってたのに、なんで普通の仕事につこうと思ったんですか? いったん演劇から離れて会社員になったんですよね?


― そう。「やたら演劇を観てる会社員」になった。


イ それってすごい何かこう、嫌っていうか悔しいっていうのなかったですか?


― 何だろう……まず、そんなに自分に役者の才能がないと思って、役者をやることはありえないと思ってたわけ。演劇は好きでずっと観てたんだけど、結局やりたいのが文章を書くことだったのよね。だから、演劇について、言葉を尽くして書くことをいちばんやりたいと思ったの。ずっと一人で細々書いてたんだけど、ある時期に藤原さんと出会って、一緒に仕事するようになったんだよね。いろんな偶然と必然が積み重なって今があるから、ホントに何がどう転ぶかわかんないなーって思うの。一直線に「劇評書く人になりたい!」と思ってたらたぶんこうなってないの。


三人 ふーん……。


― もちろん、まっすぐ俳優とか演出家を目指すのもすごくいいと思うんだけど、いろんな道があるよ。ミス・インタビューも、人の話聴いたり、体系的にいろいろ考えたり出来ると思うから……初日に「ドラマトゥルク」っていう役職の話をしたの覚えてる? そういう勉強とかもおもしろいかもしれない。


イ ああ……でもわたしシラさんと話した時も、一生懸命すぎてシラさんの目しか覚えてなかったんですよ、ほんとにもう……。


― そんなもんだよ、音声は録音しておけばいいんだよ(笑)。


イ ありがとうございます。


― 今日は遅くまでありがとう。気をつけて帰ってね。またいつか批評課で会えるのを楽しみにしてます。


三人 はーい。


 子供たち、帰る準備を始める。


カ (チョコの箱を覗きこんで)ねえねえ、何で最後の一個食べないの?


イ 最後の一個はみんな食べないんだよ〜。


カ えっ何で〜?!


― 食べなよ(笑)。じゃがりこも持ってかえんな。


カ いいの?!……やったね♥︎

 

 帰る準備をして、全員部屋を出る。

 落、エレベーターを待っている時に、ミス・インタビューのリュックに徳永京子・藤原ちから『演劇最強論』が突っこんであるのを発見。


― あ、『演劇最強論』。


イ そうなの……いちおう、持ってきてた。


カ えっ何これ? (手を伸ばして本を取り口絵をぱらぱら見る)あっ、ままごとだ。読みた〜い貸して〜。


イ これ図書館のだから……。


 三人はわいわい言いながら去っていく。(完)










(聞き手・構成:落 雅季子 2015.04.04)

https://bricolaq.hatenadiary.org/entry/20150407/p2

2015-04-03 世田谷パブリックシアター演劇部 批評課(6日目)

 藤原ちから 六日間、中学生たちと批評のワークショップやってみて、率直に言ってどうですか?


柏木陽 逆にちからさんはどうですか?


藤原 えっ、そうですね……。小学生、高校生のワークショップは経験があったけど中学生とは確か初めてで、難しい年齢という先入観がありました。だけど実際会ってみると、すごく面白い子たちで。身体はノイジーで、プロの俳優のようにシュッとはしてないんだけど、なんか魅力的なんですよね。それがぼくには新鮮なんですが、子供からお年寄りまで、いわゆるプロの俳優じゃない人たちと演劇ワークショップをたくさんやってきた柏木さんとしては、そういうノイジーな身体はどう見えるんですか?


柏木 プロの俳優や俳優志望の人は、意図したとおりに動きたいんですね。技術もあるし。でもいわゆる素人は動きに意図がなくて、ポンとやったことがすごく面白かったりする。その方が表現が「強い」気がしているんですよ。


藤原 プロの舞台作品を観ていても、感動するのは、技術でうまく固めたところよりも、たぶん演出家や俳優本人ですら謎であるような変な凄みが出る場面だったりします。ちなみにプロの俳優と作品をつくってみたい気持ちってありますか?


