つめを切ろうと思って、次の瞬間には切り始めた。つめきりの場所は私のいる場所から見えていたからである。正確に言うと、つめきりが見えたので、つめを切ろうと思ったのだった。ぱちんぱちんという音が小気味よかったので、調子に乗ってすこし深爪した。
私はだいたい毎日料理をするので、自分の身体を自分でつくっている認識がある。人は自分のたべた物で細胞をつくるので、そう思うと、誰かに食事をつくってもらうのは思っている以上に身体の深いところに作用する。料理をしない人はお店でたべる。外食はお金を払うので、食事に対する自律性が保たれる。あなたにはお金と引換えにたべものを調理してもらっているけれど、私の身体は私のものです、という意志が介在する。対価を払わず誰かの食事に身体を許すのは、(細胞が生まれ変わるスピードの)ゆるやかな支配への承諾と見なす。そう思うと、相手が私の持っているスプーンにくちを開けたりするのも、甘美なことだ。
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