2014年12月31日水曜日

答え合せ

一年前の今日は、大泣きに泣いて、出奔を企てる勇気もなく泣き寝入りしたのだった。 年が明けてからすぐ、車で15分のところにある大きな寺に行った。妹が付いてきてくれたので、心はまだ穏やかでいられた。私は今の家に引っ越したばかりで、寺までは少し迷った。お正月の出店では、大きないかの焼いたのを買ったが、私は本当はいかは嫌いなので飲み込むのに吐き出したいほど難儀した。前の年からの憂鬱を引きずって、黙ったまま参拝した私に、おみくじはさらなる絶望を突きつけてきた。生まれて初めて見た「大凶」の文字に私は吃驚して泣き、妹に「100円あげるからもう一回引いてきな」となぐさめられる始末だった。もう人生の扉が全部閉ざされてしまったと思って、とぼとぼと寺の参道を歩いて駐車場まで帰った。途中におだんご屋があって、妹がおしるこを食べたいと言ったので寄った。甘いおしるこを食べながら、これは絶望じゃなくて、挫折というのだろう、と思った。思ったところでその時はどうにもならなかった。

病死した恋と事故死した恋の忘れられなさの違いについて、まだ考えることがある。今触れる人のこと以外信じられないのに、きちんと触れ合うこともできないのが悲しくて、そういう時に私は怒る。


捨ててほしい

よく覚えてもいない夢の気配に心を削られ、身体が硬直して眠れなくなってしまった。誰も私の不安を解消してくれようとはしないし、わかっていて無視する。冷たい冬の明け方、死んでゆく湯たんぽのぬるさに触れて、信じたい人ほど信じられないのが悲しい。仕方がなく起きて別の部屋に移り、どうして自分は、ひとりの人とずっと眠り続けていくことができないんだろうと考えたりする。

もうずっと昔、住んでいた町の隣駅のホーム下で、白骨化した死体が発見された時のことをたまに思い出す。工事のついでに発見されたもので、工事がなかったらいつ見つかったかはわからない。今、私の足の下に死体が埋まっていたとしても、私はそれに気付くことができない。

2014年12月28日日曜日

極東の書店

ヨーロッパの小さい国だとさ、本っていうのはドイツ語とかフランス語を勉強しないと読めないものなんだよね。そこいくとさ、日本の本屋には日本語で読める本がこんなにあるんだって、めまいしちゃうよね、と、俳優Y氏が先日私にこっそり話してくれたことを、夜の本屋で唐突に思い出した。そこは駅の中の、通り過ぎる人波でごった返す量産型の本屋にすぎず、並んでいるものは薄っぺらいビジネスや啓発のたぐい、俗情にまみれたベストセラーばかりで、やっぱりめまいがしたからかもしれない。本当には読まれることなく、ただちらりと見られただけで捨てられる言葉たちのあまりの多さに。

2014年12月27日土曜日

水よりも濃い

ママはパパのこと全然わかってないよ、と妹が母を咎めると、母は「だって血がつながってないんだもの」といつもと同じ言い訳をした。親と子、妻と夫の関係の違いをあらわす上で、惚れ惚れするほど的確な言葉である。

眠ることが楽しくないうえに、何時に寝ても同じ時間に目が覚める。ほとんど眠った気もしない。私が眠るまで起きていてくれる人がそばにほしいけれど、私より遅く眠る男も、先に目覚める男にも縁がない。

2014年12月26日金曜日

冬の犬

久しぶりに部屋から出られなくなってしまったけれど、本当は久しぶりでもなく潜在的に私の中にあった病魔が顔を出しただけなのだ。この一年、解決すべきことは何も進められないまま、ただ眠るベッドを変えながら日々をやり過ごしたに過ぎない。

幸せだった時もあったなあ、と写真を見てさめざめと泣く。できれば幸せなままいたかったし、幸せなままいさせてあげたかった。優しくされたらうれしかったし、できるだけ優しくしたかった。でもそれは全部だめだった。誰しもが大切なものを十個持っていたとして、二番目から十番目までがどんなにぴったり合っていても、一番目を大切にしあうことができなかった以上はだめなのだ。なぜできなかったかと言えば、それはそうするわけにはいかなかったからとしか言いようがなく、その場合の救いはどこにもない。

自分の話はほとんどしない。そうして生きているうちにどうやって話していいかもわからなくなったのでますます気持ちは閉じている。しゃべりたいやつが君のまわりには大勢寄ってくるからね、とM氏は言って、しかし君には踏み込めない影がありすぎるよ、と私に追い討ちをかけた。

2014年12月25日木曜日

愛の間違い

ふと、私は今、あの人をちっとも愛していない、とわかってしまった。本当は愛していて、だからこんなに離れられないのだとずっと信じていたけれど、そうではなかった。帰りに、暗い道でアスファルトを踏みしめながら、あの人にはただ(私が望むように強く)愛してほしかったのだ、という気持ちにじわじわと蝕まれた。愛してほしいと望んでしまうことは、その人を愛していることとは違うと、今更わかってももうどうしようもない。

2014年12月19日金曜日

箱の底

責任をもって向き合わなくてはいけない現実から、少しばかり逃げすぎた。逃げる重要性を思い知った一年でもあったが、逃げたあとのつらさに押しつぶされもした。思い出すからつらいのだ。何かを思い出す時は、それを今まで忘れて生きていたという事実も白々しく胸に迫るからである。

かんたんに書けた言葉などひとつもない一年だった。かんたんに書けない方がいい、と人には言われたが、 停滞は嫌だ。求められた時に求められた言葉も出せなくてどうする。忌々しい。

しかし今も箱の底に、ひとかけらだけ希望が残っていて、その光を消さないように、見失わないように生きることにする。

2014年12月12日金曜日

高い確率

ある人の顔を見ると「ああ、このひとの背中にはほくろがあるな」ということが浮かんだりするのだが、どうしてそう思うかといえば、それはそのひとと寝たことがあるからなのだった。

黙っているのは知られたくないからで、誰にも言えないことがわたしの人生にはこれまでたくさんあったし、これまでそうだったということは、高い確率でこれからもそうだということである。

2014年11月18日火曜日

クックロビン

夫である人を、殺してしまっている夢を見た。私は遺体を隠してどこかへ逃れ、誰にも会わないように息をひそめて暮らしているのだった。夢の中でまた眠りに落ち、自分の隠した死体が腐乱していく様子が見えた気がして目が覚めた、というところで目が覚めて、息が止まるほど恐ろしかった。私は絵を描きながら床に倒れて眠っていて、自分が今どこにいるのかも全くわからなくなってしまい、出来ることなら声を上げて泣きたかったけれども息が詰まってそれはできなかった。私は誰も殺していないということが分からなくなってしまって、そう思っているということはもう既に殺してしまったのかもしれず、取り返しがつかないことをした、という強烈な罪悪感に飲まれそうになりながら、やっとの思いで呼吸を取り戻した。殺していない、殺していない、ということが思い出せるまで、それからずいぶんかかった。

2014年11月15日土曜日

首に手を

好きな人の、昔の日記を、読むのはとても怖いし、気持ち悪い。できれば日記などには近づきたくない。何を食べたとか何時にどこへ行ったとか、手帳に書き留めたメモでも勘弁してほしい。そのことと、私が『痴人の愛』の馬ごっこのシーンが吐き気を催すほど大嫌いであることの、理由は大変近い。疎ましい。いつまで経っても許せない。文字になった以上は、絶対、許せない。部屋にひとりでいると、いろんなことを思い出して(経験していないはずのことまでも)気が狂いそうになる。ひとりの部屋で、私はいろんなものを見つけてしまう。プラチナの指輪、ダイヤのネックレス、女の名前宛の水道料金のはがき、ファンシーな便箋。私は簡単に「狂う」なんて言わないかわり、私が「狂う」と言う時は、本当にそういう時なのだ。

2014年11月12日水曜日

静かな人

今も、あの人が不機嫌に黙るのがいちばん怖くて悲しい。もう側にはいられない、とはっきりわかってしまうくらい。

昔の恋人とよりを戻す夢を見た。よりを戻すも何も、私の時計の針は遥か進んでしまっていて、戻りようもない場所に今流れ着いているのだけれど、とにかく夢ではそうだった。夢の中の私はそのことにすごく戸惑っていて、流されてしまったことにすごく不本意な思いをしていた。

好きだった人のことは、たいがい、もう怖くなってしまっている。

ほんと言うと、すこし考えてた、という彼に、正直びっくりしたし、それ以上に嬉しくて本当は泣きたかった。その場でそうするわけにはいかなかったので、後でこっそり思い出しては、何度か泣いた。

2014年11月6日木曜日

冬の支度

夜中に声をあげて泣く時は、起きればいいのに、という気持ちと、どうせ気付くはずがない、というみじめさの、両方にねじ切られそうになっている。

本当に昔「優しくしてほしいなら、そうしてくれるやつを探せよ」と罵られたことがあるのだが、その時から思っていることは一つだ。「私は、あなたに優しくしてほしかった」。

朝から晩まで家にこもってしまうのは、どうやら月の障り前の憂鬱であるらしかった。毎月毎月、ちゃんと来ればいいと思いながら待つのがとても嫌だ。寒くなってくるとなおさら暗い気持ちは増す。あなたは子どもが出来にくいから、妊娠したら必ず育てること、という占い師の言葉を思い出して、ああ、いつかは本当に子どもを抱いたりしたいな、と思う。

2014年11月5日水曜日

推察

還暦をまわって何年も経つほどの母の従兄が田舎からやってきて、親戚のたくさん集まった挨拶の場で「戦争が始まったら、あちらは田舎ですから、皆さんどうぞ疎開していらしてください」と言ったので、心底ぎょっとした。その場にいた私の従姉は二歳の息子を抱きしめていて、彼の安らかな寝顔に対して、母の従兄の言葉はあまりに不穏だった。酒の席の、しかも終わりの挨拶だったので、私以外の人は少し赤らんだ穏やかな顔で(まるで田舎を懐かしむかのように)聞き流した。

集まりが解散になったあと「これからどうするの」と聞かれ、病院に行く、と言うと相手が少し黙り、その沈黙から、彼女は私が妊娠したのではないかと推察しているのだということがわかった。

2014年11月4日火曜日

目を開けると、隣に居るはずのない人の顔がうっすら見えて愕然とした。しばらく見つめているとその人の顔は元通りのその人の顔になり、私に「おはよう」と言った。

2014年10月26日日曜日

あの人の孫

昔の恋人は、いつの間にか、もうずっと昔の恋人になってしまった。彼が、結婚して子どもを持った夢を見た。夢の中の、架空のFacebook越しにそれがわかるという夢だった。年を重ねて少しふっくらした顔の彼は、子どもを得ていっそう幸せそうに見えた。彼の妻となった女性は、彼と同郷で、私も話には聞いたことのある相手だった。彼女が彼の妻になってくれてとてもよかった、と思ってから、そういう自分の不遜な感想に少しげんなりした。しかし何より、彼の母親がうれしそうに写真に映っていて、私はそれにいちばん安堵した。病気がちだった彼女が、まだ生きて、元気で孫をその手に抱くことができた。彼と別れて数年は彼女にまめに電話もしていたのだ。帰郷していた彼が偶然電話に出て、狼狽したこともあった。だけど、いつしか電話も年賀状も途切れてしまって、彼女が生きているかどうかはもうわからない。もう亡くなってしまったのかも定かでない。まだ生きていたとしても亡くなった後の連絡は私には来ないだろう。そういう後悔と予感を持って思い出す人はあまりいない。だから目が覚めて、今のが夢だったとわかって、本当に悲しかった。

2014年10月24日金曜日

フィールド

小声で歌っていたら「それ、もしかしてドラクエ?」と訊かれたので、そうよ、と答えた。きれぎれに聴こえただけでよくわかったものだと思うが、わかってもらえたらいいなともほんの少し思っていたことに、言われてみて気付いた。

連れられてゴルフをした。練習場では其処彼処で人々が、重たいクラブを振りまわして空気を切り、ボールを打っていた。その速度とエネルギーが恐ろしくて気が散った。「腰から上は動かさないで、腕をこうやって引いて」などと教わったけれど、恐ろしさは消えなかった。せっかく熱心に教えてくれたのに、相手に悪いことをした。私がつまらなそうな顔をしていたせいか、早くに切り上げることになってしまった。振り回される無数のクラブの恐ろしさから逃れられて、ほっとした。

二人で車に乗り、郊外を走る。かよっていた小学校と中学校の前を通って「ああ、こんな狭かったっけな」と言いながら、男は車を走らせ続けた。スマートフォンからは、ドラゴンクエストの旅路を彩る音楽が流れ続けて、子どもの頃に好きだった音楽もかけてみたりして、何もかも失われているのに、まだこんな穏やかな時間を持てるということが本当に悲しくなってしまった。

帰りしなに「女の幸せは夫次第よ」と、女が私に目配せした。そんなことにうなずくわけにはいかなかったけれど、この人はずっとそうやって生きてきたのだと思うと、堆積した時間の蒙昧さに目が眩んだ。

2014年10月19日日曜日

スプートニクの軌道

まだあなたを知らない昔、きっと側をすれ違ったことがある。この人とかつていちばん近くにいたのはいつだろう、と想像する。かつて私とすれ違った中学生の君、高校生のあなた、会社に入ったばかりのあの人、劇場で働いていた彼と、長い年月を経て今こうして出会っていることが何だか楽しい。私はあの頃鬱屈にまみれた子どもで、男と上手く話せない処女で、気ままな旅人で、ひとりぼっちの観客だった。今、あなたと会えてうれしい。だからもっと、近くに来て。

2014年10月16日木曜日

愛すべき娘たち

母と自由が丘のモンブランに行った。私は甘いものがたくさんは食べられないので小さめのタルトを頼み、母はいつもの通りチョコレートサンデーを選んだ。母はアイスクリームが好きだ。祖母もアイスクリームが好きだった。ふたりの好きなものはそれくらいしか分からない。父や祖父の好き嫌いはよくわかる。彼らはいつも、それを表に出すことをはばからなかったからだ。やって来たタルトは予想通り小さかったが、私は気分が乗らずにほとんど食べられなかった。母は生クリームとチョコレートクリームのかかったバニラアイスを嬉しそうに食べてから、私の残したタルトを少しつついた。それから「あなたが女の子を産むのもいいと思うんだけど」とまた言った。「でもあなたに似た女の子だったら、まわりの男の子たちをみんな従えていばったりしそうね」と、従姉の息子である子どもたちの名前を挙げ、「彼らは弱そうだから」と笑った。

母は帰りの電車のホームで「最近、村上春樹の短編集を読んだの」と言った。私もそれは読んでいたので、私は『ドライブ・マイ・カー』とタイトルは忘れたけどもうひとつ好きなのがあった、と言った。母は少し考えてから「『独立器官』?」と訊き返してきた。それだ、どうしてわかったの、と言うと母は「何だかそうだと思ったのよ」と言った。普段忘れて舐めくさっていたけれど、母と私の近しさを、急に突きつけられたようで少し気持ち悪くなった。そういう形では、近しさを思い知らされたくないと、私の遺伝子が気持ち悪がったのだ。

男は出すものがあっていいなあと、セックスの時はたまに考える。じりじり涙をこぼしてしまうのは私に出せるものがないからで、そのくやしさとかせつなさが涙になって頬を伝うのだ。

2014年10月15日水曜日

かんたんな食事

親子丼は、とてもいい。たまねぎはたいてい冷蔵庫に入っているし、卵もたぶんあるし、鶏肉は冷凍がある。何もかもいやになった時の親子丼だのみで、調味料も何も測らずにただ漫然とつくる。今日もそうした。そして、ちっともおいしくできなかった。調子が悪かったのだ。でも全部食べてしまった。丸のみするかのように、がまんして、一気に。

買ってきたドーナツもあった。親子丼を食べたあとに食べようと思った計画を崩したくなくて、なかば無理に詰め込んだら口の中が乾燥してよくなかった。遅くに帰ってきた人の食事もつくるが、おなかがいっぱいなので味見はしたくない。無責任につくっては、出す。後片付けは、明日にする。

2014年10月12日日曜日

婚姻届

今の自分の暮らしが信じがたくて、ときどき呆然としてしまう。ねむる前、真夜中に目をさまして、明け方にふと気付いて、隣に横たわる人の寝息に耳をすましても、もはや何も感じない。

外食しながら、仕事と病院の話を少しした。話題が尽きたので、このあいだ弟に買ってあげた赤い鞄の写真を見せたりもしたが、他には何もしなかった。紅茶を飲み、パンケーキをたべて、安らかな気持ちにはなった。でも、どうしても遠い、と思う。遠いからこそ好きだとも思う。でもその「好き」は、茫漠としてどこへ続くのかわからない。このまま年金と社会保険料と住民税を払うだけの未来を生きるくらいなら、早く死んでしまいたい。そう言ったら彼は、俺は掛け捨ての医療保険にも入っている、と言った。それを聞いたら何だか私も、医療保険にすぐに入らないといけないような気がしてしまった。

婚姻届を出すためには戸籍謄本が必要で、それは本籍地から取り寄せなければならないから、出会ったばかりの二人がすぐには提出できないことをもう私は知っている。結婚に夢を見るのはばかのすることだ。ウエディングドレスを着るのは本当に素敵な体験だが、多くの花嫁は、楽しかったけどもう二度とはやりたくない、と答えるものである。

