2013年6月23日日曜日

ストロベリー・ステートメント

人の本棚を眺めるのが好きである。たとえば、かつてK氏の稽古場兼自宅の公演にお邪魔した際に見たものは彼の精神地層とも言うべきような本棚で、大変重みがあった。友人夫妻の家の本棚は、床から天井までマンガしか詰まっていなくて面くらった。なので、明け方に寝床からすべり出て、いつも(一応遠慮がちに)本棚を覗かせてもらう。わたしの家と同じ本がある、と思ったこともあるし、そもそも本棚を持っていない人もいた。

書きたいことがあって物書きでいる人と、物書きでいたいから書いている人の文章について読めばその違いがわかるように、導かれてアーティストになった人と、アーティストでありたいからアーティストでいる人というのも、その言動や作品ですぐわかるのだ。ただし、最初は前者だったのに今は、みたいな人もいるので、なかなか口に出して言うのは勇気がいるのだが。

「20年その根性で生きてきて、今さら変われるわけねえだろ」と、昔、言われたことがある。そこからさらに10年近く生きてしまってから、なんでこんなこと急に思い出したりするんだろう。人は変わりません。あなたに何を言われたって、どんなことがあっても変われません。あのときは「わたし変わるから」とか、泣いてすがったような覚えがあるけど、本当はそう言いたかった。絶対そう言うべきだった。それだけがわたしの信念です。自分は変わったのではないかという妄想とか、変わろうというような決意ほど意味のないものはなくて、そんなことを考えてる暇があったら、一生変わらない自分の一部をどう宥めるか、自己同一性をどう認めるかに力を注ぐべきなのだ。妥協か知足かわがままか、それを人は何と呼ぶか知らないけれど。

何だかみっかごとに、同じようなことばかり書いている。でも、結局一週間、一か月、一年通しても同じことを書きながらただ、螺旋階段をのぼっていくだけなのだ。たぶん。

この日記に本当のことはどれくらい書いてあるのか、という話だが、わたしの頭の中では本当に起こったことだから全部本当、と言ってもいいし、「一度しか起きなかったことは一度も起きなかったことと同じ」とミラン・クンデラが書いているから全部嘘、といってもいい。真ん中とって、だいたい本当、ということにでもしておけばいいのではないかと思う。

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