2020年7月6日月曜日

ニュルンベルクにいる作家との交信

赤字で修正するとよくなると思ったところを塗りました. わからなかったら聞いてね. そして再修正したら,次は素早く読めるだけの体力が戻っているから,いつでも連絡して. 

ひとりの人間,櫻井龍太のうねりが,内面を語りすぎることなく見えてとてもよかった. なぜ内面を語らずに済むかといえばそれだけの濃密な他者たちが描かれていたからだし その中で奮闘する櫻井がきちんと見えてきたからだと思う. 個人的にものすごく光っていると思うセンテンスがたくさんあったし エピソードのひとつひとつ魅力的だった. 登場人物の全員が等しく色づいて見えたし,それは何より あなたがひとりの人間として,生き物として,面と向かって,ときにはレンズを挟んで 彼らと向き合ったり受け流したり,そういう過程が描かれていたからだと思う. 思えば私があなたに出会って,翌日だか翌々日だかにアトリエを訪れてモデルをやったことだって ”普通の” 感覚ではありえないことなわけで,だって誰が数週間滞在するだけのドイツで, 初めて会ったカメラマンの家まで赴いて,裸をさらすなんていうのだろう! でも私はあの経験で完全に,あたらしい自分になった.何かに身を委ねるという受動的な行為と同時に かぎりなく能動的な戦い方に足を踏み入れた.そういう自分のことも思い出せるような文章だった.

 ずっと体調が優れなくて,それはたぶんコロナが蔓延する直前(3月頭から)の社会不安を体が感じ取ってしまったからで 龍太に写真も送ったけれどそのあと階段を18段も落ちてざっくり両脚を切る大怪我をし, 死にたいという気持ちがどうしてだか強くなりすぎてずいぶんとあなたの言葉に助けられたりもした. そして今日改めて,通してあなたの文章を読んで,赤を入れる作業を見直して やっぱりあなたは芸術家としての私に息を吹き込み直してくれる,いつでも,どこにいても まるで吹きガラスを熱いまま膨らます職人のように私という器をうつくしいものにしてくれる,人なのだとわかった. 

そう.だから早くこの写真集を手元から旅立たせることで,あなたは新しい「自身の編集作業」に入るべきだ. ヨーロッパに着てから4年は経つだろう. 5年経つと人間は完全に細胞が入れ替わって新しい人間になるというから 日々新しくなっては剥けて落ちてゆく自分を残し,アーカイヴした過去には別れを告げなければならない. 良い未来をこの本が辿れるように祈っている. 私はあなたに,ふたたび,みたび,これからも何度でも,ものを書く力をもらった. そのことに深い感謝を抱いているし,この不思議な縁が実るまえにこんなにもゆたかな旅があったなんて 知ることができてとても,最高に,うれしい.

 ****
すごくうれしい。本当にありがとう。 雅季子の励みになる文章を書けたこともすごく良かった。 色々難しい社会状況だからお互い何とか乗り切ろう。 雅季子以外にこれを頼める人がいないし、これを読んで喜んでもらえたこと自信にもなった。 まきこの感受性が好き。なんと言うか曇りなく読まれてる感じがする。生き方が真っ直ぐだから、それは簡単ではないし、すごいと思う。 僕が旅に出ざる得ない状況になったのも、その精神的な負荷は社会が変わったことだけでなくて、 自分自身の弱さや卑怯さからの廻避に行き詰まったからやと思う。 雅季子は目の前の事に真っ当に向き合ってる感じが強いと思う。 僕は君のそう言うところを見習うよ。 

雅季子は本当に僕のことをよく解ってくれてるなぁ。 まさしく完全に細胞が入れ替わって新しい人間になっていて別人のようになった。 だからこそ、あの旅の全体像を掴んで語ることが出来るようになった。 当時見えていない事も変化を遂げてから初めて解る事もあった。 ドイツに着いてから燃え尽き症候群みたいになって、離人症みたいになってた。 アトリエで撮影してた頃も実は結構ヤバかったんよね。去年くらいから瞑想を毎日するようになって一気に回復してきた。 精神と肉体が一致してるような感じで、ちゃんとしっかりと感じ取れるようになってきた。まきこもやってみるといいよ。 知らず知らず忙しさや精神的負担が肉体と心にズレを生むのでこれを補正するだけで 言葉や態度にはっきりと違いが表れて関わる人の反応までポジティブに返ってくるようになった。 この本が出来たら、デュッセルドルフのアトリエのシリーズの本作りに取り掛かるよ。

