弱音の吐き方がわからないので、アクセルもブレーキもあってないようなものである。しかし責任は、何かが起きたときに発生するのではなく、私がそこに生まれた時点で(あるいはその役目に置かれた時点で)すでにあるものだ、という矜持は強く持っている。
明日の夜あの子に会う約束を果たす前に、なみだをぼろぼろこぼしてしまった。私は、他の子みたく人前で泣いたりしないわりに絶望に水をやるのが妙にうまくて、だからきっと手紙を書くのも得意じゃないかと思うんだけど。そんな小手先のご機嫌伺いなんかじゃ、なくって。
明日の夜あの子に会う約束を果たす前に、なみだをぼろぼろこぼしてしまった。私は、他の子みたく人前で泣いたりしないわりに絶望に水をやるのが妙にうまくて、だからきっと手紙を書くのも得意じゃないかと思うんだけど。そんな小手先のご機嫌伺いなんかじゃ、なくって。
こんな吐息のようなことで、と驚かれたって、感じやすくなくてどうする。私は、くちびるから生まれる空気のふるえで文字通りいってしまえることを、後悔したことはない。
4時が好き、というのをときどき思い出す。一緒に夜更かしをして、何となくねむる準備をして夜の4時、とか。3時は闇が深すぎるし、5時は朝の気配がせわしない。ねむって起きてを繰り返して、静脈と動脈の区別もつかないくらい、翳った夕方の4時もいいと思う。3時は明るくて後ろめたい。5時は暗くて心もとない。カーテンをぴったり閉め切って、窓はあけておいてもいいけど、どこから数えても遠い時間がたぶん4時だから、安心するのだと思う。
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