2014年10月10日金曜日

ブルーフラッグ

夜の中華料理店で食事をしながら、荒唐無稽な小説のあらすじを考えていた。リアリズムとファンタジーの境界を渡るような夜だった。次に寄ったいつものバーでは、アマレットジンジャーをつくってもらって、しずかに二杯、飲みほした。店を出ると雨が降っていて、タクシーに乗りたい気がしたけれど、次の停留所まで歩いておとなしくバスで帰った。

夢に君と、君の娘が出てきたよ、君の娘は17歳だった、と言われて、娘を産みたいとまた少し思った。

2014年10月7日火曜日

傷の救済

「女にありがちなことだけれど」という前置きのあとに「すぐ傷つきたがるよね」と言われて、とてもがっかりしたのを覚えている。女というくくりに私をおさめて発言するような人だったのか、とも思ったし、お前もただの男だったのか、という気にさえなったのだ。

10年近く前、とあるアートプロジェクトへの参加を断念したことがある。当時の恋人が、東京から離れた地方でやるイベントに私が赴くことをかたくなに許さなかったためである。くだらない理由だと思われるかもしれないが、今に至るまで尾を引くほどの強烈な呪縛をかけられ、引きずられた相手だったので、あの時の私にはどうすることもできなかった。私は泣きながら参加をあきらめ、プロジェクトに誘ってくれた友だちのカナコとはその後しばらく合わせる顔がなくて絶縁状態だった。カナコはひとりでそのプロジェクトに参加して、T美大の某パフォーマンスグループFと親密な関係になった。ずいぶん後になってから、私は演劇を見てものを書くことを始め、パフォーマンスグループFの公演にも足を運ぶようになった。そして今、私は10年経って、あの時出会えなかったFのメンバーである女の子に、違う場所で出会うことができた。彼女の稽古場を見て、作品が立ち上がる過程を目の当たりにし、いかに彼女が素敵で飛び抜けていてどこまでも自由か、知ることができた。長く生きて、同じものの側に居続けるとはこういうことなのだ、と噛み締めて、泣いてアートをあきらめたことを後悔しつづけた私も、今やっと救われた思いがしている。

2014年10月3日金曜日

赤い鞄

誕生日の弟に赤い鞄を届けた。夜が更けてから、鞄を持って撮った写真とメールが送られてきて、弟よ、すこやかであれかし、と願った。どうか彼が私より先に死んだりしないでほしい。朝が来てからもう一度写真を見て、寂しくて少し泣いた。

他人に何かを求めることはほとんどない。してほしいこともあまりない。悩んでいることに答えが出ないのか、(自分の未熟さゆえに)出せないだけなのか、どちらかさえ今はわからない。中毒のように紅茶を飲む。

2014年10月1日水曜日

わだかまり

これでは私たち、いつかよくない形で終わるかもしれないなあ、と初めて思った。密かに危機感を抱いている。たたみかけられ、まるめこまれる、という不当な感情ばかりが育ってしまって、糸が切れる日もこのままでは近い。自分の感情が不当であることはわかっているのだ。壊れたものが元に戻らないと思っているからこそ、壊れないように大切に扱うのが私で、それは私が真剣に磨いてきたものなのだが、それすらも甘いなどと言われるのだろうし、何だって口にする前から、今度はこうやって叩かれるということもよくわかっている。でもここを越えないと先には進めない。進めなくてもいい、と私の心が折れる前に、何とか。

2014年9月26日金曜日

隠遁生活

泣いているだけでその理由を読み取ってくれる人の側から離れてはならない。そんな人にはもう会えない。

どこにも公開していない日記がパソコンの奥のほうにあって、ときどき読む。ほぼ性描写だけで構成されていて、何でこんなにも偏執的なものを、と思うが、私の書いた物の中ではおもしろいほうなので、何とか、それとわからないかたちで表に出せないものかと考える。

部屋から一歩も出られない日々がまたやってきていて、すっかり夜になってから、やっと近所に水を買いに行く程度しかできない。

2014年9月24日水曜日

葡萄

机の上を片付けられなくなってくると、混乱が極まるのも近いなと思う。化粧品、紅茶のティーバッグ殻、母校の同窓会会報、本、果物などが、秩序無く散乱している。気分は少し持ち直したが、これは先送りにすぎない。

母は私のどうしようもないさがを薄々見抜いており、ときどき釘を刺してくる。ねえあなた、誰か一緒に暮らしたい相手がいるんじゃないでしょうね。私は答える。そんな面倒くさいこと、私がいまさら処理できるわけないじゃない。母は、それならいいけど、と言ってまたコーヒーを淹れたり紅茶を飲んだりする。親子という機能が成熟し、双方向性を獲得していくにつれて、対話の面倒さは増していくばかりだ。生きることと同じくらい生活することも大切にしてほしい、と母はそのあと私に言って、私をひどく落ち込ませた。そんなことを母に言わせてしまうような自分の暮らしがむなしかった。

2014年9月20日土曜日

飛び込み台

誰と一緒にいても、エアポケットに落ちてはまりこんでしまうような時はあって、つまり今がその時なのである。エアポケットは言葉も何もかも吸い込んでしまうので、何も書けないししゃべれない。しばらく前までは、川沿いを歩いている時にそのままぽーんと飛び込んでしまいそうな衝動と戦っていたのだが、今、またそれに近いものが夜ごとやってくるのを感じている。せっかく治ったと思っていたのに。

きちんと振り返りをおこなわないために、同じことを繰り返す人のことがときどき許せない。彼が誰のため、何のために自分の「正しさ」や「公平さ」を主張しているのかわからない時があって、そういう時は頭の中で楽しい歌をうたって聞き流す。数日前、私が急に不機嫌になってしまったのは、やっぱりとある出来事に今も許せない思いを抱いているからで、そのことが思ったより自分の意識を引きずっていることに気付いたのがショックだったからだ。そういう思いを永遠に(わからない。とりあえず今のところは半永久)私に植えつけておいて、「公平」も何もない、と思ってしまうのだがどうだろうか。

日記に個人的な出来事を書くのはできるかぎり封印したかった。でも、しかたないのだ。これはしかたない。

2014年9月18日木曜日

白い朝

こんな生活がいつまで続けられるだろう、と思う。浅い眠りから覚めて寝付けなくなり、やけになってパズルゲームをやる。分不相応な難しいステージばかりに挑戦するので、すぐに死ぬ。即座にコンティニューする。いつもいつも、次こそは勝てると本気で思っているのだ。でもすぐにまた死んで、絶望的な思いでコンティニューし続ける。空が薄明るくなってきて、こんなことではもう暮らしていけない、とひとしきり泣き、そのまま翌日を迎えてしまう。

2014年9月14日日曜日

複数

女友達には、もうほとんど会うことがない。男のことだけで手一杯であるからだ。私という者は四人くらい居るし、家は三つくらいあるし、名前だって二つもあるのに、それでも間に合わない。そうした、私を取りまく様々からうまく羽ばたけず座礁して、今は西の港町で時間をつぶしている。

おやすみ

人を傷つけたことによって、自分も傷ついたという男を迎えて話を聴いた。「やっぱりぼくは人非人なのかなあ」と言うので、そうじゃないでしょ、人ではないものを大切にしてるんでしょ、と慰めた。「ぼくにだって泣きたい時はあるよ」。そうね、でも泣けないんだから泣かないで生きるより仕方ないわよね、と言って手を握ってあげてから、私はさっさと立ち去った。 慰める時に新しい傷をつけてしまうのは、さがない私の性分なのである。

2014年9月13日土曜日

二階の女

リュカとクラウスが久しぶりに遊びに来た。何飲む?と訊くと、クラウスは「……かき氷」とぼそっと言ったが、夏が終わってかき氷の時期は過ぎていたため、彼の希望を叶えることはできなかった。クラウスには、かき氷のかわりに麦茶をあげた。まだ小さい彼がコップを顔にあてがって一生懸命飲んでいると、ずいぶんコップが大きく見えて何だかおかしい。彼らの遊び場の二階では女優が演劇の稽古をしていて、それを覗き見た双子の友だち(同じく8歳と思われる)は「エロすぎる」と言って、戸惑って退散してきた。何を見たのか知らないが、演劇というものはひそやかで淫靡な側面を持つのだと、彼らが知ってくれたのならとてもいい。

2014年9月11日木曜日

ふたりの食卓

新しい炊飯器で米を炊いた。妊婦は米の炊きあがる匂いに耐えられないというが、妊婦でもない私も蒸気に咽せた。きもちわるいきもちわるい、と思いながら米が炊きあがるのを待っていて、しかし炊きあがったものを見るとやはり口に入れたくなり、あたたかいのを急いですくって食べた。米にあわせてつくった豚と茄子の味噌炒めは大変おいしかったが、ある時点で突然飽きてそれ以上食べられなくなってしまい、皿の上の三分の一ほどをフライパンに戻した。

いつか離れてしまうかも、と思う。離れたくはないのである。でも願えば願うほど、離れてしまう、とますます思う。

2014年9月10日水曜日

雨傘

誕生日に赤い傘をもらった。すぐにでも雨が降ったらいいと思うほどの素敵な傘だったが、残念なことに私は晴れ女なのであった。晴れ女は、ひとたび外に出れば雨を止めるし、屋内に引っ込めばその瞬間を狙って雨を降らせることができる。よって私は、めったに傘を使わない。せっかく、大きくて美しい傘なのにもったいない。もったいないので、しばらくは持って歩く。
 
終点まで行くことは決めていたので、窓の外は見なかった。手元の本に目を落としているうちにどれくらい時間が経ったのかも分からなくなり、今日本のどこにいるのか定かでなくなった。車窓の外には、大きなショッピングセンターや国道、ドライブスルーのマクドナルドが広がっていて、もう少しで自分の居場所を思い出せそうだったけれど、まあどうせ海に行くんだからいいわ、と思っていっさいを考えるのをやめた。

2014年9月9日火曜日

彼も独身

母が車の中から近所の家を指差して「あの家の息子も40過ぎて独身よ。あそこも、あっちも。独身独身独身」などと言い募るので、やめなさい、殊更にそういうことを言うのは、と、たしなめた。「だってそうなんだもん」と、三人の子どもを育て上げた立派な女はくちびるをとがらせた。続けて「わたし、結婚してない相手のこと『パートナー』って呼ぶ人嫌いなのよ。責任逃れみたいで。そういえばね」と、最近会ったらしいいけすかない男について愚痴を言い始めた。

不思議なもので、毎月生理が来ると子どもが欲しいな、と思ったりする。いつかやっぱり私は子どもを産むのではないかな、と今は考えている。

2014年9月2日火曜日

Macbeth

電車の中で、狂った女が英語でぶつぶつ言っているのを聴いた。小さな声で、しかし嬉しそうに女はそれをつぶやきつづけている。何かの韻文のようだ、と思った時に"Fair is foul and foul is fair."と女が言ったので、それがシェイクスピアの『マクベス』の一節だということを理解した。女は滔々と、マクベスに訪れる未来について喋りつづけていた。女が狂っていること自体には何も感じなかったが、こんなにシェイクスピアの言葉にぞっとしたことはなかった。狂った女が未来を予言する台詞を喋るなんてただ恐ろしい、と思った。

2014年8月29日金曜日

私の子ども

ひとつの決断はその次の決断を押し出す。そうやって、次から次へ生きていくほかない。誰もいない部屋で頭をかかえて、時には声を出したりして、いつかまたしなければならない決断のことを考える。それは私の手に余る。

母が「あなたは、子どもといる時が楽しそうだから、子どものいる人生もきっといいんじゃないかしら」と言う。別に、いつ子どもが出来てもおかしくはない。たまたま免れているだけで、本当はもっと真剣に考えなくてはいけないんだろうと思う。子どもが出来たら、全力で受け入れることと全力で責任を取ることをしなければいけないと私は思うが、男たちのほうはあまり気にしていないみたいで、何だか蔑ろにされている気もする。

まっすぐ考えたことを伝えるしかできない。感情に引きずられるな、とか、戦略的にものを見ろ、とか、いろいろ言われるけれども、このままではしばらく押し黙ることになってしまいそうである。そんなのどうだっていい、とか言われそうだけれど。言われてもいない罵倒と頭の中で繰り広げるのが得意すぎて、本当に疲弊してしまう。


2014年8月27日水曜日

悪童たち

リュカとクラウスという双子の子どもがいて、彼らとは、横浜のそばの小さな街でときどき一緒に遊ぶ。今日は久しぶりに二人に会って、路地裏の野良猫を愛でたりした。クラウスが「ねえ、猫がいるよ、きてごらん」と手招きして私を呼びに来たのである。クラウスについていくと、近所の住人に毎日えさをもらっているらしい野良猫が、うつわに入ったキャットフードをちびちび食べているのが見えた。側にはリュカがしゃがんでいた。双子は猫に興味しんしんで、背中を撫でてその骨の硬さに驚いたり、猫がおとなしいのをいいことにしっぽをつまんでみたりしていた。リュカの方が先に飽きてしまったようだが、クラウスはずっと猫の背中を撫でていた。リュカに、クラウスは猫が好きなのかと訊ねると彼はうなずいて、そのままふいっとどこかへ行ってしまった。

しばらくして、リュカはどこからかクラウスの自転車を勝手に持ってきて乗りまわし始めた。自転車かっこいいね、誰の? と訊くと「今盗んできたの」などと嘯くのも可愛い。そんな悪童のリュカが、急に「あっ」と言って左目を押さえたので、びっくりした。どうしたの、と訊くと「虫が目に入った」と言う。リュカの目は大きい。おめめ開けてパチパチしなさい、と私が言うと、彼は不器用にまぶたを瞬かせた。見せてごらん、と言うとこちらに顔を近づけてくる。思わずそのつややかな眼球に見とれてしまったのだけれど、まだ生まれて8年しか経っていないのだと思えばこんなにきれいなものは他にない。

2014年8月22日金曜日

パズルゲーム

目が覚めて、あんまり暗いのでまだ3時ごろかと思っていたら、まだ1時にもなっていなくて絶望した。そのあと、2時と4時と5時に目が覚め、騙し騙し目を閉じ続けるも限界が来て、いつものようにかき氷を喉に流し込むことになるのだった。納得したはずのことも、朝にはおそろしくなっている。自分の両手の輪郭が揺らぐような気がして、思わずまだ眠っている人の顔を見る。こんなに静かに眠っているなら、私がいつ立ち去っても気づかないだろう。こんな朝はパズルゲームをやる。でも、すぐに負けて死ぬ。

2014年8月19日火曜日

眠りの観察

私より先に起きる男はいない。これまで毎朝毎朝、彼らの寝顔を眺めて暮らしてきた。死んだように静かに眠りつづける男もいた。少しいびきをかいているのも。日がすっかり回って夕方になるまで目を覚まさない男も。いつも幾ばくかの苛立ちと諦めをもって、私は彼らを眺めている。

彼は演劇に嫉妬しているの、それはもうすごく、と占星術師は言ったのだった。でも、嫉妬されたところでどうすることもできないし、どうするつもりもない。ただ寺に入った尼のように、これからは書くことだけを一心不乱に行おうと思う。

いちばん好きな家具はソファ。次がテレビ。本棚は別格として。


2014年8月18日月曜日

離宮

占星術師に会いに行った。あまり幸せそうでないらしい、という私の噂を心配して、会わないかと言ってもらったのである。アールグレイを飲みながら、彼女と話した。彼女は私の決断を支持し、背中を押してくれた。「この一、二年は寺に入ったつもりで物を書くといいわ。気学の星回りから言っても、あなたは正しい判断をしたと思う。ご先祖さまが守ってくれてる。次のお彼岸はお墓参りに行きなさいね」

沈黙

向き合って、男は黙っていた。30分、40分と時は過ぎた。私は、彼の言葉を待ちながら昨夜見た夢のことを思い出していた。夢の中で、私はずっと会いたいと思っている友だちにやっと再会して、それでも連絡先を聞き出す前に何だかラーメンを食べることになって、うやむやになってしまったのだった。美河、今でもすごくあなたに会いたい。そんなことを思っていても目の前の男は喋らず、ただ時間ばかりが過ぎて行くことに絶望的な気持ちになって、その日私は帰宅してしまった。男からはあとでメールが来た。私が今大きく動揺し、落ち込んでいるとしたらそのメールのせいかもしれず、しばらくもとの自分には戻ることが難しい。

2014年8月16日土曜日

かき氷

数日前、夢うつつでベランダに出てしまった。睡眠導入剤はすでにじゅうぶん効き始めていて、身体が傾いで倒れそうになるのを感じて必死で部屋の中に戻った。倒れたら、自分では起き上がれないだろう、と予感するような眩暈だった。明け方、いちご味のかき氷を口に含む時は、まだのどに薬の味が残っている。それを身体の奥まで押し込むように、かき氷を食べ続ける。薬を飲んだ夜は夢を見ない。

2014年8月8日金曜日

短めの髪

風邪を引くと、適当なところで治るということがない。いつもこじらせて苦しくなるところまでいってしまう。加減がわからない身体なのだ。何にせよ。

髪というのは不思議なもので、ある瞬間から急に長さが変わって見えたりするものだ。昨日までは短かったのに、今日は少し長く感じられたりする。

ああ子どものころは幸せだった、と言って顔をおおったら、それを聞いていた人が「僕は今のほうが幸せだなあ」と言ったので、え、どっちがいいかなあ、と束の間私も考えた。

2014年7月31日木曜日

夢の傷

無差別に日本刀で斬りつけ合う夢を見た。私は腹に刺し傷を受けたまま電車に乗って、日本刀を置き忘れた。(短い脇差しの方はかばんに入っていたが、長いものを置いてきてしまったのだ)駅に取りに戻ったところ、そこには警察官がいた。私の日本刀を見つけた警察官は鞘を抜き「これ、血がついているね」と訝しんだものの、黙ってそれを返してくれた。街中の誰が襲ってくるかわからず、生きるか死ぬかの状態で常に斬りつけ合わなければならない夢は本当につらかった。

