2013年9月29日日曜日
胡桃の中の世界
船から降りてくる人たちを待って、横浜のフィリピンフェスティバルを覗き、いっしょにビールを飲んで鶏肉の焼いたのと、ビーフシチューを食べた。友達のお母さんの得意料理だったアドボを見かけて、食べてみたいと思ったけど、明日家で作ればいいや、と思ってやめた。次の仕事があるからもう行く、と言って立ち上がり、皿とプラスチックカップを捨てにいった人の背中を見送りながら、私はふと
「ねえ、身体の線に合う服より年齢に合う服を着るほうが難しいし、人には必要なことだね」
と向かいに座っていた彼女に言ってみた。
「自分がいちばんよかった時代で止まっちゃだめってよく言うけど、服もそうだね」
と、くだらない話を続けていたら、彼女は前の日の夜と同じ遠い目をしながら、私の最近の予定の詰め方を聞いて、そんなんじゃ将来ママ友ができるか心配だよ、と言った。
2013年9月28日土曜日
少し灰色
意を決して、状況を改善すべく上司のもとに向かったが、最終的に、より仕事をがんばりたいので別のチームのことも引き受けさせてほしい、と申し出てしまった。何をやっているのだろうか。私は誰のために、何を背負うというのだ。期待に応えたい、という幼い感情ではなさそうだ。ネガティブなことを言って見くびられたくない?そんなの、同じくらい幼いという懸念は拭えない。でも、助けて、と言おうとしたのに、逆にその人を励まして帰ってくる、みたいなことは今に始まったことではない。助けあいの精神が歪んでいるのだ。
ある名前を持つ人と相性がわるい。誰にでもそういう傾向があるのかはわからないが、私には、小学生時代から、少しあわないかもしれない、と思う人々はそういえばこの名前である、ということがある。あらかじめ気づくことはなく、後から思い至ることがほとんどだ。でも、5、6人程度いるように思うので、偶然にせよ規則性に気づいてしまったときの気持ちは気のせいにはできない。気づいたところで口に出せば角が立つので、人に話したことはない。
2013年9月27日金曜日
夢とかⅡ
明日の夜あの子に会う約束を果たす前に、なみだをぼろぼろこぼしてしまった。私は、他の子みたく人前で泣いたりしないわりに絶望に水をやるのが妙にうまくて、だからきっと手紙を書くのも得意じゃないかと思うんだけど。そんな小手先のご機嫌伺いなんかじゃ、なくって。
こんな吐息のようなことで、と驚かれたって、感じやすくなくてどうする。私は、くちびるから生まれる空気のふるえで文字通りいってしまえることを、後悔したことはない。
4時が好き、というのをときどき思い出す。一緒に夜更かしをして、何となくねむる準備をして夜の4時、とか。3時は闇が深すぎるし、5時は朝の気配がせわしない。ねむって起きてを繰り返して、静脈と動脈の区別もつかないくらい、翳った夕方の4時もいいと思う。3時は明るくて後ろめたい。5時は暗くて心もとない。カーテンをぴったり閉め切って、窓はあけておいてもいいけど、どこから数えても遠い時間がたぶん4時だから、安心するのだと思う。
2013年9月25日水曜日
循環
そんなだから、寝つけないのと、ねむりすぎるのを繰り返す。カーテンもあけられなくて家から一歩も出られないし、長い長い夢を見る。もともとそんなことは珍しいので、起きて懸命にメモ帳に書きつける。私たちは映画じゃないから、ラストシーンがどこにもない。
乗った船には、職場の人々がいて、彼らは一様に私を睨め付けてくるのだった。その瞳の圧力に胸を押されるような思いがして私は船の中から出られなくて、中にある食堂や喫茶室をぐるぐる回りながら、人を探して走った。誰を探していたのかはわからない。戻った部屋では皆がすごろくに興じてダンスをしていて、私はそれにちっとも入れなくて途方にくれた。ダンスなら私のほうがずっと好きなのに、と悔しがっていたような気もする。
異様な量の髪が抜けて、排水溝に流れてゆくのをただ眺めていた。あまりに黒々として多すぎるので、冷静に、全部は私の髪じゃないかもしれない、とも考えた。
