2015年8月30日日曜日

ある日(砂丘)

砂丘へ行くと決めていた。準備をして列車に乗り込んだ。斜め前の席では、さぞかし鉄道が好きなんだろうな、という風貌の男が時刻表を読んでいた。彼は早めに弁当を食べてコンディションを整え、くつろいでいた。そして眺めのいい鉄橋がある駅で停車のわずかな時間にホームに降り、一眼レフのシャッターを切っていた。私も真似して、ホームに片足だけ降りてみて、携帯電話で写真を撮った。

鳥取に着いて、そこらじゅうにあふれる、ちびっこ名探偵の人気漫画ポスターを横目にバスに乗った。バスには夏休みの子どもたちがまだ多く乗っていて、ひとりの翁がにこにこと彼らに話しかけていた。「何歳?」と子どもから訊かれた翁は「二十歳だよ」と答えたりして、子どもを混乱に陥れていた。ごくごく小さな子には、二十歳も八十歳も、自分の想像をはるかに超える年齢という点では同じである。

砂丘の入口に「砂に落書きをしないでください」などという注意書きがあって、そのひとつに「砂を持ち帰らないでください」というものがあった。ショベルカーなんかでお持ち帰りされたら困るし、砂丘にとって砂は大切なものだから(というか、不可欠)持ち出しの禁止はなんら不当ではないな、と考えていたところに、初老の男が家族連れでやってきて、その表記に怒り始めた。「なんだよこれは、砂くらいご自由にお持ち帰りくださいって書けよ、気分わりいなあ、なんで砂取っちゃいけねえんだよ」と家族の前で延々と言っている。所有する権利を否定されただけなのにここまで怒るなんて、強欲だ。みずからの所有物やなわばりが侵されることに過剰な拒否反応を示す人間こそが田舎者である。

巨大な砂丘は、馬のたてがみが流れるさまに似ている。馬が伏せ、顔を地にうずめたその背中に、登ってみた。サンダルではなく、日を浴びた砂の温度にも耐えるスニーカーを履いてきて正解だった。みんな家族や友だち、恋人といて、日傘をさしながらひとり黙々と砂山をのぼっているのは私だけだった。私の前を歩いていた中学生の少女が振り返ってカメラを構え、あとから来る両親、妹、弟の写真を撮った。「撮るよー、こっち向いてー」と言う少女の言葉に、家族は立ち止まって肩を寄せあった。ついそれを見てしまって、ああ、私はひとりでこんなところまで来てしまって、二度と家族といっしょにあんなふうに写真に収まることは、できないのかもしれないと思った。

城崎に来てから、猪苗代湖のことをよく思い出す。子どものころ、よく行った湖である。私は海と川にほとんど行かずに育った。原風景として心の中にある水辺、それはいつでも湖だ。だから、大きな海を、流れる川を見ると、なんて遠いところに来てしまったんだろうと思って帰りたくなる。どこに帰ったらいいのかわからないのに、ただ帰りたいとだけ思うのだ。馬のたてがみのような巨大な砂山のてっぺんにたどりつき、荒ぶる群青の日本海をはるか下にのぞみながら、いったいどうしたらいいのか途方に暮れた。日を遮るものが何一つない砂丘の上で、北国の湖のことをひたすら考えていた。ずいぶん長くそうしていた。

帰りの山陰本線の中で、日がどんどん暮れていくのを味わった。知らない町で、夜を迎えるのはとても寂しい。飛び去るように過ぎてゆく景色を眺めながら、この町に隠れ住んだら、きっと誰にも見つからずに別人になってしまうのではないかと怖くなった。もう私には何の重しもなくて、砂丘の砂みたいに、ただ風に吹かれて風紋をつくるような生き方しかないのかもしれないと思いつめたところで、列車は城崎温泉駅に到着した。

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