2014年4月11日金曜日

攻防

寝起きの顔は白い。何時に起きてもそう思う。午後の太陽の光のもとなどで見るとなおさらだ。

わかってもらいたいのだなあ、人は。でも、わかってもらえる人がいるだけいいじゃない、と自分の中から声もするのだろう。それは、わかってもらえるようにしたからそうなっているだけなのだ、と更に思うかもしれない。そこを突きつめたくなってしまおうものなら、誰も得をしないループに落ちて終わる。得、というのは何か新しい気持ちや視点を得ることだ。どこかで、愛する、ということに決めなければならないのかもしれない。恋愛は妥協であり、がまんではない。だから妥協をすることについて、私はそこまで否定的ではないが、何かをがまんしているようなことは良くないし、まあ恋愛をしているわけではないのだから時にはがまんも必要かもしれないけれど、冷徹な観察眼の、発揮のしどころ、というのは難しいものなのだ。ただのいじわるな人になるわけにはいかない。誰かのためになりたい、という気持ち(それは辛辣さをも十分に含む)を持っていなければ発揮してはならない能力なのかもしれないし、自分のためにその力を使ってしまうことは、どんなに苦しかろう、と勝手ながら想像する。でも、人としての隙、っていうのはつまり、おもしろみ、のことだから、なるべく背後を取られて追いつめられるべきじゃないし、あなたも、壁際にじりじり追い込んで、いたぶるのを楽しんでいる場合ではない。

上記のような日記を、昨夜の3:22に書いていた。書いた覚えはあるが、あまり美しいものではないので午前中からいったん公開をやめてみた。何を思って書いたのか、誰を思い浮かべながら書いたのか、あまりにも混ざっていてよくわからない。何より、咳き込んで起きて、朦朧とした意識で日記を書いたことが少し後ろめたかった。防御を高めることで攻撃力を上げている、ということは、私のような、生卵の精神の持ち主には憧れる。すなわち、縦からの力には非常に強いが、横からたたくと簡単に割れる。

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