2018年6月14日木曜日

私はどんなふうに振る舞えばいいの?(12.06.2018)

朝食では、スクランブルエッグではなくゆで卵に挑戦。久しぶりにゆで卵を食べた。

午前中、KM嬢と今度は街の北側へ散歩。坂の上にあるアッパータウンと、下にあるロウアータウンの境目まで行く。アッパーとロウアーというのは階級を意味するのではなく、観光地であるアッパータウンか、住宅街であるロウアータウンか、という違いしかない。

昨日のように、手当たり次第に雑貨屋に入ってはおもしろそうなものを探して歩いた。嘘つき橋(The Bridge of Lies)の脇に、小さな洋服店を見つける。入ってみるととても感じのよい女性が店番をしており、ブルーの花柄のノースリーブワンピースがあったので鏡で見ていると「試着する?」と聞いてくれた。調子にのって他にも2着着てみたが、最初のブルーのワンピースがいちばん気に入ったので、買った。80レイ。

日記を読んでくださっている皆さんからは、お前は服と食べ物とコスメしか買っていないのか、とお叱りを受けそうだが、ちゃんと、評判のよい演目は追加でチケットを購入している! 演目の人気が出てしまい、取れない時もあるけれど……。

あまりにブルーのワンピースが気に入ったのと、外がとても暑かったので「このまま着ていくのでタグを取ってください」とお願いし、着替えて散歩を続けた。Tシャツ、ジーンズで歩いていた時に比べて、急に、男性たちの視線がこちらに向き出したのがわかる。あからさまに声をかけてくる男が増えた。ChineseかKoreanかJapaneseかは恐らく彼らにとってどうでもよくて、東洋人がなんかイケてるワンピース着て腕と脚を出してるぜ、フー! と言った感じなのかもしれない。やや複雑な気持ちになり、道ばたで煙草を取り出して盛大にふかしてやった。私のおしゃれは私のためだし、私の喫煙は私のためである。

チョルバ・デ・ブルタというハチノス入りのガーリックスープを近くのファストフード店で食べる。9レイ。スープだけかと思っていたらパン付きで、私の胃袋にとっては立派な軽食になった。具がめいっぱい入っていて美味しい。街には子どもがたくさん集まってきており、アイスクリームなどの屋台を含め、ここのファストフード店にも子どもが大勢来ている。いやに子どもの人数が多く、引率の大人が少ない。学校の遠足っぽいな、と分かることもあれば、これは誰がどの子の親? みんな子だくさんすぎない? と思うくらい、子どもだらけのこともある。子どもたちはアイスとレモネード、それからドーナツが大好きだ。

20時から、"LURRAK"というコンテンポラリーサーカスの演目を観る。Lurrak Antzerkiaというスペインのカンパニー。登場人物はある工場で働く労働者たち、それを統率するいけすかない上司がひとり。工場を模したステージ上で、女性が宙からぶら下がった鉄の輪で華麗にアクロバットを繰り広げたり、屈強な男性がロープパフォーマンスをおこなったりする。上司は終始、嫌みったらしく、でも肉体的には弱っちい役柄で、ときどき台詞はあるものの、字幕がなくてもジェスチャーと口調だけでシチュエーションが分かるくらい、戯画化されたものだった。その中でサーカスとしての技が次々繰り出され、最終的には上司もロープで釣られて力強くパフォーマンスし、結局、労働者と上司は和解しておしまい、という筋書き。途中で、パフォーマーたちが観客を何人かステージに上げて一緒に踊らせるシーンがあったが、中盤にそのシーンを組み込む意図は不明。そして当然かもしれないが、選ばれたのは恐らくルーマニア人(もしくはヨーロッパのどこかだ。つまり、白人だ)であり、パフォーマーたちは東洋人の私になんて目もくれなかった。

こうして朝から少しずつ蓄積してきた違和感は、次の演目を観て横溢することになる。

それが、イギリスのカンパニーである Luca Silvesrini's Protein "BORDER TALES" である。マチネ公演を観たKM嬢から「ぜひあなたの感想を聞きたい」と意味ありげな(ポジティブな意味の)連絡をもらっていたので、ドキドキしながら劇場へ向かった。ちなみにルカ・シルヴェストリーニは、城崎国際アートセンターに2015年に滞在し、街の人々と "CROSS ROAD" というコミュニティダンス作品を手がけたコレオグラファーでもある。城崎の友人たちがことあるごとに「ルカは素晴らしい人だ」「あの作品は最高だった」と今でも言うのをずっと聞いていた。彼らの話しぶりから、ルカ・シルヴェストリーニこそが、発足して2年目ほどだったアートセンターを、決定的に街に認知させたのだと私は感じている。城崎の人は愛を込めてルカを「魔法使い」と呼ぶ。ほんの少し現実を解体してねじを締め直すだけで、まったく世界を変えてしまう「魔法使い」なのだ、と。

