2013年8月4日日曜日

プライベートスカイライン

大叔母に、月に一度会う。そうめんを食べながら1930年代の日本の話をいくつかしてもらっているうち、この間若い子が、「海ゆかば」を口ずさんでいたのを聞いた、という話になった。

あれはねえ、送る側が鼓舞する歌じゃないのよ。特攻隊で死んでいく賢い若者たちが必死に自分たちを慰めるために、無駄に死ぬわけではないと信じたいがために、歌った歌なのよ。そう思うと本当に、悲しいねえ。私は今でも、あのメロディを聞くと、ほんとうに、不安になるの。悲しいよりも、不安になる。あのころの、一体日本はどうなるのか、こんなに嘘の情報ばかり満ちていて、どうすればいいのか、娘の頃の私の、ほんとうに不安な気持ちがねえ、今でも。

そして彼女は、当時の大本営の発表がいかに信じられなかったかを話してくれた。わかっていたのにどうしようもできなかった、とも言っていた。今だって、信じられない公式発表は山のようにある。そこで思考停止して(しまうように見える?)いるのはなぜなのか。話してみれば疑問に思ってる人はあらゆる年代に、たくさんいるにも拘わらず。

渋谷の地下鉄がわかりにくいからと言ったって、覚えるためには何度も歩いてみるしかしょうがないじゃん、と思う。迷路だわー、とか文句言ってるおばちゃんは今日もたくさん群れていたけど、そんなのお前の怠慢だわ、と心の中で悪態をついた。

どうしたってなるようにしかならない。これまでと同じだけ、あるいはこれまで以上に、私は私だと、まあ既に何度も唱えてきた気持ちを確かめてきたことの繰り返しでしかない。だって、どうやってもそのときいるコミュニティから外れちゃうのだもの。簡単に変わるはずもないのだから、都度生き方を選んでいくだけなのだ。

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