2020年4月25日土曜日
April 24.2020
・手帳による予定(手書き)
・LINEの履歴
・Instagram等のメッセージ履歴
・落合陽一のnote(https://note.com/ochyai/m/m41f58d360230)
・登録しているYouTubeチャンネルのいくつか
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2月の春節の頃から気配を感じていた.バレエクラスで一緒になる人に銀座の宝石商がいて,中国からの旅行者が来ずに需要が上がらない,銀座でも全然,中国の人を見かけないと言うので少し身に迫って感じられた.
2月19日(水)に配信されたnoteで,落合陽一が初めてコロナウイルスによる世界の変化を語り始めた.この頃は単発で終わるのか,シリーズ化するか,先行きの見えない感じ.
2/22(土)ごろには,3月半ばと,4月頭のアメリカからのチーム来日予定が延期・中止検討となり,翌週,ホテルと通訳者に調整を入れるメールをしている.
少ししてから,3/2(月)に予定していた製粉会社との会食が,先方からの提案を受けて中止になった.率直に言えば,その時は「そんなに神経質になることなのか」と思っていた.時を同じくして,4/29(水)から予定されていた製粉業界のチーム訪米ミッションが取りやめになることになり,航空券のキャンセルの手配をした.
2/29(土)になるとだいぶ落合noteの切迫感は増してきていて,美術界を中心にイベントの中止なども相次ぎ始めていた.
3/1(日)には野田秀樹が上演中止の相次ぐ演劇界の不安定さを「演劇の死」として訴えた新聞記事が拡散され,その扇情的な物言いが炎上した.平田オリザがのちに火消しのために大量の液体(たる言葉)をTwitterに注いだら実はそれはガソリンだった……というような出来事もあり,私は,本当に本気で,もうどう思われてもいいから年齢で区切る,50歳以上の人間の言葉に踊らされたりましてや信用しない,絶対に,と誓いを立てた.それくらい私は荒れるSNSに心を痛めていた.ということは今書き起こしていて気づいた.どおりで3月頭から少しずつ会社に行けなくなる日が増えていたわけだ.
しかしこの頃にはまだバレエのレッスンが出来ていた.消毒液をまくおばさまを,少し神経質に感じるくらい.でもこの頃から少しずつ,明確になんらかの影響が表れるようになってきた.自身が観劇を予定していたもので初めに中止になったものは,3/7(土)に予定していた,ままごと『タワー』だった.
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3/1(日),友人である母子から夕食の誘いを受ける.自宅から3分歩いて最寄駅,7分電車に乗って,5分歩けば着く距離だ.子は休校が突如決まり,4日(水)から自宅にいることになったという.復習ドリルやひとり遊びの時間割などを書いていて,私もまだ気兼ねなく遊びにゆくことができ,児童館や学童はどうなるのかしら,とまだ検討もつかないような疑問を口にした.児童館は閉まるらしい,と噂に聞いた.
3/5(木)には妹から,蘇づくりがブームになっているらしいよ,と面白半分のLINEが来ている.その頃私は,胃炎を繰り返すようになり,時たま会社を休むようになっていた.徐々にマスクなどが品切れを起こし,ボスが,毎朝の階下のドラッグストア開店時の状況などを教えてくれるようになった.
パリ・オペラ座の来日公演がその週末に『ジゼル』,翌週に『オネーギン』と予定されていて,私はチケットを取っていなかったけれどバレエクラスでもたびたび開催を危ぶむ声が上がっていた.既に日本のロックバンドなどは軒並みライブの中止を発表,あるいは強行によってバッシングを受けたりするなど物議を醸していた.無事にオペラ座は終演まで漕ぎ着けたが,今となっては本当にギリギリ,もはやアウトだったと感じている.踏切が閉まりかけているのを走って渡り始め,最後は閉まったバーを手でこじ開けて彼岸へ無理矢理帰ったような有様だった.後になって悪い知らせ(誰かの感染など)として返ってこなくて良かったと思う.
3/9(月)に上司をハワイでの予算会議に送り出した.直前まで台湾,中国,韓国のディレクターたちとも話していたが,東京オフィスのディレクターたる上司だけは現地に向かうことになった.他のアジア諸国は全員キャンセルしたように思う.アメリカ側のメンバーは「別に気にしないから自分たちでどうするか決めたら?(だってアジアの疫病でしょ?)(あとイタリア)」というような雰囲気を出していたのを私は覚えている.同じ日に私は個人的に,イタリアに住む梨乃にメッセージをしており「近くの町が封鎖されたりしてるよ!もうすぐ日本政府はイタリアからの渡航制限もするのかなあ」という返信を受け取っている.
3/12(木)には今年大学生になるという子を連れて六本木にゆき,食事と食後のコーヒーと,乃木坂までの散歩をした.入学式中止や授業開始が遅れる話題はここで出た記憶がない.
3/14(日)には自宅に客人が来た.雪の日だった.このあたりから着実に会社に行けなくなる日が増え,妹に相談などを何度かしている.
3/20(金)にもふたたびイタリア・チェゼーナの梨乃にメッセージをしている.
3/22(日)は花見をした.目黒駅から目黒川沿いを歩いて中目黒駅まで行った.
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次の週あたりから,体感として日を追うごとに状況が悪化していく一途となる.
3/24(火)には今年大学を卒業する人を祝いに出かけた.高田馬場駅から神田川を歩いて早稲田駅まで行った.
3/25(水)は夕方に心療内科に行った記述が手帳にあるから,おそらく会社は休んだ.
3/26(木),31日に予定されていた岸田國士戯曲賞の授賞式の中止が白水社から発表される.急なことであった.直前まで模索が続いていたのではないだろうか.
3/27(金)に配信されたマガジンでは,落合陽一が初めて「アフターコロナ」から「ウィズコロナ」と用語を使い替えている.この日のバレエクラスの後,先生が誘ってくれて4人で中華料理屋に行った.明日も来週も踊りたい,そんなふうに願っていた.緑ヶ丘の中華料理屋は週末だから人がいっぱいいて,そんな風景を,少しずつ不謹慎だなって,いや不快だなって,そっちに近い方の気持ちで見るようになっていた.自分たちはおなかがすいたから来たのであって,週末の憂さ晴らしにここに来たんじゃない,と思った.
妹に上司と話し合いに行ってもらい,私の精神疾患の話などをしてくれた報告を聞いたのが3/29(日)だった.本格的にテレワークに切り替えを命じられた矢先のことだった.そして3月の終わり,ひとりのコメディアンがコロナウイルスによる肺炎で死んだ.
4/1(水)は職場に復帰した.しかし帰宅途中,東横線でバレエの先生から,4/13までの全クラスを休講にするむねメールが入り,マスクをしたまま初めて,コロナの影響で何かが中止になったことで,泣いた.その夜はEnglish National Balletのタマラ・ロホによるオンラインレッスンを頑張った.
4/2(木)も職場に行く日にしていて,上司は休みの予定で,しかし私は寝坊をしてしまった.8時半近かっただろうか,とりあえず可燃ゴミを出さなければと焦り,赤いチェックの寝巻きにネイビーのハイヒールを突っかけて,部屋を出たのがいけなかった.その赤い寝巻きは,2013年6月だか8月だかに西荻窪のマンションの階段で同じシチュエーションで足をすべらせた時にも履いていたから,もう本当にハイヒールとの相性が致命的なんだと思う(でも妹のニューヨーク土産だから,捨てるわけにはいかなかった).そのままアパートの外階段を,いちばん上から下まで転がり落ちた.頭の中で一瞬にして西荻窪での失敗がフラッシュバックし,ああやっぱり私って会社に行けなくなる時は朝のゴミ出しで階段から落ちるようにできているのか,いやでもこれいつ止まるの,うわああ,と思っているうちにコンクリートに打ち付けられ私は止まった.駅に向かう女性が3人ほど手を差し伸べてくれて,ゴミを持って行ってくれたりした.私は立ち上がって,本能的に流血がものすごい量になっていることを悟ったが,骨は折れていない,捻挫も大丈夫そうだ,と冷静に考えた.経験から言って,必ずこれは,すごい量の血が出ている.間違いない.一刻も早く室内に戻り,対応しなければ.救急車を呼んでくれるという女性に丁重に礼を言って,ハイヒールの中が温かい血で濡れていくのを感じながら部屋まで戻った.玄関で手を伸ばして,なんでもいい,タオルを取り,床に敷いてから靴を脱いでその上に乗った.タオルを引きずるようにして部屋の中に入る.とにかく血が止まらなかった.でも何度も言うけど,私は過去にも精神状態が劣悪になった時には階段から落ちたり転倒したりして,たくさん血を流してきたから,どうすればいいかは分かっていた.それで救急外来で近くの総合病院の整形外科にゆき,ただちに傷を縫合する運びとなった.深かった右膝の傷は骨まで到達していたらしく,内側を3針,表面を5針.左膝はそれよりは浅く,3針.左半身を大きく打ち付けたようで,左腕の打撲,擦過も酷かった.首も軽く捻挫した.骨折と捻挫がなければ,傷さえ塞がればまたバレエができると,局所麻酔での施術を受けながら思った.包帯でぐるぐる巻きにされて終わり.夕方ごろ,よくよく舌でさわってみると左の前歯がすこし欠けていることに気づいた.
