2015年1月29日木曜日
二人の食卓
帰りが遅くなった夜に、出来心でコンビニのグラタンを買って食べてしまった。おいしくなさに後悔して吐き出したいと思ったが、そんなふうに食べものを粗末にできるようには育てられていないのだった。ただ「虚しい」と思いながら咀嚼しつづけた。食べながら、私は何よりも、人が、私のいる前でコンビニのごはんを食べるのが嫌だったのだ、と初めて思い至ってフォークを噛みながら少し泣いた。おいしいと思うものを一緒においしいと思えるのが幸せ、などと人は言うが、まずいと思うものを一緒にまずいと思えない悲しみのほうが、私には重要なことなのだ。
2015年1月24日土曜日
愛といっても差し支えない2
20代の最後の最後で、とうとう彼女は、恋人と四年の交際を実らせて結婚を決めてしまった。結婚なんてつまらないものだよ、もっと自由な新しい生き方をしたっていいんだよ、とあれだけ忠告したにもかかわらず。
保守的な憧れで結婚するのではないのだからいいのだ、と彼女は言った。ただ来るべきときが来た、と思ったのだと。それを保守的と言うんだってば、と思わないでもなかったけれど、今、目の前、三方向に広がる大きな鏡に映る彼女は、真っ白なウエディングドレスを着て微笑んでいる。ふんわりしたスカートには、ばかみたいに大きなリボンがついていて、ひとりでこんなものを着た自分の姿を眺めていることに、彼女はちょっと興ざめした。夫になる男は、寝坊してドレスの試着にはやってこなかったのだ。
「もうちょっと、飾りのないシンプルなものが好みです」と、彼女は担当の女性に伝えた。そのあと選び直してもらったノーブルなデザインのものを何着か淡々と試着し、好きなものと似合うものは違うのだ、ということに気がついて彼女はドレスショップを後にした。結婚式は、これまでの自分の埋葬と引換えに行われる祝祭なのだ。そう考えた彼女は、帰宅の道すがら、愛する男たちに順番にお別れを言いに行くことに決めた。
男たちの部屋はどれも違っている。ある男の部屋は、出会ったころは整然と片付いていて、散らばっているものと言えば古いコンピュータ雑誌くらいだったのだが、彼女が通うようになってから、衣服とかコンビニ弁当のごみが床に放置されるようになった。彼女はどうも、男の先天的なだらしなさを引き出してしまうようなのだった。彼女がかいがいしくこの部屋を片付けることはもうないので、早く新しい娘が現れることを願ったけれど、彼女がいなくなれば、もとの几帳面な彼に戻るだろうとも思った。
ある男は、彼女が部屋を訪ねると競馬予想に夢中で、先週の負け越し金額を得意げに話してくれた。彼女は彼のそういう陽気なところが好きだったが、彼はあまりにも陽気に昼間から缶ビールをあけたりしていたので、彼女が黙って出て行ったことにも気づかなかった。
ある男は、西の都に娘と息子と妻を持っていた。妻がときどき監視にくるので、彼女は男の部屋には何も置いていなかった。いつ来ても、この部屋には男の妻の気配が満ちていて、彼女はその生活を浸食することをひそかにおもしろがっていた。男が彼女を好きでたまらないことはよくわかったが、会っているとき常にぺらぺらと子どもたちの成長について話し続けるのには閉口した。始めは、罪悪感からくる行為なのだと思っていたけれど、他に話すことがないのだとわかってからは、彼に対する彼女の興味は失せた。男は最近家庭菜園に執心で、餞別に、と言ってプチトマトを包んでくれた。彼女は、実用的な果実よりも、もっと役に立たない美しい花束がほしいと思った。もらったプチトマトはその場で一粒食べて、あとは公園に埋めた。