誘われて、自転車を引いて坂を上った。緑のきれいな公園に出る。道路が視界の下にひらけるくらいの小高い土地のようだ。昭和記念公園の、あのエリアに似ている。いつのまにか自転車のサドルに乗っている。私は、うまくタイヤの横あたりに足を引っかけて後ろに立ちたかったのだけど、そうもいかなかったらしい。二人乗りだと私は前が見えないから、どこに飛んで行くのかがわからない。それがとてもドラマティックだと思って、そんなことを考える自分は結局どこにいても自分すぎて、疎ましいほどに安心だ。風を切って坂を下る。森の長いトンネルを抜ける。遠くに出口の光があって、振り返っても入口に同じ光が見えて、でもそれは本当に同じ光なのだろうか、と、たぶん、私は考えていた。
港町の魔法
悪魔のしるしを観に行って、出演者の中に古い友達を発見した。先日も別の作品で同じことがあったのだが、大学時代から通算して12年ほども小劇場演劇に(ごくごく細々と)関わっているうちに、こういう「再会」に遭遇する年齢になってきたように思われる。それぞれ来し方は様々で、向こうからしてみても私と再会することは驚きの一言だろう。でも、久しぶりすぎて会話がぎこちなくたって、私は私と彼らのうしろに連なる、不連続なプロセスが結実した今がうれしい。
ハイバイの『月光のつゝしみ』 を観ながらぐっと心臓を掴まれて、息をしながら、身体が劇場の中に満ちた空気に溶けていくような心持ちがした。こういうお芝居があるから、許せはしないけど、遠くから見つめることくらいはできるようになる人がいるのかもしれないと思った。「あの人は子ども生んだことがないからああなのよ」って、いつか母が言っていたこととかをぼんやり思い出していた。
横浜の海沿いのカフェで行われる、ままごとのワークショップ公演に滑り込みで行けたことが連休のいちばんの特別なできごとだった。発表が終わって、カフェがそのままバーになったので、私は残ることにした。お酒を少し飲んで音楽を聞いて、胸が締めつけられるように好きな人がたくさんいて、それだけで見放されてしまいそうになり、とても人と話せない、と思ったので、窓のほうを向いてひとりで座り、ノートを開いて書き物をしたりした。カードゲームに興じる人々の声を背中で聞いて、飲みながら意見を交わし合っている人が窓ガラスに映り込む様子を眺めた。結びついては離れ、いつか忘れ忘れられてしまう今日。こんなに、過ぎてゆくそばから寂しい時間があるというのは、こんなにすばらしい時間はかつて自分の人生になかったと告白しているに等しい。12月、また来て下さいねってみんなが言ってくれて、でもその時の私は今と同じ私ではないはずで、それは何だか目の前が霞むような未来なのだった。憧れの人が私のノートをのぞき込んで「何書いてるの?」と話しかけてくれたときには、いわゆるネクラ文芸部少女みたいな根性になっていたところだったので、びっくりして飛び上がるような思いがした。その後しばらく話をしたけれど、ここで過ごした時間を後で振り返ることまでも想像しながら、私が、今ここにいる人やすれ違った人が作り出す時間をどれほどうつくしいと思い、そのせいで苦しくなっているかはきっと伝わらない。だからこそ、そういう自分を懸命に外から(未来から?)眺めて、自分が今日この場に立ち会って流した涙も自分だけのものにしないでノートに残そうとしていたのだが、私のその気持ちだって、彼は永遠に知ることはないだろう。それはもちろんそうあるべきだし、いつだって何かに愛を注ぐというのは、それぞれの孤独な営みなのだ。
2013年9月23日月曜日
無花果
