2013年12月26日木曜日

有限の人生

朝から工事のドリル音がひどく、とてもこの家には居られないと思ったが、ずるずるとしばらく居てしまった。窓をあけてもどこで何をやっているのか分からないが、階下からとにかく爆音だけが聞こえる。気がふれたかと思って幻聴の可能性も考えたけれど、身体に音が響くので、まぼろしではなさそうだった。苺を一粒食べてまた泣いた。分かってもらえないことには慣れていたって、分かってもらえない状態に慣れるわけではないのだ。あんなこと言わないでほしかったと後で泣いたって、一生そのことは言えないで終わるに違いない。

女がいやいやながらも何かに付き合ってくれるのは、ちゃんとその相手をいとしく(あるいは可愛く)思っているからだが、男が、嫌そうな態度を見せるときは本当に嫌だという意味なので、何と言うか、報われない。

赤ちゃんのころの弟を抱いて、街を歩く夢を見た。昔、「子どもを育てるには条件がある」と言われたことがある。その人によれば「どこまでも責任を取るということ」と「すべてを受け入れてやるということ」の二つだそうだ。彼は、自分はすべてを受け入れられるが、責任は取れないと言った。だから子どもは今はいらない、恋人が妊娠しても、と。 私はどう考えるかといえば、責任を取ることはできる(少なくともしようとする)だろうが、子どものすべてを受け入れることはできない、かもしれない。

総武線に久しぶりに乗ったので、一度も降りたことのなかった駅でコーヒーだけ飲んで、切符売り場で少しだけ人を眺めてから帰った。どうしてもだめかもしれないと、やはり思った。味方がこの世に一人もいない、わけはない。考えればわかる。でも、私が今のように生きることを許してくれる人がいる気がしない。一生このままだとあきらめるには、想定している人生の残りが長すぎて、つくづく悲しい。

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