4/3(金)も,整形外科で傷を見せる.痛みによって背中にも擦過傷があることに気づいたが捻挫のため首が回らず自分ではよく見えない.孤独とは,背中の傷の様子を見てくれる人がいないと言うことでもある.そんな中,星野源がInstagramに「うちで踊ろう」の投稿をした.生まれながらにパンデミックを運命づけられた呪われしポップミュージックの誕生だった.
4/4(土),駅までのろのろ歩いていって電車に乗り,歯医者に行って前歯を治してもらう.
4/5(日),クレマチスを2鉢買う.ジゼルとミルタと名付ける.会計をしながら私がミニバラの白とピンクの鉢を物欲しそうに見ていると,花屋の親父は「入学式も何もかんも中止でさあ,売れないよ」と嘆きながら黙ってその2つも袋に入れてくれた.白をシルフィード,ピンクをジェームズと名付けることにする.
そこからは怪我のための自主的な運動制限と,ウイルスによる社会的外出制限の区別が判然とせず,植物の世話や読書などに明け暮れるようになる.会社には週2回ほど赴き,封書の整理などをする.毎朝のマーケットチェックメールなどの送信は自宅からも行える.
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4/24(金)もいつものように自宅勤務していて,昼間散歩に出た.人通りは少なく,しかしあまりに天気がよくて,ああ外出制限や死者が続出している世界はもしかして夢なのではないだろうか,人類の悪い夢,と考えながら自由が丘駅の方までゆき,ほとんどの店が閉まっている,あるいは短縮営業でしかないのを確認してから,園芸用の土を3キロと,ばらの花を買って帰宅した.それで夕方,とつぜん気持ちが溢れた.陽性で苦しんでいる人間がすぐそばにいて人ごとではない,と思った.怖いと思った.何が? と考えて,自分の死をコントロールできないことが怖いというのが言葉にするといちばん近い.しかしその考えは,じゃあ私は自分の死をコントロールしようとしていたと言うのか? という疑問も同時に連れてきたため,夜になったら友達に電話しようと思う.
私のかわいい弟,いとしい弟.お前をこんな疫病で死なせるために育てたわけではないのだ,医師になれるよう願って社に詣でたわけではないのだ,国家試験を受けてすぐの早い結婚を祝福したわけではないのだ.何もかもお前の未来,長く続く人生を思えばこそなのに,
2020年3月15日日曜日
恋愛問題集(酸いも甘いも大人のたしなみ編)
恋人を信用することと信頼することの違いについて、具体例を用いて説明せよ。
「あなたのことが好き」という文章と同じ意味のものを選べ。
2.あっちに行って。
3.もう嫌い。
いちばん美しい愛の終わりの言葉は次のうちどれか。
1.今まで本当にありがとう
2.これからも友だちでいよう
3.二度と会わないようにしよう
1.罪な男
2.危ない橋
3.ずるい女
恋の終わり
恋の始まり
結婚相手
自分を好きでいてくれる人の優しい言葉
恋した相手のそっけない一言
次の英文を日本語に訳せ。
2.愛は十分足りている。
3.愛だけでは十分ではない。
2019年9月24日火曜日
祖母の長兄からの手紙
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敬夫へ。
先日は外泊の折皆の元気な姿に接し兄として嬉びこの上もないものでした。
今日はお前に私の考へてゐること及びお前に言つておきたい事を、東京行の列車の中で書きます。よくよく熟読玩味して下さい。兄さんも学校に居る時は、自分の力を少くとも他の学生達の如くにでなく、自分の思ふ方向に対して向けてきたと今でも自覚してゐます。先日お前の買つたといふ本を見せて貰ひ、お前の勉強の対象が、私のそれを同じものに向けられてゐることを見て、一面嬉しさを禁じ得ないとともに反面ある意味での怖しさに駆られました。
まことに現代の学生の宿命とでも言ふべきものを感ぜずには居られません。
矛盾を社会の機構の中に見出した時、若い血が命がけでそれを解決しようとする。その姿は美しいものです。その姿はたゝへられねばなりません。命がけでやることに何で悪いことがありませう。
(中略)
お前は史学に専念すると言ひましたね。歴史を読む事は良い事です。人間が今迄に経てきた足跡を静かに想ひ、その中から、社会を歴史を世界史を人生を観照し、その中から自己の使命を見出すのです。
(中略)
もう少し現実的であれ。学校の机上の空論から離れた本当の勉強に入る様お願ひします。また少しむづかしい事を書いてしまひましたね。要するに私が軍隊に入り学生生活と比べてみて感じた事を書くのです。軍隊という処は一口では云へないが、とにかく愉快な場所ではありません。しかし、それが如何なる批判をうけると受けぬとに限らず、それはこの社会に現実に存在するのです。だから云ひたい事は、お前が正しいと信じた事も、正しいと想つた様には行かないのです。お前も坂梨と同様に素直な境遇に育つた人間なのです。少くとも私と同様に社会の逆境の中に居らない人です。
前置きが長くなりましたが、具体的な事を書きます。現在の日本を見ながら、現代の学生の仕事はいさゝか変化したのではないでせうか。学生が学生の本分のみに専心するには余りにも慌しき社会をみます。それでお願ひします。私のゐない家の者の、男の子のお前が中心となり、自分の身辺の者の為に動く様にして下さい。お前には未だ未だ解らないと思ふが親の愛と云ふものを痛感するのは自分が逆境に入つた時始めて解るのです。
どうか、父母上に、
「また機会ある日に」知子にたくす。
2018年11月7日水曜日
11/3/2018 シビウ演劇祭報告会にて
お手元に写真をプリントした物をお配りしておりますのでそれにそって、今日これまで発表されてきた方の話とは違う方面から、ルーマニアについて、シビウについて、文化についてどう考えるかお話しようと思います。
まずは今年の演劇祭滞在にお声かけくださった、北川大輔さん、谷口真由美さん、ありがとうございます。
あっ、実は今日着ているこれ、ルーマニアで買った服なんです。海外では、そこのもの買ってみる、着てみる、みたいなのことを私は結構大事にしてまして。この白いワンピース、一目惚れして買ったんですけど、日本だと着どころがないから(笑)。あとは、シビウの街でこのストールかぶって歩いてたら謎の家族に絡まれてごはん3000円くらい奢らされましたけどね。ストールは50レイでした、安いでしょ。赤、黒、白って揃えました。
▼自己紹介
実は私は大学時代、演劇を専門に学んでいたわけではありません。法学部を出てから、ITエンジニアとなって死ぬほど働いたのち、演劇批評やインタビュー記事を書く仕事にたずさわりつつ、フリーランスの演劇批評をしています。
法学部にいたと今言ったのですが、ゼミは国際関係論でして、卒論を、当時拡大途中だったEUをテーマにして書きました。実は私、高校生の頃から東欧革命が大好きで……。
今から説明しますが、東欧革命というのは、1989年に起きた東欧諸国の一連の民主化の革命の話です。なので、ルーマニアはずっと行ってみたかったのですが、何しろ治安が悪い。シビウはそんなことないんですけどね。だからほぼ15年〜20年越しに念願かなって、初めてのルーマニアに行ってきたというわけなのです。
これは現地の人から教わったのですが、私の名前のochiというのはルーマニア語で「オキ」と読み、「目」という意味だそうです。とってもいいですよね。それを聞いた時、この目を使ってきちんとルーマニアの風景を目に焼き付けないといけないなっていう思いを新たにしたのを覚えています。
▼ルーマニアの歴史
共産主義時代のルーマニアについて、国際政治専攻だった私から少し解説します。
シビウ演劇祭が25周年ということは、始まったのが1993年になりますね。ルーマニア革命が1989年なので、シビウ演劇祭は革命からわずか4年後に始まっているわけです。それがどれほど大変なことだったかは、想像を絶するものがあります。そして25年……四半世紀、ひとつの演劇祭が続いてきたということは、人ひとりが大人になって余りある時間が演劇祭とともに刻まれてきたということになります。
1989年がどんな年だったかというと、まず6月4日に天安門事件がありました。未だに中国では6月4日の天安門の警備はとても厳しいです。話が逸れて申し訳ないけど、当時の仕事で付き合いのあった40代の中国人部長は、中学で習ったのはロシア語だったって言ってましたね。中学生が英語習うのと同じ感覚で。今(の中国人の中学生)は英語やってるらしいですけどね。
だからまず私は、シビウの街中を歩きながら、ボランティアをしている子供たち、遊んでいる子供たち、パフォーマンスに出演している子供たちの姿を見て、「この子たちは革命を知らないのだ」「独裁者であったニコライ・チャウシェスクを知らないのだ」と思ったんです。だから、ボランティアが、人のために働くということが、文化芸術が、欧州三大演劇祭として人々の中に浸透するまでに、どれほどの人々の尽力があったかは想像してもしつくせない。10日あまり滞在しましたが、それは毎日考えていましたね。
ニコライ・チャウシェスクという独裁者は1964年に大統領に就任し、89年に失脚するまで、24年間、独裁体制を敷いていました。だから、今年シビウ演劇祭が25周年を迎えたということは、初めてその長さを超えて、シビウ演劇祭が独裁に勝利したと、そういうことだと言えるんです。
チャウシェスクはね、息子が(体操選手の)ナディア・コマネチを無理やり愛人にしてたとかそういう話もあります。それでコマネチはアメリカに亡命したんですけど。とにかくそういう話には事欠かないです。
ルーマニア革命のもう一つ重要なことは、一連の東欧革命の中で唯一、人々の血が流された、死者が出た革命だったこと。89年の夏ごろ、ポーランドでの革命を皮切りに、東欧では次々と共産政権が倒れました。
