一年前の今日は、大泣きに泣いて、出奔を企てる勇気もなく泣き寝入りしたのだった。 年が明けてからすぐ、車で15分のところにある大きな寺に行った。妹が付いてきてくれたので、心はまだ穏やかでいられた。私は今の家に引っ越したばかりで、寺までは少し迷った。お正月の出店では、大きないかの焼いたのを買ったが、私は本当はいかは嫌いなので飲み込むのに吐き出したいほど難儀した。前の年からの憂鬱を引きずって、黙ったまま参拝した私に、おみくじはさらなる絶望を突きつけてきた。生まれて初めて見た「大凶」の文字に私は吃驚して泣き、妹に「100円あげるからもう一回引いてきな」となぐさめられる始末だった。もう人生の扉が全部閉ざされてしまったと思って、とぼとぼと寺の参道を歩いて駐車場まで帰った。途中におだんご屋があって、妹がおしるこを食べたいと言ったので寄った。甘いおしるこを食べながら、これは絶望じゃなくて、挫折というのだろう、と思った。思ったところでその時はどうにもならなかった。
病死した恋と事故死した恋の忘れられなさの違いについて、まだ考えることがある。今触れる人のこと以外信じられないのに、きちんと触れ合うこともできないのが悲しくて、そういう時に私は怒る。
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