ある男は売れない小説家で、独りで3LDKの広い部屋に住んでいた。本当は人と住むつもりだったんだけど、と、いつだったか彼は言葉少なに語ってくれた。男は左胸にひよこを飼っていて、彼女が彼の胸に耳を当てると、いつもその声がぴよぴよと聞こえた。彼女が別れを告げると男は寂しそうに笑って、どこへも行くな、というかわりに、どこへでも行ってしまえ、と言った。彼女は彼の、真夏でも毛布をかけて眠るところが好きだった。一緒に眠るときは暑くて閉口したけれど、男たちの部屋を知るということは、彼らの寝室のルールを知ることで、それがうれしかったのだ。
最後の男は稼ぎの少ないミュージシャンで、実家住まいだったために彼女と会うのはいつもラブホテルの一室だった。だから、彼女が彼との生活をイメージできたことはなかった。最後に君を抱きたいと彼が言ったので、彼女は了承して服を脱いだ。さっきドレスの試着をしてきたことを思い出し、今日は家の外で服を脱いでばかりだな、とちらりと思った。男は彼女の従順さに満足して、結婚してもこれやろうよ、と言った。彼女はその得体の知れない意欲にあきれながら、笑ってそれを断った。
すべての男を見納めたあと、彼女は母に電話した。母は「ドレスの試着どうだった」と彼女に尋ねた。うん、再来週もう一度行ってそれで決めるよ、と彼女は答えた。母は「再来週なら私も都合がいいから一緒に行こうかしら」と言った。そのあとで、「とにかく結婚するというのは生活を選ぶということなんだからね」と、何か釘を刺すような口調で続けた。生活を選ぶってどういうことだろうと彼女は思った。生き方、っていうことかな。でもそれもたいそう保守的な言葉だな。だいたい、こんな自分にこれから先ずっと誰かと暮らしていくことができるのだろうか? 誰かなんて言ったって、そんなの夫と決めた男に決まっているのだけど。彼女は電話越しの「幸せになるのよ」という母の言葉に適当な返事をしてから切った。
彼女は一度自分の部屋に戻った。幾度となく鍵を回して帰ってきたこの部屋からも、もうすぐ去らなければならない。彼女と一緒にベランダに出て、マンションの五階から遠い夕日を眺める。幸せになるのよ、とさっき母は言ったけれど、これはこれで今結構私幸せなんじゃないかな、と彼女は思っていた。
もう少ししたら寝坊した男の家に行かなければならない。彼は、今日は家でゆっくりすることにしたらしく、婚約者のウエディングドレスの試着をすっぽかしたくせに、掃除や洗濯なんかして過ごしているらしい。その神経が彼女にはわからない。もちろん彼のことを彼女は好きだったが、その理由は実は未だによくわからないままで、しかしそのために彼女は彼を選んだとも言えるのだった。彼が何者であるかは無関係に、彼女は彼のそばにいたいと思っていた。何もかも、理由はわからない。それが愛なのかもしれないとぼんやり思ったりもする。彼を知るためなら、彼の未知を引き受けることができると思えたので、彼女は結婚することに決めたのだ。でも今日だけは、自分が閉めてきたいくつもの部屋の扉を思って少し泣きたい気分でもあった。
未知のものに惹かれながらも怯えて、涙をこぼしている彼女のこと、可愛いなあと思うけれど、そんな彼女とももうすぐお別れしなくてはならない。もう少しやさしい言葉をたくさん掛けてあげればよかったかな。でも彼女はそんなやさしさに惑わされるような子ではないものね。だから静かに、さようなら。幸せの正体がわからなくたって、幸せになることをどうか恐れずに。今の私に言えるのは、ただそれだけ。
保守的な憧れで結婚するのではないのだからいいのだ、と彼女は言った。ただ来るべきときが来た、と思ったのだと。それを保守的と言うんだってば、と思わないでもなかったけれど、今、目の前、三方向に広がる大きな鏡に映る彼女は、真っ白なウエディングドレスを着て微笑んでいる。ふんわりしたスカートには、ばかみたいに大きなリボンがついていて、ひとりでこんなものを着た自分の姿を眺めていることに、彼女はちょっと興ざめした。夫になる男は、寝坊してドレスの試着にはやってこなかったのだ。