2020年6月17日水曜日

今日は仕事を

君のことを抱きたいから今日は仕事をやすんでほしいと頼まれた,夢を見た.夜じゅう一緒にいたのに今更熱くなるなんて酷い.私は先にその懸念を示していたのに,私に後ろめたさを負わせて,自分だけ安らごうだなんて狡い.夢では先だか後だかに,もうひとりの男が私を抱いていてほおずりされたときの髭のこすれる痛み,いやじゃないけれど嬉しくもない,けれど,いやじゃないことだけをとりあえずは示すために私がつくった笑顔,その感覚まで覚えている.

2020年3月15日日曜日

恋愛問題集(酸いも甘いも大人のたしなみ編)

問1
恋人を信用することと信頼することの違いについて、具体例を用いて説明せよ。

問2
「あなたのことが好き」という文章と同じ意味のものを選べ。
1.こっちに来ないで。
2.あっちに行って。
3.もう嫌い。

問3
いちばん美しい愛の終わりの言葉は次のうちどれか。
1.今まで本当にありがとう
2.これからも友だちでいよう
3.二度と会わないようにしよう

次のうち、人生で避けるべきものはどれか。
1.罪な男
2.危ない橋
3.ずるい女

次のうち、自分自身で選べるものはどれか。
恋の終わり
恋の始まり
結婚相手

あなたの心に響くものは次のうちどちらか
自分を好きでいてくれる人の優しい言葉
恋した相手のそっけない一言

問4
次の英文を日本語に訳せ。
Love is not enough.
1.十分に愛されていない。
2.愛は十分足りている。
3.愛だけでは十分ではない。

2020年2月20日木曜日

あかるい暗闇

その台詞のあとで,彼ははっとした顔で覚醒し,押しとどめていた何かをあふれさせたという感じで,私に強く口づけしたのだった.狭い部屋の,細い姿見に抱きしめられる自分の姿が映っている.痩せた大きな犬が,のしかかってすがりついてくるような抱擁を,じっと受けていた.彼にはこれが必要なのだと知っていた.失われた3年を,私たちは15分のキスで取り戻す作業に入っていた.

2020年1月23日木曜日

神様みたい

絲山秋子の書く小説に出てくる人みたいですね、とかつて私に言った子は、目の前で今、焼いたアボカドにかけられた調味料を舐めて「いろんな味が、あの、その、複雑な味が、一種類ではない味が、するな」と言った。

四畳半の部屋は思っていたよりも狭く、思っていたよりも整理整頓されていた。本棚、流し台、部屋干しの洗濯物のどれも、小ぎれい、という言葉がぴったりだった。

「大丈夫じゃないときも、大丈夫なのよ」と振り絞ると、彼は目を丸くして「神様みたいなこと、言いますね」と言った。あ、神様っていうのは僕が思うに、とそのあと律儀に説明を始めた彼の話を私は熱心に聞いた。

トリスタンとイゾルデから着想(未完)

性愛を考える時に、自分の体験を抜きにして語ることは、もはや私にはできない。何度も抱かれた男の顔やしぐさ、手つきのくせの記憶があってこそ、瞬時に新しい男との比較ができるのだし、

(2018.05)

最後から二番目の交情

本当は、ゆっくり映画とか観ながらしたいの、と彼は説明して、でもその時は時間も情熱も足りなかったから、わずかな情熱がなくならないうちにとりあえずやってみようと思って、すぐに寝たのだった。

(2015.01)

2019年9月24日火曜日

祖母の長兄からの手紙

祖母の、戦死なさった兄がお書きになった手紙。(戦後、兵士たちの遺稿集として「群像」に掲載されたもの)

 



***

敬夫へ。

 先日は外泊の折皆の元気な姿に接し兄として嬉びこの上もないものでした。

 今日はお前に私の考へてゐること及びお前に言つておきたい事を、東京行の列車の中で書きます。よくよく熟読玩味して下さい。兄さんも学校に居る時は、自分の力を少くとも他の学生達の如くにでなく、自分の思ふ方向に対して向けてきたと今でも自覚してゐます。先日お前の買つたといふ本を見せて貰ひ、お前の勉強の対象が、私のそれを同じものに向けられてゐることを見て、一面嬉しさを禁じ得ないとともに反面ある意味での怖しさに駆られました。

