青木さんはなぜ今、車の免許を取ろうとしているのだろうと思う。機会を逸し続けて今決意したのか、何らか必要に迫られているのか。ともかく青木さんは学科教習のあと(おそらく食事の時間を挟んで)第一回目のリハーサルとなるスタジオにやってきた。マーチに向けた資料、音源を放り込むGoogleドライブもでき、私はそれらをのぞき込みながら創作の準備段階のスープのようなものの匂いをかいでいる。
青木さんと宮永氏は先日おこなわれていたフジロックフェスティバルの配信について盛り上がっていた。「三日三晩YouTubeを付けっぱなしにしていた」と熱く語る青木さんの言葉を、後日友だちのフジロック愛好家に話したところ「や、フジロッカーみんなそんなもんやったよ」と返ってきたのでやはりそういう熱量が音楽人にはあるのだと思う。私自身はオリンピックも世界バレエフェスティバルも、なぜ能天気に楽しめる人がいるのかわからなくなっていて、というか楽しんでいいのか、どう振る舞っていいのかまったくわからずに、この時期は硬直していた。前述のフジロック愛好家は「わかる。配慮しきった人が軒並み今崩れてんねや。年末年始もゴールデンウイークもオリンピックのときも、ずっとずっと黙っとったアーティストが、フジロック開催で崩れたのをわたしは見た」と言っていて、その会話を交わしたはこのリハの日よりあとのことだったから、つまり8月29日時点では私はまだもやもやを抱えていて、でも青木さんと宮永氏がフェスティバルを楽しんだ様子を知ることができて、ひとりだけの霧が少し晴れた。東京パラリンピック開会式も同月24日におこなわれていて、ウォーリー木下さんとか蓮沼執太さんとか、見知った顔が並んでいたので少しリラックスしてそれについて宮永氏と話すこともできた。
さて練習である。今泉仁誠さんのつくった合唱曲「オリーブ」を歌うことになっているので、パートに分かれて音程を取ってみる。女子高だったころの音楽の授業しか経験のない私には、混声合唱が初めてだ。パウンチホイールは高校の合唱部が母体になっているバンドなので合唱には強い。「オリーブ」の伴奏ピアノは和音とアルペジオの組合せが浜に寄せる波を思わせる。
私は、坂手に住むある夫婦のことを歌にしたいと申し出て快諾してもらったのでそれを練ることにして、そのあとは街の紹介ラップづくりのためにホワイトボードに案を出しあう若人たちを見ていた。今夏のみなとまつりを訪れたこゆっきー主導で、島の新鮮な印象が次々語られるのがまぶしかった。
まだ上演の全貌は固まらず、ストックの曲やレパートリーをさらったりもする。神戸港と坂手港を結ぶフェリーの中で流れる「二人を結ぶジャンボフェリー」を初めて聞いたときはなかなか衝撃を受けたものだったと思い返す。海で隔てられた遠距離恋愛を描いた歌謡曲だが、瀬戸内海の穏やかな雰囲気と相まって知らないうちに忘れがたいものとなってしまう名曲である。しばらくは歌が流れ始めるとすぐに下船準備をしたものだったが、慣れてからは、早く列に並んでもしょうがないし、港に船を舫うまでには時間があるからワンコーラスほどは聞き流すようになった。私は夜行便で早朝に坂手に着くスケジュールが多いから、この歌を聞くと否が応でも目を覚まさねばという気になる。
ちょうど10年前、『わが星』を成功させて『朝がある』を生み出す手前だった、ままごと主宰の柴幸男にインタビューしたことがある。同人誌向けのインタビューで今は私の手元にしかない冊子だがそこで彼はこう語っている。「やっぱり死ぬこと、生まれることのどっちかだったら感動する。両方体験したことある人いないんで。だからちょっとでも動くと、感傷に引き寄せられちゃうんですね。いて、いなくなると人は"いなくなった"ことに感動できるんですよ。」その言葉は折に触れて思い出している。訪れる。また離れる。別れがもたらす時間の有限性に感動する。でも島には、そこで生まれて生きて死ぬ人がいる。その何にも起こらない様子を、私は書き留めたい。一瞬のきらめきを、肌寒さを、通り雨を閉じ込めて、時間が流れなくても感動したい、のかもしれない。