やたら歩いてしまう夜がある。この間は、最寄り駅の手前で降りて、真夜中の街道沿いを長く歩いた。その間に届いたメールは全部無視した。
昨日は、職場を出てから2時間、意地になっていることもよくわからないまま、夜の東京を東から西へ歩いた。金融の街を抜け、飲み屋街を横目に、暗い濠のまわりを走り回る人々に巻き込まれそうになりながら、シャッターの閉まった古書店の看板をひとつずつ読んで、とうとう神社にお参りするところまで行ってしまった。思い悩んでいるとき、私は神社みたいな場所に吸い寄せられやすいたちである。おみくじを引いたら、結婚は三年待て、と書いてあって今さら途方に暮れた。縁談は自分から騒ぐと壊れるから黙れ、とも書いてあった。学問は詰めが甘いと書かれ、失せ物は出ず、商いは急ぐな、とあった。あまりに困ったので、結んで置いてくることもできず、ポケットに入れて持ってきてしまった。夜遅くても、神社にはたくさんの参拝の人が訪れていた。
そのまま十三夜の月を背に、何かを振り切るように歩いたけれど、結局乗ったのはいつもの地下鉄の車輌だった。それを嘆いていたら、友人が、ステップアウトして振り切ろうとして戻るというのは意味のある身ぶりだ、というレスポンスをくれた。私は思い直して、そういえばドリフトもブレーキングが命らしい、と答えた。
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