ここ数日と言ってもいいし、ここ数年と言ってもいいくらいで、この日記もそうなのだが、ふとまとめて読み返すと自分が同じことばかり書いていて愕然とする。驚くべきは、書いても書いても、こちらの切実さはちっとも摩耗しないということだった。 でも、読む側の神経は摩耗するかもしれないから、気をつけなければならない。そしてこれを書きながら、同じ手法が続くと飽きる、とか、その先の表現に行ってほしい、とか言われているいくつかの劇団のことが頭をよぎった。私は、手法はともかく作品ごとの切実さがまっとうならばそれでいいよ、と思っていて、つまり私にとって一番重要なのはそういう切実さの表れなのだということが、奇しくも自分の日記の山を通して明らかになったわけだが、そこの機微をどう説明していくかが、次の自分の課題かもしれない。
無花果のことを、自分では好きだと思っている。でもそれは祖父の好物だったから好きなのであって、食べるとだいたい「こんな味だっけ」と少しがっかりする。がっかりしたところで無花果を嫌いになるわけではなくて、これをおいしいと思えるようにまた食べたくなる。だいたい、好きな理由を簡単に説明しきれるものは本当に好きではないのだし、そう考えると無花果のことはかなり好きなんだろう。
何に向けたものにせよ、自分の愛がどのように結実するかには大変関心を持って取り組みたいが、全方位への「もて」みたいなものはなるべく遠ざけて生きたいし、他人の愛情の行方にも正直興味は持てない。なぜなら私の愛が一番強いに決まってるから!……というパフォーマンス的なことを常に嘯きながら、波風立てて生きていたい。
それはあなたがものを書く人だから、とある文脈で最近言われて、普通なら、条件つきの言説にはクレームのひとつもつけたくなるところだが、私がなにかを書くための頭をなくすことは(おそらく)ありえないから、まったく動揺も苛立ちもせず、全部水割りで流し込んでしまえるくらいには、うれしかった。しかし「言われてうれしいこと」というのは得てして「自分が一番認めてほしいこと」であり、その自覚なきまま安易に喜んだりはしたくない、とも思ってしまったのでどうも可愛げがない。
2013年9月22日日曜日
睡眠を導入するための反復運動
ため息が、どんな思いも引き受けてくれるのでつい頼ってしまう。うれしくても寂しくても、失望しても孤独でも。 でも、どうせならため息だってすっと身体を通るほうがいいのだから、身体はいつもなめらかに動くようにしておきたい。
ジャン=フィリップ・トゥーサンの『浴室』を10年ぶりに読んでいる。このブログタイトルの由来になっている人魚を浴室で飼って一緒に暮らすイメージは、たしかこの小説がもとだったはずなのだが、思いついてから長い時間が経ってしまったので今となっては何だか創作とヒントの境界は曖昧である。
使い道の不確かな言葉ばかり頭の中に溜めているから、いつまでも熱が下がらない。でも、誰にも読めて伝わる言葉で、誰にもわからない秘密を書けたらいい。
2013年9月19日木曜日
In other words
2013年9月18日水曜日
月光浴
2013年9月17日火曜日
君の味方
2013年9月14日土曜日
乙女座の月
だからって何でもあきらめていいわけではないけれど、いつだって腕枕は男の余裕だし、膝枕は女の甘やかしと決まっていて、それくらいは分担してもいい。私たち、他人の身体を通して自分を見る、ということが、彼らよりは少し得意。
1936-2020
2013年9月11日水曜日
女の成長
私はいつか私に似た娘がうまれる予感があるけれど、父親になる男が悲しみそうだなと思う。ああ、何と言うことだ、お前はお母さんそっくりになってしまったね、悪いところばかり受け継いで。なんて、20年後くらいに。
母が大伯父を訪ねたらしいので、そこから近い私の家に寄ってみた、というメールが来た。私の住むマンションの共有玄関には鍵がかかっていて、鍵がないとエントランス部分(というほど広くない。狭小な階段スペースだ)に入ることもできない。それを忘れていたらしく、私にくれるための花束はマンションのごみ置き場に置いて来たから拾ってね、と書いてあった。「夜まで無事にありますように!」というふうにメールは締めくくられていて、え、ちょっと、ママン、それはおかしいんじゃないの、と携帯電話をにぎりしめて脱力したけど、彼女がずれているのは今に始まったことではないので許した。母を許すということ、すなわち女の成長である。