柏木 プロとアマチュアの違いを知るためにはすごくやりたいですね。


藤原 それはちょっとした興味があるという感じ?


柏木 いや、それが創作のモチベーションになるくらいには強い関心がありますね。単なる創作環境とか状況以外での違いがわからないと、日本のアマチュア演劇の位置づけは難しいんじゃないかと思ってるから。


藤原 「キャロマグ」(世田谷パブリックシアター学芸が発行する冊子)の編集とかを通じて世田谷パブリックシアターのワークショップに関わるようになって思うのは、「本当はプロになりたいけどアマチュアに甘んじてる」とかいう、従来のアマチュア演劇のイメージとはかなり違っているんじゃないかということです。今回の中学生たちにも、創作プロセスを重視する理念がすでに共有されてるように感じるから驚きです。世田谷パブリックシアター演劇部を2年やってきたことの蓄積が現れつつあるのかもしれない。演劇と関われるチャンネルが生まれてると思いますね。


柏木 大きな劇場でたくさんのスポットライト浴びる演劇もあるんだけど、「演劇活動」全般からすると山の一部。山頂だけが山じゃなくて、のぼって行くルート全部が山なんだから、たくさんの演劇活動があるんですよね。


藤原 今回、いろんな演劇人から、中学生の批評課って何やってんの?! 観に行きたい! みたいな問い合わせを多数もらっているんですけど(笑)、そもそも演劇ワークショップの現場で何が起きていて、進行役とされる人たちが何を考えて活動しているのかを伝えて行く必要があるなと、特にこの一週間柏木さんとご一緒してて思いました。というのは、演劇ワークショップの即席的な効果を求める声は高まってると思うんですよ。コミュニケーション能力に役立ちます的な。それは方便としては必要で、「社会にとって演劇は役に立ちますよ」って喧伝することで演劇の社会的地位を高めようという話は理解できるんですね。でもそれを方便として受け取らないで、ワークショップに効果やサービスを求める人たちが増えてしまってるんじゃないか。それを正直ね、50、60過ぎたおじさまたちが言う感じならまあしょうがないかなと思ってたんですよ。でも20歳くらいの子たちがすでにそういうことを鵜呑みにして、結果や効果しか見られなくなっているのはぼくはすごく残念だし、危険だとも思うんですね。つまり何も伝わってないわけですよ。演劇ワークショップに関わってきた人たちの思想や哲学が伝わらなくて、表面的・即席的な効果だけが求められるのは……ちょっと60年代的アングラな言い方をしますけど、そんなのは「反・演劇的」ですよ! 演劇やそれに関わってきた人たちへの最大の裏切りだとも思う。演劇はコミュニケーション能力として役に立つから行われるのじゃなくて、そこにまずある、存在していることそれ自体が大事で、そこにいろんな人がなぜか集まってくる魅力的なものだからこそ、対話が生まれると思うんですね。結果的にそこで磨かれるものがある、ということだと思う。人が集まるから。


柏木 言いすぎちゃうかもしれないけど、地域コミュニティのつくりかたって誰も知らないじゃないですか。地域コミュニティって、日本だとたぶんお祭りがつくってたと思うんですよ。お祭りをひらくとみんな集まって来て、準備もするじゃないですか。若い人を手伝わせたりして、徐々に彼らがその祭りの中心軸に入っていったり。小さい頃から「あれは面白い」「かっこいい」という思いを持って近づいていくことで、裏や苦労があることを知り、多層な人間関係を知っていく。利害関係の調整の仕方とかも。そうやってお祭りというハードルをクリアすることで自分の位置と地域コミュニティの作法を知っていくことがかつてあったと思うんですよ。そういうことに慣れていくための場として劇場ワークショップがいろんな場所で起こっていくことは、網の目のようなものを作っていく助けになると思いますね。