 まことに現代の学生の宿命とでも言ふべきものを感ぜずには居られません。

 矛盾を社会の機構の中に見出した時、若い血が命がけでそれを解決しようとする。その姿は美しいものです。その姿はたゝへられねばなりません。命がけでやることに何で悪いことがありませう。

(中略)

お前は史学に専念すると言ひましたね。歴史を読む事は良い事です。人間が今迄に経てきた足跡を静かに想ひ、その中から、社会を歴史を世界史を人生を観照し、その中から自己の使命を見出すのです。

(中略)

もう少し現実的であれ。学校の机上の空論から離れた本当の勉強に入る様お願ひします。また少しむづかしい事を書いてしまひましたね。要するに私が軍隊に入り学生生活と比べてみて感じた事を書くのです。軍隊という処は一口では云へないが、とにかく愉快な場所ではありません。しかし、それが如何なる批判をうけると受けぬとに限らず、それはこの社会に現実に存在するのです。だから云ひたい事は、お前が正しいと信じた事も、正しいと想つた様には行かないのです。お前も坂梨と同様に素直な境遇に育つた人間なのです。少くとも私と同様に社会の逆境の中に居らない人です。

 前置きが長くなりましたが、具体的な事を書きます。現在の日本を見ながら、現代の学生の仕事はいさゝか変化したのではないでせうか。学生が学生の本分のみに専心するには余りにも慌しき社会をみます。それでお願ひします。私のゐない家の者の、男の子のお前が中心となり、自分の身辺の者の為に動く様にして下さい。お前には未だ未だ解らないと思ふが親の愛と云ふものを痛感するのは自分が逆境に入つた時始めて解るのです。

 どうか、父母上に、

「また機会ある日に」知子にたくす。

2018年11月7日水曜日

11/3/2018 シビウ演劇祭報告会にて

初めまして。

お手元に写真をプリントした物をお配りしておりますのでそれにそって、今日これまで発表されてきた方の話とは違う方面から、ルーマニアについて、シビウについて、文化についてどう考えるかお話しようと思います。

まずは今年の演劇祭滞在にお声かけくださった、北川大輔さん、谷口真由美さん、ありがとうございます。

あっ、実は今日着ているこれ、ルーマニアで買った服なんです。海外では、そこのもの買ってみる、着てみる、みたいなのことを私は結構大事にしてまして。この白いワンピース、一目惚れして買ったんですけど、日本だと着どころがないから(笑)。あとは、シビウの街でこのストールかぶって歩いてたら謎の家族に絡まれてごはん3000円くらい奢らされましたけどね。ストールは50レイでした、安いでしょ。赤、黒、白って揃えました。



▼自己紹介
実は私は大学時代、演劇を専門に学んでいたわけではありません。法学部を出てから、ITエンジニアとなって死ぬほど働いたのち、演劇批評やインタビュー記事を書く仕事にたずさわりつつ、フリーランスの演劇批評をしています。

法学部にいたと今言ったのですが、ゼミは国際関係論でして、卒論を、当時拡大途中だったEUをテーマにして書きました。実は私、高校生の頃から東欧革命が大好きで……。

今から説明しますが、東欧革命というのは、1989年に起きた東欧諸国の一連の民主化の革命の話です。なので、ルーマニアはずっと行ってみたかったのですが、何しろ治安が悪い。シビウはそんなことないんですけどね。だからほぼ15年〜20年越しに念願かなって、初めてのルーマニアに行ってきたというわけなのです。

これは現地の人から教わったのですが、私の名前のochiというのはルーマニア語で「オキ」と読み、「目」という意味だそうです。とってもいいですよね。それを聞いた時、この目を使ってきちんとルーマニアの風景を目に焼き付けないといけないなっていう思いを新たにしたのを覚えています。


▼ルーマニアの歴史
共産主義時代のルーマニアについて、国際政治専攻だった私から少し解説します。

シビウ演劇祭が25周年ということは、始まったのが1993年になりますね。ルーマニア革命が1989年なので、シビウ演劇祭は革命からわずか4年後に始まっているわけです。それがどれほど大変なことだったかは、想像を絶するものがあります。そして25年……四半世紀、ひとつの演劇祭が続いてきたということは、人ひとりが大人になって余りある時間が演劇祭とともに刻まれてきたということになります。

