「何がしたいのかわからない」という指摘が、私をなじっているように聴こえた。そう聴こえる耳にも問題があって、何かしら後ろめたいからなじられているように聴こえてしまうのだ。でも、後ろめたい事は悪い事ではなくて、話そうと思っていなかった事を準備もせず話してしまったのがよくない(ただし、彼と話している時はそういう事がまま起こる)。こんな言い訳はただの責任転嫁だが、そう言いながらも「転嫁」の「嫁」って何だろう、とくだらない事が気になる。何で「嫁」って書くんだろう? それがどうでもいいとは今は思えない。まあいいや。みんな私がいつも優しいからって、先に不機嫌になるのは甘えてるって思うけど「優しい」の「優」は「優柔不断」の「優」という意味でもあるから、彼らが不機嫌になるのも仕方ない。
決断を迫ってはだめよ、と数日前私はある人にアドバイスしたばかりだった。「いつでも連絡してこい」というのではなく「今日会える?」と訊かれた方が返事をしやすい。かといって「俺かあいつかどちらかを取れ」と迫るのではなく「どんな事があっても側にいる」と伝える。いささか綺麗事すぎるかな、とも思ったけれど、恋愛相談は持ち込んできた人が元気になればいいのであって、何が起きるかなんてそこから先は誰にもわからない。本当に、わからない。
MN嬢、TA嬢との読書会にて、谷崎潤一郎の『痴人の愛』をテーマに話した。この物語そのものが、男の壮大なるプレイなのかどうか、というところに議論はたどり着いた。自己の輪郭を語りに溶かしながら、男は何を思っていたのだろうか。「何がしたいかわからない」という言葉は、この小説の男と女にも当てはまる。しかし私に言わせれば「何がしたいかわからない」人々は、「したい事」はなくても「したくない事」はあるのだ。小説の男は、女に逃げられたくなかったという一点に尽きる。私はたぶん、誰にも嫌な思いをさせたくないのだと思うが、そういう気持ちが誰かに嫌な思いをさせる事は、10年前から知っているのでもうどうにもならない。
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