ルーマニア革命は、シビウよりもうちょっと大きい、ティミショアラという街で起きた、今思えば小さな市民暴動が起きたのがキッカケとなって起こりました。その鎮圧のためにチャウシェスクが軍を出し、ティミショアラの人々を弾圧しろと命令した。そこからドミノ倒しです。ティミショアラの市民鎮圧に反発した、ワシーリ・ミリャという国防大臣が銃で死んだのが、数日後に発見されました。その真相は闇の中なんですがそれがチャウシェスクの粛清だったんじゃないか、許せない、という鬱憤の溜まっていた軍部の独走による、一種の集団ヒステリーで国が倒れました。
半日であっという間に大統領夫妻は捉えられ、即日、銃殺されました。2018年現在では、そんなことなかなか、考えられないですよね……。
ちなみにシビウ演劇祭で上演されたシルヴィウ・プルカレーテの作品『スカーレット・プリンセス』にあった、権助が引き回しのうえ銃殺される場面は、チャウシェスク大統領夫妻の暗喩で間違いないです。なぜかというと、それだけ共産主義の時代に弾圧されてきた演劇人が、銃殺というモチーフに無意識であることは有り得ない。
……というようなことが、様々な知識とあわせて観ると、鑑賞可能になるわけです。
ちなみにルーマニアの貨幣はレイ(レウ)、バニです。ルーマニアは、2007年にEU加盟してますけど、財政状況がまずいんでユーロは許されてません。来年導入予定らしいけど、EU幹部と言えるドイツやフランスは、ルーマニアのユーロ導入どころではないかもしれません。
▼キリヤックの言葉
正式に招聘していただいたということで、シビウ演劇祭の創始者であり、現在のディクレターでもあるコンスタンティン・キリヤックに面会する機会があったのですが、その中で私はキリヤックに訊ねました。「革命の余波が残る25年前のルーマニアで演劇祭を始めた当時と、今ではどう違うか」と。
回答の中で非常に印象深かったのは「フェスティバルを始めた当時、夜20時になると街に人通りなんかなかった」と。相互的に監視しあう中で、街中の人がフェスティバルを楽しみ、国内外から人々が集まるなんて、そんなことは有り得なかった。だから、今の華やかな演劇祭の街としてのシビウになるまでには途方もない人々の熱意と努力があったのだと思うのです。
そして、この橋。この橋の上で嘘をつくと橋がくずれるという、「嘘つきの橋」と呼ばれるいうシビウの観光名所です。あ、でもこの橋の上で市長が重要な発表とかするらしいですよ。「本当のことだ!」っていうパフォーマンスの意味で(笑)。
でもね、注目してほしいのは、この背景の屋根にある目みたいな窓。今は可愛い観光名所となっていますが、当時は隣人を相互監視するために使われていたとキリヤックは言いました。共産圏の相互監視はエグいです。隣人の誰も信用できない。すぐ密告されて連れて行かれる。
それでですね、先ほどから何度も話に出ているフェスティバルクラブ(※ナショナルシアターの裏庭でビールなどの屋台が出ており、深夜までボランティアやアーティストが交流できる場所)という場所で、40代の男性に「革命のこと覚えてる?」って聞いたんです。ただ彼は「あんまり覚えてないな。子供だったからなあ。10歳くらいかな。拳銃ごっこがめっちゃ流行った!」って言ってまして、子供ってすごいな、タフだなと思いましたけど(苦笑)。彼はきっと幸福な方だったと思うんです。暮らしていたのがシビウだったというのもあるでしょう。ブカレストだったらそうはいかなかったはず。でも、その彼でさえ「両親からは、家の中での話は外でするなって言われてた」と言ってましたね。
ブカレストに行っていない上に、危険すぎて確認不能のため、見てはいないんですがブカレストでは、今でもマンホールの下で、「チャウシェスクの子供たち」と呼ばれている青年たちがギャング化して暮らしてるらしいです。共産主義時代には国策として出産が奨励されていたんですけれど、結果的に革命後に親に捨てられた子供たちが麻薬漬け、暴力漬けでブカレストの地下に暮らしているんです。
だからルーマニアは今も非常に治安および経済状況の不安定なところであり、良い面の賞讃だけをするのは間違っています。記憶にある人も多いと思いますが、2012年にはブカレストにて、女子大生が強姦殺人で殺される事件がありました。大変心を痛めました。実は彼女は私の母校の後輩であり……だから、今回、私には彼女が見られなかったルーマニアの景色を見るという意味の旅でもありましたね。(※現在は、ブカレスト空港ではきちんとナンバーを確認したタクシーしか入れないなど、対応が取られているようです)
▼日本との違い
皆さん実感されているとおり、文化には力があります。文化芸術の浸透はとても時間がかかるものです。
最初に谷口さんがお話してくださった、オスマン・トルコからの侵略を防いでいた、武力で超えられなかった石の壁を文化が超えるという「民衆の壁」の話はまさにそれを象徴するものです。
そして、写真に戻りますが、これは街中にあふれていたお花です。メインストリートのカフェ、それからナショナルシアターの演目の初日に配られたバラの花です。一輪ずつ観客に配られました。一番下のは、初日だったり楽日だったりに、お花を渡す係の人がいて、舞台上にお花が置かれるんですよね。その自然さ、上演を寿いでいる様子に、私は文化の根付き方の違いを感じました。お花が美しいということは素晴らしいことなんです。花を贈るというのは、あなたがいてくれて嬉しい、すばらしい作品をありがとうっていう意味でしょう? お花が私たちを迎えてくれている。それは、ひいては、街が私たちを迎えてくれるということにつながるわけです。
まあ、ここまで「違い」ってさんざん言ってきましたけれども「違い」を感じるためには、比較対象が必要なわけです。
フェスティバルクラブみたいな場所、普通の日本のフェスティバルにはないです。例外はありますけど。基本的にはない! 22時になったら劇場は閉まる。だから、楽しむ、感動するだけじゃなくて、どうして日本にはそういう場が少ないのかっていう問いを持ち続けてほしいなと思います。
そして、この演劇祭専用アプリケーション。これは元エンジニアとして非常にエキサイトしました。チケットの予約、地図、日程まで検索可能で、これを開発してバグ無しで稼働させるのはなかなか、相当頭いい人が関わってる。ユーザインタフェースも素晴らしい。控えめに言って最高でしたね! このレベルのものは、日本では見たことない気がします。
最後に、出会いについて話そうと思います。「素劇 楢山節考」を観に行く途中で、アレクサンドラという女性と一緒になりました。上演後、彼女を見つけたので、声をかけてまた一緒に帰ることにしたんですね。アレクサンドラに、「字幕で『山の神様』っていう言葉が出てきたでしょ。 "God" と書かれていたけれど、あなたたちの神様とは意味が違うの、わかった?」と訊いたら、それは理解できた、と言っていた。「ただ、周りのみんなは拍手していたけれど、so hard story だったから私はとっても手を叩く気にはなれなかった……素晴らしかったけれど!」と言っていて、感受性豊かでとても聡明な女性だと思いました。
『楢山節考』を読んだ方はご存知かもしれませんが、小説の中には、命が惜しくて楢山に行きたくないと泣きわめく老人の描写があるんです。『素劇 楢山節考』では「蟹」の登場する歌が歌われるのみでしたが、実はこの「蟹」、とても恐ろしい意味で、そうして死にたくないと泣く老人の手足の骨を砕き、それでも這って帰ってこようとする姿を揶揄して「蟹」と言っているエグい意味なんですよ。
そのことをアレクサンドラに説明したら「(字幕の)crabがそんな恐ろしい意味だったなんて……」と震えていましたけどね。そういう意味では日本のカンパニーが作品を輸出する時の在り方を考える余地はもう少しあるかなと思いました。
その時、アレクサンドラは黒地に白い小花模様のフレアワンピースを着ていて、素敵ね、と言って褒めたら「でも、この白い花が今はおりんに降り積もった雪に見えるわ。だから今日のことは忘れないわ」と彼女は言っていました。 忘れられない出会いです。
▼楽しいだけではない
最後にひとつ言いたいのは、芸術と政治は密接に関連しているということです。厳しいこと言いますけど、批評をやる上で、無知は罪なんです。政治的な演劇もある、演劇的な政治もある、かつては演劇がプロパガンダに利用されたこともあります。そこは非常に注意深くいてほしい。
楽しいだけではないんです。1989年のルーマニア革命の時の難民受け入れ、確か日本は二人とか、三人とかだった気がします。ふざけてますよね。それって、今の外国人労働者とか移民の問題についてもまったく進歩してないんですよ。
ボランティアは大いに素晴らしい。だがしかし、ボランティアということの意義を問い直し、搾取されていないか、あるいは芸術が誰かを搾取するものになっていないか、自問自答し続けてください。それは東京オリンピックに対してどんなふうにカネが動くか、考える材料にもなるでしょう。
知識同士のコンテクストの繋がりをトレーニングすることで芸術っていうのは鑑賞可能となります。きちんと背景を知ること。知性のシナプスをつなぐこと。アンテナを張りまくること。
今日の会でもいろんな人の思いを知ることができて、本当によかったです。本当に感謝しています。日本のある種の貧しさの中で、皆さんが文化に対してどう動くか、何ができるか、苦しくても考え続けることを芸術の世界では幸せと呼ぶんです。
そしてそれは、もはやシビウ演劇祭に関わった皆さんにも他人事では、ないんです。
2018年6月18日月曜日
二度目の謁見(14.06.2018)
「にゃー」「ミャオー」など様々な鳴き方を真似して気を引き、シャッターに収める。ふらりと現れた東洋人ももともとのこの町の住民も、ネコには関係ないらしい。
両替所に行くも「9時からしかやってない」と言われる。なお、その時、時刻は9:30であった。ルーズベルト。ルーズリーフ。ルーズソックス。(これは「ルーズ」と変換するにあたり入力ソフトが提案してきた3つの単語である)OK, I'll come back later.
