2014年3月30日日曜日
インサイド・アウト
私の辛辣さは、攻撃のためではなく、その人の力になるためにある。それに際しては自分の立ち位置を守ったり逃げたりすることが恐ろしく下手になることもあるが、これはもう、むき出しのままで生きるしかないのだ。愛されている人は傲慢である。でも、愛する人の心には気付かないでいてもいい。長年染みついた防衛本能に知らぬ間にあざむかれたり、隠されたり、何かしらの陵辱で返されることがあっても、それも許したい。許したい、というだけで、許せるかはわからない。
2014年3月28日金曜日
バックサイド・フロント
2014年3月25日火曜日
アップサイド・ダウン
どうしようもないので、何が一番悲しいのか考えることにして、三日前のとある事件がやっぱり引っかかっているのだと思い至った。あそこから、私の妙な木の芽時が始まって収集がつかなくなっている、気がする。調子のいいはずの時期に、まるでホルモンバランスを崩したような不安定ぶりである。それを認めて、目の周りが落ちくぼむほどにさめざめ泣いて、最後のほうは泣くためだけに泣いて咽んだ。ここを生き抜くしかない、と思ってベッドから出て食事を作った。でもそれとこれとは話が別、と何度もつぶやいて、いろんな後悔が去来するのを感じていたけれど、もう涙は出なかった。
母は、悲しいときはこっそり人の靴を叩きつけたり玄関に投げつけるといいわよ、と物騒なことを言った。そんなことやってたの、と聞いたら可愛らしくうなずいた。そして、挫折や苦労を経た男の優しさは目に見えないから面倒だけれど、まっすぐ育った男というのも考えものよ、と言った。
私の持っている地球儀ではまだソビエト連邦が幅を利かせていて、もう何年前のものかもわからないのに色があせる様子もない。写真はマーガレット、パンジー、沈丁花、椿のつぼみ、木瓜、牡丹のつぼみ、ソビエト。
2014年3月24日月曜日
未熟者には毒
私には出すぎた言葉だった。言いすぎた。それでも口にした言葉は戻らない。表してしまったものは永遠にそれを表し続ける。座っているだけで、身体が傾いでいるような後悔である。 「書くことは誰かをつぶすことと心得よ。活字を書くということはそれ以外のものを切り捨てるという意味だ」というのはOY氏の教えである。これまで、OY氏に会うよりもずっと前からその意味は知っているつもりでいた。何度か身につまされもした。でも、言葉は産むものだから、産んだそばからその痛みを忘れてしまう。忘れるからまた産める。誰かの思いを傷つけたいわけではなかったのに、とこういうときは強く思うけれど、私にだって傷つけられたくない思いがあるのだ、ということにはさっき気付いた。でもその表し方がまだ私にはうまくできない。どうしてもできない。いつだって、傷つけることが目的ではないがただでは返したくないし、手を尽くして逃げようとすれば、それはすなわち敗北だ。
午後2時の戦慄
2014年3月22日土曜日
紙吹雪小奏鳴曲
元気だった?と聞かれて、どう見えますか?と聞き返したところ、笑顔がますます内向的だね、どこかに閉じ込められているの?と彼は言った。
雪がやんで、音が大きくなるのがあの芝居の素晴らしいところだ、と何日も経って考える。ロシア文学に精通していなくてもドストエフスキーを読むことはできるし、それは肺のしくみを詳細に理解していなくても酸素を取り込める、ということに似てはいると思うが、取り込んだ酸素について書くときには、やはり肺の組織について書かなければならないだろうか。本当に?