2013年9月8日日曜日
贈り物
男から体重計が届いた。体脂肪とか筋肉率も測れるやつだ。先日不在票が入っていて、知らない名字だったので、家にあまり帰っていなかったこともあり、忘れていたら再配達されたのだった。呼び鈴が鳴ったので出ると宅急便で、荷物を見て、不在票にあった謎の名字は某有名電気屋の名前だったことを私は理解した。
しばらく前に食事をしたとき、なぜか(迂闊に)体重計を持っていない、という話をしてしまったのだ。やたら勢いこんで、では買ってあげよう、と言われたのだが、冗談だと思っていた。それでしばらく体重とか体型の話になってしまって、失敗した、という記憶もあった。
知り合ってずいぶん経つ人だが、何で体重計の話にだけ、あんなに食いついてきたのだろう。家電好きなのかな?と思ったが、これに裸で乗るのはいかにもためらわれて、開ける気にならない。MN嬢にメールしたら「私は昔ガスマスクをもらったことがあるよ」という、クールでいかれた返信が来た。
タイプライター
私が少し遅れたので、彼は私に何度か電話をしたようだったが私はそれに気づかなかった。事故にでも遭ったのかとても心配した、と彼は言った。私は約束より15分過ぎた時計を見て、謝った。
そうか、死んだのは2007年なんですね。
え、何年生まれなの、彼は。
1942年、って書いてあります。
じゃあ、ずいぶん早いな…60ちょっとで死んだのか。
はい。
…まあ、ああいう人たちは、だいたいみんなガチャ勉するから、身体も壊すんだろうねえ。
そうですかねえ。
私みたいに、適当にやってたらこんなに長生きもしてしまうけど。はは。
大伯父は、私が二週間前に渡した本を既に半分くらい読んでいて、これは翻訳者が25年もかけて訳したものらしい、という話をしてくれた。そのあと、私の携帯電話のアルバムを繰りながら、赤いパーティドレスを着た私の写真を見て彼は言った。
あなた、赤いのはあんまり似合わないんじゃない。
えっ、これが一番似合うと思って今まで着ていたのですけど。
その青のほうがいいよ。
そして私が今着ている服を指して笑った。紺色の、ジャージー素材の何ということのないマキシワンピースだ。僕が青を好きだということかな、と言いながらなお嬉しそうに笑っている。自分のらくらくホンに、この間娘が転送してくれた花火大会の動画があるので見たい、と言う。私は適当かつ適切に操作して動画を探し出し、しばらく一緒にそれを見た。最近仲良くなった介護士さんがいて、彼はどうやら若い頃に漱石を読んでるみたいなんだよね、と教えてくれた。17:30を過ぎて、介護士さんが夕飯を持ってきた。大伯父はまったく食事をとる意欲を見せない。
そのあと大伯父は、この間私が持ってきた佃煮がおいしかったと言って、別の人にもらった昆布は味がきつすぎる、とこぼした。確かに私が持っていった佃煮は、百貨店で買ったとてもおいしい(と私が思う)ものだったので、喜んでくれたと知って、うれしかった。
あれがまたほしいな。おねだりしてもいいかな。
もちろんですよ、また持ってきます。
じゃ、そろそろごはん食べようかね。
大伯父がそう言ったので、私は少し安心していとまを告げた。今日書き写した原稿は、原稿用紙に清書して送ると約束した。手を振って私が部屋を出ようとしたとき、今ごはんを食べると私に言ったはずの大伯父が、気だるそうに横になってしまったのが見えた。立ち止まった私に彼は、背中が痛いんだ、と言った。