その前の日は空を飛べるようになる夢という、いかにも読み解きが簡単で浅薄なものを見た。今自分のまわりに巻き起こっている渦のことをよく理解できていないためか、夢の世界が今はいちばんドラマティックに思える。

2014年7月28日月曜日

七月になってから

今月は特に抑圧がきびしく、いったい誰によるものなのかもわからないまま、ただ抑えつけられるような日々が続いている。日記を書いてもつまらない短いものしか書けないので、押し黙っていたらこの有様である。

2014年7月24日木曜日

文月小景

詩人と電車に乗った。「わたし"戦う詩人"って言われて、何と戦ってるんですかってよく訊かれるんだけど」と前置きをして、彼女は言った。「そんなの自分と戦ってるに決まってるじゃない!」詩人はひらりと電車をおりて港町に向かった。彼女は涼やかな夏の着物をきて、大きな帽子のつばを風に揺らしていた。

二度続けて、嘔吐の夢を見た。子どものころの弟が、きもちわるいとぐずって吐いたのだった。弟のわがままな甘え方は私の気を大変に引き、私はあわてて小さな彼の背中をさすった。弟が子どものころの夢はたまに見る。そのたびに、いつか可愛い男の子を生みたいなと思ったりする。二度目の夢は昼寝の時だった。吐いたのは私自身だったような気がするが、弟のことに比べて記憶するに値せず、ただ嘔吐の夢だったことしか覚えていない。

2014年7月21日月曜日

マニュアル・トランスミッション

魅惑的な耳を持つ女の子が出てくる小説が昔好きで、その女の子の名前はキキというのだった。「耳がきれいだ」と言われるのがそれ以来の夢で、髪を耳にかける時はいつも、そのことを考えている。

自転車に乗って家を出た。息も絶え絶えに渋谷にたどりつき、宝くじを10枚買ってすぐに帰り道についた。町中は乳母車や歩行者にあふれていて、何度もぶつかりそうになった。一度は避けきれずに転んだ。ブレーキが下手なのだ。急に強くかけるからスリップしてしまう。ゆっくりゆっくりスピードを落としながら、信号が変わるのをどうして待てないのだろう。

低気圧

座っていると、脚が勝手にふるえてしまって、そろそろ限界を感じる。言葉も出てこないし、どこにも行けないし、家は魚くさいし、頭は痛いし、電車は落雷で止まるので、もうがんばるのも馬鹿らしい。

2014年7月18日金曜日

頭上の枷

「君は相当に誤解しているよ」と言って、男は弁解した。そんなことで気が楽になってしまうほどに、私は参っていたらしかった。長い間、張りつめすぎていた。

鏡をのぞくと瞳が暗い。目に見えない枷の存在を感じる。身ひとつで荒野に立ってからが魔法使いの勝負とは言うけれど、今はあきらめが先に立ってしまって何も出来ない。そんな私を見て「君は顔つきが変わったね」と言う人もいるし、母は「なんだか顔が細くなったわね」と言う。選び取るための自由が、今は何より欲しい。閉じ込められて遠慮して、このままでは本当に萎びて死んでしまう。

2014年7月9日水曜日

喉に手を

この人ね、あなたと声が似ているって言われるんですよ、と紹介されて、私は少し声を出すのがためらわれたが、相手の女の子はとても優しく、こんな人に声が似ているなんて言ってもらえて私はなんと幸せだろう、と思った。

自分が聴いている自分の声と、他人が聴いている自分の声が違うことに気づいたのは6歳のころで、それはわりに遅いのではないかと思う。幼稚園の卒園記念にみんなで吹き込んだカセットテープで、自分の声が変なのに気づいて戦き、もう絶対に再生しないでくれと母親に頼んだ。それからもしばらく(20年以上も)私は自分の声が大嫌いで、というよりは、喋り方が嫌いだったのだが、とにかく自分の声を聴くのはなるべく避けてきた。このごろになって自分の話し声を文字起こしする機会も増えたが、それと同時に、自分の声を嫌う自意識が消滅しつつある。以前よりゆっくり話せるようになって、抑揚も穏やかになったせいだろう。感情的になるのはごく限られた場合だが、そういう時は今も相手を不快にさせてしまうから、たいてい後悔するのだけれど。

2014年7月5日土曜日

愚鈍な女

愚鈍な女が赤い電車に乗っていた。愚鈍だと思ったのは、虫が彼女の衿もとを這っているにも関わらず彼女はスマートフォンに夢中で、口と股をひらいて、ぼうっとしている姿を本当にみっともないと感じたからである。角がたってもいい。人の振り見て我が振り直せばいい。あの愚鈍さには我慢ならない。手元のスマートフォンに目を落としているのに、服の上を歩き回る虫になぜ気づかないのか。どうしても理解できなかったし、許せなかった。

書きたいことはいくつかあったはずなのに、記憶が長い時間もたないようで今ここに書くことができない。こうして死んでいったらどうしよう、という気持ちには四か月に一回くらい、なる。

百貨店のエレベータの前で、爺が店員を怒鳴りつけていた。「もう最近の百貨店は何もなくてだめだよ」と言い続けて、店員と私を萎えさせた。そのあと、爺と同じエレベータになってしまったのが最悪で、東南アジア系の乗客が「閉」と「開」を間違えて二度も押してしまったのに爺が腹をたて、大声で怒鳴り散らしたのだった。しかも、爺は私のほうを向いて怒鳴ったのだ。びっくりして何も言えずにいたが、今思えば蹴り出してぶっ飛ばしてやればよかった。でも本当は、百貨店の中で大乱闘になってもいいから私をかばって守ってくれる人があの時そばにいたらよかったのに、と思わずにはいられない。

2014年7月2日水曜日

轟音

近所の家が取り壊される音を一日中聞いていた。午前中から始まった工事は何度か大きな音を立ててハイライトを迎え、夕方には二階部分がすっかり無くなるほどになっていた。

2014年6月29日日曜日

行き止まり

言葉が、唇から生まれもせずにしぼんでゆく。元は確かにあったはずなのだが、今やそれすら怪しい。日常の煩わしい出来事を、身体から切り離せない。そのための日記も機能しない。不安が強くて眠れない。自分の話がちゃんとできない。いつまでこんな日が続くのか、暫定的にこれを絶望と言っても差し支えない。

かなり、瀬戸際に立たされているのだと思う。そういう時には、他人のことはどうでもいい。かかずらっている暇はない。「逃げる場所」のことを思い出したりもするけど、今この瞬間は何の役にも立たないし、相手を許すこともできない。

2014年6月27日金曜日

逃げる場所

言いたいことを心の中に溜めないように、と言われた。でも、いつだって私が喋るより前に、他の誰かが喋り出す。それを聴いている間に、いつも時間切れが来る。私が話を始めても、いつの間にか相手がゆるやかに手綱を取る。言いたいことはあったはずで、自分の話ができないのは機会をつくれない自分のせいだ。黙って相手にうなずいてばかりいるうちに、だんだんうまく喋れなくなってきてしまって、今では誰にも打ち明けることができない話ばかりである。

同じ文脈で、何か感情の「抜ける道」をつくるといいのではないかとも提案されたが、そう思うと私には「逃げ場」がない。 趣味はひとりで出来ることばかりだし、特に他人とおしゃべりしたい欲求もない。素の自分が表にあらわれるのは男の人と寝る時だけだと思うけれども、人に笑って話せるようなセックスはしたことがないし、それは私のひとつの幸福なので改める気もない。

先週は眩暈がひどかった。診察室で女は「それは薬の離脱症状です」と言った。低気圧のせいだけでは説明のつかない不調だったので、彼女がそう言ってくれてよかった。

2014年6月23日月曜日

可愛いマリン

横になったまま、現実の続きのような情景の夢を見た。ねえ、子どもをいつか持つことについてどう思う? と訊ねられて、言葉に詰まった。子どもって、あなたの?誰の? と、くだらないことを聞き返そうとしてしまったけれど、唇がうまく動かなくて喋れなかったので良かった。目が覚めて、やっぱりさっき本当に話しかけられたんじゃないかと思ったけれど、私の白昼夢だった。

2014年6月21日土曜日

リトル・フリーク

なぜ怒ったかと言えばあまりの雑さに美学が感じられず、そんなことで私に隠しおおせると思った人に対しても、ずいぶん甘く見られたわね、と思ったからである。こうやって、許せない女が少しずつ増えて、黙って物を書くのが私の人生だ。喧嘩は男としかしない。本当は白黒つけるのなんてどうでも良いのだけれど、愛が私の後ろに回り込んで両目を塞ぐからいけない。

2014年6月20日金曜日

寝かしつけ

たまに犬がひざに前脚を掛けて眠るので、身体がしびれても動かないでじっと寝かせている。犬が安心して眠ってくれることの方が私には大切だ。犬は私より多く眠るので、私の寝顔を知らない。でも、愛する生き物の寝息を聴き、規則正しく上下する身体をそっと撫でることほど幸せなものがあるだろうかと思う。

2014年6月18日水曜日

座礁

運転する車が何度も座礁する夢を見て、くちびるを噛みながら目を覚ました。車が座礁するってどういうことだ。たぶん、S字クランクから抜け出せなくて苦労したとか、他の車に袋小路に追い込まれたとかだったのだが、自分が運転している時はただ苦しくて苦しくて、くやしさのあまり泣いていた。だからこんなふうに目が腫れるはめになるし、お化粧もさえない。夜中にしたメールの内容は記憶にないし、ことあるごとに醜い嫉妬を発露させてしまう自分に今は耐えられなくて、この世に存在しているべきでないとさえ思う。


2014年6月17日火曜日

血の巡り

自分で思っている以上に私はネガティブであり、観察力があるというよりは記憶力が良く、何となく勘づいたことは外さないという程度には経験を積んでしまっており、まあでもそういうことを超越した別の何かを手に入れる稀少性も知った大人の女であることを恨むか喜ぶかはともかくとして、今は貧血がひどい。自分の骨が身体の中でこすれる音で、耳鳴りがする。

書き直し

疲れているのか暑いせいなのか、歩く速度がやや遅くなり、駅までの道のりにおよそ1.75倍の時間がかかる。貧血と立ちくらみが甚だしく、家の中で昨日転んだ。目の前が真っ白になり、音が一瞬消えたのがわかったのでまずいと思った。空中に投げ出されるように、私は倒れた。

書いたものが全体的にネガティブである、と言われて、はっとした。いかに自分が悲観的に生きて、物事を眺めているか思い知って落ち込んだ。私がときどき表に出す思いきりの良さや潔さに見えるものはただの自棄で、本当は前を向く方法も思いつかないほどに、深く絶望しているのかもしれなかった。

2014年6月13日金曜日

アイスクリーム

薬が効かないので、起き上がってアイスを食べることにする。蛍光灯は目に毒なので、部屋の半分だけつける。白湯を飲む。あまり沸かしすぎないように見張って注ぐ。アイスは少し溶けてからでないとうまくすくえないので、今は待っているところ。

さっきまで、なぜか泣けて泣けて困ってよほど電話でもかけようかと思ったが、頭の中で会話を一通り自分でおこなって、電話を切るところまで終わったので、やめた。ベッドを抜け出してきた今は、なぜさっきあんなに困り果てていたのかを、少し遠くから見ることができる。

カップアイスは好きなのだが、一度にたくさん食べられないので、食べ終わるまでにだいたい四日ほどかかる。今は三日目だが、今回はあと二日ほどかかりそうだ。溶けかけたところを二さじ三さじすくって食べ、それでいつも冷凍庫にしまう。

死んだ夢

「あ、今あの街歩いてた」と、男が言ったので、私も目をあけて「私は今死んだところだった」と呟いた。

2014年6月11日水曜日

Red Hat Linux

赤い帽子のマークは、昔扱っていたオペレーティングシステムについていた印だったので、不思議な符号に胸がきゅっとした。この夏は日傘のかわりに帽子をたくさんかぶるのもいいな、と思う。

その時、あまりにもうれしくて、食べものを口に入れたまま涙が出そうになって、もっと言うとその場から燃え尽きそうになってしまって、息をする様子もおかしく見えたかもしれない。

川上弘美の『ニシノユキヒコの恋と冒険』が私は好きで好きで、それは私がニシノユキヒコ的なる男を好きで好きで仕方ないことと近い話である。でも、そういう男を愛することと、ニシノユキヒコ的なる人生を生きることの、どちらがくるしいのだろう、と思ったら今夜は涙が止まらない。

2014年6月9日月曜日

雪の女王

まったくもって、自分の根の持ち方にはうんざりするが、早起きして無心でサンドイッチをこしらえているうちに、だいたいの表層的なことは氷解していく。問題は何が永久凍土になってしまうかだが、「永久」という言葉の意味がまだ分からずにいるほどには、私もまだ若い。

2014年6月8日日曜日

絞り染め

よっぽど言ってしまいたい言葉があったのだが、今、言うべき時ではないと一生懸命自分を抑えた。本当はそこまで荒ぶった状態でもなく、憑き物が落ちたように静かな気持ちではあったのだが、やはり苦しいものは苦しい。この許せなさからいつか解放されるのだろうか、と思いつつ、まあ、人生のあの時もあの時も、案外するっと抜けたことを思い出し、何とかなるであろうと思う。

年を取ることの良さを、最近しみじ思う。許せることが増えるし、許せないことはその理由が明確になる。でも年を取るのは、ほんの少しつらくもある。若い人にだけ生えている翼が、見えるようになってしまうから。

私が泣いたのは、私の一生懸命さがまったく蔑ろにされたように思ったからだった、と推測される。一生懸命、私は書いたし訊ねたし向き合おうと思ったが、それは私の甘さによってかわされた。自分の思いが尊重されなかった、と思ったのが悲しかったのだ。報われなかったと思って恨んだのとは全然違うので注意してほしいが、果たしてどちらが疎ましい行いかはもっと客観的に見てみなければ分からない。でも、あれだけ考えて行動に移した結果をかわされたのであれば、もうその人は一生そうやって生きていくのだろうし、もしそうだとしたら私の感知出来る範囲ではない。それくらい、強く思わなければこの場に立っては居られない。

2014年6月7日土曜日

死んだら気づく

この頃、中学時代に家庭科の授業で縫ったスカートを履いている。単純なデザインで、柄も子どもっぽいといえば子どもっぽいのだが、三十を回り、顔つきから俗っ気が抜けてきたこともあって、また似合うようになってきたのである。このスカートの布は、13歳の頃に祖母と一緒に蒲田の手芸量販店に買いに行った。祖母が亡くなって久しいが、彼女のことはいつも考えている。祖母が死んだ年の冬、私は処女を失った。だから祖母の知っている私は純潔のままであり、これまで経験したいくつかの男性とのいざこざ、ある種の非行などは全部彼女の死後の出来事であるので、私のおこないによって彼女の心をわずらわせることがなくてよかった。

MN嬢が猫を飼ったので、会いに行った。ベッドの上には小さくて可愛い少女猫が、二匹鎮座していたが、私が行くと戸棚の上にするりとのぼってしまった。花の香りのする紅茶を淹れてもらって、文芸の話をした。「普通の言葉しか使ってないのに、この人が書く文章は特別」っていう人が好き、と強く宣言した。猫は時折、戸棚の上から私たち二人の様子を覗いていた。

アクセル

夏の雨は、木の葉が雨を受ける音がする。一雨ごと、緑が深くなるのがよく見える。薄手のふとんは、雨が降り出す前に洗って干した。家事をして家をハンドリングしてゆくのは、難しいが楽しい。ときどき大掃除するよりも、まめに綺麗にしておくようにしたい。

ドイツの演劇祭のために、20日ものあいだ現地に滞在している人のTwitterなどを読む。演劇が守ってくれている、という言葉がずっしりと来る。私も、守られたい、と思ったが、守られたいと思っている時にはすでに守られているのかもしれないし、もうずっとその加護の下で生きてきたのかもしれない。そしてそれが、私の奥底の強さの秘密であるのかもしれない。私はと言えば、毎日細かい作業と少しの文章を推敲し、時間が来たら食事をつくってたべ、という生活ではあるが、先日「違和感」と「宿命」という言葉を使って、「日常」と「演劇」についてのとある発見をした。直接還元できるかはわからないが、私がその「考え」を持って行動することで、相手にもいい作用が起こるだろう。

ドリフトを決める時にはブレーキングが命、という言葉は普段から肝に銘じているもののひとつだ。忘れるべきではない。

2014年6月4日水曜日

夢うつつ

「終点ですよ」と昼日中から起こされる。あわてて電車を降り、乗り継いだ先の車輌でまた船を漕ぐ。早朝に起きてもやりたい事がなく、やれるほど頭もはっきりしていないまま、三時間ほど記憶をなくしながら家の中を徘徊する。そのわりに、昼間ベッドで眠る事もできない。仕方ないので家を出る。冒頭に戻る。