2014年3月18日火曜日
ゆめを見る
今日はインスタントラーメンをたべ、ヨガをして、午前中なのに昼寝をしてから三日漬けおいた鶏ハムを茹で、グラタンを温めなおし、お風呂に二回入り、寝ようとしてねむれず、メールをいくつか書き、バターと粉と砂糖でクッキーを焼いて、もう一度お風呂に入った。 これからマニキュアを塗り直して、クッキーを袋につめてからねむる。窓は全部閉まっているのに、どこかから冷たいすきま風が入ってきているようだ。
散らしてカノン
少し嘘を含めてしまった。本当に求めているのは、お花でもあるけど、私の作ったごはんをおいしいと言ってくれるか、そうでなければ、あなたが何か私のために作ってくれて、それを一緒にたべることである。客観的に見ると、どれも恐ろしいことばかりだ。恐ろしいので秘密にしておこう。
「花は枯れはじめる前に捨てなさい」というのは母の教えである。「男は痛みに弱くて病気に鈍感」とも言っていた。「だから優しくしなさい」と続くのがいかにも私の母らしい。
2014年3月16日日曜日
ガーベラに愛されて
ちゃんとひとりにしてほしい。ひとりじゃないときに、すぐ手を抜いてしまうのをしたくない。でも、結局仕事でも何でも、人と一緒にいる限りはよくもわるくも遠慮してしまって、本当に追いつめられた力が発揮されることはない。それはまわりにとってはどうか知らないが、私にとってはちっともよくない。
2014年3月15日土曜日
こめかみの傷
そういえば、よくけがもするのだった。先ほども、キッチンの洗いかごの中の包丁を取ろうとして人差し指をさくっと切った。ばんそうこうはあれからまだ買っていなかったので(※こちらの日記参照)今度こそもうない、と思ったが、リュックサックの外ポケットにもう一枚入っていた気がしたので見てみたら、あったので助かった。
個人商店とは思えないほど遅くまでやっている近所の魚屋で、鯵の刺身を買った。そのままたべるのも気乗りがしなかったので、寿司を握ってみようと思いながら帰宅したところ、先ほどの人差し指のけがをして握る練習はできなかった。白米を血で汚すわけにはいかないからである。あきらめきれなかったのでとりあえず米に適量の酢を混ぜた。そしてスプーンを駆使して酢飯をこね、鯵の寿司をつくった。寿司というより、丸くした酢飯に鯵を乗せた料理だった。こんなに愚かしい状態で寿司を握る心情を表した演劇がこの世にあるだろうか。でもそういうものに説得力を持たせてくれるのがきっと演出家という人々なのだろう、お願いします、もう私はだめです、と思いながら、夕方から漬けこんでおいたポークジンジャーを半分焼いて、その丸くした酢飯に鯵を乗せた料理をたべた。
2014年3月14日金曜日
サボテンの消失
近所の家が取り壊しをしている。その家の玄関には、びっくりするくらい背の高くて太いサボテンがあって、クリスマスのころなどは手作りのフェルトオーナメントが下げられ、非常に可愛らしかったのだが、彼もとうとう倒されてしまった。初めは、中心くらいの高さでぼっきり折られ、そのまま痛々しい姿を数日さらされたあと、根本から抜かれた。遺体はしばらく崩れかけの玄関の前に横たえられていた。昨日、サボテンを見るために家の前を通ったら、そこはすでにほぼ更地と化していて、サボテンの肉片がわずかに、門だった場所の手前に散らばっているだけだった。この土地に引っ越してきたときの道行きの、最初の目印であったサボテンがしんでしまって、今はとても悲しい。
2014年3月13日木曜日
縫子修行
昨日は、行こうと思ったお店が定休日だったことと、買おうと思ったファンデーションが売り切れていたので、出かけた意味があまりなかった。かわりに、存在だけは知っていた近所のヴィンテージショップを覗き、黒のベロアワンピースを見た瞬間に気に入って、試着もせずに購入した。着られなくても手元にあるだけでいい、と思うくらい美しいワンピースだったし、隣にあったブラウスよりもだいぶ安かったからだ。家に帰って着てみると、肩幅が少し合わないように思われたので肩部分を縫い直した。また着てみると、今度は袖の長さのバランスが悪かったので丈を詰めた。古着を買ったのは人生で二度目だったが、サイズを自分で直したのは初めてだ。ワンピースは黒く光っていて、これを着た私はもう、ただの魔女である。
2014年3月12日水曜日
箱庭療法
