寂しくなるとマカロニを茹でる。子どもの頃、母が手を抜いて時々、茹でたマカロニに粉チーズを振っただけのものを昼食に出していた。今さらそんな昔の事を思い出して泣けるほど素直じゃないが、要は、この名もなき食べものの存在を誰も知らない事が大切で、これを食べている時だけ、私は身体にまとわりつく煩わしきものもの全てを引きはがし、何ひとつ経験していなかった(ような)頃の気持ちを取り戻せるのである。咀嚼されてこまかくなり、飲み込まれ、身体に取り込まれるマカロニちゃん。いつか私の身体になって汚れるマカロニちゃん。あの頃は汚れを知らなかったマカロニちゃん。
あの夜は何となく楽しくて、ごはんをたべながら何杯か酒を飲んだ。そこでふと聞かれた質問に対し、どうでもいい事を説明するのに時間をかけてしまって息が詰まった。その瞬間、彼は言った。「まあ、どうでもいいんだけど」。その事に、存外私は傷ついた。傷つくのに、資格なんていらない。
面倒なのと、リビングに行くのが嫌だったので台所に立ったまま、茹で上がったマカロニちゃんをたべた。洗い物もすぐできるし、合理的で素晴らしい。母が見たら、お行儀が悪いからあっちに行ってたべなさいと言うだろう。でも、案外今の彼女だったら、何もかもどうでもいいから私もここでたべるわ、と言うかもしれない。立ち食い蕎麦、立ち飲み屋。共通しているのはすぐにずらかれるという事で、ここには長居しない、という意思表明をその場に入ってきた時からみんな行うことになる。
彼が「どうでもいい」と言い捨てた私の一部は、私にとってもどうでもいい。けれど簡単に処理はできない。それも含めてどうでもいいのだろうけど、つまらない何かをしゃべるのに口を使うくらいなら、私は他のことに使いたい。
マカロニちゃんは単純な味をしている。でもジャンクじゃない。パスタソースも使ってないから、油も少なくてヘルシー。余分なものだらけの人生を振り返る時には、マカロニちゃんにいてほしい。義務、思い込み、同調圧力。がんじがらめの私が自由に行き来できるのは現在と過去の間だけ。 未来なんてどうでもいい。どうでもよくないからそう強がるのだと人は言う。本当だろうか。なんて、冗談だよね、可愛い私のマカロニちゃん。 立ったままたべ終わったら、すぐ片付けて出ていかなくちゃ。
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