2013年10月2日水曜日

何度買ってもなくす本

何もかもままならないので、漢方薬局に行った。怪しい風貌の薬剤師だが、信頼はできる。彼は私がぼそぼそ説明するのを聞いて言った。
「中途半端にひとりで煮詰まってるからそうなるんだよ。煮るなら煮る、焼くなら焼く。どうせ煮るなら自分が食えるような味付けにしなくっちゃ」
 それから私を立たせると、首を持ってぐっと振り回し、ばきばき音を立てて整えた。とはいえ、すぐには元気の出ないまま、処方された顆粒の薬、二袋をリュックに入れてとぼとぼ薬局を出た。一日三回、律儀に飲む。

翌日、後輩のK君が来週クロアチアに一人旅する、という話をして盛り上がっているのを隣の席で盗み聞きしていた。K君と話していた先輩たち数人が去ってから、ひとりで行くの、と聞いてみた。そこから、クロアチアの通貨(ユーロではない)やEU加盟の話を少しして、町並みがきっと綺麗だから楽しみだね、と言って話は終わった。仕事のできる後輩に懐いてしまうのをやめたいが、やめることはできない気もする。

古本屋を二件ほどうろついて、酒の肴を選ぶがごとく、文庫本を数冊ずつ拾って帰った。何度か買っているはずなのに、貸したかあげたかなくすかしてどうしてもなくなってしまう本がある。だらしないのか雲隠れなのかわからないが、私にとってそういう本のひとつ、宮沢章夫『牛の道』を買い直して少し元気を出した。

夕方、レトルトカレーのことを考えていたときに読んでいた本で、ちょうどいい箇所に当たったので、引用してみる。


 カレーを食べたい気持になるとき。
 ○カラリと晴れた日。雨の日などはならない。
 ○体力のある日。(そうはいっても、こんにゃくを食べたくなるほどの体力まではない日)
 ○強気の日。
 ○反省していない日。
 ○気分のいい日。
 ○気分のふさぐ日にも。(ふさいでもお腹は空く。これを食べて元気を出しましょうと食べる。ふさいでいる日には、悪酔するからお酒類は飲まない。このての食べものは、カレーのほかにもう一つある。鰻重)
(※中略)
 カレーが食べられなくなったときは、もうおしまいだ、きっと。ここのところ暫く、食物や水をのみ下すさいに、喉がごっくんと鳴って通りがわるく、やたらと咳ばらいばかりする、だるい、眠い、すぐにげえげえと吐きそう、------もうじき死ぬのかなと密かに心細く思っていたのだけれど、昨日の朝ごはんのときから、突然、元通りの私に戻ったのだ。
(武田百合子『日々雑記』)


これによると、今日の私はカレーを食べる日ではなさそうだったので、無花果1パックと、鶏ささみを買っておとなしく帰った。

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