「もうちょっと、飾りのないシンプルなものが好みです」と、彼女は担当の女性に伝えた。そのあと選び直してもらったノーブルなデザインのものを何着か淡々と試着し、好きなものと似合うものは違うのだ、ということに気がついて彼女はドレスショップを後にした。結婚式は、これまでの自分の埋葬と引換えに行われる祝祭なのだ。そう考えた彼女は、帰宅の道すがら、愛する男たちに順番にお別れを言いに行くことに決めた。
男たちの部屋はどれも違っている。ある男の部屋は、出会ったころは整然と片付いていて、散らばっているものと言えば古いコンピュータ雑誌くらいだったのだが、彼女が通うようになってから、衣服とかコンビニ弁当のごみが床に放置されるようになった。彼女はどうも、男の先天的なだらしなさを引き出してしまうようなのだった。彼女がかいがいしくこの部屋を片付けることはもうないので、早く新しい娘が現れることを願ったけれど、彼女がいなくなれば、もとの几帳面な彼に戻るだろうとも思った。
ある男は、彼女が部屋を訪ねると競馬予想に夢中で、先週の負け越し金額を得意げに話してくれた。彼女は彼のそういう陽気なところが好きだったが、彼はあまりにも陽気に昼間から缶ビールをあけたりしていたので、彼女が黙って出て行ったことにも気づかなかった。
ある男は、西の都に娘と息子と妻を持っていた。妻がときどき監視にくるので、彼女は男の部屋には何も置いていなかった。いつ来ても、この部屋には男の妻の気配が満ちていて、彼女はその生活を浸食することをひそかにおもしろがっていた。男が彼女を好きでたまらないことはよくわかったが、会っているとき常にぺらぺらと子どもたちの成長について話し続けるのには閉口した。始めは、罪悪感からくる行為なのだと思っていたけれど、他に話すことがないのだとわかってからは、彼に対する彼女の興味は失せた。男は最近家庭菜園に執心で、餞別に、と言ってプチトマトを包んでくれた。彼女は、実用的な果実よりも、もっと役に立たない美しい花束がほしいと思った。もらったプチトマトはその場で一粒食べて、あとは公園に埋めた。
ある男は売れない小説家で、独りで3LDKの広い部屋に住んでいた。本当は人と住むつもりだったんだけど、と、いつだったか彼は言葉少なに語ってくれた。男は左胸にひよこを飼っていて、彼女が彼の胸に耳を当てると、いつもその声がぴよぴよと聞こえた。彼女が別れを告げると男は寂しそうに笑って、どこへも行くな、というかわりに、どこへでも行ってしまえ、と言った。彼女は彼の、真夏でも毛布をかけて眠るところが好きだった。一緒に眠るときは暑くて閉口したけれど、男たちの部屋を知るということは、彼らの寝室のルールを知ることで、それがうれしかったのだ。
最後の男は稼ぎの少ないミュージシャンで、実家住まいだったために彼女と会うのはいつもラブホテルの一室だった。だから、彼女が彼との生活をイメージできたことはなかった。最後に君を抱きたいと彼が言ったので、彼女は了承して服を脱いだ。さっきドレスの試着をしてきたことを思い出し、今日は家の外で服を脱いでばかりだな、とちらりと思った。男は彼女の従順さに満足して、結婚してもこれやろうよ、と言った。彼女はその得体の知れない意欲にあきれながら、笑ってそれを断った。
すべての男を見納めたあと、彼女は母に電話した。母は「ドレスの試着どうだった」と彼女に尋ねた。うん、再来週もう一度行ってそれで決めるよ、と彼女は答えた。母は「再来週なら私も都合がいいから一緒に行こうかしら」と言った。そのあとで、「とにかく結婚するというのは生活を選ぶということなんだからね」と、何か釘を刺すような口調で続けた。生活を選ぶってどういうことだろうと彼女は思った。生き方、っていうことかな。でもそれもたいそう保守的な言葉だな。だいたい、こんな自分にこれから先ずっと誰かと暮らしていくことができるのだろうか? 誰かなんて言ったって、そんなの夫と決めた男に決まっているのだけど。彼女は電話越しの「幸せになるのよ」という母の言葉に適当な返事をしてから切った。