2014年6月3日火曜日

プライベート・スカイラインⅤ

クローゼットから青い夏用のワンピースが出て来た。昨年、これを着て吉祥寺の特養ホームを訪れた時、大伯父が「君は赤より青が似合うね」と言ってくれたのだった。昨年の晩秋、彼は大きな本棚をふたつ私に残して逝ってしまった。私が引っ越すのにあわせて、まるで私に本棚を贈るかのようなタイミングでの死だった。母がこの前彼の思い出話をしていて「良き理解者の奥様が亡くなってから、結局ずっと孤独だったのでしょうね」としみじみ言った。「でも、人生の最後にあなたが現れて良かったわよね」とも言った。私もそう思う。

2014年6月1日日曜日

はびこる悪

大丈夫だと思っていたのに、また少しぼんやりした頭でSNSに書き込んでしまったようだ。記憶がいっさい無いものもあるし、おぼろげながら覚えているものもあって、例によって早起きしては反省の日記を書く。

今自分が撃破しなければならないものは、これまでと少し次元の違うものになる。舞台上のものを観て「よかったですね」と言うだけではすまない事であり、舞台上に描かれている(あるいはまだ描かれてすらいない)光景が現実として私の前に(生活として)立ちはだかっている以上、私は演劇よりも現実と戦わなければならないし、多くの人はここで現実と妥協して暮らす道を選ぶ事も、この年齢になれば知っている。あえて今強い言葉をいろいろ使ってはいるけれど、それは言葉の力を借りないと立っていられないほど、寂しくて苦しいからである。

2014年5月30日金曜日

薄いガーゼ

元気に見えるとしたら理由は明らかで、あの夜の言葉以外にはありえない。元気というのもおかしな話で、拠り所がある事が分かったから安心した、と言ったほうが適切かもしれない。ピンセットで一枚ずつ剥がしていって、やっと手にしたものでもあるような気がする。すがりもせず拒否する事もなく、生きていられたらいちばんいい。考えるたびに胸が痛む事はまだあるけれど、信じられるという事がこんなにも力になるのは驚異的だ。

そう思っていたら、またしても目の回るような事態に遭遇した。やっぱりここで生きて行くのは難しい。涙は涸れたので今は流れない。

2014年5月28日水曜日

靴をなくす

まったく眠った気がしない。ずっと起きているのではないだろうか。意識が低い位置をふらふら浮遊しながら、時間が経てば眠くなるのを期待してただ横になっている。場合によっては、ほんの少し眠れる事もあるが、鬱屈した夢ばかり見る。外国語で一生懸命話をしなければならなかったり、螺旋階段をたどって気が狂って別人になった母親を探したり、ひどくグロテスクな生き物(一応、人間と思われる)とセックスしたり、靴をなくして途方に暮れたりするので、疲弊する。靴をなくす夢は若い頃によく見た。そういう時は、いつも私だけが見つからない。みんな靴を履いて先に帰ってしまって「ねえ、私の靴がない」と呼びかけても誰も立ち止まらない。

明け方、一度目が覚めると気が散ってもうベッドでは眠れないので、枕を引きずってソファまで行く。ソファは硬いが、薬が残っているので起きて活動する事もままならず、仕方ないので少し目を閉じる。

2014年5月26日月曜日

最初の子ども

明け方、どうも調子が悪いので薬箱をあさったらしい、という記憶がおぼろげにある。いまだに冬の羽毛ふとんを使っているので、重くて暑くて悪い夢を見るのだろうか。子どもが生まれたのだが、私はその子をひとりで育てる事にして、だけど子育ては忙しくて難しくて、彼(子どもは男の子だった)にミルクをあげる事を忘れてしまった。そうしたら子どもはどんどん小さくなって元気がなくなって、今にも死んでしまいそうになったのがもう本当に怖くて怖くて、慌ててミルクを作ってあげたけれど、温度が熱すぎたりするのを冷ますのがうまくいかず手間取って、そのあと子どもが元気になったかは覚えていない。妹や弟が子育てを手伝ってくれたようだったけれど、どちらかと言えば子どもを奪いに来る感じで私を支えてくれるふうではなかった。誰も味方がいない、という気持ちを味わいながら、一生懸命子どもを守った。でも、私は子どもにろくに栄養も与えられない母親で、その無力さたるや、起きて顔を両手で覆ってしばらく立ち上がる事もできない、しかし夢でよかった、と安堵する気持ちもある。そのうち記憶が断片的に甦ってきて、結局子どもを9歳になるまで育てたのだった、彼が(ひとまずは)生きながらえてくれて本当に嬉しかった、という事を思い出した。

君はソラリス

久しぶりに飲もうと誘われたので、太陽くんと銀座に行った。太陽くんは私の職場の同期である。本が好きで、特に森博嗣と舞城王太郎が好きである事を私は知っている。私も太陽くんも、職場に他に友だちはあまりいない(たぶん)。

二人で飲み屋に行ってビールを飲んだ。最近の話をぽつぽつとして、沈黙の時間の方が時には長くなって、でもそれがいやだとは全く思わない。太陽くんはそういう友だちである。「普通の人は戻っておいでって言うだろうけど、僕は、戻りたくない場所には戻らなくていいよって言うよ」と言ってくれた。

彼は、積み重ねて何かが進歩していく事を非常に好む。今は毎日22時から23時、きっかり1時間、オンラインで英会話を勉強しているそうだ。合間にプールにも行く。上達のステップを組み立てて、ゴルフの練習もする。「出来ることなら陽には当たりたくない。窓辺に陽が射しているのを見るのは好きだけれど」と彼は言う。「名前のわりに暗い性格です」というのは、彼の自己紹介の時に用いられる印象的なフレーズだ。「どこか遠出をする事はあるの?」と訊いてみた。「どういう意味?」と訊き返されたので、「決まった行動範囲を逸脱することがあるかっていう事」と補足した。すると、普段は職場と家の往復で、休みの日も昼間はあまり家を出ない、という答えが返ってきた。私はちょっと考えて「じゃあ、7月に京急線に乗りにおいでよ」と誘ってみた。太陽くんはすぐに「行く」と言ってくれたので、夏の楽しみがまた一つ増えた。近いうちに今度は彼の出身大学がある街へ行こうという約束をして、今日は彼と別れた。

2014年5月25日日曜日

くちなし

蚊にくわれてもちっとも腫れない。血液中の成分が足りないのか、人と違うのか、とにかく少し赤くなるだけで終わる。足が生っ白くて目立つので、子どもっぽくて困る。かゆくならないので薬も持っておらず、塗る事もできない。

そういう事はいちばん大事な人に言いなさいよ、と少し怒って、背中を押した。それでたぶん、勇気といくらかの理由づけを手にしたはずなので、彼は新しい一歩を踏み出すだろう。

文房具屋が好きで好きで、前を通るたびに入ってしまう。そして必ず何かを買って、散財する。昔から好きなのは便箋で、おそろいの封筒と一緒にたくさん買い集めている。手紙は好きだが、好きな男に宛てて書くのが好きなだけなので、便箋自体はあまり減らない(そういう場合、すぐに減るのもどうかと思うし) 。というわけで、お気に入りの便箋がいつまでも手元にあるので嬉しい。

2014年5月22日木曜日

立てば芍薬

ぼんやり歩いていて、精液の匂いがする、と思って上を見ると栗の花が咲いていた。誰が言い出したかは知らないが、よく似ていると言われるものではあるので、なるほど、と思った。瞬発的に思い浮かべてしまうくらいだから、やはり似ているのだろう。同じく似ている水道の塩素の匂いよりもずっとセクシュアルなものを感じるのは、栗の花が命あるものだからだろうか。

芍薬の花束を買った。芍薬はよく水を吸う。二回ほど水を足してやって、今日、ぜんぶのつぼみが開いた。大輪の花々を戴いて、花瓶は今にもバランスをくずしそうだ。

2014年5月21日水曜日

夜の旅

一日にあれだけたくさんの海辺に行ったのは初めてだったし、これから先もしばらくないだろう。潮の香りは未知の香り。何もかもまっすぐ受け止めるんだね、と言われて、そうなの、それが苦しいの、と言いたかったし実際言ったかもしれないが、言う事でもっと苦しくなる事も世の中にはあるので、それは深夜に書いた出せない手紙の中にだけとどめておく。書いたら少しわだかまりが解けて眠る気になった。でも横になってもちっとも眠れなくて、友だちにメールしてみたけど返事は来なかった。

今日の昼間は、まぶたを何度も閉じたりひらいたりしながら、窓枠に手をついて、曇った空からさす光とその下に広がる風景を眺めた。そうでない時間は、その風景の事を思い出したりして過ごした。時計を見て、時間の流れがいつもより遅いような気がして驚いたけれど、ひとりで電車に乗ったら途端に時計は急ぎ始めて、普段と同じ速さになってしまったので悲しかった。

2014年5月19日月曜日

17 for good

この頃、眠りの中でのリミッターが外れている。人が血を流す夢がとても多くて、今まで見た事もないような残酷な場面も珍しくない。直接的な性行為の夢も見た記憶がないが、数日前、ついにその禁忌も破られた。追いつめられる時、必ず私は高校二年生である。高校三年生の頃は受験勉強しかしていなかったので、夢を見ようにも戻る場所がないのだろう。まるで人生の始まりが高校二年生だったかのように、あるいは、まるで永遠に高校二年生のように、全てはそこに集まっていく。

普段はあまり思わないが、一週間早いな、と思った。日記に書くような事はあまり起きなかった。人にもそんなに会わなかったし、家でも喋る事はないし、何より薬が効きすぎたので眠りすぎた。

2014年5月14日水曜日

気配

腫れた目は三日かかって元に戻った。まだ少し跡が残る。悔しさとか強烈な嫉妬心とか、感情にもとづく理由をつけるのは容易い。でもそれでは唾を吐かれて終わりだ。考えるのと、話すのと、書くのが同じスピードで出来ればよいが、それならどうして話す事ではなく書く事を選んでいるのだろう。うまく話せないから書くのではなく、いちばんよくできるから書くのを選びたい。そうありたい。

逃げるようにソファで眠ってしまい、明け方までそのままだった。目が覚めて、下着が苦しいので外し、しばらく横になっていたが起き上がって水を飲んだ。シャワーを浴びてからベッドに入り、そのまま昼までねむって、少しパンをたべてから夕方までまたねむった。苦しい夢を見てじっとり汗をかき、何度も目が覚めたけれど起きられなかった。階下では水道工事の音が響いており、隣人が奇声を上げて騒音に抗議していた。このマンションの住人は、どいつもこいつもおかしくて怖気がする。

重いリュックを背負っている時に風にあおられ、環状道路に落っこちそうになった。本当に危なかったのだが、もしここで死んだら、悔やまれて泣いてもらえるどころか何で死んだのかと叱られてしまうだろうから、死ななくてよかったな、と思った。

2014年5月12日月曜日

水流

する事がないので、浴槽の栓を抜いて水が全部流れてしまうまでずっと見ていた。目の形がすっかり変わってしまうまで泣いて、人前に出られないと思いながらも出かけなければならず、頭痛をこらえて歩いた。お願い笑ってみて、と母に言われたけれど、今日は無理、と言って断った。

2014年5月10日土曜日

Re:どうでもいい

寂しくなるとマカロニを茹でる。子どもの頃、母が手を抜いて時々、茹でたマカロニに粉チーズを振っただけのものを昼食に出していた。今さらそんな昔の事を思い出して泣けるほど素直じゃないが、要は、この名もなき食べものの存在を誰も知らない事が大切で、これを食べている時だけ、私は身体にまとわりつく煩わしきものもの全てを引きはがし、何ひとつ経験していなかった(ような)頃の気持ちを取り戻せるのである。咀嚼されてこまかくなり、飲み込まれ、身体に取り込まれるマカロニちゃん。いつか私の身体になって汚れるマカロニちゃん。あの頃は汚れを知らなかったマカロニちゃん。

あの夜は何となく楽しくて、ごはんをたべながら何杯か酒を飲んだ。そこでふと聞かれた質問に対し、どうでもいい事を説明するのに時間をかけてしまって息が詰まった。その瞬間、彼は言った。「まあ、どうでもいいんだけど」。その事に、存外私は傷ついた。傷つくのに、資格なんていらない。

面倒なのと、リビングに行くのが嫌だったので台所に立ったまま、茹で上がったマカロニちゃんをたべた。洗い物もすぐできるし、合理的で素晴らしい。母が見たら、お行儀が悪いからあっちに行ってたべなさいと言うだろう。でも、案外今の彼女だったら、何もかもどうでもいいから私もここでたべるわ、と言うかもしれない。立ち食い蕎麦、立ち飲み屋。共通しているのはすぐにずらかれるという事で、ここには長居しない、という意思表明をその場に入ってきた時からみんな行うことになる。

彼が「どうでもいい」と言い捨てた私の一部は、私にとってもどうでもいい。けれど簡単に処理はできない。それも含めてどうでもいいのだろうけど、つまらない何かをしゃべるのに口を使うくらいなら、私は他のことに使いたい。

マカロニちゃんは単純な味をしている。でもジャンクじゃない。パスタソースも使ってないから、油も少なくてヘルシー。余分なものだらけの人生を振り返る時には、マカロニちゃんにいてほしい。義務、思い込み、同調圧力。がんじがらめの私が自由に行き来できるのは現在と過去の間だけ。 未来なんてどうでもいい。どうでもよくないからそう強がるのだと人は言う。本当だろうか。なんて、冗談だよね、可愛い私のマカロニちゃん。 立ったままたべ終わったら、すぐ片付けて出ていかなくちゃ。

オムライスの上演のために

目覚めたら、物の怪は去っていた。これは近日あれが来る目安かもしれない。

私にはまだやっぱりいろいろ許せない事があって、その人が好きだから許せないとか、普通に毛嫌いしているから許せない人もいるし、よく分からないから許せないという事もある。でも、これが許せるようになったらどれだけ新しい世界が広がるのだろう、と思うし、それを楽しみにしたい。きっと、新しい自由を手に入れる事になると思う。

帰り道、女の子4人で歩きながら、その夜につくってたべたおいしい食事を振り返っていた。ごはんの用意してる時、男の子はみんな写真撮ってたね。それがおもしろかったね、とある女の子は言った。私は、自分でつくった料理は撮らない。誰かが綺麗に盛りつけてしずしずと運んできてくれたものをこっそり自分のカメラに収めるのがうれしいからである。また一緒にごはんたべましょう、と言ってその日はみんなと別れた。誰かがおなかをすかせて待っていて、おいしそう、これたべていい? と言ってくれる限り、私はがんばれる。

透ける時間

ベッドの中で枕が毛布にくるまっていて、そう言えば今日はほとんど午後まで横になっていたのだと思い出した。あの状況からよく、起き上がって電車に乗ったものだ。信じがたい。

ちょっとした歯車の問題で悩むのはよくある。あれがよくなかったか、それともこれか、と思う時は、たいてい最初に思いついたあれが悪い。そういう勘は外さない。でも、その時はそれを防ぐための、小さな注意を払えないのが、私なのだ。重くのしかかって泣けもしないが、こんなに落ち込むのもおかしい。体調が優れないせいにしたい。

私が、何か物事の中心になるのは無理かもしれないな、と今夜思った。人に協力してもらう側から、うまくいかないことに自己嫌悪してしまいそうだ。もしくは、後から後から、嘆いてしまいそうである。でも「自己嫌悪がどこかにない物書きは絶対だめ」と先日TA嬢が力強く言っていたから、それはもう逆に、喜ばしいと思い込んで精進する。もしくは、こんな弱気も何かの発作と思うしかない。

過ごした時間は空気になって身体ににじむという、当たり前のことを感じている。私の肌に透ける時間はあなただけじゃなく、他の人にも見えるのだろう。

2014年5月8日木曜日

PRIDE AND PREJUDICE

ちょうど一年経つな、と思った。時が経つのはいい。終わるべきものは終わり、続くべきものは続く事になるとわかるのが、一年という長さだ。

2014年5月7日水曜日

くだらない

「何がしたいのかわからない」という指摘が、私をなじっているように聴こえた。そう聴こえる耳にも問題があって、何かしら後ろめたいからなじられているように聴こえてしまうのだ。でも、後ろめたい事は悪い事ではなくて、話そうと思っていなかった事を準備もせず話してしまったのがよくない(ただし、彼と話している時はそういう事がまま起こる)。こんな言い訳はただの責任転嫁だが、そう言いながらも「転嫁」の「嫁」って何だろう、とくだらない事が気になる。何で「嫁」って書くんだろう? それがどうでもいいとは今は思えない。まあいいや。みんな私がいつも優しいからって、先に不機嫌になるのは甘えてるって思うけど「優しい」の「優」は「優柔不断」の「優」という意味でもあるから、彼らが不機嫌になるのも仕方ない。

決断を迫ってはだめよ、と数日前私はある人にアドバイスしたばかりだった。「いつでも連絡してこい」というのではなく「今日会える?」と訊かれた方が返事をしやすい。かといって「俺かあいつかどちらかを取れ」と迫るのではなく「どんな事があっても側にいる」と伝える。いささか綺麗事すぎるかな、とも思ったけれど、恋愛相談は持ち込んできた人が元気になればいいのであって、何が起きるかなんてそこから先は誰にもわからない。本当に、わからない。

