私が少し遅れたので、彼は私に何度か電話をしたようだったが私はそれに気づかなかった。事故にでも遭ったのかとても心配した、と彼は言った。私は約束より15分過ぎた時計を見て、謝った。
彼のかわりに書き取った話は、アドルノの弁証法についてのものだった。彼は私が持ち込んだノートパソコンを、タイプライターと呼んだ。
話の中で今村仁司のことに触れ、終わってから大伯父は、今村氏の著書をいくつか本棚から出してほしいと私に頼んだ。そのうちの一冊の奥付のページに、今村氏の小さな死亡記事が切り抜かれて貼られていた。大叔父はとてもまめなたちなのだ。
そうか、死んだのは2007年なんですね。
え、何年生まれなの、彼は。
1942年、って書いてあります。
じゃあ、ずいぶん早いな…60ちょっとで死んだのか。
はい。
…まあ、ああいう人たちは、だいたいみんなガチャ勉するから、身体も壊すんだろうねえ。
そうですかねえ。
私みたいに、適当にやってたらこんなに長生きもしてしまうけど。はは。
大伯父は、私が二週間前に渡した本を既に半分くらい読んでいて、これは翻訳者が25年もかけて訳したものらしい、という話をしてくれた。そのあと、私の携帯電話のアルバムを繰りながら、赤いパーティドレスを着た私の写真を見て彼は言った。
あなた、赤いのはあんまり似合わないんじゃない。
えっ、これが一番似合うと思って今まで着ていたのですけど。
その青のほうがいいよ。
そして私が今着ている服を指して笑った。紺色の、ジャージー素材の何ということのないマキシワンピースだ。僕が青を好きだということかな、と言いながらなお嬉しそうに笑っている。自分のらくらくホンに、この間娘が転送してくれた花火大会の動画があるので見たい、と言う。私は適当かつ適切に操作して動画を探し出し、しばらく一緒にそれを見た。最近仲良くなった介護士さんがいて、彼はどうやら若い頃に漱石を読んでるみたいなんだよね、と教えてくれた。17:30を過ぎて、介護士さんが夕飯を持ってきた。大伯父はまったく食事をとる意欲を見せない。
好きなものじゃないと、最近は食べられない。
うーん…そうですか。何がお嫌いなの。
そうねえ、肉とか…魚。
それじゃ食べるものなくなっちゃいますよ。
君、鯖は好き?
鯖?いや、あんまり。でも締め鯖は好きです。
私も、この間食べた締め鯖はおいしかったよ。
そのあと大伯父は、この間私が持ってきた佃煮がおいしかったと言って、別の人にもらった昆布は味がきつすぎる、とこぼした。確かに私が持っていった佃煮は、百貨店で買ったとてもおいしい(と私が思う)ものだったので、喜んでくれたと知って、うれしかった。
あれがまたほしいな。おねだりしてもいいかな。
もちろんですよ、また持ってきます。
彼がそれで白米を食べてくれるなら何でもしようと思った。
じゃ、そろそろごはん食べようかね。
大伯父がそう言ったので、私は少し安心していとまを告げた。今日書き写した原稿は、原稿用紙に清書して送ると約束した。手を振って私が部屋を出ようとしたとき、今ごはんを食べると私に言ったはずの大伯父が、気だるそうに横になってしまったのが見えた。立ち止まった私に彼は、背中が痛いんだ、と言った。
私たちの実際生活では、面つき合わせればいつもいがみあってしまうことが多い。素顔と素顔との対面関係が本当に平和裡に進行することは、まことに困難である。面つき合わせれば、何か暴力的なものが顔を出すのではないかと恐れて、私たちは互いに顔をそむけ合う。顔と顔とのスキ間にひそかに支配する権力が割りこみ、個人の人格はいつのまにか目にみえぬ大きい力に隷属してしまう。生活のなかにしっかりと根をおろした希望(暴力なき人間関係)を少しでも現実のものにするためには、何よりもまず素顔同士の意思疎通の可能性を追求することが要求される。他人を、強制力や暴力なしに受け入れるつきあい方、交通の仕方を建設することである。暴力をおしもどし、それが頭を出すところでそれを溶解させてしまう他者との関係ができるとすれば、それこそ希望の名にふさわしい人間の生活が生まれたといいうるのである。言葉のなか、思考のなか、さまざまな行動のなかに、棘のある暴力がある。私たちが実践する多面的な行為のなかから、暴力性とよぶべき要素をひとつひとつとり除いていくこと、こうした地味な作業こそ、単なる知的行為でない真実の理性の仕事である。生きられる生活を、暴力なき理性をもって建設すること。そこに思想と実践のあらゆる面で希望を育てあげる道が開けていくのである。
希望を失うな、希望を育てよ----これが現代思想の最後の言葉である。
(今村仁司(2006)『増補 現代思想のキイ・ワード』ちくま文庫)
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