しばらくのち、両替は無事できた。古着屋さんにお邪魔してはワンピースを試着させてもらったりする。今日の収穫は、今のところなし。薬局で美容クリームを買えるだけ買う。
初日は歌舞伎の花道の横だったため字幕が見づらかったが、後ろの席の見やすさよ!! 助かる。プルカレーテ、やっぱり展開が早すぎるというか緩急が凄まじい。姫が権助に犯されて子供できてから、生まれたときから閉じたままだった彼女の左手が開くのが原作だけど、プルカレーテ版は逆で、もっと早く左手が開いた。
でも原作だと権助に犯されてから姫が彼に惚れると思っていたのだが、プルカレーテ版にはそのくだりがなかった。犯される→権助の刺青を見つける→惚れて自分の腕にも刺青入れる、が原作だったような……?
プルカレーテ版は、姫が最初に彼の刺青を見つけ、犯されずに自分で彼を誘っていた。
最初、白菊と清玄の心中の思い出から始まったため、物語は清玄の走馬灯になるのかと思いきや、生命力溢れる桜姫に乗っ取られてしまった。メインテーマは、恋した男が悪人だった女の業だった。
清玄と再会して恋に落ちる話じゃないのは謎だとかねがね思っていたが、しかし、これは白菊とともに死にきれなかった清玄の情けない人生の結末でもあり、その業が彼を幽霊に、最後には化け物にしてしまったのだ。
そう思うと清玄が、始めからひげを長く生やした老人の風貌だったり、黄色の異様な衣装で現れたり、スマートさをいっさい見せさせてもらえなかったのも分かる。死にきれなかった清玄への、罰の物語というのが裏にある。桜姫が清玄を選ばないからあんなにおじいちゃん清玄が暴走してキモくなるのだ。
毒蛇で死んでなお幽霊として姫にまとわりつき、最終的には祟り神のような全身白いモフモフになって彼は死んだ。じじい、モフモフになって死す。
モフモフは実は序盤で、娼婦になる前の桜姫を襲う役回りとして群れで登場していた。おそらくあれは、男性たちの欲望の根源のイメージ。モフモフは刀を股から出していて、あれは男性器のメタファーなのだと思った。それらモフモフを斬り捨てたのが権助であり、のちに姫は彼に惚れたものの、自分の父と弟を殺したのが権助とわかり、権助との子どもも殺し、市中引き回しのあげく権助を撃ち殺した。
引き回しの場面は、ルーマニア革命で殺されたチャウシェスク大統領夫妻の隠喩だろう。そして権助は、チャウシェスクとおなじ銃殺で死んだ。
この作品では、原作の歌舞伎よりも桜姫が強い自立した存在である。そのように「女性像」を書き換えてくれて、プルカレーテ氏、ありがとうという気持ち。桜姫は、搾取する権助をも討ち取って、自らの幸せを手に入れた。赤ちゃんは、可哀想であったが……。
桜姫の衣装が真っ赤である! という強さを改めて感じた 。最後には彼女はキャミソールドレススタイルの衣装を引き裂き、ブッダのような様相になる。あの強さは、レット・バトラーを手放して、自分の道を歩んでいくスカーレット・オハラにも見え、非常に力づけられた。クライマックス、カーテンコールでポーズを決める桜姫と権助のカッコイイことよ。なお、桜姫は男性、権助は女性が演じた。
衣装その他については今後随時追記。
2018年6月16日土曜日
パパとママのために僕は死ぬ(13.06.2018)
13:30より、フォーラムを聞きに行く。街中の、入口の分かりにくい、しかし内装はスタイリッシュな会場。この日のテーマは "Role of the Built Environment Shaping Visitor Experience" というもので、パネリストはディレクターや建築家など様々な職種の人物たち。デンマークのルイス・ベッカー氏、アメリカのエリック・バンジ氏、ルーマニアのアレクサンドル・ガヴォツデア氏、日本からは隈健吾氏が参加。特に印象深かった言葉をいくつか。
ルイス・ベッカー氏による「アイコニックな建築は人々のアイデンティティになる」。
エリック・バンジ氏による「劇場をつくる際、あるいはどこかを劇場と見なす場合に考えるべきことはふたつだ。そこにやってくる人々のこと。そして、コンテクストのこと」。
アレクサンドル・ガヴォツデア氏による「共産主義時代のルーマニアの劇場の建物は古かったが、人々が集まる場所としてはよかった。この20年でかなり改修が進み、(シビウ演劇祭のディレクターである)キリアックが2000年頃から演劇祭を拡大していった。人々が、演劇というものを、(※筆者補足:おそらく何かのプロパガンダとしてではなく)アートとして楽しむようになったのもその頃からだ」。
16:00近くになってから、劇場にゆくTK女史を見送って、KM嬢とファストフード店で遅いランチ。チキンライス、チョルバ・ド・プイ(鶏肉のスープ)を食べる。量が多い。そして美味しい。
17:00ごろ、ホテルのスパでひと泳ぎ。温水プール以上、温泉未満の水温。プール並みの深さがあり、スイッチを押すとジェットバスが動き出したり、滝から水が流れ出てきたり、なかなかのスケールだった。ただし、スイッチを押したものの止め方が分からず、そのまま横のオフィスの人に状況を託してスパを出た。
18:00からラドゥ・スタンカ国立劇場にて Teatrul Metropolis というルーマニアのカンパニーによる "Hamlet, The Prince of Denmark" を観劇。舞台はシンプルなソファ、古いテレビ、そして上手に生演奏のピアノや管楽器、コーラス。上演時間が休憩ありの2時間50分と知らされていたので、原作どおりに進めるのかな? と思って観始めたが、先代デンマーク王の亡霊が現れるのではなく、彼の葬式のシーンから始まったのでやや意表をつかれた。若々しく威厳のある父で、ハムレットが父をいかに慕っていたかが表される。葬儀後、先代王は舞台上に再び現れ、ハムレットに自らの死の真相をほのめかす。存在感が強い。これはエピローグへの伏線。
以下、『ハムレット』のあらすじ、登場人物は読者が知っているという前提で書き進める。
ハムレットは、父と自分の写真をロングTシャツに安全ピンで留めている服装。かなりラフである。それに対し、クローディアスやホレイショーや、ローゼンクランツ、ギルデンスターンは、王室関係者らしい服装とまではいかなくてもかっちりしたスーツ、ベルベットのようなコートを着ている。レアティーズに至っては革ジャンで、不良っぽく気が強そう。しかし不思議とちぐはぐには見えず、ハムレットがやさぐれた引きこもりだから、だらしない格好をしているように素直に受け入れることができた。マザーコンプレックスかつ、強いファザーコンプレックスを抱いており、母がすぐに再婚したことが嫌でたまらず、そのあまりコミュ障になってしまった若者がたまたま王子だった、というように受け取れる。あるいは、王室のように裕福な「家庭」だからこそ、安心して甘ったれることができたというか。
ちなみに舞台上に英語字幕が出るが、オペレーションのミスがひどく、スピードが早すぎてまったく読めない部分が多々あった。『ハムレット』でなかったら完全にストーリーを見失っていた。「弱き者、汝の名は女」を始め、有名な台詞の数々はそのまま使用。
あえて言うなら、クローディアスがくつろぐ時など、たまに舞台上のテレビが付けられて白黒映像が流れるのだけれど、ある種の現代化にしては不成功だったように思われる。
演技のスタイルは、いわゆる真っ正面からの熱演。ガートルードとクローディアスの性愛描写も肉感的である。ハムレットの悩み方が、マザコンとファザコンのミックスの上に成り立っており、内向的だが、その在り方に説得力を持たせるだけの自分勝手なキレっぷり。甘えて母に当たり散らす、狂った息子に見えた。
そんなかっこ悪めのハムレットとなぜ(表向きは隠されているけれど)相思相愛……? と感じてしまうほど、オフィーリアは魅力的。鼻っ柱が強い訳ではない、お嬢様ゆえの気の強さがにじみ出ており、第一印象がまず好感。そこから、10代の少女(ですよね、確か?)らしい、あの年代特有の熱っぽさと真正面からハムレットにぶつかっていく様子。「尼寺へ行け!」と言われて、打ち拉がれるのではなく戸惑って怒って、最終的に泣いて去っていく。まさに、リアルな恋人同士の喧嘩。「え……どうして? 何で急にこんなこと言われなきゃならないの?」という、雰囲気。
ここでのハムレットはかなり暴力的にオフィーリアを虐める。首をつかんで床に押しつけ、髪を引っぱり、罵倒する。実はそれがエロティックに私には見えて、なぜならその力の奮い方に押し殺された歪んだ愛情を感じてしまったからだ。乱暴なセックスに興じるカップルのよう。日本でここまでの暴力的な描写は見かけない。やはり、演出家が俳優に、無意識に配慮してしまうのだろうか? それとも、愛と暴力が恐ろしくも紙一重であるという感覚を表出させる演出があまり好まれないのか?