MN嬢、TA嬢との読書会にて、谷崎潤一郎の『痴人の愛』をテーマに話した。この物語そのものが、男の壮大なるプレイなのかどうか、というところに議論はたどり着いた。自己の輪郭を語りに溶かしながら、男は何を思っていたのだろうか。「何がしたいかわからない」という言葉は、この小説の男と女にも当てはまる。しかし私に言わせれば「何がしたいかわからない」人々は、「したい事」はなくても「したくない事」はあるのだ。小説の男は、女に逃げられたくなかったという一点に尽きる。私はたぶん、誰にも嫌な思いをさせたくないのだと思うが、そういう気持ちが誰かに嫌な思いをさせる事は、10年前から知っているのでもうどうにもならない。

2014年5月6日火曜日

無駄な情

日曜日なのにずっと土曜日だと思っていて、今日は日曜日だという趣旨のメールをしてきた人に、土曜日ですよ、と返し、それを指摘されて、やっと気づいた。これまでにも、日にちの軽い勘違いはあったが、ここまで思い込んで長く気づかなかったのは初めてで、恐ろしさを覚えた。指摘された後も、しばらくわからなくて完全に戸惑ってしまったくらいだ。よく考えたら、土曜日にいつも見ているテレビを見たのは昨日の事で、今朝は日曜日にやっている番組を見たはずなので、確かに日曜日なのだ。薬が少し新しくなってから、記憶がますます混濁して困る。起き抜けに受信したメールには返信できない。妙な事を書いてはまずい、という意識が働いて、読みはするがそのままにしてしまうのである。思い出さずにまた次の薬を飲む時間になるので、忘れられたものは永遠に忘れられてしまう。

世の中には無駄な情が多すぎる、という言葉について、こんこんと湧く泉を胸の中に持っている人ほど自分の情の深さに嫌気がさしたりするものなので、私は大して感銘を受けなかった。

2014年5月4日日曜日

ゆりかごと墓場

とにかくひどく疲弊した。古い慣習や振る舞いを信じて疑わない人というのは今も確かにいる。大多数を占める。私を脅かす。でも、それを乗り越えずに生きるのは不可能だ。それが下地にあるのとないのとでは、私の感じ方も書くものも異なる(良くなる)と信じるしかない。芸術はもともと社会からはみ出たものを扱うようなところがあって、それが救いでもあるし、理解を得られない大きな理由でもある。だけど社会からはみ出るという事を、自分からはみ出た何かと区別出来ていないのはよくない。甘い。ぬるい。

あのへんに長く住もうという人はもういないでしょう。最近は地震も少ないし、ここは内陸だから、海沿いの辺りとも違って安心だ。家と墓を買うには打ってつけですよ、と老人は言った。私は、え、でもそんなこと言ったって、と思いながらどうする事もできずにいたけれど、しばらくしてから老人は、今日は楽しかったですね、今度は海沿いに魚を食べにいきましょう、と私を誘ったので、思わず耳を疑った。

2014年5月3日土曜日

手負いの獣

飲み屋は好きでもあるし、嫌いでもある。秘密を秘密のままにさせてもらえないような、何か喋らされてしまうような事が起きるからだし、人の秘密の心が透けるからでもある。秘密を透けさせない大人ほど、飲み屋の上級者である。この間お会いした紳士は、手駒を何一つ見せないのにこちらの気持ちをするする引き出してしまう技術を使い、澄ましてコップを干していた。彼の前では私のごとき人間は超・若輩者であり、やわらかくしなる彼の言葉に投げ飛ばされ続けるしかなかった。しかし、まったくけがを負わされない本当に巧みな投げ方であり、数日経ってもあれが何だったのか私にはわからないような魔術だった。ちなみに同様の魔術はOY氏なども使うが、OY氏がどちらかといえば黒魔術的なのりなのに対して、かの紳士は完全なる白魔術であり、私をえぐりながらも癒しを残すものだった。

深追いという言葉が好き、と言った私に彼女はその時「でも深追いって、その言葉を使う時にはもうすでにしてしまってる事が多いよね」と言った。同様の言葉に「抜け駆け」があるな、という事には昨日気づいた。

2014年5月2日金曜日

別室にて

毎夜毎夜、人を残して床を出る。眠くなるまで眠らないと決める事にも勇気が要る。冷蔵庫をあけて作業をし、翌朝に備える。端から見たらかなり改善はした。しかし真夜中になると、失望と疲労が募る。まだ2:48だ。日の出までは遠い。

2014年4月30日水曜日

ハーブティーの記憶

元気になると何が変わりますか、と、病院に付いてきた男は訊ねた。顔つきですね、と即座に女が答えると、男は、はあ、と言って黙ったが、そういう曖昧な判断基準に戸惑っているのは明らかだった。あとは疲れて寝込まなくなったり、朝から家の外に出られたりします。女は言葉を続けたが、男は特に何もコメントしなかった。だってあなた、私の顔つきなんてわかりもしなかったくせに。私はすでに顔が変わっていて、もうあなたの知っていた私じゃないよ。私は目を伏せて悲しがろうと思ったけれど、もはやとっくに回路が切れてしまって、悲しくもないのが虚しかった。

夜中にハーブティーを飲んだらしい。らしい、というのは覚えがないのにつぶやきがSNS上に残されていたからで、翌日何気なく履歴をチェックしていてそれに気づいた。記憶のない事に頭を抱えるも、特に害はないのでどうしようもない。入眠直前の朦朧状態には気をつけているけれど、起き抜けの無防備さにはまだ対処出来ていない。

2014年4月29日火曜日

後から思えば

これしたら怒られるだろうな、という予測意識が強い。どれぐらい強いかというと、自分の自由な発想と意思を妨げるほど強い。今日いちばん心震えたのは「そんなに怒ってないよ」という一言で、そうか怒ってないのか、と思って涙が出た。どうも他人の寛容さを信じられない質であり、でもそれは相手にも自分にもよくない事であるな、と思ったらますますみじめで泣けた。

30年目の抽出

生まれて初めてコーヒーを豆から挽いた、という私に対し、男は監視を怠った。蒸らしながら煎れるという概念がなかった私の作業(実際今こうして書いている間も「コーヒーを蒸らす」が何なのか分かっていない)が失敗に終わってしまってからそれを見つけ、100秒ほども文句を言ったので、私は心が折れた。自分で飲んでみなさい、まずいでしょ、と言われて飲んだが私にはコーヒーはどれも同じ味なので大して響かなかった。それを言ったら彼は、大胆なところと繊細にすべきところをわかってないという事だ、と今度は人生観にもまつわる大いなる問題提起をおこない、私をさらに逆撫でした。

肝心な時に繊細さを欠き、不要な冒険心を発揮してしまう事ぐらい自分がいちばん分かっているし、他の人は煎れたコーヒーに文句を言われたぐらいでこんなに打ちひしがれないし、こんな日記に書き付けたりもしない。自分の分の紅茶を飲みながら少し泣いたが、初めは悲しかったから泣いていたのが、だんだん、でもこうやって文句言われながら応戦するのはそれだけで建設的だな、と思って、もっと泣きそうになったので考えないようにした。

3秒後、男は少し不満そうにマグカップを口につけながらも、いつものようにへらっとしていた。もう腹も立たないが、私はと言えば3年先まで今日のこの事を忘れないし、そういう自分と付き合う覚悟も出来ている。ただし3年後は、今より上手にコーヒーを煎れているのは間違いない。

2014年4月28日月曜日

何ひとつ

その時、皮肉に似た言葉をいくつか軽く言えそうだったが、相手があまりに意気消沈しているのでやめた。供養を疎かにしているからこういう時に大ダメージをくらうはめになるのである。でも、思った言葉を口にするのはともかくやめた。今はその時でなかったからだった。眠れぬ夜、数えられるために走り出していく羊の身体を優しく撫でて、眠らせてあげたいと思うのも私なのである。

話し合った後、男はコーヒーカップをテーブルに置いてずっと黙っていた。どうしたの、と訊くと「何ひとつ変えるつもりがないんだという事がわかったからもういい」と言われた。彼の言うとおり、私は自分の何も変えないまま強情に生きているのだろうか。それとも、変わったから彼の基準に適応できなくなったのだろうか。筋を通そうとするからうまくいかないのか、筋を曲げたから軋みが生じているのか、という事と似た話で、わかりあう事はなさそうだ、という事だけがわかった。

2014年4月24日木曜日

逃避行

今君が死んだ夢を見た、とても悲しかった、と言われて、私のかわりに死んだ何かを、私はありがたいと思った。その日私が見た夢は、部屋を二匹の猫に占拠される夢で、他にも恐れる人やものが多く出てきたし、夏物の服の試着もうまくいかず、待ち合わせにも失敗した。起きてから部屋の隅に意味もなく座っていたら、小さな蜘蛛の巣を発見して恐ろしかった。

それが逃避である事は自覚しておきたまえ、と男は言った。「たまえ」などとは言わなかったが、言ってもおかしくないような場面だったので、今はそのように記す。だがしかし、逃避するだけあって、その対象を直視するのがなかなか難しい。でも、逃げた先で書く言葉がきちんと私の歴史を積み上げてくれるならそれもいい。

駆け落ちするなら海辺の街と相場は決まっていて、それは彼らの持つ事情より深く、荒々しいものが海以外にないからである。山の中は鬱屈しすぎており、門前町や城下町は人の気配が濃くて生きられない。

2014年4月22日火曜日

よろめき

覚悟を決めて、仕方がないので、今朝書いた日記をまた公開する。都合の悪いものを、表に出したくないと思っているわりに自分に甘い。ぬるい。だから台所で気持ち悪さに耐えながらえびの殻を剥いた。私はえびの形が虫に見えて怖いので、食べたいとも触りたいとも思わないが、この世にえび好きな男がいる限り、えびの殻は剥かれなければならないのだ。

昨夜薬酔いして送ったメールを読み返す事ができないが、まあ、これまでの失敗よりはましかな、と思って忘れる事にする。今は、一生懸命後悔しないようにしながら、昨日たくさんつくったドーナツをたべて気を紛らわしている。睡眠導入剤はどれも一長一短で困る。困る。

例えば、夫と子どものどちらをいちばんに愛したらいいだろうか、と考えていたら横になっているのもつらくなったので起きることにした。いちばん愛してもいない男の子どもを産みたいとは、どうしても思えない。でも、子どもは私にいちばんの愛を求めるだろうからそれを叶えてあげたい。こんな、まだ起きてもいない、不定数だらけのことを思い悩むなんて、心底疲弊している証拠だ。

次の読書会の課題は『痴人の愛』なのだが、苦しくてどうも読み進めることができない。私の好きな男たちが、ナオミみたいな若い女に誘惑されるところを思うと居ても立ってもいられない。これは嫉妬なのだろうか。誰に、何に対する嫉妬だろうかと考えると、自分が失った若さや可能性、奔放さへの忸怩たる思いが根底に渦巻いているのであった。女同士、憎みあうべきでないと人は言う。それはわかる。他の女にいちいち苛立ちを向けているほど暇ではないが、私は、女でのある私自身への苛立ちをときどき持て余す。多くの場合、それが女同士の敵対関係の正体で、それもわからずに闇雲に生きるよりは、苦しくてもこっちのほうがましだな、ふたつを混同してはならないな、と決意を改める。

2014年4月21日月曜日

ロードノイズ

走る時には音がする。家の中では声を出さない。怖いので薬はたくさん飲めない。昼間にねむるのは幸せだ。甘えたしぐさを見せてくれるのはうれしい。いい芝居を観たあとは大事なものを何か壊す。ただ声を出すのではなく、吸って吐く時に漏れだす声が美しいのだと彼女はいう。

2014年4月18日金曜日

長い指

日々を浮ついて過ごすだけなら、酔っていつも同じことをつぶやいて(変わりたいかどうかはさておき)変われないままで一生を終わるだろう、という気持ちになったので脅迫をおこなった。何度も言っているとおり、私は人のためを思うあまりに辛辣な言葉も厭わない、愛情に満ちた人間である。手を付けかけたものの失敗と言える中断の仕方をしている例の件は、私自身のせいも大きいのだが今に至るまで毎日恨みに思い、同時に反省している。流されて忘れるわけにはいかない。変われないまま年を取るのは、私がもっとも嫌だと思っていることのひとつなので、私はそうなりたくないし、なるべきでないのだ。

11月にアメリカに出かけないかと訊かれたので、行きます、と即答した。演劇のシーズンではあるが、自分にとって大事なルーツがありそうな旅なので、そう答えたのである。出かける先はアメリカであるが、須賀敦子の本を読んだりして心を落ち着けようと思う。

これまで似ているのではないかと思っていたが、深く眠っているのは死んでいる状態とは違う、ということを手を握られて実感した。夢を見ている人は時折指を動かす。私は眠れないまま両手でそれを包んで、ああ、いつになったら私もこんなに深い眠りを味わうことができるだろうと思った。うらやましいことはいつも愛おしい。

2014年4月15日火曜日

Blues

「涙止まらないの?」と夢の中で聞かれて目がさめた。地下に降りて郵便物をあけたり、人といっしょにコーヒーを飲んだり、駐車場まで見送ってもらったりもした夢だった。薄皮のところまで浸透圧を高めて侵入されてきたような夜、いよいよ現実と夢と希望の境がなくなったのがわかったので、起きて今これを書いている。

何人かの人と話をして勇気を得た。しかし、得た、と思っているのはそう思いたいだけで本当はくじかれた、のかもしれず、だから冒頭のような夢を見て、夜とも朝ともつかないこんな時間にこんなものを書くことになるのである。帰宅したときに手探りで鍵を探して押し込んだとき鍵穴からにゅるりとはみ出るものを感じて、これが私を蝕んでいる幻想なのだ、と思ったのだった。

やっぱり私は寂しくて、いつまでも治らない咳のせいで眠れもしないし、かといって咳をしたら隣の部屋から飛んできて背中をさすってくれる人もここにはおらず、忌々しさと虚しさにくれている。まぎれもなく、今日の夜はすばらしい夜だった。私をこんな気持ちにさせるものを、演劇以外にはこの世で知らない。

2014年4月13日日曜日

年上の私の恋人

あとかたもなく定期入れをなくして一週間以上が経った。なくした場所は初音町の路地裏で、大した道幅も人通りもないのに、いっさい出てくる気配がない。定期券自体は、買い替えながらも何度もなくし、そのたびに駅に届けられて戻ってきていた代物なのだが、ついに、その神通力にも終わりが来たようだ。定期入れは、十八の春から12年使った。この春、何かの身代わりになってくれたと思うことにしている。代わりのプラスチック乗車券を買ったのだが、そのままポケットに入れていると翌日に持って出かけるのを忘れる。やはりパスケースが必要だ。まだ愛しているよ、という先代定期入れへの敬意を表して、次はどこか雑貨屋で思いつきでかんたんに買うのがいい。某駅にあるコーヒーショップに併設されている簡素な雑貨のセレクトを比較的信頼しているので、次に行くときに買うつもりだ。 

年上の私の恋人、という歌詞を口ずさみながら、まあでも別に、今、四十や四十五の男と寝たいとは思わないな、と思った。12から15ほど年の離れた男は大変魅力的だけれど、二十くらいのときに、そういう人と付き合って互いに教育しあうのが一番よい。見目よい男の旬は二十三で、基本的に男は三十九が勝負と信じる人生である。

2014年4月11日金曜日

攻防

寝起きの顔は白い。何時に起きてもそう思う。午後の太陽の光のもとなどで見るとなおさらだ。

わかってもらいたいのだなあ、人は。でも、わかってもらえる人がいるだけいいじゃない、と自分の中から声もするのだろう。それは、わかってもらえるようにしたからそうなっているだけなのだ、と更に思うかもしれない。そこを突きつめたくなってしまおうものなら、誰も得をしないループに落ちて終わる。得、というのは何か新しい気持ちや視点を得ることだ。どこかで、愛する、ということに決めなければならないのかもしれない。恋愛は妥協であり、がまんではない。だから妥協をすることについて、私はそこまで否定的ではないが、何かをがまんしているようなことは良くないし、まあ恋愛をしているわけではないのだから時にはがまんも必要かもしれないけれど、冷徹な観察眼の、発揮のしどころ、というのは難しいものなのだ。ただのいじわるな人になるわけにはいかない。誰かのためになりたい、という気持ち(それは辛辣さをも十分に含む)を持っていなければ発揮してはならない能力なのかもしれないし、自分のためにその力を使ってしまうことは、どんなに苦しかろう、と勝手ながら想像する。でも、人としての隙、っていうのはつまり、おもしろみ、のことだから、なるべく背後を取られて追いつめられるべきじゃないし、あなたも、壁際にじりじり追い込んで、いたぶるのを楽しんでいる場合ではない。

上記のような日記を、昨夜の3:22に書いていた。書いた覚えはあるが、あまり美しいものではないので午前中からいったん公開をやめてみた。何を思って書いたのか、誰を思い浮かべながら書いたのか、あまりにも混ざっていてよくわからない。何より、咳き込んで起きて、朦朧とした意識で日記を書いたことが少し後ろめたかった。防御を高めることで攻撃力を上げている、ということは、私のような、生卵の精神の持ち主には憧れる。すなわち、縦からの力には非常に強いが、横からたたくと簡単に割れる。

2014年4月8日火曜日

黒い猫のしるし

夜中にねむるのが怖くていやで、だるさを怺えながら何となく4時を待っていた。ベッドに滑り込んで、だましだまし少し寝た。しかしすぐ起きて、お風呂を溜めて入った。9時前からもう一度ねむり、何かを補修するようにたくさん夢を見た。目が覚めたときはまだ10時にもなっていなかった。