あと、個人的には今も「演劇は何の役にも立たないよ」って思ってるけど、そうは嘯(うそぶ)けない。下の世代が困るから。役立たないとは思うけど社会の中で相手を説得してみる、とかいうことを、僕らのところでやらないといけないと思う。


藤原 確かに、仕事としての社会的地位を獲得しておかないと、後継の人がキツくなるでしょうね。ぼくは編集者としてはね、社会の中でいろんな人や組織と関わりながら役立っていくという感覚は強いんですよ。「編集は世の中の役に立ちますよ!」ってアピールしたい(笑)。でも批評についてもそう思うかというとそれは微妙で。今回の批評課も、批評という概念や方法を使って発想をひろげる可能性を開拓したいということでやってるけど、いざ批評家を育てるとなったらぼくはたぶんめちゃくちゃスパルタで、批評する人間は、一子相伝、ひとりの師匠につきひとりの弟子しか育てられないんじゃないか、ぐらいに思ってるんです。批評は愛と距離だ、という話を中学生たちにしましたけど、それは社会に対してもそうで、精神的に社会から離れたりちょっとズレた位置にいることは大事だと思う。だから、中学生たちにはもちろん期待はしてますけど、将来何になるかもわからないし、彼らは彼らで自分の人生を謳歌(おうか)してくれればいいかなって。


柏木 中学生って何者になるかわからない最後の時期ですよね。高校生になるともっと将来を意識するから。でも、自分と近い世界(演劇)に来る可能性はあるかもしれない。それならもう少し伝えておくぞ、とは思ってます。


藤原 演劇ってけっこう潰しが効きますよね、いやほんとに(笑)。総合芸術というだけあって、いろんな感覚が自然に身についていくと思うんですよ。誰か人間と一緒にやるものだし、なんといっても、身体がスッと動けるようにもなるし。


柏木 中学生はみんな嬉々として身体動かすよね。ちっちゃい頃から「走るな騒ぐな」って言われてる東京の子たちが、走れるし騒げるし、そのうえ何かやって上手かったら褒めてくれる人がいて、しかも自分たちでアイデア出してそれが形になるって、喜びしかないよ。でも、「面白くない」って厳しいことも言われるじゃん。振り絞ったものがちゃんとジャッジされてる感じ? そういう、投げて打ち返される場で、捨て身で飛び込む瞬間があるんだよね、演劇は。あの捨て身の瞬間をどこかで知らないと、世の中で立てなくなる気がしてるんですよ。どうせ体験するならここでおやり! 俺たちけっこう受け止める覚悟あるぞ!(笑)


藤原 やっぱり手を動かさないとね……。煮詰まって考える時間も大事だけど、やっぱり手や足を使ってこねくりまわしていく中でうわーって生まれてくるイメージもあるから。そこが演劇ワークショップの面白さでもあるなって、今日、中学生たちが自分たちで発案してシーンつくってくの見てて思いました。あとですね、誰か傑出した子だけがすごい、って話にならない場なのがいいと思うんです。エリート主義とか競争原理で動いてない。かといって全員が桃太郎やシンデレラの役をやるような悪しき平等主義でもない。役割分担も、その場でぶつかって話し合っていく感じがあって、ああこれは醍醐味(だいごみ)だなって思いますよ。


柏木 短時間だとあまり達成できないんですけど、今回は七日あった。でも、ちっとも贅沢じゃないとも思うんですね。これくらいの期間があって初めて、何か見えて来るものがある気がする。もちろん入口として短期間のワークショップがあるのは全然いいけど、それがメインではないなって。