そのあと、ハムレットがクローディアスの悪事を暴くために劇中劇を上演するのだが、そこにはオフィーリアも来た。ピンクのドレスの盛装で、気丈にハムレットを無視。そのつんとした感じが私の気に入る。あとで気づいたことだが、ここでオフィーリアがただ怒っているだけであり、落ち込んでいない、むしろ恋人同士の派手な喧嘩に収まっているということは、のちに彼女が狂ってしまうのは父、ポローニアスがハムレットに殺されてしまったからで、肉親の絆というのがこの演出において重要視されていることがわかる。
最高だったのは、ポローニアスの殺し方が剣ではなく角材での撲殺だったこと。「ねずみかな?」という例の台詞のあとにハムレットが大きな角材を手に裾にさがり、下手からものすごい殴打の音。そして頭から血を流し、よろよろと現れたポローニアス。衣装で血糊で床が汚れるのをさりげなく防ぎ、ガートルードが死体を引っ張って上手にはけるのもスムーズで美しかった。
さて、ご存知のとおり、ポローニアスから怒濤の死の連鎖が始まるわけである。
気がふれてしまったあとのオフィーリアの素晴らしさを、伝えきれる気がしない。落書きだらけの乳母車をひっぱってきた彼女は、白いレースの洋服、輝くティアラを頭につけ、まるでお姫さまごっこをする幼児に退行してしまったようだった。そんな幼児じみた彼女は人形遊びをしながら、人形同士を笑いながら性交させたりする。つまりここから大切な処女を捧げたハムレットが父を殺したというショックが窺い知れるわけで、レアティーズがいくら宥めても彼女の狂気は止まらない。ちなみにこの期間、ハムレットはクローディアスの陰謀でローゼンクランツ、ギルデンスターンとともにイングランドに行っており、不在。かなりオフィーリアの狂気の過程に時間が割かれる。一度はけて、舞台上が薄暗くなり、天井から小さな滝ほどの量の水が振ってくる音がする。そこにやってくるオフィーリア。振りそそぐ水で遊び、笑い声をあげながら歌い、水たまりにばたんと倒れ込んで、溺死。俳優がひとり出てきて、オフィーリアを抱き上げて裾に下がる。
さて、身代わりにローゼンクランツ、ギルデンスターンを殺してきたハムレットがイングランドから戻ってきた。ローゼンクランツ、ギルデンスターンの二人は容姿も服装も似ていて、ボーイズラブのような描かれ方をされていたのも手が込んでいたので死んだのは寂しかった。物語上致し方ないとはいえ。
ハムレット、ホレイショーが出くわしたのはオフィーリアの墓を掘っている墓掘りたち。彼女の死を知らず高揚しているハムレットは墓掘りたちとギターを引いて歌い出したりする。そこへオフィーリアの棺が運ばれてくる。このオフィーリアの遺体の美しさは、ジョン・エヴァレット・ミレーの有名な絵画を超える素晴らしいもので、薄いヴェールをかけられ息ひとつしないまま目を閉じていた。彼女の葬儀の描写が、冒頭の先代デンマーク王の葬儀と同じスタイルで執り行われたのも象徴的だった。それを目撃したハムレットはショックを受け、棺に追いすがって墓に入る。レアティーズが「お前のせいだ!」と言いながら殴りかかり、二人してオフィーリアが埋葬された墓の中で、彼女の遺体を踏み荒らしながら乱闘する様子は、死後のオフィーリアのみじめさをいっそう際立たせていた。
そして二人はフェンシングで決闘することになる。えっ、フェンシングのマスクをかぶるとどっちがハムレットでどっちがレアティーズか分からない! と思ったが、ハムレットのフェンシング服の背には王家の紋章が刺繍されていて、それで見分けた。あと、たまにマスクを外して息をつくので、それでも判別可能だった。かって飛び散る真珠の玉。お互い、毒のついた切っ先で傷を付け合い、死を覚悟したハムレットは毒の残っているグラスを手にし、クローディアスを信じられないほどの力で押さえ込んで抵抗する義父の口にグラスを押しつけ、酒を流し込む。ここも爆発的な暴力、explosive violence.......を感じて身の毛がよだつ思いがした。
死を覚悟したハムレットは「ママー!!」と叫び、ガートルードに寄り添って腕を取り、死んだ母親に抱きしめられながら息を引き取った。最後まで、父と母に執着し、母を奪われた憎しみを具現化した若者として、ハムレットは死んだ。
ここまで原作に忠実に上演されてきたように思われるが、フォーティンブラスの存在はすべてカット。王室が舞台ではあるけれど、隣国との緊張関係や軍事的、政治的な描写をなくし、ひとつの「家族」の物語に演出されていたというわけだ。ホレイショーは、フォーティンブラスではなく、観客に向けて「この悲劇を語り継ぎましょう」と言う。そこへしずしずとやってきたのは、先代デンマーク王。彼が累々と重なる死者たちの遺体の手を引き起こしたところで、終幕。
その後のエピローグシーンが秀逸だった。舞台上に、劇中で死んだ人々が全員現れ、自分たちの写真を大きく引き延ばしたネガフィルムを壁に貼って、横並びになる。赤い照明に照らされたのち、再び暗転。どれほどの死者が溢れた悲劇だったことか。毒殺、撲殺、手紙のすり替えによる殺し、溺死。どれも哀れだ。「家族」がこじれた結果、これだけの人が死んでしまった。それらを非常に情熱的に演じ切った俳優たちも見事だった。私が素晴らしいと思ったのは、特にオフィーリア、ハムレット、クローディアス。
KM嬢は22時からの別の演目のために早々に退出。私は、雨がぽつぽつ降る中、劇場側のフェスティヴァルクラブに寄って、ボランティアやゲストの友人たちと少し話した。ビールを1杯飲んでいたところ、 赤ワインを見知らぬ男性ボランティアからごちそうになる。彼は今年40歳とのことで、生まれてこのかたずっとシビウに住んでいるという。「1989年の革命を覚えている?」と訊ねると「自分はあの時子どもだったけれど、子どもたちの間でしばらくおもちゃの銃撃戦ごっこが流行ったよ」と教えてくれた。流血の記憶がすぐそこにある国。今も流血の可能性と地続きにある、この大陸。
降り出した雨は夜中に激しい雷雨に変わり、まるでこの世が終わるみたいだった。それでも、誰が死んでも、いくつ政権が変わっても、また世界に朝は来るのだ。
2018年6月14日木曜日
私はどんなふうに振る舞えばいいの?(12.06.2018)
朝食では、スクランブルエッグではなくゆで卵に挑戦。久しぶりにゆで卵を食べた。
午前中、KM嬢と今度は街の北側へ散歩。坂の上にあるアッパータウンと、下にあるロウアータウンの境目まで行く。アッパーとロウアーというのは階級を意味するのではなく、観光地であるアッパータウンか、住宅街であるロウアータウンか、という違いしかない。
昨日のように、手当たり次第に雑貨屋に入ってはおもしろそうなものを探して歩いた。嘘つき橋(The Bridge of Lies)の脇に、小さな洋服店を見つける。入ってみるととても感じのよい女性が店番をしており、ブルーの花柄のノースリーブワンピースがあったので鏡で見ていると「試着する?」と聞いてくれた。調子にのって他にも2着着てみたが、最初のブルーのワンピースがいちばん気に入ったので、買った。80レイ。
日記を読んでくださっている皆さんからは、お前は服と食べ物とコスメしか買っていないのか、とお叱りを受けそうだが、ちゃんと、評判のよい演目は追加でチケットを購入している! 演目の人気が出てしまい、取れない時もあるけれど……。
あまりにブルーのワンピースが気に入ったのと、外がとても暑かったので「このまま着ていくのでタグを取ってください」とお願いし、着替えて散歩を続けた。Tシャツ、ジーンズで歩いていた時に比べて、急に、男性たちの視線がこちらに向き出したのがわかる。あからさまに声をかけてくる男が増えた。ChineseかKoreanかJapaneseかは恐らく彼らにとってどうでもよくて、東洋人がなんかイケてるワンピース着て腕と脚を出してるぜ、フー! と言った感じなのかもしれない。やや複雑な気持ちになり、道ばたで煙草を取り出して盛大にふかしてやった。私のおしゃれは私のためだし、私の喫煙は私のためである。