もう取り壊してしまった祖母の家の台所に居た。祖母が出てくる夢を見るときは、この台所であることが多い気がする。祖母は後ろを向いて流し台の中に猿のようにしゃがみ、たわしでそうじをしていた。昔よくしていた、三角巾を頭にまいたスタイルだった。その近くには黒猫が二匹いて、布を身体に無理やり巻いて貼付けられたままぎゃーぎゃー暴れていた。その布に絡まっている様子が痛々しいので、どうしてこんなことになっていて、暴れる猫を放置しているのか祖母に聞いたところ、うるさいのでホチキスで猫の皮膚を留めてやったのだ、という答えが返ってきた。(念のためだが、祖母は私が知るかぎりもっとも心優しく生き抜いた女性で、そんなことをするのはありえない)彼女は相変わらず後ろ向きのまま流し台の中にいて、顔を一度も見せてくれず、それはもう祖母ではない、というのが私にはわかった。暴れる猫たちをなだめ、布を取ってやろうと身体を見ると、ホチキスではなく大量の安全ピンで留められているのだった。暴れてめちゃくちゃに騒いでいる猫二匹に「取ってあげるからじっとして」と言うと、少しだけおとなしくなったので、そのあいだに私は彼らの身体から安全ピンをひとつずつ抜いていった。抜くときが一番痛いことを私は知っていたので、ごめんね、今取ってあげるところだから、と話しかけながら作業を進めた。安全ピンの穴のあいた耳から少し血を流しながら、猫の兄弟(二匹は兄弟だったのだ)は生還した。猫たちは急に「これでわかっただろ」「もう行こうぜ」とやんちゃに言葉を話し始め、即座に立ち去ろうとした。彼らが何をわかったのかは知らないが、私はまだ痛々しい二匹の身体を抱きしめ、引きとめた。それでも彼らはどこかへ行ってしまった。

これは昔見た夢の話だが、黒猫が引き出しの中から侵略をしてきたことがある。夢の中で、私の妹と弟はまだ小さくて、実家で飼っていた犬のことも私は守らないといけなくて、その黒猫の侵略をなんとしても阻止しなければならなかった。実は黒猫というのは仮の姿で、何かとてつもない悪いものが小さな黒猫の姿であらわれているだけ、という凄まじい禍々しさを今でもはっきり覚えている。私は、自分の大切な子たちを守るため、黒猫を木の台に叩きつけて殺した。何度も何度も、蘇らないように叩きつけた。今もその感触は忘れない。私は自分の大切な子のためならこうして何かをためらいなく殺す人間なのだ、ということを、黒猫の夢を見るといつも思い出す。

2014年4月7日月曜日

魔女だって泣きます

時間どおり電車に乗れず、苛立ちと自己嫌悪でホームで泣いている。時間がなくて薬局に必要な薬を取りにいけていないのもよくない。

相変わらず腹が引き攣れるほど咳き込んで、毛布が足りなくて寒かったせいで続けて30分以上眠れず、お花見をすっぽかす夢を見て気まずさに泣き、おのれの体調管理のできなさに泣き、ひとりぼっちの寂しさに泣いた夜だった。世の中の人々は楽しそうで、でもその楽しさって何なのかしら、それがあると本当にいいのかしら、とベッドの中で魔女は世界中を呪っていた。

2014年4月6日日曜日

石に漱ぎ

咳き込んで目が覚めた。涙ながらにうがいをし、むせて、吐き気を催したので少し吐いた。あまりに身体をかがめていたので子宮近くが引き攣れて痛くなった。妊娠したのかも、などと思ったが、脳内でさまざまなシミュレートをする意欲がわかなかった。今書いたことはすべておぼろげなる記憶をたどって書いたもので、何時に何をしたか、細かいことはわからない。お風呂をためて入り直し、もう一度眠って5時に起きたら玉ねぎが炒めてあって、そういえば咳が止まらないのでお風呂がたまるまでの間に炒めたのだった。夢では道にあふれる魚卵を踏み、ドレスをやぶり、梯子をのぼった。

「タフでなければ生きられない。優しくなければ生きている資格がない」というのは、レイモンド・チャンドラーによる探偵フィリップ・マーロウの名台詞である。先日、ふとした流れからこの台詞に話が至り、しみじみと、ハードボイルドに生きたいものだと感じたのだ。"If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive."というのが原文のようだが、私のつたない気持ちをこめて訳するなら「強くなかったら私は生きられない。優しい気持ちでいなければ生きている価値がない」としたい。

2014年4月4日金曜日

エルザは憂鬱

今年は春に風邪を引く。臥せったまま身体の熱が上がり、下がるのを待つ。のども痛んで心細い。今日はお料理は休んだ。かわりに行ったファミレスでは何度も「ようこそ」と言われて辟易した。昼どきに行ったカフェはすばらしかった。フランボワーズのショートケーキとレモンサイダーを出してもらい、優雅に口に運んだ。帰りにはパウンドケーキとマドレーヌ、ガレットを買ってはしゃいだ。

いろいろ考えたことがあったけれど、全部消してしまった。私がやりたいのはそんな分析みたいなことじゃない。今考えていたことは独り言で、つまらない私の未練に似た何かだ。私こそ、どこかに置いてきた気持ちを整理しなければならない。

真摯な言葉が嘘っぽく見えて鼻白むことがある。私の言葉がそうなっていなければいいと思いながら、メールを送信する。いつだって、言い過ぎということはない。必ずかはわからないけど、なるべく味方でいるわよ、というサインを送ることが一番ちからになることもあるはずだ。

自律の反対は他律であり、服従である。玄関の鍵の開く音をベッドの中で聞いて、力の抜ける思いがした。

2014年4月3日木曜日

皿の裏

桜の木の下で死体を踏んだ気がしてぎょっとした。足下には何も無かった。わざわざ桜並木を見に行くのもいいが、遠くから見て、あれも桜だったのか、と気付くのもいい。花見歩きはひとりでしたい。花の下のピクニックは誰かと二人がいい。

港町のカフェに行った。レジャーシートを借りて目を閉じてみたけれど、意識が睡眠の水位から宙高く浮きすぎていて、引き下げることができなかった。芝生でまどろむサラリーマン風の男を見ている通りすがりの少女を見て気付いたことがあったので、遅くなってもやっぱり書かなければという気持ちを新たにできたのはよかった。

皿を100枚ほどとスプーンなどのカトラリーを150本ほど、それに鍋を7つ洗った。皿を前に使っていた人間の顔は知らないけれど、大量の食器にはそれぞれいくらか汚れが残っていた。表立って目には見えない。でも皿の裏だって汚れうるということに思いが至らない人間は、致命的に想像力が欠如していると思う。そんな物騒なことを考えて皿を洗いながら、外を眺めていた。隣ではY嬢がほうきで丁寧に部屋の隅を掃除していて、男たちは外で、とあるイベントのための看板設置をして盛り上がっていた。「男性陣、やる気が出て来たみたいですね」とY嬢が言うので「目に見える派手なことを一生懸命やってくれるのって何だかいいわよ」と言ってみた。換気扇も掃除したかったが、私が皿洗いのために水場を占領してしまっていたので、できなくて申し訳なかった。

2014年4月1日火曜日

眠いだけでは眠れない

家の中では心が死ぬ。ますます記憶が続かない。午前二時に目が覚めて、寝ていられないので洗濯して、ソファで毛布にくるまってみても眠れず、かといって本を読む頭の明晰さもなく、何で生きているのか、どうやって手足を動かしたらいいのかがわからない。試しにベッドに戻って寝てみても、比較的すぐに覚めてまた起きる。今度はおなかがすいたので、小さな小さなオムライスを作ってたべる。午前5時に送ったメールの返信で、これは深夜ですか?早朝ですか?と尋ねられて、答えに窮する。

髪を10cm以上切った。こうして、育ててきた切断可能な自分を捨て去るのである。昨日切ったばかりなので、ショートボブの自分を鏡で見るとまだ少しびっくりする。

2014年3月30日日曜日

インサイド・アウト

幼馴染は言った。「あなたは、とにかく頼って甘えてもらわないとだめな人なんだから」。それは私の現状に対する強烈な指摘であり、私は居たたまれなくなって苦笑した。「だめ」と言われた私の日常はくすんで、何かの烙印を押されたようだった。コーヒーショップに遅れて現れたもうひとりの同級生は、座って幼馴染としゃべる私の姿をじっと見ていて、夜中に「姿勢が良くて素敵だった」というメールをくれた。

私の辛辣さは、攻撃のためではなく、その人の力になるためにある。それに際しては自分の立ち位置を守ったり逃げたりすることが恐ろしく下手になることもあるが、これはもう、むき出しのままで生きるしかないのだ。愛されている人は傲慢である。でも、愛する人の心には気付かないでいてもいい。長年染みついた防衛本能に知らぬ間にあざむかれたり、隠されたり、何かしらの陵辱で返されることがあっても、それも許したい。許したい、というだけで、許せるかはわからない。

2014年3月28日金曜日

バックサイド・フロント

最近、目を覚ますと2:48である。そもそも3時すら回っていないということに大変な絶望を覚える。 2×4=8。横になっている私にとっては無限の恐ろしさだ。3時を過ぎれば、夜も峠をすぎたとせめて言うことができる時間であり、早朝の範疇に含めることができるのに。

朝のうちはお料理も何もかもやめて、本でも読みなさいとわが主治医が言った。たしかに、エネルギーの差し向け方を調整ができないと、困るところまで来ている。制御できなさは日中にも及び、ついに携帯電話を落として背面のガラスを割った。

しかし起き上がるとしゃっくりが止まらなくなった。起きてから、誰からもメールが来ていなかったのでまた少し近所の生け垣のお花のことを考えていた。しゃっくりがいつどうしてかはわからないうちに止まっていた。

2014年3月25日火曜日

アップサイド・ダウン

50時間ぶりに家の外に出たら、ずいぶん花が咲いていた。昨日と今日で花びらが開いたようだ。目当てのお花を見に行くよりは、お花を探して歩きたい。 眺めていると、数分だけ気持ちが明るくなった。やはり閉じこもっているのがいけない。だが、出ることができないときは、出ることができない。思い立ってパン屋まで歩いた。しかし、パン屋は定休日だった。

どうしようもないので、何が一番悲しいのか考えることにして、三日前のとある事件がやっぱり引っかかっているのだと思い至った。あそこから、私の妙な木の芽時が始まって収集がつかなくなっている、気がする。調子のいいはずの時期に、まるでホルモンバランスを崩したような不安定ぶりである。それを認めて、目の周りが落ちくぼむほどにさめざめ泣いて、最後のほうは泣くためだけに泣いて咽んだ。ここを生き抜くしかない、と思ってベッドから出て食事を作った。でもそれとこれとは話が別、と何度もつぶやいて、いろんな後悔が去来するのを感じていたけれど、もう涙は出なかった。

母は、悲しいときはこっそり人の靴を叩きつけたり玄関に投げつけるといいわよ、と物騒なことを言った。そんなことやってたの、と聞いたら可愛らしくうなずいた。そして、挫折や苦労を経た男の優しさは目に見えないから面倒だけれど、まっすぐ育った男というのも考えものよ、と言った。

私の持っている地球儀ではまだソビエト連邦が幅を利かせていて、もう何年前のものかもわからないのに色があせる様子もない。写真はマーガレット、パンジー、沈丁花、椿のつぼみ、木瓜、牡丹のつぼみ、ソビエト。







2014年3月24日月曜日

未熟者には毒

思っているより深刻なのかもしれないし、思っているほど心配することではないのかもしれないが、明らかに、想定した時間よりもねむった時間が少なくて、時計を見てももう驚きもしない。この一週間、どんどん状態が悪化していく。願望と欲望の混濁した夢を見て、疲れ果てて起きてもまだ20分しか経っておらず、昼間でも夜でもそれは変わらない。横になっていられないので、深夜2時過ぎに家の中をうろつき、どうしようもないので少しだけまたベッドに戻っては、春の朝の暗いうちから気休めに家事をするはめになる。家の中は電波圏外なので、人に電話しないですむのがせめてもの救いだが、それは巻き込まれるかもしれない他人にとっての救いであって、私にとっては牢獄のようなものだ。朝、まだ暗いことはわかるが、外が見えないので明るくなっていく様子がわからない。

私には出すぎた言葉だった。言いすぎた。それでも口にした言葉は戻らない。表してしまったものは永遠にそれを表し続ける。座っているだけで、身体が傾いでいるような後悔である。 「書くことは誰かをつぶすことと心得よ。活字を書くということはそれ以外のものを切り捨てるという意味だ」というのはOY氏の教えである。これまで、OY氏に会うよりもずっと前からその意味は知っているつもりでいた。何度か身につまされもした。でも、言葉は産むものだから、産んだそばからその痛みを忘れてしまう。忘れるからまた産める。誰かの思いを傷つけたいわけではなかったのに、とこういうときは強く思うけれど、私にだって傷つけられたくない思いがあるのだ、ということにはさっき気付いた。でもその表し方がまだ私にはうまくできない。どうしてもできない。いつだって、傷つけることが目的ではないがただでは返したくないし、手を尽くして逃げようとすれば、それはすなわち敗北だ。

午後2時の戦慄

軽トラに乗せてもらったのだが、そこに財布を忘れてしまった。黒い折りたたみの、私のではない財布だが、私が持っていたのでそのときは私の財布だったのだろう。私を降ろした軽トラは土手を走り去ってしまったが、途方に暮れていると、折り返して下側の道を戻ってきた。私は土手を駆け降りて、軽トラを運転していた老人に再びドアを開けてもらった。座席を探しても財布はなくて、困って「ないみたいです、すみませんでした」と言うと、老人は睨め付けるような目で「そこにあるよ」と、ダッシュボードを指し示した。「え」と私は言って、黒い財布を見つけた。彼は、私がこれを探していることを知っていて、わざと教えてくれなかったのだ。それに気付いたとき、老人は車の扉をふさぐように立っていて、私は外に出られなくなっていた。老人は扉を閉め、私をさらって走り出した。見知らぬ車に運ばれることがこんなに恐ろしいなんて思わなかった。身体がふるえて何もできなかった。しばらく行くとゲートが見えてきて、収容所に私は収監された。駐車場には私の友達がいて、彼もとらわれてもう戻れないようだった。声をあげて、目が覚めた。日はまだ南を回ってまもない時間で、じっとり汗をかいていたのに、熱はまだ下がっていなかった。

どうも後をつけられている感覚はあった。あるいは、私が入る部屋、眠るふとんに、人外の気持ちの悪い、きらいな存在がいることも気付いていた。理不尽で不気味なその空間から抜け出して、恋仲である男性と落ち合って歩き始めたところ、横断歩道でやけに笑顔の華やかな知らない女性が私に話しかけてきた。男性は明るい表情で、ひさしぶり、と彼女にあいさつをし、私から3センチ離れたので、彼女が彼の元恋人であることが私にはすぐわかった。女も、私と仲良くなろうとするために、にこにこと私を見定めながらクッキーをくれた。くだらない、と思った私は、彼の今の恋人たる雰囲気を出そうと思い「ありがとう」と高貴な女王のように言った。それを受けて女はますます笑顔になったので早くここから去りたいと私は思った。男はすでに勝手に歩いていってしまっていて、そのことにも腹が立った。女は「きれいね」と言って私の頬に右手を触れた。冷たくて不快だったので走って逃げた。左頬の感覚が戻らない。走りながら確かめると、女の右手だけが取れて、私の左頬をつかんだままなのだ。背筋が凍って、先を歩く恋人を呼び止めるために「ねえ」と声をかけたが、彼が私のほうを振り向いてくれたかは定かでない。

ここから先は夢ではなく本当にあったことなのだが、かつて恋人の、ふたまたの恋人に励ましを受けたことがある。たぶん最初は私がふたまたのほうで、あまりに尽くしたので本命に昇格したのだと思う。彼女の存在を私はずっと知っていたがそれはまた別の機会に書くとして、私がしばらく恋人をほったらかして芝居を作っていたことがあったのだ。ずいぶん、ほったらかした。別れてもいいと思っていたが、公演の日に恋人は、ふたまたのほうの女(このとき彼と彼女との関係は切れていたのだが、事情は割愛)を連れて現れた。公演終了後に、女は私を見つけ「がんばってよ!」と優しく私の肩をたたいて帰っていった。そのときも、まったく紹介を受けたり、彼女が名乗ったりしたわけでもないのに、私は彼女が彼の昔からの恋人であることがわかった。彼女の手のひらの温かみは、私がせっかく身を引いたのにあなた何やってるの、と私を諭すようで、嬉しいのと悔しいのと驚いたので、後でひとりで泣いた。顔なんて朧気になって久しいけれど、今も彼女を忘れられない。昔は、同じ男を愛した相手だからだと思っていたけれど、今となっては、愛し抜くことができなかったからこそだと、思ってしまう。

2014年3月22日土曜日

紙吹雪小奏鳴曲

ついには朝8時まで熟睡する夢を見て、ほっとしたのもつかの間、実際の時計は2:48で、およそ一、二時間おきに目を覚ますリズムになっているので、結局は四回ほど起きてしまったところでどうにもならなくなってベッドから出る。しかたないので、今は洗濯機を回している。お料理は、作りすぎて今は余っているので新たに調理するのはためらわれるし、風邪を引いたので食欲がない。こんなときは窓の外を見てはしゃぎたい。空の色がくもっていたって何だってかまわない。朝の光やだんだん傾いて行く午後の日差し、少しずつ部屋が青暗くなって、でも蛍光灯をつけるのは寂しくて迷っているような時間を、ぼうっと眺めていられることの幸せが、今ならよくわかる。

元気だった?と聞かれて、どう見えますか?と聞き返したところ、笑顔がますます内向的だね、どこかに閉じ込められているの?と彼は言った。

雪がやんで、音が大きくなるのがあの芝居の素晴らしいところだ、と何日も経って考える。ロシア文学に精通していなくてもドストエフスキーを読むことはできるし、それは肺のしくみを詳細に理解していなくても酸素を取り込める、ということに似てはいると思うが、取り込んだ酸素について書くときには、やはり肺の組織について書かなければならないだろうか。本当に?