1989年がどんな年だったかというと、まず6月4日に天安門事件がありました。未だに中国では6月4日の天安門の警備はとても厳しいです。話が逸れて申し訳ないけど、当時の仕事で付き合いのあった40代の中国人部長は、中学で習ったのはロシア語だったって言ってましたね。中学生が英語習うのと同じ感覚で。今(の中国人の中学生)は英語やってるらしいですけどね。

だからまず私は、シビウの街中を歩きながら、ボランティアをしている子供たち、遊んでいる子供たち、パフォーマンスに出演している子供たちの姿を見て、「この子たちは革命を知らないのだ」「独裁者であったニコライ・チャウシェスクを知らないのだ」と思ったんです。だから、ボランティアが、人のために働くということが、文化芸術が、欧州三大演劇祭として人々の中に浸透するまでに、どれほどの人々の尽力があったかは想像してもしつくせない。10日あまり滞在しましたが、それは毎日考えていましたね。

ニコライ・チャウシェスクという独裁者は1964年に大統領に就任し、89年に失脚するまで、24年間、独裁体制を敷いていました。だから、今年シビウ演劇祭が25周年を迎えたということは、初めてその長さを超えて、シビウ演劇祭が独裁に勝利したと、そういうことだと言えるんです。

チャウシェスクはね、息子が(体操選手の)ナディア・コマネチを無理やり愛人にしてたとかそういう話もあります。それでコマネチはアメリカに亡命したんですけど。とにかくそういう話には事欠かないです。

ルーマニア革命のもう一つ重要なことは、一連の東欧革命の中で唯一、人々の血が流された、死者が出た革命だったこと。89年の夏ごろ、ポーランドでの革命を皮切りに、東欧では次々と共産政権が倒れました。

ルーマニア革命は、シビウよりもうちょっと大きい、ティミショアラという街で起きた、今思えば小さな市民暴動が起きたのがキッカケとなって起こりました。その鎮圧のためにチャウシェスクが軍を出し、ティミショアラの人々を弾圧しろと命令した。そこからドミノ倒しです。ティミショアラの市民鎮圧に反発した、ワシーリ・ミリャという国防大臣が銃で死んだのが、数日後に発見されました。その真相は闇の中なんですがそれがチャウシェスクの粛清だったんじゃないか、許せない、という鬱憤の溜まっていた軍部の独走による、一種の集団ヒステリーで国が倒れました。

半日であっという間に大統領夫妻は捉えられ、即日、銃殺されました。2018年現在では、そんなことなかなか、考えられないですよね……。

ちなみにシビウ演劇祭で上演されたシルヴィウ・プルカレーテの作品『スカーレット・プリンセス』にあった、権助が引き回しのうえ銃殺される場面は、チャウシェスク大統領夫妻の暗喩で間違いないです。なぜかというと、それだけ共産主義の時代に弾圧されてきた演劇人が、銃殺というモチーフに無意識であることは有り得ない。

……というようなことが、様々な知識とあわせて観ると、鑑賞可能になるわけです。

ちなみにルーマニアの貨幣はレイ(レウ)、バニです。ルーマニアは、2007年にEU加盟してますけど、財政状況がまずいんでユーロは許されてません。来年導入予定らしいけど、EU幹部と言えるドイツやフランスは、ルーマニアのユーロ導入どころではないかもしれません。


▼キリヤックの言葉
正式に招聘していただいたということで、シビウ演劇祭の創始者であり、現在のディクレターでもあるコンスタンティン・キリヤックに面会する機会があったのですが、その中で私はキリヤックに訊ねました。「革命の余波が残る25年前のルーマニアで演劇祭を始めた当時と、今ではどう違うか」と。

回答の中で非常に印象深かったのは「フェスティバルを始めた当時、夜20時になると街に人通りなんかなかった」と。相互的に監視しあう中で、街中の人がフェスティバルを楽しみ、国内外から人々が集まるなんて、そんなことは有り得なかった。だから、今の華やかな演劇祭の街としてのシビウになるまでには途方もない人々の熱意と努力があったのだと思うのです。


そして、この橋。この橋の上で嘘をつくと橋がくずれるという、「嘘つきの橋」と呼ばれるいうシビウの観光名所です。あ、でもこの橋の上で市長が重要な発表とかするらしいですよ。「本当のことだ!」っていうパフォーマンスの意味で(笑)。