彼女は一度自分の部屋に戻った。幾度となく鍵を回して帰ってきたこの部屋からも、もうすぐ去らなければならない。彼女と一緒にベランダに出て、マンションの五階から遠い夕日を眺める。幸せになるのよ、とさっき母は言ったけれど、これはこれで今結構私幸せなんじゃないかな、と彼女は思っていた。
もう少ししたら寝坊した男の家に行かなければならない。彼は、今日は家でゆっくりすることにしたらしく、婚約者のウエディングドレスの試着をすっぽかしたくせに、掃除や洗濯なんかして過ごしているらしい。その神経が彼女にはわからない。もちろん彼のことを彼女は好きだったが、その理由は実は未だによくわからないままで、しかしそのために彼女は彼を選んだとも言えるのだった。彼が何者であるかは無関係に、彼女は彼のそばにいたいと思っていた。何もかも、理由はわからない。それが愛なのかもしれないとぼんやり思ったりもする。彼を知るためなら、彼の未知を引き受けることができると思えたので、彼女は結婚することに決めたのだ。でも今日だけは、自分が閉めてきたいくつもの部屋の扉を思って少し泣きたい気分でもあった。
未知のものに惹かれながらも怯えて、涙をこぼしている彼女のこと、可愛いなあと思うけれど、そんな彼女とももうすぐお別れしなくてはならない。もう少しやさしい言葉をたくさん掛けてあげればよかったかな。でも彼女はそんなやさしさに惑わされるような子ではないものね。だから静かに、さようなら。幸せの正体がわからなくたって、幸せになることをどうか恐れずに。今の私に言えるのは、ただそれだけ。
ダイヤのパヴェ
いつもポーチを持っている。従姉のハワイみやげで、ハイビスカスの形のアップリケがついたものだ。中身は指輪と今年の初詣で買った学業お守りで、気分と場面によって、ポーチから様々な指輪を出して付け替える。いつもは右手の薬指にダイヤモンドの指輪だけをはめているが、週に二回はもうひとつ出して、左手にもはめる。雨が降ってほしくない日は、稀代の晴れ女だった祖母の形見のサファイアの指輪を取り出す。そういう時は実際よく晴れる。
ごめん眠っていた、という言い訳を受け取って1時間、銀座で待ちぼうけていた。綺麗な指輪をたくさんはめた私は、デパートの宝飾品売り場を見て時間をつぶすこともできずに、こうして日記を書いている。こんなふうに遅刻されるのは初めてじゃない。そう、もちろん初めてじゃない。黙って我慢しながら、今はくちびるの皮をむいている。
2015年1月23日金曜日
妻には家に居てほしい
多くの1LDK以上のマンションでは今、水仕事をしながらリビングのほうを見られるカウンターキッチンというものが普及していて、こうして漫然とテレビを見て夫を待つ暮らしというものを、洗い物をしながら何となく想像することもある。換気扇の下に置かれている灰皿に吸い殻を一つ足してから、散らばった灰を集めて掃除する。その時のことを思い出しながら、今は降り続ける雨の音を聞いている。
2015年1月22日木曜日
大型犬の歩み
大型犬を宥めすかしながら歩くのは、大変だが幸せな気持ちになる。大型犬はもう若くないので、階段を降りるのが苦手で、私が励ましたり、声をかけて支えてやらないとなかなか降りない。「ほら、がんばって」「もし落ちそうになっても絶対に支えてあげるから大丈夫」「おいで」と、優しい言葉を掛けつづけながら、大型犬の足を触ったりして歩き出すのを待つ。無事に降りられたら、ぎゅっと抱きしめて歩き出す前にひとまず体温を感じあう。大型犬は疲れやすいので、あまりたくさんは散歩しない。気まぐれで立ち止まったり、もの言いたげにこちらを見る時は、しっかり目を見てからだをなでて、わたしのほうから話しかける。返事はいつも、しっぽを見る。
2015年1月16日金曜日
意味はないけど寝てるあいだに首を絞めたい