2014年3月18日火曜日

ゆめを見る

朝のことは覚えていない。そういえば、ベッドから降りるときはまだ薬が残っていて足がふらつく。それでも、横になってねむっているよりましなので起きる。メールの返事を書いたり、携帯電話のメッセージの返事を書いたり、朝ごはんを作ってたべたりする。そのことは覚えているのだが、あとになって痕跡を見返すと、自分でない者がやったことのように思える。おかしな内容を書いているわけではない。ただ、脱いだ服を少し離れたソファから眺めているような心地がする。かつて確実に私の一部で、今も少しぬくもりがあるのに、すでに私の一部でない。

今日はインスタントラーメンをたべ、ヨガをして、午前中なのに昼寝をしてから三日漬けおいた鶏ハムを茹で、グラタンを温めなおし、お風呂に二回入り、寝ようとしてねむれず、メールをいくつか書き、バターと粉と砂糖でクッキーを焼いて、もう一度お風呂に入った。 これからマニキュアを塗り直して、クッキーを袋につめてからねむる。窓は全部閉まっているのに、どこかから冷たいすきま風が入ってきているようだ。

散らしてカノン

何の気なしに、ラナンキュラスの花束をもらいたい。一緒にお花屋さんに行って、好きなお花を買ってもらうのも素敵だ。それがいちばんの望みと言ってもいい。

少し嘘を含めてしまった。本当に求めているのは、お花でもあるけど、私の作ったごはんをおいしいと言ってくれるか、そうでなければ、あなたが何か私のために作ってくれて、それを一緒にたべることである。客観的に見ると、どれも恐ろしいことばかりだ。恐ろしいので秘密にしておこう。

「花は枯れはじめる前に捨てなさい」というのは母の教えである。「男は痛みに弱くて病気に鈍感」とも言っていた。「だから優しくしなさい」と続くのがいかにも私の母らしい。

2014年3月16日日曜日

ガーベラに愛されて

「あなたは結婚を四度すべし」と彼女は説いた。何度もして、一度の結婚を軽くするのがよいのでは、とそれこそ些か軽率に、彼女は言った。確かに、二度くらいは結婚する人生ではないか、と薄々思っていた。その考えに風穴をあけられたようで何となくまだ信じられない。

 ちゃんとひとりにしてほしい。ひとりじゃないときに、すぐ手を抜いてしまうのをしたくない。でも、結局仕事でも何でも、人と一緒にいる限りはよくもわるくも遠慮してしまって、本当に追いつめられた力が発揮されることはない。それはまわりにとってはどうか知らないが、私にとってはちっともよくない。

2014年3月15日土曜日

こめかみの傷

靴をはき、立ち上がるときにドアノブに頭をしたたかに打ちつけた。目から星が出る、とはよく言ったもので、そのままうずくまってひとりで騒ぎまくり、髪をかき乱して痛さに耽った。痛いことよりも、そこにあるとわかっているドアノブに頭を打つような、自分の空間認識の甘さへの苛立ちと悲しみが渦巻いた。だいたい私は、机の下に落としたものを拾って立ち上がるときに机の天板に頭を打ったり、観音開きの食器棚にものをしまって閉めるときに扉で頭を打ったり、冷蔵庫と冷凍庫の扉を間違えて勢いよく開けて頭を打ったりする。車の駐車も下手だし、さっきも手の甲をみずから洗濯機に叩き付けてあざを作ったし、自分で口の中を噛むので口内炎は治るそばから出来てゆく。

そういえば、よくけがもするのだった。先ほども、キッチンの洗いかごの中の包丁を取ろうとして人差し指をさくっと切った。ばんそうこうはあれからまだ買っていなかったので(※こちらの日記参照)今度こそもうない、と思ったが、リュックサックの外ポケットにもう一枚入っていた気がしたので見てみたら、あったので助かった。

個人商店とは思えないほど遅くまでやっている近所の魚屋で、鯵の刺身を買った。そのままたべるのも気乗りがしなかったので、寿司を握ってみようと思いながら帰宅したところ、先ほどの人差し指のけがをして握る練習はできなかった。白米を血で汚すわけにはいかないからである。あきらめきれなかったのでとりあえず米に適量の酢を混ぜた。そしてスプーンを駆使して酢飯をこね、鯵の寿司をつくった。寿司というより、丸くした酢飯に鯵を乗せた料理だった。こんなに愚かしい状態で寿司を握る心情を表した演劇がこの世にあるだろうか。でもそういうものに説得力を持たせてくれるのがきっと演出家という人々なのだろう、お願いします、もう私はだめです、と思いながら、夕方から漬けこんでおいたポークジンジャーを半分焼いて、その丸くした酢飯に鯵を乗せた料理をたべた。

2014年3月14日金曜日

サボテンの消失

あまりに私が落ち込んでいたので、母が古い指輪を持ってきた。返さないつもりで借りてはめた。この年齢になると、古い指輪も違和感なく肌になじむ。母は私を、自分の祖母に似ているという。理由を尋ねると、怪我を処置してくれるとき「痛い」と言っても無視してやめないところとか、どくだみ茶を飲んだりしているところ、と言われた。ちなみに母には表立って言ってはいないが、稀に煙草を吸うことがあるのも曾祖母(=母の祖母)と私の共通点である。隔世で、会ったこともない人に強く似て生まれることはきっとあって、でもそのことを知っている人はもうこの世に誰もいないのだ。

近所の家が取り壊しをしている。その家の玄関には、びっくりするくらい背の高くて太いサボテンがあって、クリスマスのころなどは手作りのフェルトオーナメントが下げられ、非常に可愛らしかったのだが、彼もとうとう倒されてしまった。初めは、中心くらいの高さでぼっきり折られ、そのまま痛々しい姿を数日さらされたあと、根本から抜かれた。遺体はしばらく崩れかけの玄関の前に横たえられていた。昨日、サボテンを見るために家の前を通ったら、そこはすでにほぼ更地と化していて、サボテンの肉片がわずかに、門だった場所の手前に散らばっているだけだった。この土地に引っ越してきたときの道行きの、最初の目印であったサボテンがしんでしまって、今はとても悲しい。

2014年3月13日木曜日

縫子修行

朝の静寂の中、カレーづくりをおこなった。タマネギを念入りに炒め、具は牛肉を用い、トマトを湯むきしてつぶし、にんじんは丁寧にすりおろして溶かした。なんと、スパイスと蜂蜜でコクと深みを出す時間の余裕まであった。つくることに一生懸命で、特にたべようとは思っていなかったので、まだ味は見ていない。

昨日は、行こうと思ったお店が定休日だったことと、買おうと思ったファンデーションが売り切れていたので、出かけた意味があまりなかった。かわりに、存在だけは知っていた近所のヴィンテージショップを覗き、黒のベロアワンピースを見た瞬間に気に入って、試着もせずに購入した。着られなくても手元にあるだけでいい、と思うくらい美しいワンピースだったし、隣にあったブラウスよりもだいぶ安かったからだ。家に帰って着てみると、肩幅が少し合わないように思われたので肩部分を縫い直した。また着てみると、今度は袖の長さのバランスが悪かったので丈を詰めた。古着を買ったのは人生で二度目だったが、サイズを自分で直したのは初めてだ。ワンピースは黒く光っていて、これを着た私はもう、ただの魔女である。

2014年3月12日水曜日

箱庭療法

早朝に覚醒してしまい、力を持て余すので、ついにお弁当づくりに手を出した。自分でつくり、お昼が来るのを待ち、たべる。お弁当のおかずを「つくる」というよりは箱に「つめる」という作業にやりがいを感じている。続けてみてわかったことは、プチトマトは日本のお弁当文化にあわせて品種改良されてきたに違いないということだった。あざやかな赤をあれくらいの小ささで代替する他の方法は、今の私では半分に切ったピンクのかまぼこしか思いつかない。これからは、ゆかりごはん、焼き鮭、白ごま、パプリカなどの使用にもぜひ精通してきれいな色のお弁当をつくりたい。

だらしない身体の男は嫌い、と告げた。男に限った話ではなく、身体のだらしなさは二の腕のかたちに表れる。ここの空気の流れが重要で、いい男もいい女もともに肩口をすっと抜ける風を感じさせるものだ(しかし、抜けるわりには湿り気を帯びているのが不思議である)。身体と心は連動していることが多い。生活は心に引きずられがちなので難しい。なので、鋭さを潜ませた身体と高潔な心で、だらしない生活をしているのが一番好ましい。

2014年3月10日月曜日

キッチンの女王

オムレツの練習をするために冷蔵庫から出した卵を、扉を閉めた拍子に床にほうってしまった。ぺちゃ、という間抜けな音がした。手の中にはひとつ卵が残っていたので、だめにしてしまったほうの卵を片付けてから丁寧に割って泡立て、バターで焼いた。やはり卵がひとつでは厚みが不十分だったが、焼き色は今までで最高だった。

一日中手先はおぼつかず、包丁で左手の薬指の端を切った。にんじんの色と見間違えるより先に、まないたに付いたのが血だと気づいて、しまったと思った。絆創膏が戸棚にない気がしたので、一昨日使っていたカバンの内ポケットから、しなびたのを見つけ出して貼った。私は使ったものを定位置に戻さないかわり、どこに何があったかは一瞥して忘れないのである。

続けてトマトを湯剥きし、つぶして種を掻き出した。本当なら包丁で切ってスプーンを使うのがうつくしいが、特に構わなかった。手はトマトでぐちゃぐちゃになり、例によって味見がめんどうなので味付けに難儀したが、トマトソースの出来はなかなかだった。いつだって、うまいものは自分の手を汚して手に入れるのだ。

2014年3月9日日曜日

まないたの上

つめを切ろうと思って、次の瞬間には切り始めた。つめきりの場所は私のいる場所から見えていたからである。正確に言うと、つめきりが見えたので、つめを切ろうと思ったのだった。ぱちんぱちんという音が小気味よかったので、調子に乗ってすこし深爪した。

私はだいたい毎日料理をするので、自分の身体を自分でつくっている認識がある。人は自分のたべた物で細胞をつくるので、そう思うと、誰かに食事をつくってもらうのは思っている以上に身体の深いところに作用する。料理をしない人はお店でたべる。外食はお金を払うので、食事に対する自律性が保たれる。あなたにはお金と引換えにたべものを調理してもらっているけれど、私の身体は私のものです、という意志が介在する。対価を払わず誰かの食事に身体を許すのは、(細胞が生まれ変わるスピードの)ゆるやかな支配への承諾と見なす。そう思うと、相手が私の持っているスプーンにくちを開けたりするのも、甘美なことだ。

2014年3月8日土曜日

パーティは終わりだ

待合室には老婆が二人いた。彼女たちはご近所の仲間同士らしく、ぺちゃくちゃとおしゃべりしていた。今上天皇が生まれたときに日本中で歌われた奉祝歌と提灯行列の思い出を語っていたので、聞き耳を立てた。その奉祝歌は北原白秋が作詞をしたもので、私は、亡くなった祖母が最期の病床で(なぜか)歌ってみせてくれたので、知っていた。本当に、あの世代の人々にはなじんだ歌だったのだ、という事実があらためて立ち上がってきてひそかに感動した。老婆たちはそのあとも、共通の知り合いのうわさ話や家庭事情などをあれこれ話し合っていた。しかし「彼はどうしたかねえ」と一人が言うと「あら、あの人は死んじゃったよぉ」などともう片方がのんびり返答するのには面くらった。
「え、いつ」「三年くらい前かねえ」「じゃ、あの人は?」「今は施設に入ってるってよ」「やだねえ、どんどん友達が減っていくのが悲しいよ」「あの人は息子が早くに死んじゃってずっと独りだったからねえ」「何で息子死んだの?」「がんか何かじゃないかねえ」
そこまで聞いて、私は先に待合室を出て靴を履いてしまったので、あとはどうなったか分からない。

あのとき誰かに埋めてほしかったものを、今、別の誰かがどれだけ捧げてくれようとも、だめなものはだめで空白は永遠に埋まらないのだと思う。穴のあいたバケツに水をそそぐような行為だと、わかっていても。

今言うべきではなかったことの断片を口走ってしまったのだが、助産師はその出産を促した。言葉の未熟児を産んでしまったので、腹にいるべつの子はちゃんと大きくなってから産むか、このまま子宮の中で細胞に戻って血になってほしい。

2014年3月6日木曜日

暮らしのドミノ

ねむるか、ピザを頼むかしか思いつかなかったので、昨日郵便受けに入っていたチラシの電話番号にかけてピザの宅配を頼んでみた。電話でピザを頼んだのは5年ぶりほどになる。最近はひとりでラーメンもたべたし、銭湯にも行ったし、行動力がついてなかなか広がりのある暮らしをしているのではないかと思う。私は寿司屋や居酒屋で注文するのがなかなかできなくて、いつも隣の人に耳打ちして「かんぱちを下さい」などと言ってもらっているので、たべたいものを人に伝えるだけで、一大決心が必要なのだ。ピザは、それから45分ほどしてからやってきた。1000円引きのクーポンを渡してお兄さんに代金を支払った。ピザ代というよりは、圧倒的に、原付の燃料代なのだろうな、と思った。

私は根拠のない即決をすることがたまにあって、それは前述の居酒屋でのしめの注文で「焼うどんと焼きそばどっちにしよう?」と聞かれたときに、どちらも同じくらい好きでどちらでもいいのだけど「焼うどん」と即答する、くらいの判断なのだけれど、そのことが日常に小さな決壊をもたらすことを狙っているので、そうするのである。論理立てるのでなく、好みによるのでもなく、ただ「決める」瞬間に何かが綻ぶ気がするのがうれしいのだ。服も家電も即決に次ぐ即決だし、本当は借りる部屋さえそれでもいいと思っている。

女がひとりでピザを頼んで食べる演劇とかありそうだな、と、トマトピザを咀嚼しながら考えた。食事時でもないのに、いったい私は何をたべているのだろう、と思った。でも、何らかの孤独や悲しみの描写に宅配ピザを使うなんていうのは古今東西しぬほどいろんな人が考えてきただろうし、あるいは陳腐すぎて考えもしないくらいの話で、そういう陳腐さにささやかな抵抗をするために私は思いつきでピザを頼んだり、この日記を書いたりしている。冗談ではない。私のくだらない、5年に一度程度の行動力など、底抜けに食いやぶる演劇が観たい。そういう、リアリティよりも説得力のある言葉と身体があるということを、私は知ってしまっているのだから。 

ひざに抱く

犬の頭を不意に撫でると、ときどきびっくりしたように目を閉じ、そのあと安心してまた息を始める。人の手が毛を、肌をすべるのがここちよいのだろう。目を閉じているので私の表情はわからないはずだが、私も安らかな気持ちと、あまりにも安らかなので不安になる気持ちの狭間で、少しだけ笑っている。このまま眠ってもいいのに、と思うのだが、どうも途中で起き上がってどこかへ行ってしまうのが寂しい。まれに寝息をたてることもあって、そういうときはいっそう優しい気持ちをこめて撫で続ける。強く抱きしめてしまって、起こさないようにするのがとても難しい。

2014年3月5日水曜日

裏街道五十三次

一泊する勇気はまだ出なかった。三年かそこら前に、修学旅行と銘打ったひとり旅があり、そのときの経験を塗り替えるだけの自信がまだ持てなかった。あれ以上のものを得るためでなければ、京都で夜は明かせない。あのときと私はもうずいぶん違っていて、好きだった人のことも今はそんなに好きじゃなくなってしまって、というか会わなくなってしまってどこに住んでるのかも何となくしか知らない。知らない町で日が暮れていくのが不安、と昨日は思ったけれど、京都のことは別に知らないわけじゃなくて、でも行きずりの、それでいて永遠の憧れのような気持ちの結晶が喉元を刺すのだ。行ったことのないところに行きたくて、京都タワーの下の浴場に行った。どんな場所でも、服を脱ぐ前と後では町との距離が少し変わる。道中は、往復ともに死んだように眠った。どうかしてる、と思うような眠気だった。死んでいる間に、西へ東への移動が完了した。

