2016年9月2日金曜日

ある日(ままごとさん、ピザ)

「ままごとさんとあそぼうよ」というのは、2013年の瀬戸内国際芸術祭・秋会期にはじめておこなわれた催しである。自転車で坂手の町をまわり、紙芝居をしていた麗しのニーナに、とある婦人が声をかけたことからおこなわれるようになったもので、経緯はこの記事の劇作家インタビューに少し書いてある。先日からみんなが練習していたのは、今年のこの公演の出し物であった。今年は坂手の元幼稚園で、10時から、一人暮らしのお年寄りの方のあつまる会で、上演されるのだった。昨日、四国での公演を終えたばかりの月ちゃんも合流し、歌と演劇を披露した。歌にあわせて手話をおこなっている方がいらしたので見ると、それは盆踊りの晩にお目にかかった、東京に昔お住まいだったご婦人であった。彼女は、今度喫茶に、手話のプリントを持ってきてくださるとおっしゃった。孫に連れられて喫茶にカレーを食べにきてくれたおばあちゃんのことも思い出し、この近くに住んでいらっしゃるはずだけれど今日のこの催しのこと知ってるかな? ごらんになったらきっと喜んだだろうに、と思っていたら休憩の時にお見かけしたので声をおかけした。おばあちゃんは、喫茶で会ったみんなの名前を覚えてくださって「元気?」と気づかってくださった。「ままごとさん」たちは、坂手のあとに隣の港町にもゆき、一日2回の公演を終えた。

昨年の小豆島高校での演劇製作の様子をまとめたドキュメンタリー映像の上映会が、喫茶でおこなわれた。ポテトサラダ、豚バラとにんじんのごま油いため、たこと野菜のバジル炒めをつくって、夜の営業を迎えた。お客さんは皆、小豆島に住む人々だった。ここからまた、新しい協力者、地域にたいする文化の「翻訳者」をさがして、つくっていかなければいけない、と思った。

麗しのニーナは、またの名前をちーちゃんと言う。ちーちゃんには4歳の息子がいて、3年前、彼は1歳だった。ちーちゃんが息子をおぶって、小さな港町を自転車で回って紙芝居を見せていた夏のことはよく知っている。息子は大きくなり、私に抱っこされるのも厭わず、一緒に夕焼けや海や船を見る仲になった。思い返せば、3年前のちーちゃんの姿は、必死で切実でうつくしかったけれど、孤独だった。上映会終了後、ちーちゃんが今まで支えてくれた町の人々に感謝の言葉を述べながら、涙をこぼして大笑いするのを、カウンターの中、いちばん後ろから私は見ていた。その時だけじゃなくて、私はちーちゃんが息子を育て、演劇をし、人々にひろい視野と感動を与える様子を、これまでも見てきた。その経験と気持ちを大切にして、これからも、演劇のクオリティや影響力、新しさについて考えつづけていくことになるだろう。ちーちゃんはもう孤独ではなかった。

夜は、画家のみきちゃんと、京都から来た花火ちゃんと温泉に行く約束をしていたから、上映会の打ち上げを中座した。22時過ぎにみきちゃんが迎えに来てくれた。ホテルの露天風呂に長湯して、星と海を見ながら、生と死の話をした。暗い風呂で、死の気配を随所に漂わせつつ、おもに未来の話をしたのはふしぎなことだった。帰りにみきちゃんが、ピザめっちゃ焼いたから寄っていかない? と言ってくれて、ぜひ行きたいと思ったから行った。それはとても特別な夜になって、その証拠に、私が自分の部屋に帰ったのは朝4時だった。

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