藤原 やっぱり「演劇部」になってるから蓄積もあるし、けっこうこの活動が継続されてるのは画期的なんじゃないですか。

 さっき、お祭りとコミュニティの話がありましたよね。今、残ってたとしても、そういう意味で機能してるお祭りってないんじゃないかと思うんですよね。お祭りって前近代的なところがあるし。近代以降の人間にとってのコミュニティを、お祭りで復活させるのはちょっと厳しいかもしれない。というのは、その「伝統」から排除される人が当然いるわけですよ。でも演劇ワークショップにはマッチョな排除の論理はないし、「みんなで盛り上がろう!」とかではなくて、ひとりひとりの孤独をキープできる気がするんですよね。みんなで一緒に何かをつくることはするけど、その人がその人自身であることは尊重されると思う。それは中学生もよくわかってるんだな、とひしひし感じます。何日か前のこのレポートで柏木さんも語ってらっしゃったように、劇場がやらないでどこがやる、ということ。世田谷パブリックシアターはその面でかなり先進的じゃないかと思ってます。どんなに建物として立派な劇場でも、人がいないと……。


柏木 人ですよね。


藤原 現場の経験と、劇場でやることの意義や理念を積みあげていくのはやっぱり人だし、周辺地域のいろんな人との関係も生まれていくし。批評はやっぱり作品や作家至上主義がベースになっちゃってるし、ジャーナリズムも制度の問題を取り上げはするけど、そこにいる人や理念にフォーカスする言葉が少なかったと思うんですね。きちんと議論の俎上(そじょう)に乗っていなかった。「キャロマグ」もそうですけど、これを機に言葉にしていきたいですね。……あ、時間なのでこのへんで。今回はワークショップに呼んでくださってありがとうございました。










(司会:落 雅季子 2015.04.03)

https://bricolaq.hatenadiary.org/entry/20150403/p1

2015-04-02 世田谷パブリックシアター演劇部 批評課(5日目)

進行役のひとり藤原ちからがホワイトボードに「批評 ― 愛と距離」と書いたのは、批評の対象は作品作家観客世の中種々様々なものが考えられるし、もしかすると演劇芸術アートそのものが対象かもしれない、しかしいずれにしてもそこからは距離を取らねばならない、距離を取ることができなければ愛に足を取られて倒れることになるであろう、ジョン・ケージにも宮武外骨にもそうした愛と距離の二つがあったのだ、批評はまず咀嚼から始まるのであり、観た作品に対してどう投げ返すか、要約や再現ではなく批評だ、ここは演劇部批評課なのだ、さあ思い出せ、今一度その方法や姿勢を各自で考えよ、と言わんがためではないかと思うが、兎にも角にもその前のめりでやや上滑りともいえる圧力で中学生たちはぱんぱんにふくらんで帰って行き、やっと静かになった、かと思いきや、そのあと始まった大人たちの振り返りの会でも彼の勢いはとどまることなく、中学生とやろうとなった時におっさんこと柏木さんと話したのは、体系を教えるのではなくまず無手活流でやってみることを大切にしようということで、今日まではなるべくこっちの意見を言わずに来た、しかし今日のいくつかのことに関しては一方的でもいいから批評家としての自分の姿勢を伝えたい、でもただ技術を教えるつもりはないし上手にやることにも興味はない、失敗のありえない場所に何の魅力があるのだろうか、必要なのはトライアンドエラーだ、自由にやっていいのだ、たとえば二日目にいろんな作家の文体を選んで持ってきて見せた中にもいわゆる“批評家”の文章はひとつも入れていない、ああ浅田彰の『逃走論』の冒頭は入れたけどあれは逃げろや逃げろの言葉が単に面白かったからで、これが批評、みたいな先入観はないほうがいいだろう、だって既存の批評家のエピゴーネン、つまり二番煎じですね、を育てるつもりは毛頭ないのだし、何がどう花咲くかなんてすぐにはわからないのだからと一気にまくしたて、それまで静かに聴いていたおっさんもたぶんそれにある程度同意したのだろう、「五年殺し、七年殺しですからね」とにやりと笑って言ったのだった。


(2015.04.02)

https://bricolaq.hatenadiary.org/entry/20150402/p1