でもね、注目してほしいのは、この背景の屋根にある目みたいな窓。今は可愛い観光名所となっていますが、当時は隣人を相互監視するために使われていたとキリヤックは言いました。共産圏の相互監視はエグいです。隣人の誰も信用できない。すぐ密告されて連れて行かれる。

それでですね、先ほどから何度も話に出ているフェスティバルクラブ(※ナショナルシアターの裏庭でビールなどの屋台が出ており、深夜までボランティアやアーティストが交流できる場所)という場所で、40代の男性に「革命のこと覚えてる?」って聞いたんです。ただ彼は「あんまり覚えてないな。子供だったからなあ。10歳くらいかな。拳銃ごっこがめっちゃ流行った!」って言ってまして、子供ってすごいな、タフだなと思いましたけど(苦笑)。彼はきっと幸福な方だったと思うんです。暮らしていたのがシビウだったというのもあるでしょう。ブカレストだったらそうはいかなかったはず。でも、その彼でさえ「両親からは、家の中での話は外でするなって言われてた」と言ってましたね。

ブカレストに行っていない上に、危険すぎて確認不能のため、見てはいないんですがブカレストでは、今でもマンホールの下で、「チャウシェスクの子供たち」と呼ばれている青年たちがギャング化して暮らしてるらしいです。共産主義時代には国策として出産が奨励されていたんですけれど、結果的に革命後に親に捨てられた子供たちが麻薬漬け、暴力漬けでブカレストの地下に暮らしているんです。

だからルーマニアは今も非常に治安および経済状況の不安定なところであり、良い面の賞讃だけをするのは間違っています。記憶にある人も多いと思いますが、2012年にはブカレストにて、女子大生が強姦殺人で殺される事件がありました。大変心を痛めました。実は彼女は私の母校の後輩であり……だから、今回、私には彼女が見られなかったルーマニアの景色を見るという意味の旅でもありましたね。(※現在は、ブカレスト空港ではきちんとナンバーを確認したタクシーしか入れないなど、対応が取られているようです)


▼日本との違い
皆さん実感されているとおり、文化には力があります。文化芸術の浸透はとても時間がかかるものです。

最初に谷口さんがお話してくださった、オスマン・トルコからの侵略を防いでいた、武力で超えられなかった石の壁を文化が超えるという「民衆の壁」の話はまさにそれを象徴するものです。

そして、写真に戻りますが、これは街中にあふれていたお花です。メインストリートのカフェ、それからナショナルシアターの演目の初日に配られたバラの花です。一輪ずつ観客に配られました。一番下のは、初日だったり楽日だったりに、お花を渡す係の人がいて、舞台上にお花が置かれるんですよね。その自然さ、上演を寿いでいる様子に、私は文化の根付き方の違いを感じました。お花が美しいということは素晴らしいことなんです。花を贈るというのは、あなたがいてくれて嬉しい、すばらしい作品をありがとうっていう意味でしょう? お花が私たちを迎えてくれている。それは、ひいては、街が私たちを迎えてくれるということにつながるわけです。




まあ、ここまで「違い」ってさんざん言ってきましたけれども「違い」を感じるためには、比較対象が必要なわけです。

フェスティバルクラブみたいな場所、普通の日本のフェスティバルにはないです。例外はありますけど。基本的にはない! 22時になったら劇場は閉まる。だから、楽しむ、感動するだけじゃなくて、どうして日本にはそういう場が少ないのかっていう問いを持ち続けてほしいなと思います。
 
そして、この演劇祭専用アプリケーション。これは元エンジニアとして非常にエキサイトしました。チケットの予約、地図、日程まで検索可能で、これを開発してバグ無しで稼働させるのはなかなか、相当頭いい人が関わってる。ユーザインタフェースも素晴らしい。控えめに言って最高でしたね! このレベルのものは、日本では見たことない気がします。


最後に、出会いについて話そうと思います。「素劇 楢山節考」を観に行く途中で、アレクサンドラという女性と一緒になりました。上演後、彼女を見つけたので、声をかけてまた一緒に帰ることにしたんですね。アレクサンドラに、「字幕で『山の神様』っていう言葉が出てきたでしょ。 "God" と書かれていたけれど、あなたたちの神様とは意味が違うの、わかった?」と訊いたら、それは理解できた、と言っていた。「ただ、周りのみんなは拍手していたけれど、so hard story だったから私はとっても手を叩く気にはなれなかった……素晴らしかったけれど!」と言っていて、感受性豊かでとても聡明な女性だと思いました。

