2016年8月1日月曜日

ある日(ジュース、ハーブ)

昨日からエリエス荘に来ているアーティストの娘さんと、朝話した。私が明け方から、エントランスのソファに寝ていたので近寄ってきてくれたのだ。二人姉妹のお姉さんで、スケッチブックに色鉛筆で絵を描いていた。色使いが多様であざやかで、美しい。「色がきれいだね」と声をかけると彼女は「ママが写真家だから、あたしも色がきれいなの」と言った。彼女はアオスジアゲハの幼虫を育てていて、エリエス荘に持ってきていた。もうさなぎになって、紙コップの中でじっとしている。「さなぎの中では、体がどろどろにとけて、ちょうちょになるの」と少女は説明してくれた。

朝からキッチンの現状復帰をして、暇を見てしそジュース生成に着手した。葉だけを取って洗い、軽く拭いてからひたひたよりも少ない水で、ぎゅうぎゅう押し込みながら10分ほど煮る。漉して葉を取っておき、ジュースを鍋に戻して砂糖を1.2キロ煮溶かす。そこにクエン酸を75グラム溶かすと、ぱっと明るい赤紫のジュースができた。そのあと、葉を刻んでごま油で炒って、お酒、おしょうゆ、みりん少し、白ごま、梅肉、じゃこを入れて水気が飛ぶまで煮詰める。これは、城崎のフォトスタジオのM夫人にならったレシピで、これでしその葉のわずかな無駄もない、ふりかけができあがった。量が多く出来たので、梅じゃこと、梅かつおぶしの二種類つくった。しその葉の提供者、いつおさんにふりかけをあげたら「今いちばん食べたい味だった」という感想をくれた。

島に来ていちばん暑かった日だったと思う。暑いとお客さんのふるまいも雑になる。マナーが悪いとかいうのではなく、なんとなく、紙ナプキンが散らばっていたり、食べこぼしがそのままになっていたりする。まあ、暑いのでしょうがないよね、皆さん適当にいきましょうね、という気分。騒がしい団体客が多かった中で、今日最後にやってきた男性二人連れは、がらんとした店内で黙々とシャーベットを食べ、トランクを引いて出ていった。静謐で美しい客だった。

畑の帝王が来て、その日いちにち、われわれが捕らえるのに苦労していた巨大な蚊を、3秒で仕とめてくれた。そのあと、彼の領土であるところの畑を見せてもらいに行った。さまざまな野菜がみっしり植えられている畑は、彼の愛情をうけてゆたかに実っていた。美大生が、店の看板をつくるために帝王の力を借りたいと言うので、帝王は快く、家にある端材を出してきてくれた。物音を聞きつけて、帝王の父が現れた。顔がとてもよく似ている。ついている杖は、流木でできていた。畑の帝王の父は、伝説の大工であったという。「島いちばんや」と、母屋に入っていく父親を見て誇らしげに言った帝王は「諸説あるけどな」とその後おちゃめに笑った。

というパラグラフを思いついて、収まりがいいと思ったので今日は終わりにしようかと思ったが、ここからが夜の奇跡だったので書かないわけにいかない。
 
バジルのポット苗を買ったので、花壇に植えようと思っていたのだ。忙しくて結局夜になってしまった。いつまでもバジルをポットに押し込めておくのもかわいそうだ。しかしわれわれにはシャベルがない。1階の観光案内所で借りようにも閉まっていて誰もいない。なんとなく階段を降りてうろうろしていると、「こんばんは」と暗がりから声がする。もっしゃんだった。偶然か、喫茶に来てくれようとしていたのかは、わからないが、「どうしました」と訊ねてくれた。バジルを植えたいのだけどシャベルがない、と私が言い終わるか終わらないかで、もっしゃんは電話をかけ、「あ、シャベルある? うんうん、ちっさいやつ」と話している。マリコさんだった。なんと、マリコさんは下のお子さんのごはんをつくった後でシャベルを持ってきてくれると言う。

何とお手数おかけして申し訳ないことか、と思ったけれど、先日、いろんな地域を訊ねて創作をするアーティストがラジオで話すのを聞いたのを思い出した。彼女は初めて行く土地で町の人と接する時に「迷惑をかけることと、損をすることを怖がらないこと」を心がけていると言っていた。それで私も、迷惑をかけることをおそれないようにしよう、と思い、シャベルを待った。せめてものお礼に、今日つくったしそジュースをびんに詰め、お裾分けできるように準備をしながら。
 
マリコさんが、シャベルと豚の角煮を持ってきてくれた。それで、ジュースのびんと角煮のタッパーを交換してから、花壇に取りかかった。もっしゃんも、畑の世話をしているので土には詳しい。私がマスターと一緒に、花壇の両端からバジルの苗、挿し木のミント、ローズマリーを植えている間、もっしゃんは1階からホースを引き入れてくれて、花壇にたっぷり水を注いでくれた。水がじゅうぶん足りているか、しみ具合を掘って確認するのは、マリコさんがしてくれた。こんなに水をやらないといけなかったのか、と思うほど、花壇はからからに乾いていた。バジルたちは無事、新しい住処に植わった。最後まで面倒を見てくれたもっしゃんとマリコさんにお礼を言って、明日食べる角煮を楽しみに、その日は別れた。
 
畑の帝王の協力をあおぎ、美大生は看板制作に着手した。「飾られるのなんて夏会期だけですから」とおそるおそる言う美大生を、帝王は「何言うとん! 20歳の夏は二度と来おへんで!」と一喝した。夜遅く、消防の訓練を終えたきみちゃんがまた差し入れを持ってきてくれて、看板の下書きをしている美大生の横に座って本を読んでいた。私は窓の外の喫煙所からその様子を眺めていた。
 
この日、私の故郷では知事選挙がおこなわれており、私の票はむなしくも死んだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