抱きしめて頭をなでてもらって「ごめんね、僕が悪かった。悪かったよ」と言って謝ってもらえさえすれば、もうずっと穏やかな気持ちで一生を送れると思う。
少し昔のことだが、寝ているあいだについのど笛を噛みちぎろうかという気を起こす時期があって、しかし相手もどうやら夜中にわたしの首を絞めてみようと考えることはあったらしい。それを聞いて、本当にその相手を信用に足ると判断できたことは、大きな収穫だったと今でも思う。
もう5年も前にしんでしまった犬を今も思い出す。 ひとりでいる時は、過去の中でしか生きられなくて苦しい。側に人がいてこそ、未来のことを考えられる。しんでしまった犬は本当に一生懸命生きた犬で、気高く、いつも野生のたくましさを忘れない子だった。食い意地が張っていて、人間のいないあいだに饅頭を一箱ぬすみ食いしたことがあって、しかしあまりの量の多さに食べきれず、食い散らかしたのを残していたのでそれがばれたのだった。悪事のあとの彼女の腹のふくらみおよびその硬さを思い出すと、可愛くて懐かしくて涙がまだ出る。
食べすぎた子は愛おしい。欲望のまま行動した結果のまぬけさが、可愛くてせつない。たくさんの好きな食べものを心ゆくまで口に詰め込むのは、何と無防備でしあわせなことだろう。幼いころ一度だけ食べすぎて嘔吐したことがある。母のつくった食事で、それはどっちかと言えば妹の好物だったんだけど、わたしだってその料理はすごく好きだったので、その時はわたしがとにかくたくさん食べたのだ。気持ち悪くなって後悔するほどおなかいっぱい食べることなんてもうない。でも今はその料理はわたしの大切なレパートリーで、つくるたび、幼い日の嘔吐の思い出がよみがえる。
2015年1月12日月曜日
台湾の猿
その昔、父がまだ独身で若かったころ、彼の家では猿を飼っていた。父の父が台湾から戻ってくる時にもらってきたという、謎の猿である。なぜ台湾に行ったのか、勝手に動物を持ち込んで平気だったのか、今となっては何もわからないが、とにかく猿はその家に来た。雌の猿は、父のことをとても好きだった。ある時、父が結婚することになり、のちに私の母となる女を実家に連れて行った時、猿は母に飛びかかったという。父が抱いて宥めると、猿は父の肩越しに歯を「いー」とむき出しにして、母を威嚇しつづけた。母はそれからずっと、猿に怯えつづけた。母は娘をふたり生んだが、いずれの娘も、猿から大変に嫌われた。猿は母とふたりの娘をひどく脅すので、たいてい檻に入れられていたが、たまに出してもらうとすぐに父の膝に乗り、毛づくろいするように服の生地をなでていた。少し時間が経ってから母が父に似た息子を生んで、猿の住む家に連れていったところ、猿は彼を気に入って自分から膝に乗った。それで、私の弟は今でも「あの猿はかわいいところもあった」などと言う。私たち女からしてみたらかわいいどころではなく、歯をむかれて攻撃された恐ろしい思い出しかない。猿は化け物かと思うほどに長生きして、10年前に死んだ。そんな猿にも名前があったことをこの間久しぶりに思い出し、弟がその名を母に告げたところ「ああ、あの猿にも名前あったんだっけ」と、ぞんざいに言った。夫の愛人を侮蔑する正妻のような言いぐさだったが、猿にしてみれば母のほうがあとから現れて父を盗んだのであるから、先に死んでこんなに言われるのは報われないことである。
2015年1月8日木曜日
女の孤独
女が掃除機をかけるのは、不機嫌な時と決まっている。そういう時の女は家中のほこりがやたらと目につき、しかもそれには紙くずやら糸くずやら髪の毛やらが混ざっており、今すぐそのいまいましいごみどもを排除したくてならない状態であることが多いからだ。なぜほこりが目につくのかといえば、散らかす男、夫、あるいは子ども、それに準ずる存在のものものが女を苛立たせるからで、視界の隅でのんびり遊んでいるそうした人々ののどかさに比べ、私は今だってこんなにほこりまみれの家のことが気になってしょうがないのにお前ときたらまったく楽しそうだなこのやろう、という気持ちになるからなのである。そうしたら、音をたててほこりを吸う掃除機が、自分の憂鬱も吸い込んでくれるようにも感じるし、勢いよくがちゃがちゃとホースを走り回らせたくもなる。つい意地悪な心を起こして、ほこりをまき散らかす元凶たる男、夫、あるいは子ども、それに準ずる存在のものものを吸い取ったりしたくもなるというものだ。