チョルバ・デ・ブルタというハチノス入りのガーリックスープを近くのファストフード店で食べる。9レイ。スープだけかと思っていたらパン付きで、私の胃袋にとっては立派な軽食になった。具がめいっぱい入っていて美味しい。街には子どもがたくさん集まってきており、アイスクリームなどの屋台を含め、ここのファストフード店にも子どもが大勢来ている。いやに子どもの人数が多く、引率の大人が少ない。学校の遠足っぽいな、と分かることもあれば、これは誰がどの子の親? みんな子だくさんすぎない? と思うくらい、子どもだらけのこともある。子どもたちはアイスとレモネード、それからドーナツが大好きだ。
20時から、"LURRAK"というコンテンポラリーサーカスの演目を観る。Lurrak Antzerkiaというスペインのカンパニー。登場人物はある工場で働く労働者たち、それを統率するいけすかない上司がひとり。工場を模したステージ上で、女性が宙からぶら下がった鉄の輪で華麗にアクロバットを繰り広げたり、屈強な男性がロープパフォーマンスをおこなったりする。上司は終始、嫌みったらしく、でも肉体的には弱っちい役柄で、ときどき台詞はあるものの、字幕がなくてもジェスチャーと口調だけでシチュエーションが分かるくらい、戯画化されたものだった。その中でサーカスとしての技が次々繰り出され、最終的には上司もロープで釣られて力強くパフォーマンスし、結局、労働者と上司は和解しておしまい、という筋書き。途中で、パフォーマーたちが観客を何人かステージに上げて一緒に踊らせるシーンがあったが、中盤にそのシーンを組み込む意図は不明。そして当然かもしれないが、選ばれたのは恐らくルーマニア人(もしくはヨーロッパのどこかだ。つまり、白人だ)であり、パフォーマーたちは東洋人の私になんて目もくれなかった。
こうして朝から少しずつ蓄積してきた違和感は、次の演目を観て横溢することになる。
それが、イギリスのカンパニーである Luca Silvesrini's Protein "BORDER TALES" である。マチネ公演を観たKM嬢から「ぜひあなたの感想を聞きたい」と意味ありげな(ポジティブな意味の)連絡をもらっていたので、ドキドキしながら劇場へ向かった。ちなみにルカ・シルヴェストリーニは、城崎国際アートセンターに2015年に滞在し、街の人々と "CROSS ROAD" というコミュニティダンス作品を手がけたコレオグラファーでもある。城崎の友人たちがことあるごとに「ルカは素晴らしい人だ」「あの作品は最高だった」と今でも言うのをずっと聞いていた。彼らの話しぶりから、ルカ・シルヴェストリーニこそが、発足して2年目ほどだったアートセンターを、決定的に街に認知させたのだと私は感じている。城崎の人は愛を込めてルカを「魔法使い」と呼ぶ。ほんの少し現実を解体してねじを締め直すだけで、まったく世界を変えてしまう「魔法使い」なのだ、と。
"BORDER TALES" は、ダンスと台詞を交えた作品。初演は2013年、エジンバラにて。主人公は、典型的なイギリス人男性。ばりばりのBritish Englishを喋り、エリザベス女王を尊敬している、と語る。そこへ、Irishの男性、両親がイギリスに移民としてやってきたムスリムの男性(申し訳ない、国の設定は失念した)、同じく台湾から両親に連れられてきたアジア女性、同様の環境のナイジェリアの血を引く黒人女性、コロンビアのミュージシャン(実際に劇中でも演奏していた)などが現れる。彼らは自らのルーツとアイデンティティを語りながら、それでもイギリスに受け入れきってもらえない虚しさを抱えている。ナイジェリアにルーツを持つ女性は「私の母は昔からいつもこう言ってたの! 女はめしを作れ! 家事をしろ! って。でも私はそれが嫌だった。だからロンドンに住んでる」と言う。台湾移民2世の女性は「みんな私に聞くの。どうしてイギリスに来たの? って。でも、私はここで生まれてここで育ったから、そんなの聞かれても困る」と語る。
主人公は、そうした全員を招いて "Welcome" と書かれた風船を持ってきてパーティをしようとする。しかしそれは空回りし、彼は勝手に、客人たちの飲み物を「ジャスミン茶」とか「ウイスキー」とか決めつけてしまう。ムスリム男性が「ハラルウォーターをくれ」と言った時に戸惑ったところは、笑いどころではあった。もちろん、笑う人は誰も居なかった。随所に民族的な舞踊、それらがコンテンポラリーにアレンジされたものが交えられ、複雑な境界の問題が身体のリズムとともにダイナミックに盛り上がってくる。身体が伴っているから、頭でっかちに先走っている感じがなく、嫌みがない。
しかし、昼間から「女性であること」「東洋人であること」の、当たり前の異端さをじわじわと感じていた自分、そして狭い日本に嫌気がさしてヨーロッパで日本のことなんか忘れたいと思っていた自分にとって、 この演目はとても切実なものだった。もし私が、舞台に上げられていたら、君の宗教はShinto, 君の飲み物はgreen tea と言われていたことだろう。そして「女性ひとりでヨーロッパに何しに来たの?」とも、問われる。直接言われることはなくても、絶対に、彼らのまなざしが私にそう問う。
終盤、主人公はみんなの気持ちがわからず「どう接していいかわからないから教えてくれ!」と叫ぶ。しかし別の人物から「それは自分で考えろ」と言われてしまう。主人公以外のダンサーたちは客席、あるいは舞台の奥に散り、懊悩して落ち込む主人公を眺めている。
日本で、政治的な問いを含む作品がつくられることは珍しくない。でも、日本である以上、宗教の問題は観客に響かないし(私が宗教にかんする点において日本の観客をまったく信用していないというのもある)、これだけの人種が移民で首都に住んでいるということを可視化すること自体がおそらく難しい。いちばん近い問題は、在日韓国人の永住権にかんするテーマだと思うが、今のところ在日韓国人の現在、3世を越えてもはや4世に突入しようとしている時代、を描写している作品に出会うことは稀だ。それが私の知見不足だとしても、少なすぎる。絶対に。
脱線するけれども、日本の植民地侵略時代を描いた作品や、日本からの南米移民を描いた作品は、ある。いくつかの権威も得ている。だが、日本国内に住む外国人のこととなると、まだまだこれからだ。これからに、本気で期待したい。そうでなかったら、日本の演劇界には希望がなさすぎる。
何度か公言していることだが、私は大学生の頃の恋人が在日韓国人3世であったため、その頃から移民、在日韓国人のことを非常に自分ごととして捉えて考えてきた。考えるほど「俺とお前は違う」「絶対にお前は俺を理解できない」と言われた記憶がよみがえる。それは、打ちのめされてパーティを途中でやめてしまったあの主人公の姿に、重なるのだ。魔法使い、ルカ・シルヴェストリーニに私があらためて掛けられた呪い、あるいはまじないが日本で解ける日は、いつになるだろうか。
終演後、拍手をしながら流した涙は、感動したからではなく、悲しくて悔しくて、でもそれをルカがこんなふうに掬いあげてくれたのが何より嬉しかったからだった。
愛の苦しみ(11.06.2018)
今日は、二人とも追われている締切がなかったので、朝食のあとに、ホテルのスパに入るための水着を買う目的で、15分ほど離れた大通りまで散策に出かけた。古びたファッションビルが並んでいて、片っ端から入ってみる。一言で、日本人に伝わるように説明するなら「しまむら」であった。服、靴、水着、帽子、何でもごっちゃに売っている。婦人服が多いが、まれに紳士物もある。フロアで分かれていたりは、しない。ワンピースや靴に花柄やカラフルなものが多く、KM嬢と二人で「可愛い!」「これも可愛い!」と連呼していた。昨日、アレクサンドラにも「可愛い」という日本語の意味と用途を教えたのだが、改めて考えると「可愛い」は本当に万能で、very useful! と伝えたのもあながち間違いではない。KM嬢は10レイほどのショートパンツをお買い上げ。
その後、市街の真ん中まで戻り、大きな教会を目指す。プロテスタントの、ホーリートリニティ大聖堂。壁画、天井画が非常に美しく、いわゆるミサ(プロテスタントだから礼拝か)のための椅子がない状態で、とてもひろびろとした空間だった。飾られている聖母子の絵の前で十字を切り、祈る。
KM嬢がアイスを買う。生姜アイスを彼女はチョイス。素晴らしく美味だった。
