2014年7月31日木曜日

夢の傷

無差別に日本刀で斬りつけ合う夢を見た。私は腹に刺し傷を受けたまま電車に乗って、日本刀を置き忘れた。(短い脇差しの方はかばんに入っていたが、長いものを置いてきてしまったのだ)駅に取りに戻ったところ、そこには警察官がいた。私の日本刀を見つけた警察官は鞘を抜き「これ、血がついているね」と訝しんだものの、黙ってそれを返してくれた。街中の誰が襲ってくるかわからず、生きるか死ぬかの状態で常に斬りつけ合わなければならない夢は本当につらかった。

その前の日は空を飛べるようになる夢という、いかにも読み解きが簡単で浅薄なものを見た。今自分のまわりに巻き起こっている渦のことをよく理解できていないためか、夢の世界が今はいちばんドラマティックに思える。

2014年7月28日月曜日

七月になってから

今月は特に抑圧がきびしく、いったい誰によるものなのかもわからないまま、ただ抑えつけられるような日々が続いている。日記を書いてもつまらない短いものしか書けないので、押し黙っていたらこの有様である。

2014年7月24日木曜日

文月小景

詩人と電車に乗った。「わたし"戦う詩人"って言われて、何と戦ってるんですかってよく訊かれるんだけど」と前置きをして、彼女は言った。「そんなの自分と戦ってるに決まってるじゃない!」詩人はひらりと電車をおりて港町に向かった。彼女は涼やかな夏の着物をきて、大きな帽子のつばを風に揺らしていた。

二度続けて、嘔吐の夢を見た。子どものころの弟が、きもちわるいとぐずって吐いたのだった。弟のわがままな甘え方は私の気を大変に引き、私はあわてて小さな彼の背中をさすった。弟が子どものころの夢はたまに見る。そのたびに、いつか可愛い男の子を生みたいなと思ったりする。二度目の夢は昼寝の時だった。吐いたのは私自身だったような気がするが、弟のことに比べて記憶するに値せず、ただ嘔吐の夢だったことしか覚えていない。

2014年7月21日月曜日

マニュアル・トランスミッション

魅惑的な耳を持つ女の子が出てくる小説が昔好きで、その女の子の名前はキキというのだった。「耳がきれいだ」と言われるのがそれ以来の夢で、髪を耳にかける時はいつも、そのことを考えている。

自転車に乗って家を出た。息も絶え絶えに渋谷にたどりつき、宝くじを10枚買ってすぐに帰り道についた。町中は乳母車や歩行者にあふれていて、何度もぶつかりそうになった。一度は避けきれずに転んだ。ブレーキが下手なのだ。急に強くかけるからスリップしてしまう。ゆっくりゆっくりスピードを落としながら、信号が変わるのをどうして待てないのだろう。

低気圧

座っていると、脚が勝手にふるえてしまって、そろそろ限界を感じる。言葉も出てこないし、どこにも行けないし、家は魚くさいし、頭は痛いし、電車は落雷で止まるので、もうがんばるのも馬鹿らしい。

2014年7月18日金曜日

頭上の枷

「君は相当に誤解しているよ」と言って、男は弁解した。そんなことで気が楽になってしまうほどに、私は参っていたらしかった。長い間、張りつめすぎていた。

鏡をのぞくと瞳が暗い。目に見えない枷の存在を感じる。身ひとつで荒野に立ってからが魔法使いの勝負とは言うけれど、今はあきらめが先に立ってしまって何も出来ない。そんな私を見て「君は顔つきが変わったね」と言う人もいるし、母は「なんだか顔が細くなったわね」と言う。選び取るための自由が、今は何より欲しい。閉じ込められて遠慮して、このままでは本当に萎びて死んでしまう。

2014年7月9日水曜日

喉に手を

この人ね、あなたと声が似ているって言われるんですよ、と紹介されて、私は少し声を出すのがためらわれたが、相手の女の子はとても優しく、こんな人に声が似ているなんて言ってもらえて私はなんと幸せだろう、と思った。

自分が聴いている自分の声と、他人が聴いている自分の声が違うことに気づいたのは6歳のころで、それはわりに遅いのではないかと思う。幼稚園の卒園記念にみんなで吹き込んだカセットテープで、自分の声が変なのに気づいて戦き、もう絶対に再生しないでくれと母親に頼んだ。それからもしばらく(20年以上も)私は自分の声が大嫌いで、というよりは、喋り方が嫌いだったのだが、とにかく自分の声を聴くのはなるべく避けてきた。このごろになって自分の話し声を文字起こしする機会も増えたが、それと同時に、自分の声を嫌う自意識が消滅しつつある。以前よりゆっくり話せるようになって、抑揚も穏やかになったせいだろう。感情的になるのはごく限られた場合だが、そういう時は今も相手を不快にさせてしまうから、たいてい後悔するのだけれど。

2014年7月5日土曜日

愚鈍な女

愚鈍な女が赤い電車に乗っていた。愚鈍だと思ったのは、虫が彼女の衿もとを這っているにも関わらず彼女はスマートフォンに夢中で、口と股をひらいて、ぼうっとしている姿を本当にみっともないと感じたからである。角がたってもいい。人の振り見て我が振り直せばいい。あの愚鈍さには我慢ならない。手元のスマートフォンに目を落としているのに、服の上を歩き回る虫になぜ気づかないのか。どうしても理解できなかったし、許せなかった。

書きたいことはいくつかあったはずなのに、記憶が長い時間もたないようで今ここに書くことができない。こうして死んでいったらどうしよう、という気持ちには四か月に一回くらい、なる。

百貨店のエレベータの前で、爺が店員を怒鳴りつけていた。「もう最近の百貨店は何もなくてだめだよ」と言い続けて、店員と私を萎えさせた。そのあと、爺と同じエレベータになってしまったのが最悪で、東南アジア系の乗客が「閉」と「開」を間違えて二度も押してしまったのに爺が腹をたて、大声で怒鳴り散らしたのだった。しかも、爺は私のほうを向いて怒鳴ったのだ。びっくりして何も言えずにいたが、今思えば蹴り出してぶっ飛ばしてやればよかった。でも本当は、百貨店の中で大乱闘になってもいいから私をかばって守ってくれる人があの時そばにいたらよかったのに、と思わずにはいられない。

2014年7月2日水曜日

轟音

近所の家が取り壊される音を一日中聞いていた。午前中から始まった工事は何度か大きな音を立ててハイライトを迎え、夕方には二階部分がすっかり無くなるほどになっていた。