私たちの実際生活では、面つき合わせればいつもいがみあってしまうことが多い。素顔と素顔との対面関係が本当に平和裡に進行することは、まことに困難である。面つき合わせれば、何か暴力的なものが顔を出すのではないかと恐れて、私たちは互いに顔をそむけ合う。顔と顔とのスキ間にひそかに支配する権力が割りこみ、個人の人格はいつのまにか目にみえぬ大きい力に隷属してしまう。生活のなかにしっかりと根をおろした希望(暴力なき人間関係)を少しでも現実のものにするためには、何よりもまず素顔同士の意思疎通の可能性を追求することが要求される。他人を、強制力や暴力なしに受け入れるつきあい方、交通の仕方を建設することである。暴力をおしもどし、それが頭を出すところでそれを溶解させてしまう他者との関係ができるとすれば、それこそ希望の名にふさわしい人間の生活が生まれたといいうるのである。言葉のなか、思考のなか、さまざまな行動のなかに、棘のある暴力がある。私たちが実践する多面的な行為のなかから、暴力性とよぶべき要素をひとつひとつとり除いていくこと、こうした地味な作業こそ、単なる知的行為でない真実の理性の仕事である。生きられる生活を、暴力なき理性をもって建設すること。そこに思想と実践のあらゆる面で希望を育てあげる道が開けていくのである。
希望を失うな、希望を育てよ----これが現代思想の最後の言葉である。
(今村仁司(2006)『増補 現代思想のキイ・ワード』ちくま文庫)
2013年9月7日土曜日
くだもの
2013年9月5日木曜日
好き?
生きている人
気にしていた訴訟で、違憲判決が出た。婚外子の相続に関する問題だ。全員一致なんて、大法廷、やるじゃん!と思って、仕事中にとても嬉しかった。
1973年の尊属殺違憲判決まで、日本では尊属加重規定と言って、親とか祖父母とか、父母より系図が同等・上の血族・姻族を傷つけたり殺したりすることは、通常の傷害や殺人より罪が重かった、ということを思い出したりもした。これは憲法の講義の、わりと最初で習う。(今調べたら、これが廃止されるように条文が変わったのは1995年らしい。改正には時間がかかるのだな)
2013年9月3日火曜日
すみれ
私には大事な先生が何人かいるけれど、絵を教えてくれたY先生は中でもとても大切な人だ。中学と高校の間、好きな女の子と二人でその教室に通っていたのだが、自分が大学受験をするときにやめてしまった。そのとき先生は私にすみれの花の絵をくれた。17歳の私は、すみれという名前の女の子が出て来る小説に運命を感じていたところだったので、今に至るまで引っ越してもずっと、その絵を壁に飾っている。
理由なんて忘れた
私が何か言いたい、と思って、言いかけるとそれより先にいくつもの言葉が返ってきて、とうとう私が泣き出すまで誰も気づかない。泣いてから何かしてもらったって仕方ないし、泣いてどうにかできる年は過ぎてしまった。足りなかったものを後からいくら補おうとしても満たされるわけないのがまだわからないのか。いやいや、わかってるのにまだやるのか。
2013年9月2日月曜日
美しさの価値
元上司が久しぶりに私を見て「お前、いくつか顔を持っていないか?」と言うので「そんなに違いますか」と返したところ「いや、何種類かあるのは知ってるんだが」という答えをもらった。比喩ではなく、本当の見た目のことらしい。
ここ数ヶ月、男と女の間には何が起きるかわからないって頭ではわかっていたけど世の中本当にそうだ!!という事例を立て続けに見ている。なんと、あの人とあの人が数年越しに…というような感慨もあり、20代にはちょっと似合わないような、人より少しいろんな経験をしてくたびれてしまった人々の間にこそ編まれる何かは田辺聖子の小説でも読んでいるみたいだ。そして、そういう恋の見返りがこの世にあるなら、もう少し生きるのもいいかもしれないと思う。でも、欲望がまだ自分の中にあることを確かめるために無理に掻き出すような生き方は浅ましいから、そうはなりたくない。
ロマンティストと美しさの話を少し考えていた。建前や強制から離れたプライドと美しさのために生きることはロマンティックだ。そういう美しさを私はとても好きで、なぜなら美しいということは構造的に強いという意味だから、信頼に足る。