私のこのごろの夢は自家製ケチャップを作ることである。私は実をつけないお花がとても好きなのだが、なぜか今はトマトを育てたい、と強く思っている。

2014年3月3日月曜日

午前5時の停滞

明け方、携帯電話を触っていたら壁とベッドの隙間に落としてしまった。床に携帯電話が叩きつけられた音がして、面倒なことになった、と思った。手を差し入れてみたが、到底届かなかったうえに、どこに落ちているかもわからない状態だった。つりそうになるまで、ちからの限り手を伸ばしてみたがそれでも掴めなかった。仕方ないのでごそごそ起き上がりマットレスを動かしたところ、落ちている場所は確認できたが、絶対に自分のちからでは拾えない場所だということがわかっただけだった。すぐ拾えるところには、いつから落ちていたのかもわからないホッカイロの死骸があって、そのだらしない光景に絶望した。ホッカイロの死骸はこの冬に触ったもののうちで、もっとも虚しい冷たさだった。それから二秒考えて、柄の長いクイックルワイパー(床用)を洗面所から持ってきた。いつもは冷蔵庫の横にあるのだが、昨日冷蔵庫の横から洗面所まですいすい掃除してそのまま洗面台の横に放置したのだ。寝室の床に這いつくばり、クイックルワイパーの柄をベッドの下に差し入れ、携帯電話を引っ掛けてたぐり寄せた。うまくいって「よし」と思ったけれど、所詮クイックルワイパーでベッドの下を探るみにくい姿をさらしていることがその喜びを押しとどめた。何より時刻は午前五時であり、そんな時間にこんなことをするはめになった自分にうんざりしていた。クイックルワイパーはそのままベッドの下に放置した。私の部屋が散らかっているのは、ものを定位置に戻さないせいだ、と人に指摘されたことは今思い出した。

そんな一日の始まりで、朝から夕方まで雨は強くなる一方で、原宿で演劇も観たことだし、恋をしながら長く生きることについてたくさん考えた。この人はきっと女からこういうことを言われてきたに違いない、と思うようなことは、自分はその人のことが好きだと言っているに等しいので悔しい。ずいぶん愛してしまっていることを確認するより、それを忘れるためのセックスがこの世にあるといい。そのときはぜひ、私の想像力より私の身体を愛してほしい。

めがねのふちが黒くてくっきりした男には注意しなければならない。黒いふちは彼が世界から隔てられていることを装う証だが、その枷に負けて、中途半端なフェティシズムに拘泥する人はつまらないし、それを言葉にもできない人はもっといやだ。だいたい、黒いめがねのふちを受け止められるかどうかは、彼の輪郭がすでに物語っているものだし、黒縁に対して分不相応な人のことは、私は居酒屋に置き去りにして21時半くらいに帰る。

2014年3月2日日曜日

国道沿いは雨

ある映像作品を見ながら、気付かないうちに眠っていた。目が覚めたとき、作品はたぶん終わりに近づいていて、予想どおり、それほど時間が経たないうちに終わった。大半を見逃してしまったのだが、心地よく眠れたことがうれしくて、この時間に感謝しながら席を立った。息をしながらまるでコンクリートの壁に溶けてしまったみたいに意識をなくしていて、こんなに気持ちよく目が覚めたことも最近はなかった。早い時間にベッドに入っているのに口内炎がずっと治らないのは、本当には眠っていないからなのかもしれない。

何だって、泣けるうちはどうにか出来るのだ。そのうちわっと泣いてしまうんじゃない、と言われたことを思い出しながら電車に乗っていたけれど、今は泣けない。

2014年2月28日金曜日

真夜中の空白

「ああ、そういうことよくありますよ」と女は言った。「一番多いのが、夜中知らない間に何かたべちゃうことですね」と言うので、それはしてないと思います、と答えた。薬が一種類増えた。これだけ医療費を使っているのは今に始まったことではないが、仕事で身体を壊しているのに、仕事で稼いだお金で病院に行くのを悲しく思うことは今もよくある。初めは顔を見るのも嫌だった女のことも、こうなると唯一の味方に思えるものだ。

何日かおきに、料理を失敗してしまう。見た目も気に入らない。今日は塩を入れるのを忘れた。決してたべられないような代物を作っているわけではなく、どちらかと言えば料理は得意なはずなのだが、何となく弛緩しているのだろうと思う。何かが足りない、空洞のような味がする。まあ、今日の場合は塩が足りないので当たり前なのだが、そういうものに限ってたくさん作ってしまって、どうにもならない。おいしい、と言ってくれる人がどれだけありがたくて愛おしいものかよくわかるが、たべてくれる人がいたとしても皆がそう言ってくれるわけではないのだし、ほとんど言ってもらえることなど無いと思って暮らしたほうが身のためである。何だってそうだ。

今日は会いたかった人の誰にも会えず、電話もできずに終わった。来週は会えるといい。


コーマエンジェル

とにかく寂しくて、気力がまったく湧いてこないので出かけることができない。他のものは何一つ書けず、この日記ばかり更新している。

という二つの文章を書いたところで、昨夜は睡眠導入剤を飲んだ。そのあとブログとSNSの更新はやめたのだが、浴槽で温まりなおしたのがよくなくて、ちょっとした酩酊状態になってしまったらしく、朝起きて携帯電話を見て少し青ざめた。朝といっても、薬が切れる明け方、まだ暗いころに目が覚めてしまうので、虚しさと後悔はいっそう募る。心の中で謝り倒して、もうしばらく合わせる顔がない、と思ったが、相手にしてみたらそれほどのことではないかもしれないし、ただ深酒をしない私は、酩酊状態に免疫がないので、いつも新鮮に落ち込んだり悲しくなったりしてしまう。

夢では、お花と靴下と紙袋となぜか脱いだ靴を手にもって、坂を上ろうとしていた。荷物を運ぶのは、これから先の人生で背負い続けるものの暗示なので、これから愛と生活とその他いっぱいの雑多な物を一生抱えて、靴を履くことも自ら拒否して、はだしで歩いていかなくてはならない、ということなのだろうか。

そういえばある知人は、身体に合わない睡眠薬を飲んでいたころ、手当たり次第に人に電話をしてしまって翌朝焦る、ということがあったと言っていた。ちなみに今「ちじん」と変換しようとしたら「痴人」のほうが先に出てしまって、ちょうど昨日、春琴抄のことを考えていたこともあるし『痴人の愛』をちゃんと読み直したいなと思った。ああいう、年下の女に溺れる男の心情は、この上なく苛立つものだがこの上なく無視できなくて、それが今に至るまで、そしてこれから先もずっと私を蝕むのだとしたらいったいどうやって生きていったらいいのだろうとさえ思う。 そんなことは憂鬱のごく一部なのだが、相変わらず賞味期限だけを気にして家の中の穀物製品をたべていくのは寂しい。

2014年2月27日木曜日

白い椿

MN嬢から「今月の『花椿』に載ってる藤野可織さんがきみに似てるから読んでみて」というメールをもらった。iPhoneの向こう側でにやけているMN嬢が見えるような文面だったので、アプリをダウンロードして読んだ。藤野さんの恋愛観が素敵、とMN嬢は言っていた。うれしいと思って何となく携帯電話のカメラを自分に向け、何枚か撮ってみた。

いくつかの選択肢の中から、ライ麦パンを選んで食べた(主な選考基準は賞味期限)。ライ麦パンはみっしりと固く、誇張ではなく渾身の力で引きちぎった。二日前に作ったシチューを延々とひとりでたべていて、もうそろそろいらないのだが、まだ一皿ぶんくらいはある。

2014年2月26日水曜日

今夜も眠れない

横になって身体を触ると、腰骨の浮き方がいつもと違ったので少し驚いた。こんなに骨ばっていただろうか。毛布をめくり、ひざをふと見ると、こちらも骨のかたちがいつもと違うように見えて、やせたのか年を取ったのか、どっちかよくわからないな、と思った。顔の表情だけでなく、身体つきまで変わっていくなどということがまだあるのだろうか。いずれゆるやかに色味と水分を失ってゆくことはわかっているが、こんなにも日ごとに。 裸足の足をつかんでみると思いのほかサイズが小さくて、え、こんなだったっけな、と考えながら眠ろうとしてみた。眠れなかったので、起きて浴槽を掃除した。間違えてシャワーをひねり、水を浴びてしまった。

あまり食事をとる気になれず、もちろんケーキや和菓子も食べる気がしないので、焼き菓子を少しずつ食べている。いっぺんにガレットを一つ食べると後で気分が悪くなるので、半分食べて取っておいて、また食べる。そうしていると半日くらいもつ。紅茶はその間に四カップくらい飲む。結局だましだまし食事も取る。自分が積極的に興味を持つ食べ物屋がパン屋しかないということは、30年生きてみて薄々気づいている。
 
「君が甘えているの?それとも相手に甘えさせているの?」と聞かれ、わからない、と素直に言った。「では質問を変える。相手がベッドから起きたら、自分も起きなければと思う?」と聞かれて、そうだ、と答えたところ「それは君が甘えさせているということだ」という種明かしのような回答をもらった。目の覚める思いがしたが、私は人の言うことを聞けないので目は覚めなかった。甘やかすのも甘えるのも、高等な技術が必要なことを私は知っている。本当はわざわざ起きたりしないで、ただそばで眠る生活がしたい。そして私が隣にいるときは、どうか安心して眠ってほしい。

2014年2月24日月曜日

涙の海

このごろまったく涙が出ない。演劇を観ても、スポーツを観ても、誰かの行動に涙することがない。人が「泣いてしまった」と言うのを聞いたりして「えっ」と思うし「いいなあ、心が豊かで」と思ったりする。などと言いながら、ある夜にぼろぼろに泣いてしまったことを思い出したが、あれは誰かのためなどではなかった。何かが悲しくて泣くことは、しばらくないと思う。そういう涙は冬が来る前に流しつくした。今、私が泣くのは何かを恐れたり不安だったりするときで、そう思うと、涙の理由はより原初的な幼い状態に戻っているのかもしれない。

ただし、好きな小説家が書いた物語の一節に「私、オトヒコさんが好きなんです。好きです、と言ったとたんにわっと泣き出してしまうくらい、本当に好きなんです。」というのが(うろ覚えだけども)あって、それはよくわかるなあ、と今も思う。

子どもの夢を見た。子どもというよりは赤子というような大きさだったが、私の子どもではなかった。従姉の子として現れたような気がするが、それは今いる三人の甥っ子のうち、どの子でもなかった。私の母がその子どもを抱いていて、私はそれを見ていた。子どもの目からふわっと涙が湧いた。湧いたのであって、溢れる、という感じではなかった。まるい涙の粒が、子どもの目頭に溜まったのだ。私は、あ、と思ってティシューを取り、彼の目をぬぐった。涙がしみてティシューが濡れた。そして、私に涙をぬぐってもらった子どもは「ありがとう」と確かに言った。それを聞いた私は、なぜか分からないけど嬉しくて、その子がいとしくなって、嗚咽した。夢の中では、いつも泣いたり叫んだりすることがうまくできない。このときもそうで、声を詰まらせ息も絶え絶えに泣きながら、私は子どもの指に自分の指を絡めてにぎり、抱き寄せようとした。そのとき初めて、彼は私の子どもかもしれない?、と感じた。目が覚めたとき、外はまだ暗く、そこから寝つけなくなってしまってとにかく参った。

2014年2月23日日曜日

キス・アンド・クライ

静かなリビングで、何を話せばいいのかわからないまま黙っている。甘える、甘えさせるという関係は難しく、簡単にはどちらかを見分けることはできない。

最近は、服をほしいとほとんど思わないかわり、新しいアクセサリーがほしい。ネックレスやピアスよりは指輪かな、と思うが、いざ自分の両手を眺めるとそういう気分でもない気がする。ただ綺麗な石を自分のものにしたいという気持ちだけがある。

「君は僕のこと知っているつもりかもしれないけど、僕だって君のことを君が思うより分かっているよ」と言われることが、生きているうちの夢のひとつだ。そうしたら素直に、「ありがとう、うれしい」と言って笑っていたいと、思っているのだけど。

2014年2月22日土曜日

朝より夜が

ここのところ元気だったのに、急に力をなくしてしまって、今日は午後まで塞ぎ込んでいた。足もとの湯たんぽはすっかりぬるくなって不快だった。電話に二本出て、事務だけこなした。起き上がってお風呂をわかし、崩れるようにして浸かった。知らない街に行きたいな、と思った。遠いところじゃなくてもいい。海岸沿いの長いアスファルトの道路とか、ローカルな踏切とか、山の上の墓地とかそういう風景を見たい、と思いながら、こわばった肩甲骨を触った。

ずるい女というのは賢かったりしたたかな面を持ち合わせているものだが、ずるい男というのは得てして弱い男という意味である。それを可愛く思ったこともあるけれど、今はその弱さにかまけているほど暇ではない。

根に持つタイプなので、すぐに忘れる男を許せない。彼らはその忘却力でもってこの世を泳いでいるのだろうし、理解はしてあげたい。私が彼らの分まで記憶して長生きすると決めたのだからそれくらいはと思うのだが、どうにも苛立つほどに、愛の深さを自覚してしまって茫洋とした気持ちになる。

2014年2月20日木曜日

今だけは眠れそう

ふと鏡を見て、最近はほとんどお化粧もしていないのだけど「あれ、私ってこんな顔だったかな」というくらい、やすらいで覚悟を決めたような表情をしていたので、それについて尋ねてみたところ「ああ、前はそんな顔じゃなかったよ」と事もなげに言われた。具体的には、目のかたちも口角のあがりかたも以前とはまったく違うように見えることがあって、それはとてもよいことのように思える。

敵対関係にあるふたつのある国(軍?)があって、一方の国の武将が友好のあかしに花狩りに敵国の武将を誘った。花狩りというのは、レンゲツツジやヤマザクラの咲くころに野にゆき、蜜蜂を放して受粉させることを言う。敵国の武将はその誘いを受け、停戦は成立して和平が進むかに思われた。しかし前日のうちに、敵国の武将は花狩りの場所に行って蜜蜂たちを集め、自国の土地に咲く花のところまで誘導して「これからはこちらの場所で蜜を吸うように」と言い聞かせ、隣国から蜜蜂を盗んだ。これでは隣国の蜜蜂はいなくなり、実がならずに国は衰退する。敵国の武将はやはり敵のままだった。翌朝の花狩りの時間は迫る、というところで夢は終わった。

どうやら少し、追いつめられたり後ろめたさを感じているようだ。次は、家のお風呂の水があふれ、家中が首までプールのようになってしまい、洗濯物がゆらゆらただよって揺れる中を脱出する夢だった。地下駐車場を抜けてどこかへ逃げようとしたとき、職場の元上司Nと、可愛い後輩TとNが近づいてくる声が聞こえた。見つかってはまずい、と反射的に思い反対側へ逃げ、さらなる地下へ続くコンクリートの階段を降りようとしたところ、その階段の段差がひどく大きくて、足がつかずに宙づりになってしまった。困っていたら可愛い後輩Tが上から「大丈夫ですか?」と言って覗き込んでいるのが見えた。「あの、申し訳ないんだけど、手を貸してほしいの、お願い」と、私は小さな声で言って、Tの細い腕をつかみ、上まで引っぱり上げてもらった。そのあとはよくわからない安い居酒屋に一緒に行ったが、私は何もしゃべれずに押し黙っているばかりだった。

目が覚めてからもしばらく、まぶたのみを開閉して、毛布のあたたかさと曇った夕方の光を感じたまま横になっていた。黙ってこの日記を書いているので、部屋の中にはノートパソコンのキーボードを叩く音だけが響いている。

2014年2月18日火曜日

人でなしの魔女

珍しく怒りを感じて持て余した。後で考えてみて、怒りを感じることは「それ」でしかありえない、という結論に自分で達した。あえて説明するなら、私は、誰かが自分のやりたいこと、やっていることを何通りかのやり方で言語化できない幼さを(それを私は今のところ「幼さ」と言いきる)許すことができないのだ。変な話だが、自分の逆鱗ってこれかしら、だとしたらそれがもし爆発したときの凄まじい冷徹さを、今の私は抑えられないわ、困ったわ、と思ってしまった。何度も同じところを回っているのだが、今はそれで良いことにする。

作家は自分がいちばんもてた時期に作っていた作風や芸風から抜け出せないとだめ、という話をした。きついこと言うねえ、と苦笑されたけれど、本気で思っている。愛された経験は自信になるが、そこからいかに進み続けるかがその人の真価なのだ。なので、一度ももてたことがない人はまずそこから出直してこい、と思うし、別にもてなくていい、などと言う人に興味はない。もてるって何、という話から始めてもいいが、この「もてる」経験は、「死んでもいい、と思うくらい誰かと愛を交わしたことがある」という経験と置き換えても構わない。

「自分の話を聞いてくれる人は大事にすべきよ」と、ある友人に言ったのだが、私がそういう人を大切にしたいのか、そういう誰かに大切にされたいのかは分からない。ただ聞いてくれるだけじゃだめで、ちゃんとわかってくれないといやなのが人間のわがままなところだが、意外な指摘を受けても嬉しく感じることはあるし、それはいったい何の違いなんだろう、と思う。でも結局は、ちゃんとわかった上で新たな視点を提供してくれる人が大事という意味で、そうなると作家が批評を渇望する理由も痛いほどわかるし、だからこそ保つべき一線は胸に刻まなければならない。

2014年2月16日日曜日

子どものまま

起きているか眠っているか、というより、生きているか死んでいるか、というくらい、命をかけて寝てしまう。よく見てしまう心細い夢があって、それは本当に寂しくてきついので出来ればもう見たくない。

私がこのごろ料理について書いていることが、他の事にも当てはまるということに気づいた人はどれくらいいるだろうか。想像力と段取り、勘と経験、喜ばせてあげたいという気持ち。欲望はすべて地底湖のようにつながっている。ちなみに料理をする男には縁がないし興味もない。これから一生そうだと思うが構わない。食べることが好きであれば十分だ。

従姉の息子であるところの二歳児に先日会ったのだが、声の大きい、元気なうつくしい子どもだった。母は、私の妹もこんなふうにやかましかった、と懐古していた。私は?と聞いたところ彼女は、うるさくはなかったけど言うことを聞かない子だった、と残念そうに言った。