2015年1月7日水曜日
息子たちの夢
今朝わたしが夢で生んだ子は従姉の子によく似ていて、そのことを母に告げると「ああそう」と嬉しそうな顔をした。不思議なことに私が夢で生むのは男の子ばかりで、女を育てたことはたぶんまだない。前に生んだ時も、飲ませるミルクがなくてどんどん腕の中で子どもが小さくなっていくのにおろおろしていたのだった。実際のわたしにはまだ授乳の経験がないので、夢の中でもそうしたことはできず、どうしたのかは思い出せないが、その時は9歳まで少年を育てたので大丈夫だったのだと思う。でも途中で妹や弟に、わたしでは子どもを育てられないと言われて彼を奪われそうになったのでそれが大変だった。そんなことを母に話したら「あなた思い込みが激しいのよ」と言われて、なんだか最近は、他人に思い込みの激しさを注意されてばかりだと思い、まあ、最近にかぎった話じゃないか、と思い直した。母は「やっぱり道ゆくお母さんを見てると、あなたも子ども育てたらいいんじゃないかと思うんだけど」としみじみ言って、「子どもを育てるというのは、なかなかの仕事よ」と優しく続けた。それを聞いてわたしはちっとも説教くさいとは思わず、ただ、できればその言葉に添いたいと思った。そのあと、今年は本厄だ、となにげなく言ったわたしに母は「お母さんはもう仏滅だってなんだって気にしないわ」という話をして「いいことはいいことだし、悪いこともいいこと」と強引にまとめた。
むかしむかし、たまごの白身が好きな弟と、黄身が好きな弟がいた。目玉焼きをつくってもらうといつも二人でうまいこと分け合い、ひとりは二個分の白身、ひとりは二個分の黄身で腹を満たしたのだという。でもそれから何十年も経ってしまって、今はどっちの弟が白身を好きで、黄身を好きだったのか、思い出すこともできない。
むかしむかし、たまごの白身が好きな弟と、黄身が好きな弟がいた。目玉焼きをつくってもらうといつも二人でうまいこと分け合い、ひとりは二個分の白身、ひとりは二個分の黄身で腹を満たしたのだという。でもそれから何十年も経ってしまって、今はどっちの弟が白身を好きで、黄身を好きだったのか、思い出すこともできない。
2015年1月6日火曜日
沈黙のうちに
誰が相手でも、言えることと言えないことがある。言いたいことと言いたくないことの別と似ているけれど、少し違う。そのことについて相手に説明する気は今のところない。
夜が深まる入口のころに、寂しくなって涙が出ることが多い。21時とか22時とか、そんなに遅くない時間である。走馬灯のようにちょっと昔のことを思い出すことがあまりに多くて、いよいよ本当の終わりが来たかな、と、思いながら泣くのである。
夜が深まる入口のころに、寂しくなって涙が出ることが多い。21時とか22時とか、そんなに遅くない時間である。走馬灯のようにちょっと昔のことを思い出すことがあまりに多くて、いよいよ本当の終わりが来たかな、と、思いながら泣くのである。
2015年1月3日土曜日
追込み馬の涙
横にぴったり並んで歩くことはもうない。いつでも私を気にせず行ってしまう背中を、3歩も4歩もうしろから、追いかける。距離が縮まることはあまりなく、いつか追い越そうという気ももう起きない。冬の夕暮れ、私の新しいブーツのかかとが蹄のように鳴る。
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