2014年3月8日土曜日

パーティは終わりだ

待合室には老婆が二人いた。彼女たちはご近所の仲間同士らしく、ぺちゃくちゃとおしゃべりしていた。今上天皇が生まれたときに日本中で歌われた奉祝歌と提灯行列の思い出を語っていたので、聞き耳を立てた。その奉祝歌は北原白秋が作詞をしたもので、私は、亡くなった祖母が最期の病床で(なぜか)歌ってみせてくれたので、知っていた。本当に、あの世代の人々にはなじんだ歌だったのだ、という事実があらためて立ち上がってきてひそかに感動した。老婆たちはそのあとも、共通の知り合いのうわさ話や家庭事情などをあれこれ話し合っていた。しかし「彼はどうしたかねえ」と一人が言うと「あら、あの人は死んじゃったよぉ」などともう片方がのんびり返答するのには面くらった。
「え、いつ」「三年くらい前かねえ」「じゃ、あの人は?」「今は施設に入ってるってよ」「やだねえ、どんどん友達が減っていくのが悲しいよ」「あの人は息子が早くに死んじゃってずっと独りだったからねえ」「何で息子死んだの?」「がんか何かじゃないかねえ」
そこまで聞いて、私は先に待合室を出て靴を履いてしまったので、あとはどうなったか分からない。

あのとき誰かに埋めてほしかったものを、今、別の誰かがどれだけ捧げてくれようとも、だめなものはだめで空白は永遠に埋まらないのだと思う。穴のあいたバケツに水をそそぐような行為だと、わかっていても。

今言うべきではなかったことの断片を口走ってしまったのだが、助産師はその出産を促した。言葉の未熟児を産んでしまったので、腹にいるべつの子はちゃんと大きくなってから産むか、このまま子宮の中で細胞に戻って血になってほしい。

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