"BORDER TALES" は、ダンスと台詞を交えた作品。初演は2013年、エジンバラにて。主人公は、典型的なイギリス人男性。ばりばりのBritish Englishを喋り、エリザベス女王を尊敬している、と語る。そこへ、Irishの男性、両親がイギリスに移民としてやってきたムスリムの男性(申し訳ない、国の設定は失念した)、同じく台湾から両親に連れられてきたアジア女性、同様の環境のナイジェリアの血を引く黒人女性、コロンビアのミュージシャン(実際に劇中でも演奏していた)などが現れる。彼らは自らのルーツとアイデンティティを語りながら、それでもイギリスに受け入れきってもらえない虚しさを抱えている。ナイジェリアにルーツを持つ女性は「私の母は昔からいつもこう言ってたの! 女はめしを作れ! 家事をしろ! って。でも私はそれが嫌だった。だからロンドンに住んでる」と言う。台湾移民2世の女性は「みんな私に聞くの。どうしてイギリスに来たの? って。でも、私はここで生まれてここで育ったから、そんなの聞かれても困る」と語る。

主人公は、そうした全員を招いて "Welcome" と書かれた風船を持ってきてパーティをしようとする。しかしそれは空回りし、彼は勝手に、客人たちの飲み物を「ジャスミン茶」とか「ウイスキー」とか決めつけてしまう。ムスリム男性が「ハラルウォーターをくれ」と言った時に戸惑ったところは、笑いどころではあった。もちろん、笑う人は誰も居なかった。随所に民族的な舞踊、それらがコンテンポラリーにアレンジされたものが交えられ、複雑な境界の問題が身体のリズムとともにダイナミックに盛り上がってくる。身体が伴っているから、頭でっかちに先走っている感じがなく、嫌みがない。

しかし、昼間から「女性であること」「東洋人であること」の、当たり前の異端さをじわじわと感じていた自分、そして狭い日本に嫌気がさしてヨーロッパで日本のことなんか忘れたいと思っていた自分にとって、 この演目はとても切実なものだった。もし私が、舞台に上げられていたら、君の宗教はShinto, 君の飲み物はgreen tea と言われていたことだろう。そして「女性ひとりでヨーロッパに何しに来たの?」とも、問われる。直接言われることはなくても、絶対に、彼らのまなざしが私にそう問う。

終盤、主人公はみんなの気持ちがわからず「どう接していいかわからないから教えてくれ!」と叫ぶ。しかし別の人物から「それは自分で考えろ」と言われてしまう。主人公以外のダンサーたちは客席、あるいは舞台の奥に散り、懊悩して落ち込む主人公を眺めている。

日本で、政治的な問いを含む作品がつくられることは珍しくない。でも、日本である以上、宗教の問題は観客に響かないし(私が宗教にかんする点において日本の観客をまったく信用していないというのもある)、これだけの人種が移民で首都に住んでいるということを可視化すること自体がおそらく難しい。いちばん近い問題は、在日韓国人の永住権にかんするテーマだと思うが、今のところ在日韓国人の現在、3世を越えてもはや4世に突入しようとしている時代、を描写している作品に出会うことは稀だ。それが私の知見不足だとしても、少なすぎる。絶対に。

脱線するけれども、日本の植民地侵略時代を描いた作品や、日本からの南米移民を描いた作品は、ある。いくつかの権威も得ている。だが、日本国内に住む外国人のこととなると、まだまだこれからだ。これからに、本気で期待したい。そうでなかったら、日本の演劇界には希望がなさすぎる。

何度か公言していることだが、私は大学生の頃の恋人が在日韓国人3世であったため、その頃から移民、在日韓国人のことを非常に自分ごととして捉えて考えてきた。考えるほど「俺とお前は違う」「絶対にお前は俺を理解できない」と言われた記憶がよみがえる。それは、打ちのめされてパーティを途中でやめてしまったあの主人公の姿に、重なるのだ。魔法使い、ルカ・シルヴェストリーニに私があらためて掛けられた呪い、あるいはまじないが日本で解ける日は、いつになるだろうか。

終演後、拍手をしながら流した涙は、感動したからではなく、悲しくて悔しくて、でもそれをルカがこんなふうに掬いあげてくれたのが何より嬉しかったからだった。

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