『楢山節考』を読んだ方はご存知かもしれませんが、小説の中には、命が惜しくて楢山に行きたくないと泣きわめく老人の描写があるんです。『素劇 楢山節考』では「蟹」の登場する歌が歌われるのみでしたが、実はこの「蟹」、とても恐ろしい意味で、そうして死にたくないと泣く老人の手足の骨を砕き、それでも這って帰ってこようとする姿を揶揄して「蟹」と言っているエグい意味なんですよ。

そのことをアレクサンドラに説明したら「(字幕の)crabがそんな恐ろしい意味だったなんて……」と震えていましたけどね。そういう意味では日本のカンパニーが作品を輸出する時の在り方を考える余地はもう少しあるかなと思いました。

その時、アレクサンドラは黒地に白い小花模様のフレアワンピースを着ていて、素敵ね、と言って褒めたら「でも、この白い花が今はおりんに降り積もった雪に見えるわ。だから今日のことは忘れないわ」と彼女は言っていました。 忘れられない出会いです。


▼楽しいだけではない
最後にひとつ言いたいのは、芸術と政治は密接に関連しているということです。厳しいこと言いますけど、批評をやる上で、無知は罪なんです。政治的な演劇もある、演劇的な政治もある、かつては演劇がプロパガンダに利用されたこともあります。そこは非常に注意深くいてほしい。

楽しいだけではないんです。1989年のルーマニア革命の時の難民受け入れ、確か日本は二人とか、三人とかだった気がします。ふざけてますよね。それって、今の外国人労働者とか移民の問題についてもまったく進歩してないんですよ。

ボランティアは大いに素晴らしい。だがしかし、ボランティアということの意義を問い直し、搾取されていないか、あるいは芸術が誰かを搾取するものになっていないか、自問自答し続けてください。それは東京オリンピックに対してどんなふうにカネが動くか、考える材料にもなるでしょう。

知識同士のコンテクストの繋がりをトレーニングすることで芸術っていうのは鑑賞可能となります。きちんと背景を知ること。知性のシナプスをつなぐこと。アンテナを張りまくること。

今日の会でもいろんな人の思いを知ることができて、本当によかったです。本当に感謝しています。日本のある種の貧しさの中で、皆さんが文化に対してどう動くか、何ができるか、苦しくても考え続けることを芸術の世界では幸せと呼ぶんです。

そしてそれは、もはやシビウ演劇祭に関わった皆さんにも他人事では、ないんです。

2018年6月18日月曜日

二度目の謁見(14.06.2018)

早起きしてしまったので、朝食はひとりで食べた。それから8時過ぎにホテルを出て、嘘つき橋の脇の階段を降り、ロウアータウンへ。
 
ウエディングドレスショップが立て続けに並んでいて、東欧風の、日本の桂由美とかハツコエンドウとかには絶対ないようなナチュラルなヴィンテージ感に、見とれていた。こうした、温かみのあるウエディングドレスなら着たい。
 
ああ、なぜひとりで(ひとりじゃないけど)こんな国に来てしまったのか、何もかもが遠すぎて、でもそれはその何もかもを手放したからであって、そうしてこなかったら今私はここに居られないし出会った人々と出会えていないのに、身体が崩れて煉瓦のひとかけらになってしまいそうな気持ちで上を見上げると、窓から白と黒のネコが二匹、顔を出していた。顔だけでなく半身を乗り出しており、のんびりと優雅に町を監視していた。
 
「にゃー」「ミャオー」など様々な鳴き方を真似して気を引き、シャッターに収める。ふらりと現れた東洋人ももともとのこの町の住民も、ネコには関係ないらしい。

両替所に行くも「9時からしかやってない」と言われる。なお、その時、時刻は9:30であった。ルーズベルト。ルーズリーフ。ルーズソックス。(これは「ルーズ」と変換するにあたり入力ソフトが提案してきた3つの単語である)OK, I'll come back later.
 