そのあと、私のわがままで、小道の奥にあるドレスショップに寄らせてもらう。オフホワイトの、パフスリーブで、脇が編み上げになっていて、最高に可愛いロングドレスを買った。昨日見かけてから恋いこがれ、やっぱり欲しかったので買ってしまった。200レイ。
夕方までお互いひと仕事、ということでKM嬢とホテル前で別れる。すぐそばにアイスの屋台があったので、レモネード(名物)飲みながら仕事したいな、と思い買うことにした。しかし、値段が6レイなのに、財布には5レイ50バニ(※レイの補助単位)しかなかった。あとは50レイ札とか、つまり夜店のたこ焼き屋で1万円札を出すくらい非常識なことなので、正直に「レモネードが欲しいのですが only 5レイ50バニしかありません」と言ったら「OK!」と言って売ってもらえた! この街で、何かに成功したような気がした。
ルーマニアのお買い物、特にスーパーマーケットは面白くて、細かいおつりが本当は53バニなのに50バニしか返してくれなかったり、18バニなのに20バニ返してくれたりする。細かい10バニ以下のコインが面倒なんだろう。ちなみにバニは複数形で単数形はバン。レイの単数形はレウ。
そのあと、調子に乗って別の店でグリーンスムージーも飲む。「にんじんベース」「緑の野菜ベース」「ベリーベース」など、メニューを見てだいたいは分かるようになっていたけれど、「緑の野菜ベース」のうちからなるべく何が入っているか読めないものを選んだ。15レイ。つくっているところを見ていたら、りんご、セロリ、パイナップル、パクチー、生姜などが入っていた。美味。
16時から、Kibbutz "Mother's Milk" を観劇。イスラエルのカンパニーによるもの。開始した瞬間に、ダンサーたちの圧倒的な体の軸の強さを感じる。ポジションをどう崩しても必ず高い位置に軸があり、安定感と実験的な振付の往来を可能にする。男女から始まり、親子、同性同士など人間の様々な愛の形が揺れて少しずつずれ、一個人のものとして獲得されていく様子が描かれる。黒のシンプルな衣装も美しい。 "Mother's Milk"というのは、恐らく親子の愛とすれ違いが描写されていたこともあるが、すべての生き物は母から生まれ、離れ、なにがしかの愛に出会い、傷ついたり幸せになる、という普遍性を象徴していたようにも思う。"Milk" はちょっと、作品意味を狭めてしまっていたかもしれない。暗喩があったのだとしたら私には読み解けなかった。しかし、満場一致の(というのも変だが)自然発生的なスタンディングオベーション。上演時間は1時間。
20時から、Teatrul National "Radu Stanca"Sibiu (国立劇場の俳優たち)による『ヘッダ・ガブラー』。こちらは休憩ありで3時間。初日にブカレストから車で一緒だったアシュリーとロビーで再会して、抱き合う。
宇宙船のようなSF仕立てのセット。下手に配置されている、黒い鋭利な形をしたソファが、おそらくガブラー将軍の棺なのだろう。そこに、ヘッダの母が座り、幼少期のヘッダが懸命に母の気を惹こうと健気にがんばっているところから物語は始まる。なお、ヘッダの母はのちのち何度か舞台に登場するが、いっさい言葉を発することはない。死んでなお娘のコンプレックスの根源でありつづける亡霊として見事な存在感だった。ところどころスタンドマイクを使って、俳優たちの発声を意味ありげに聞かせる演出が特に成功していたと思うが、それは別としてもヘッダ役の俳優がとにかく魅力的に感じられた。コケットでありながら、強さ、脆さをあわせもっていた。特に、強気であるほど弱い部分が引き立つのだ。ヘッダは男を振り回す魔性の側面を全面に出すと、食傷気味になるし、後々のスキャンダルを恐れて弱気になる側面との整合性が取れなくなるため、本当に難しい役だと思う。
演出は終始SFであり、宇宙服を着る場面があったり、ロケット発射の描写があったり、"Hey, Siri" と登場人物がiPhoneに話しかけたりしていたけれど、物語の筋は丁寧に原作をなぞっていた。それがもしかしたら、イプセンの時代の女性の葛藤のリアリティを下げていたかもしれないけれど、でも時代がどれだけ変わっても、みずからの女性らしさに時に縛られ、苦しむ女性は居るものなのだ。たとえ、何人もの男から愛されたとしても。
休憩前に、登場人物たちによる自己紹介(リアルなもの)とダンスタイム……アメフトでいうハーフタイムショーのような感じと言えば伝わるだろうか、紙吹雪が乱れ飛び、観客は手拍子でのりのりになる中、ヘッダが妖艶に踊り、男性たちもそれぞれソロダンスを披露する時間があった。ここで終わっても、名作になったかもしれない。実際、終演したと勘違いして帰った客も散見された。ちなみに休憩前直前のシーンは、テアがヘッダに、レーヴェボルクとの不倫を打ち明け、涙にくれるところで、誰も死んでいないから後半を観るべきだったけれど、盛り上がりとしては確かにハーフタイムショーが一番だった。
後半まで観て、ヘッダが追い詰められて死を選ぶところは説得力があったけれど、先に死んだレーヴェボルクとヘッダが、ラストシーンで仲良く宇宙船で宇宙に飛び立ってしまった。いや、お互い、生きたいように生きられず、人間同士としては激情を交わすには向いているけれど平穏な結婚生活は送れない相手だから、死んでからともにある、しかし孤独に宇宙に放たれてしまう、というのは悪くはない。スケールが大きい演出だけに、また、イプセンの女性描写というものは万人の納得できる演出というのは難しい、ほぼありえないと私は考えているので、ラストが綺麗に収まりすぎてしまったのはややもったいなかった。
イプセンの上演は2018年現在、ますます難しくなっていると感じる。どんな演出にせよ一長一短で、だが、ノラ(『人形の家』)のような世間知らずの弱い女、ヘッダのようなスキャンダルを恐れて自分を出せない女が滅んだわけではない。実際には、今もノラ、ヘッダのような女性は居わけで、そういうのを知らずして「イプセンの戯曲は今の女性像に合わない」とは言いたくないし、やたら強い女性に改変された演出も見たくない。時代が進むにつれて、様々な女性像が可視化されて、ある程度(ある程度、というところが重要だ!)許容されてきただけであって、変わらぬ苦しみの中に居る人は居る。
国立劇場のレパートリーのためか、終演後、ロビーで薔薇の花を観客たちに配っていた。ホテルの部屋に帰り、空いたペットボトルに水を入れて挿した。部屋に赤みがさして、美しい。
2018年6月12日火曜日
雪の小花のワンピース(10.06.2018)
昼には、KM嬢とルーマニア料理店へ赴いた。サルマーレ(ロールキャベツ)が品切れだったので、トゥキトゥラ(ビーフシチューのようなもの)と、クロケット(チーズのフライ)、追加でミティテイ(ラムと豚のつくねのようなもの)を頼む。トゥキトゥラにはマッシュポテトならぬマッシュコーン(正式名称はママリーガ)、ミティテイにはパンがついてきて、副菜にも大満足。私は、海外に行く時はまったく和食が恋しくならないタイプで、その土地でしか食べられないものにしか興味がない。
毎日タイムテーブルとにらめっこで、移動時間、上演時間を見越してその日のタイムスケジュールを調整する。昨日のプレカレーテの作品は、徒歩で30分かかるくらいの場所にあったが、今日観るのは近所の教会で、16:00からのゴスペルコンサート。London Community Gospel Choirという団体。子どもも何人か親に連れられて来ており、素晴らしいタイミングでノリノリになったひとりの少年が歌のワンフレーズを響かせたところで、会場は大いに湧いた。微笑ましく、神の恵みに満ちた時間だった。
一度ホテルに戻り、メールマガジンを配信。チェルフィッチュ岡田利規さんの連載が最終回を迎える。
劇団1980『素劇 楢山節考』を観るため、KM嬢と待合せてまたしても徒歩30分歩く劇場(プレカレーテの作品を観に行った場所とは別)へ向かう。地図を見ながら歩いていたところ、ひとりの女性に話しかけられた。
彼女の名前はアレクサンドラと言った。ブカレストに住んでおり、昨年に続いて今年もバカンスを取ってシビウに来たとのことだ。「あさってまでしか居られなくて、そこからはノルウェイに行くの」と嬉しそうに話してくれた。なお、ブカレストからオスロまでは飛行機に2時間半とのこと!