早朝に覚醒してしまい、力を持て余すので、ついにお弁当づくりに手を出した。自分でつくり、お昼が来るのを待ち、たべる。お弁当のおかずを「つくる」というよりは箱に「つめる」という作業にやりがいを感じている。続けてみてわかったことは、プチトマトは日本のお弁当文化にあわせて品種改良されてきたに違いないということだった。あざやかな赤をあれくらいの小ささで代替する他の方法は、今の私では半分に切ったピンクのかまぼこしか思いつかない。これからは、ゆかりごはん、焼き鮭、白ごま、パプリカなどの使用にもぜひ精通してきれいな色のお弁当をつくりたい。
だらしない身体の男は嫌い、と告げた。男に限った話ではなく、身体のだらしなさは二の腕のかたちに表れる。ここの空気の流れが重要で、いい男もいい女もともに肩口をすっと抜ける風を感じさせるものだ(しかし、抜けるわりには湿り気を帯びているのが不思議である)。身体と心は連動していることが多い。生活は心に引きずられがちなので難しい。なので、鋭さを潜ませた身体と高潔な心で、だらしない生活をしているのが一番好ましい。
2014年3月10日月曜日
キッチンの女王
続けてトマトを湯剥きし、つぶして種を掻き出した。本当なら包丁で切ってスプーンを使うのがうつくしいが、特に構わなかった。手はトマトでぐちゃぐちゃになり、例によって味見がめんどうなので味付けに難儀したが、トマトソースの出来はなかなかだった。いつだって、うまいものは自分の手を汚して手に入れるのだ。
2014年3月9日日曜日
まないたの上
2014年3月8日土曜日
パーティは終わりだ
「え、いつ」「三年くらい前かねえ」「じゃ、あの人は?」「今は施設に入ってるってよ」「やだねえ、どんどん友達が減っていくのが悲しいよ」「あの人は息子が早くに死んじゃってずっと独りだったからねえ」「何で息子死んだの?」「がんか何かじゃないかねえ」
そこまで聞いて、私は先に待合室を出て靴を履いてしまったので、あとはどうなったか分からない。
あのとき誰かに埋めてほしかったものを、今、別の誰かがどれだけ捧げてくれようとも、だめなものはだめで空白は永遠に埋まらないのだと思う。穴のあいたバケツに水をそそぐような行為だと、わかっていても。
今言うべきではなかったことの断片を口走ってしまったのだが、助産師はその出産を促した。言葉の未熟児を産んでしまったので、腹にいるべつの子はちゃんと大きくなってから産むか、このまま子宮の中で細胞に戻って血になってほしい。
2014年3月6日木曜日
暮らしのドミノ
ひざに抱く
2014年3月5日水曜日
裏街道五十三次
2014年3月3日月曜日
午前5時の停滞
そんな一日の始まりで、朝から夕方まで雨は強くなる一方で、原宿で演劇も観たことだし、恋をしながら長く生きることについてたくさん考えた。この人はきっと女からこういうことを言われてきたに違いない、と思うようなことは、自分はその人のことが好きだと言っているに等しいので悔しい。ずいぶん愛してしまっていることを確認するより、それを忘れるためのセックスがこの世にあるといい。そのときはぜひ、私の想像力より私の身体を愛してほしい。
めがねのふちが黒くてくっきりした男には注意しなければならない。黒いふちは彼が世界から隔てられていることを装う証だが、その枷に負けて、中途半端なフェティシズムに拘泥する人はつまらないし、それを言葉にもできない人はもっといやだ。だいたい、黒いめがねのふちを受け止められるかどうかは、彼の輪郭がすでに物語っているものだし、黒縁に対して分不相応な人のことは、私は居酒屋に置き去りにして21時半くらいに帰る。
2014年3月2日日曜日
国道沿いは雨
ある映像作品を見ながら、気付かないうちに眠っていた。目が覚めたとき、作品はたぶん終わりに近づいていて、予想どおり、それほど時間が経たないうちに終わった。大半を見逃してしまったのだが、心地よく眠れたことがうれしくて、この時間に感謝しながら席を立った。息をしながらまるでコンクリートの壁に溶けてしまったみたいに意識をなくしていて、こんなに気持ちよく目が覚めたことも最近はなかった。早い時間にベッドに入っているのに口内炎がずっと治らないのは、本当には眠っていないからなのかもしれない。
何だって、泣けるうちはどうにか出来るのだ。そのうちわっと泣いてしまうんじゃない、と言われたことを思い出しながら電車に乗っていたけれど、今は泣けない。