しばらくのち、両替は無事できた。古着屋さんにお邪魔してはワンピースを試着させてもらったりする。今日の収穫は、今のところなし。薬局で美容クリームを買えるだけ買う。
ボランティアのGS嬢からランチの誘い。広場奥のカフェでスープをふたつ頼む。私は、グリーンのペーストスープにハードボイルドエッグが乗ったもの。GS嬢はグーラッシュ。たくさん話し合い、よい意見と体験の交換ができた。
その後、14:45TK女史とKM嬢と3人でルーマニアレストランでランチ。チョルバというスープを二つ、サルマーレというロールキャベツ、肉とママリーガの盛り合わせでおなかいっぱい。
 
その後、ひとりで町いちばんの評判のジェラテリアでピスタチオアイスを食べる。ふと、スーパーマーケットの側に、特に私好みのおみやげもの屋を見つける。ルーマニア南部のロマ風の赤いストールを買った。
 
幸運なことに、同行者を探していた人をひとり見つけて "The Scarlet Princess" 二度目の観劇。

初日は歌舞伎の花道の横だったため字幕が見づらかったが、後ろの席の見やすさよ!! 助かる。プルカレーテ、やっぱり展開が早すぎるというか緩急が凄まじい。姫が権助に犯されて子供できてから、生まれたときから閉じたままだった彼女の左手が開くのが原作だけど、プルカレーテ版は逆で、もっと早く左手が開いた。
初日から大きく演出を変えた点は、見あたらない。

でも原作だと権助に犯されてから姫が彼に惚れると思っていたのだが、プルカレーテ版にはそのくだりがなかった。犯される→権助の刺青を見つける→惚れて自分の腕にも刺青入れる、が原作だったような……?

プルカレーテ版は、姫が最初に彼の刺青を見つけ、犯されずに自分で彼を誘っていた。
あとでKM嬢が調べたところ、歌舞伎では姫が権助に犯されたシーンはセリフでしか出てこないらしい。犯された時の快感が忘れられずに、姫は自分から権助を誘って、二人は抱き合う……ということで、プルカレーテ版は歌舞伎版に忠実なのかもしれなかった。
あと、白菊と死に損なって、桜姫を白菊の生まれ変わりと信じてつきまとう清玄の気持ち悪さと変態さもなかなかだった。

最初、白菊と清玄の心中の思い出から始まったため、物語は清玄の走馬灯になるのかと思いきや、生命力溢れる桜姫に乗っ取られてしまった。メインテーマは、恋した男が悪人だった女の業だった。

清玄と再会して恋に落ちる話じゃないのは謎だとかねがね思っていたが、しかし、これは白菊とともに死にきれなかった清玄の情けない人生の結末でもあり、その業が彼を幽霊に、最後には化け物にしてしまったのだ。

そう思うと清玄が、始めからひげを長く生やした老人の風貌だったり、黄色の異様な衣装で現れたり、スマートさをいっさい見せさせてもらえなかったのも分かる。死にきれなかった清玄への、罰の物語というのが裏にある。桜姫が清玄を選ばないからあんなにおじいちゃん清玄が暴走してキモくなるのだ。

毒蛇で死んでなお幽霊として姫にまとわりつき、最終的には祟り神のような全身白いモフモフになって彼は死んだ。じじい、モフモフになって死す。

モフモフは実は序盤で、娼婦になる前の桜姫を襲う役回りとして群れで登場していた。おそらくあれは、男性たちの欲望の根源のイメージ。モフモフは刀を股から出していて、あれは男性器のメタファーなのだと思った。それらモフモフを斬り捨てたのが権助であり、のちに姫は彼に惚れたものの、自分の父と弟を殺したのが権助とわかり、権助との子どもも殺し、市中引き回しのあげく権助を撃ち殺した。

引き回しの場面は、ルーマニア革命で殺されたチャウシェスク大統領夫妻の隠喩だろう。そして権助は、チャウシェスクとおなじ銃殺で死んだ。

この作品では、原作の歌舞伎よりも桜姫が強い自立した存在である。そのように「女性像」を書き換えてくれて、プルカレーテ氏、ありがとうという気持ち。桜姫は、搾取する権助をも討ち取って、自らの幸せを手に入れた。赤ちゃんは、可哀想であったが……。

桜姫の衣装が真っ赤である! という強さを改めて感じた 。最後には彼女はキャミソールドレススタイルの衣装を引き裂き、ブッダのような様相になる。あの強さは、レット・バトラーを手放して、自分の道を歩んでいくスカーレット・オハラにも見え、非常に力づけられた。クライマックス、カーテンコールでポーズを決める桜姫と権助のカッコイイことよ。なお、桜姫は男性、権助は女性が演じた。
 
衣装その他については今後随時追記。