2015年4月15日水曜日

元気がないと思ったんだ

浅い眠りに苦しむぐらいなら、薬を飲んで幻覚を見たほうがましなのだ、ということがなかなか伝わらず、薬をやめろとか飲むなとばかり言われてしまう。昨夜はチロルチョコが歩いてポケットに入るという幻覚を見て騒いでしまった、らしかった。携帯電話にはメッセージ履歴もたくさん残っていて、どうしてあんな状態であんなにたくさんの言葉を打つことができたのか、はなはだ疑問である。わけのわからないことを喋るが喋ったことは覚えていないし、そんな時にひとりで行動させると家の中でも何をするかわからなくて危ない。そう思うとたちの悪い酔っぱらいに近いのかもしれない。かくて今夜も、眠れない私の理性と薬に頼りたい気持ちのせめぎあいが始まる。単に薬をやめろと言う人は、私のこのせめぎあいのつらさを理解しようとしない。

お酒を飲めればしあわせ、というタイプの人が世の中にいる。そうした人々は、お酒で浮き世の憂いを束の間忘れ、また生きる気力をみなぎらすことができるらしい。私はお酒が飲めない。趣味である観劇をすれば思いわずらうことが増えてしまい、好きな読書をすれば没入しすぎて生活が疎かになり、ストレス解消に最適なスポーツは不得意で、その上お酒もたいして飲めないとなると、私はセックスにその効き目を託すほかない人生なのであった。

私のやりたいことが誰かをがっかりさせ、苛立たせ、私のやりたい気持ちを消沈させて暗く貶める。そこから自由になることは、その誰かを傷付けることでもあるけれど、ではどういう自由を選択したらいいのか、というようなことを、きっと書いていくことになるのだろう、と、さっき髪を乾かしながら思った。

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