軽トラに乗せてもらったのだが、そこに財布を忘れてしまった。黒い折りたたみの、私のではない財布だが、私が持っていたのでそのときは私の財布だったのだろう。私を降ろした軽トラは土手を走り去ってしまったが、途方に暮れていると、折り返して下側の道を戻ってきた。私は土手を駆け降りて、軽トラを運転していた老人に再びドアを開けてもらった。座席を探しても財布はなくて、困って「ないみたいです、すみませんでした」と言うと、老人は睨め付けるような目で「そこにあるよ」と、ダッシュボードを指し示した。「え」と私は言って、黒い財布を見つけた。彼は、私がこれを探していることを知っていて、わざと教えてくれなかったのだ。それに気付いたとき、老人は車の扉をふさぐように立っていて、私は外に出られなくなっていた。老人は扉を閉め、私をさらって走り出した。見知らぬ車に運ばれることがこんなに恐ろしいなんて思わなかった。身体がふるえて何もできなかった。しばらく行くとゲートが見えてきて、収容所に私は収監された。駐車場には私の友達がいて、彼もとらわれてもう戻れないようだった。声をあげて、目が覚めた。日はまだ南を回ってまもない時間で、じっとり汗をかいていたのに、熱はまだ下がっていなかった。
どうも後をつけられている感覚はあった。あるいは、私が入る部屋、眠るふとんに、人外の気持ちの悪い、きらいな存在がいることも気付いていた。理不尽で不気味なその空間から抜け出して、恋仲である男性と落ち合って歩き始めたところ、横断歩道でやけに笑顔の華やかな知らない女性が私に話しかけてきた。男性は明るい表情で、ひさしぶり、と彼女にあいさつをし、私から3センチ離れたので、彼女が彼の元恋人であることが私にはすぐわかった。女も、私と仲良くなろうとするために、にこにこと私を見定めながらクッキーをくれた。くだらない、と思った私は、彼の今の恋人たる雰囲気を出そうと思い「ありがとう」と高貴な女王のように言った。それを受けて女はますます笑顔になったので早くここから去りたいと私は思った。男はすでに勝手に歩いていってしまっていて、そのことにも腹が立った。女は「きれいね」と言って私の頬に右手を触れた。冷たくて不快だったので走って逃げた。左頬の感覚が戻らない。走りながら確かめると、女の右手だけが取れて、私の左頬をつかんだままなのだ。背筋が凍って、先を歩く恋人を呼び止めるために「ねえ」と声をかけたが、彼が私のほうを振り向いてくれたかは定かでない。
ここから先は夢ではなく本当にあったことなのだが、かつて恋人の、ふたまたの恋人に励ましを受けたことがある。たぶん最初は私がふたまたのほうで、あまりに尽くしたので本命に昇格したのだと思う。彼女の存在を私はずっと知っていたがそれはまた別の機会に書くとして、私がしばらく恋人をほったらかして芝居を作っていたことがあったのだ。ずいぶん、ほったらかした。別れてもいいと思っていたが、公演の日に恋人は、ふたまたのほうの女(このとき彼と彼女との関係は切れていたのだが、事情は割愛)を連れて現れた。公演終了後に、女は私を見つけ「がんばってよ!」と優しく私の肩をたたいて帰っていった。そのときも、まったく紹介を受けたり、彼女が名乗ったりしたわけでもないのに、私は彼女が彼の昔からの恋人であることがわかった。彼女の手のひらの温かみは、私がせっかく身を引いたのにあなた何やってるの、と私を諭すようで、嬉しいのと悔しいのと驚いたので、後でひとりで泣いた。顔なんて朧気になって久しいけれど、今も彼女を忘れられない。昔は、同じ男を愛した相手だからだと思っていたけれど、今となっては、愛し抜くことができなかったからこそだと、思ってしまう。
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