書くのが進まなくて、また堤防にのぼって散歩した。私は子どもの頃から、話したいことを事前に練習してから話すくせがあって、今でもひとりになると、今ここにいない相手に向かってぼそぼそ喋って、イントネーションを工夫したり、言われてもいない相手の答えに怒ったり、会話を分岐させて想定を何種類も用意したりしてしまう。それで、最近のひとりごとは全部、関西のアクセントなのだった。音程とリズムと流れに自分をなじませて喋ると、島の方言(なのか、関西弁ごちゃ混ぜなのか?)に身を委ねることになる。でも、なじむのも相手の濃度によるというのもわかってきた。移りやすい相手とそうでない相手がいて、差はよくわからないけど、話す時の勢いとかこちらの気の持ちようなんだろう。浸食されてもいいかな、と思う時は私もいろんな言葉づかいを試す。
喫茶を手伝ってくれていた大学生の朝日が、東京に帰っていった。今日のバスがいちばん安いから、という理由だった。気持ちが優しくて面倒見と効率がよく、しかし野蛮な危うさも残したふしぎな子だった。ひとりで山登りをしながら犬の真似をしたり、みんなと砂浜に遊びに行って犬の真似をしたりしていたらしかった。もしかしたら朝日は犬そのものだったのかもしれなかった。フェリーが出港する時に、4歳になったニーナの息子が「あさひー」と彼に呼びかけた。朝日は「なーにー!」といつもの調子で叫び返した。「あそんでくれて、ありがとー!」とニーナの息子が言うと、はるか遠く、ジャンボフェリーの乗り口で朝日は、撃たれた人のような顔をした。「またあそんでねー!」という息子のたたみかける一言で、朝日は名前のとおり、東からのぼってきらめくような笑顔を見せ、島を去った。
夕方、いつおさんと久しぶりに喋った。モモちゃんが「いつおさんはこれからもずっと島に住むんですか」と訊ねたら、いつおさんは「そうね」とうなずきながら「どこに行くにもまず一度船に乗る距離感がちょうどいいかな」と言った。正確には、それを訊いたのがモモちゃんか誰だったかは忘れたが(だから日記は、本来その日のうちに書いておくべきなのだ)いつおさんのその答えが印象深かったから、よく覚えている。
海運業の青年がひさびさに姿を見せ、日曜日で喫茶の営業を終えるわれわれをねぎらってくれた。観光客はフェリーの出航直前に店に来るが、島の住人はみな、仕事の終わった夕方とか、船の時刻表と無関係にやってくる。他に客がいなかったので、マスターもふくめて全員でお茶をしながら、少し喋った。夕焼け小焼けのチャイムが聞こえたので、あっ、閉店しようかな、と思って時計を見るとまだ17:30だった。あれ? 今日鐘なるの早くない? と私が言うと「だって今日から9月やもん」と青年は言った。いやいや聞いてないし、と私がかぶりを振ると彼は「暗くなったらはよ帰らんと親御さん心配するやんか」と当たり前のように言った。育った環境の違いとは、何をふしぎに思うかの違いなのだった。
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