3人でGoogleマップを見ながら劇場へ歩く。野良犬が吠えている。「日本では、犬は『わんわん』って吠えるんだけど、ルーマニアでは?」と訊くと「『ハムハム』っていうのよ」と教えてくれた。可愛い。
知っての通り、深沢七郎による『楢山節考』は姨捨山伝説がもとになっている。原作に忠実に、歌も交えつつ上演された。聞くところによるとヨーロッパ各地でこの作品を上演しているらしい。老婆のおりん役の静謐さが印象に残る。しかし、何点か(いや、もっとか?)気になる点があり、それを以下に書いてみる。
まず『楢山節考』の時代背景がいっさい説明されていない。舞台は「長野」と劇中で明言されていたが、観客たちが「ナガノ」という一地方の名前から、どの程度、寒さや貧しさを想像できたかは分からない。同じように、このような姥捨が実際にあったことなのか(東北の間引き、娘の身売りなどとは別にして)説明がないので、これが現代も続いている風習というふうに思われる可能性がないわけではなかった。日本語上演、英語字幕なので、字幕をかなり追って見ていたが、さすが海外公演を重ねているだけあって洗練されたもので、そこは良かった。
ただ、時代背景の説明と同時に、さっきアレクサンドラと偶然話した「動物の鳴き声」が登場する際の問題を強く感じた。劇中で俳優が、春の場面では鶯の「ホーホケキョ」、夏が過ぎ行くのを表すために「ミーンミーン」から「ツウツクホーシ」、そして「カナカナカナ」という、蝉の種類を鳴き分けていたのである。
これは、私には、わかる。日本で夏を30数回過ごしてきた私には、蝉が初夏、盛夏、晩夏で変わっていくのが、わかる。でも、犬が「ハムハム」と鳴くルーマニアでこれは……? と、考えざるを得なかった。字幕にも、何も表示されなかったので。
おりんが楢山へ行く際、息子におぶわれて「早く行け」という意味で無言のまま、右手を甲の側へ二度振る仕草(つまり「おいでおいで」の逆仕草)をおこなったのは大変美しかった。また、おりんの最期に降り積もる雪は白い布で表されており、まるでヴェールをかぶった聖母マリアのようであったと言ってもいいほどだった。
上演後、アレクサンドラを見つけたので、声をかけてまた一緒に帰ることにした。「『山の神様』っていう言葉が出てきたでしょ。字幕では "God" と書かれていたけれど、あなたたちの神様とは意味が違うの、わかった?」と訊いたら、それは理解できた、と言っていた。「ただ、周りのみんなは拍手していたけれど、so hard story だったから私はとっても手を叩く気にはなれなかった……素晴らしかったけれど!」と言っていて、感受性豊かでとても聡明な女性だとあらためて思った。
『楢山節考』を読んだ方はご存知かもしれないが、小説の中には、命が惜しくて楢山に行きたくないと泣きわめく老人(当時はみっともないとされた)の描写がある。『素劇 楢山節考』では「蟹」の登場する歌が歌われるのみだったが、この「蟹」というのは実は恐ろしい意味で、そうして死にたくないと泣く老人の手足の骨を砕き、それでも這って帰ってこようとする姿を揶揄して「蟹」と言っているのだ。そのことをアレクサンドラに説明したら「crabがそんな恐ろしい意味だったなんて……」と震えていた。これは上演を観ているだけではわからないことなので、「蟹」という言葉に秘められた恐ろしさはもしかしたら上演に組み込んでも良いのかもしれない。
「ところで、さっきから思っていたんだけれど、あなたのワンピース素敵ね!」と、私はアレクサンドラに言った。黒字に白い小花模様のフレアワンピースで、会った時から可愛いと思っていたのだ。「ありがとう、これは今日おろしたてなの!」とにっこり微笑み「でも、この白い花が今はおりんに降り積もった雪に見えるわ。だから今日のことは忘れないわ」と彼女は言った。
緑の瓶、紅の姫(09.06.2018)
野田「演劇との自分のキャリアの出会いは高校生。学校の演劇クラブに入ってそこは男子校だったので、なかなか男子だけの芝居を探すのが大変で、4、5人の男子の芝居を自分で書き始めたのがきっかけ。作家をやりながら役者をやっているのは当時から続いている。なので、femel boyもナチュラルに書ける。日本には歌舞伎の女形というのがあるように、not unusualなことなんです」
司会者「高校生の時も、女の役を男がやった?」
野田「そのプロダクションではね。アクトレスを男の配役にしたりすると、ミラクルが起きるから。change the gender on stage.」
司会者「iconicだ」
野田「僕はイギリスのテアトルコンプリシテで演劇メソッドを学んだ。kind of miracleなことだった。第二次世界大戦以降、日本のカルチャーは変わった。ナチュラルにウエスタンカントリーの文化を受け入れた。ただ、それが infuluence too muchしてしまったかもしれない。日本人はJapanese traditionalな歌舞伎のようなmany things を忘れてしまった。
司会者「crazyだけどいいと思った?」
野田「幸いにして僕はキャリアスタートのころから多くの観客に恵まれた。70年代の僕の演劇のグループは大きかった。でもそれが有名になるピークだったのかもしれない。そこから僕が本当に欲しいもの、つくりたいものをつくるようになった。moneyのためではなくね。for my life. 70年前に日本がつぶれたところから、劇場が生き延びる方法を考えている」
司会者「いわゆる大御所と、インディペンデントな若い作家を東京芸術劇場では呼んでますよね」
野田「......Yes(ちょっと苦笑)」
司会者「conpromisedっていうことですね。あと10年後、あなたは自分自身のプレッシャーがなくなってからどうしたい?」
野田「今はやりたいことたくさんあるけど、その時その時にやりたいことをやるしかない。10年前は芸劇からオファーされてつくってたけど、今は若い人たちとつながりを持って若い劇場にしていきたい。それはきっとうまくいくだろう。大変だろうし、frastratingだろうけれど」
司会者「芸劇は数年前、若いディクレター(※藤田貴大のことと思われる)が『ロミオとジュリエット』をやりましたよね。エネルギッシュでしたね」
野田「フラストレーションもありましたけど、でも僕が演出じゃないしね。でも、とてもハッピーな出来事でしたよ」
司会者「西洋の俳優のphysicalityと東洋の俳優のmentalityはどう違います?」
野田「日本は「ただやれ。do!」と入ればやります(会場笑)。Why? How? とか言わないよ。西洋はみんな は? 何でこれやるの? って言うでしょ(笑)。think about before acting.」
司会者「ところで、シェイクスピアとの関連について訊きたい。シェイクスピアを現代化するとはどういうことか? 皆さん、野田さんのシェイクスピア演出作品には、メフィストとか出てくるんですよ。hybridityですね」
野田「謝ります(笑)」
司会者「Too late!(笑)」
野田「シェイクスピアを日本語に訳するのは、とてもとても難しい。伝えたい気持ちがついていかなくて、だからjapaneseのいろんな要素を入れてみるんです。僕が生まれた時から日本は何となくstupidな雰囲気だったし、なんでそうだったかは説明できないんだけど、TVから得られるようなカルチャーにフラストレーションを持ってた。日本のTVは、イヨネスコとか、そういう不条理的なboth sideがあるんですよね。60〜70年代くらいかな。fantasticと言えるかもしれない。
司会者「黒澤明はシェイクスピアの影響を受けていましたね。黒澤、蜷川幸雄らのスタンダードに対してあなたはどういったスタンスですか?」
野田「黒澤さんの作品は、僕がつくる演劇とはtotally differentだけど傑作だと思う。蜷川さんは、only tragedy. コメディにすることはほとんどない。でも僕の考えでは、コメディに関しては、僕の方が蜷川さんよりいいと思います……(笑)」
司会者「ちょっと質問を変えよう。男女の性別を入れ替える演出について」
野田「たとえば、日本の漢字と中国の漢字は似ている。traffic が生まれている。どういう意味かというとカルチャーも似ている。クロスオーバーしていく。クロスしたところに新しいカルチャーが生まれる。だから、male, femaleをクロスオーバーさせて新しいカルチャーを生むんです」
司会者「これは今日の作品も楽しみだ!!」
野田「フラストレーションが溜まられるかもですよ(笑)。歌舞伎には大きく影響を受けていますが、僕は歌舞伎の作者にはなれないので、違うものとしてリフォームしています」
"One Green Bottle"まで時間があったのでホテルに戻って少し休む。街はとてもにぎやか。子どもたちの姿がとても多い。
"One Green Bottle"は、幕が歌舞伎風、下手奥に能で言うところの橋掛かりがある。そこから俳優が入場してきて、物語の始まり。とてもオリエンタルでありながら、不条理劇であり、面白くはあったのだが、先ほどのトークにもあった和洋折衷の加減が少し緩やかなのが気になったので、終演後に野田氏にロビーで訊ねてみた。歌舞伎や能の要素が入り乱れていて、境界が曖昧だったのは意図的なことですか? と訊ねると野田氏は丁寧に答えてくださった。いわゆる橋掛かりは能では死者が通ってくるところ。あの場所から俳優が入ってくるということは、観る人が観ればすでにこの登場人物たちは死んでおり、その回想がこの演劇なのだということがわかるだろう。しかし、欧米の観客にその文脈のすべてを伝えるのは難しい。取捨選択、演出の結果だ、と。
同じような思いは、その夜に観たシルヴィウ・プレカレーテの新作 "THE SCARLET PRINCESS"(原作:鶴屋南北の歌舞伎『桜姫東文章』)でも抱くことになる。事前に、衣装監修に携わったという日本の方とお話していたこともあり、劇中で着物が使われないことは知っていた。しかし、結論を一言でいうと「めっちゃ歌舞伎だった」となる。どういう意味かというとあらすじ(http://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/1458)は各自で調べてほしいが、プレカレーテなりの原作へのリスペクト、読み込み具合がひしひしと伝わるものであった。そして、桜姫はかなりアグレッシブな人物像へ書き換えられており、強姦されるというよりは自分で盗賊の男を誘うような解釈で描かれていた。普通なら、これだとまったく物語の意味が違ってきてしまう。しかし、これがルーマニア人演出家が歌舞伎を再構築するということであるのだな、と納得させる力があったのは不思議だ。大人数を、広い舞台上の空間で解像度高く稠密に配置し、動かし、時に静止させてきっちり魅せる、というカタルシスがあったことも大きい。