日本の6月7日の昼過ぎ、飛行機はそういえば何時だっけ、と思って確認したら明日ではなく本日の深夜便であったことに気づき、血の気が引くまではいかないまでも、多少絶句した。思い知っていたことだけれど、私は馬鹿なのである。
睡眠導入剤を切らしていたので、それだけは何としてでももらいに行かなければならないため、病院のやっている時間ギリギリにほうほうのていで駆け込む。そんなわけで、荷造りだけは3日前に済ませていたので、ガラガラとカートを引っ張って羽田空港に向かった。はっきり言って、フライトに何時間かかるとかそんなことはあまり調べていなかった。
深夜0時過ぎ、カタール航空、ドーハ行きの飛行機が飛び立つ。私は、離陸する直前の「飛行機が本気出して助走する」瞬間が大好きで、ごぉんとエンジンの音が大きくなるとそれだけでわくわくするし、飛び立ってななめにぐいぐい上昇していく瞬間が大好き。なお、着陸の時の衝撃は「無事についた」という安堵と「まだ何かに衝突して死ぬかも」という気持ちがないまぜになる。
深夜出発なのに、乗って早々に一度目の機内食を食べることになる。魚を選んだ。クリームっぽい白身魚のムニエルで、「魚を食べるのは幾日ぶりかな?」と思った。この前、巻き寿司なら食べたんだけれど。それから少し仮眠して、日本時間でいうところの明け方に二度目の機内食。今度はヨーグルトメインの朝食。
ドーハは暑かった。ラマダン期間中のため公共の場所での飲食・喫煙は控えるようにと機内アナウンスで言われた。ラマダンは年によって時期が変わるが、この暑さで日中飲まず食わずは大変なことであろうと思う。しかし、神を常に感じるためには、身体をもって神に近づくことが必要なのだろう。こちらの都合のよい時だけ神に祈るのでは、だめなのだ。滑走路の奥に見えた摩天楼が立ち並んでいるエリアは、そこだけ異世界みたいで、砂漠の蜃気楼のようだった。だいたいの空港というものは、すり・置き引きの温床であり、警戒が欠かせないが、カタールは石油産業などで裕福な一面を持っていることもあり、海外との窓口である空港の整備にはかなり気をつかっているようで、相当美しく、安全に保たれているように見えた。
1時間ほどでブカレスト行きの飛行機に乗り継ぎ。飛行機までのバスの中で、男性から「日本の方ですか? ルーマニアには何度か行かれてますか?」と話しかけられる。「通貨はどう両替すればいいんですか?」と聞かれたので、羽田でユーロに替えてきたのでルーマニアに着いてから街中ですればよくて、たぶん街のどこでもできますよ、と答える。
ブカレスト行きの飛行機では、日本人の老夫婦がやたら多いのが気になった。映画「ズートピア」を観ていたが、最後の15分観られなかった(到着してしまったため)。ウサギの警察官が最後どうなったか気になるので、帰りの飛行機で観ようと思う。すごく良い映画だった。機内食は選べたが、眠くて朦朧としていたので、パンプディングを選んでしまい、ものすごく甘いパンとカスタードクリームをおなかいっぱい押し込んでしまった。なんせ、次にどこで何を食べられるか分からないのが外国に行くということだ。食べられるうちに食べておいて問題はない。到着して気がついたのは、日本人の老夫婦たちはコンダクターにアテンドされたツアー客だということだった。その集合風景を横目に、バッグのピックアップに急ぐ。
2012年8月に、母校の後輩が大学在学中にブカレストで殺されてしまった事件があり、そのことがずっと胸にあったため、空港についてすぐロザリオを取り出し、天使祝詞(聖母マリアの祈り) を10度唱えた。彼女のために祈ることは、空港についたら必ずしなければと思っていたことであった。彼女が見られなかったルーマニアの風景を、私はこれから見ることになるのだ。
出口では、シビウ国際演劇祭のボランティアである男性、リーヴが待っていてくれた。トルコ人俳優のアシュリーと3人で、ブカレストからシビウまでの5時間(!)の道のりを過ごすことになる。迎えがあるというのは何よりも安心なことだ。特に、先ほどのような祈りを唱えたあとでは。
リーヴは陽気な40歳。アシュリーは陽気な46歳。雅季子は普通の34歳。3人の旅路は相当面白かった。途中でCastelul Bran(カステルル・ブラン:ウラド公が住んでいたドラキュラの城)に連れていってもらう。「本当はまっすぐシビウに行かなきゃいけないけど、僕はイレギュラーなドライバーなんだ!」とリーヴは笑っていた。ドラキュラの城は、見た目の小ささに相反して中がとてもひろく、長い歴史を感じさせた。「ウラド公はとても残虐で、あらゆる拷問を人々におこない、恐れられました」というような説明文が絵とともに書いてあって、ヨーロッパがこういう拷問系をリアルに再現すると本当に怖いからやめてほしいと思った。日本の城でも、当時の農民や兵隊のジオラマが置いてあってやけにリアルに感じて怖いんだけれど、まあそれと似たようなものだろうと思う。しかし、人間の串刺しは怖い。リーヴは「残虐だけれど、これによってトランシルバニア地方は別の国からの侵略をまぬかれたんだ」と言っており、あらためて、隣国が海を介さずに接地しているという事実を思う。
34年間生きてきてよかった。ルーマニアの、トランシルバニア地方に来ることができるなんて思ってもいなかった。17歳の時に高木のぶ子『百年の預言』を読んでルーマニアの革命に憧れて以来、ずっとずっと来たいと思っていた国だったのだ。わたし、20年近くこの国に憧れてきたの、と言うとリーヴは嬉しそうな顔をしていた。
ところでリーヴはとてつもないスピード狂であり、シビウまで急がないといけないとはいえ、めちゃくちゃ車を飛ばすのであった。追い越しまくる。飛ばしまくる。横目でメーターを見ていたけれど、普通の農道で130kmとか出す。「ポリスがいませんように!」などと冗談で言っているけれど、速度は緩めない。「運転でいちばん大事なことはLawじゃない。biggerな車の後ろに付かないことだ!」と言いながら山道のヘアピンカーブでトラックをぐいぐい追い抜いて行く。箱根駅伝のごぼう抜きみたいな感じ。山の神。いや、トランシルバニアのスピード狂。「この道は本当は制限速度が70kmなんだよね」と言いつつ安定の120kmオーバー。っていうか、普通の道の制限速度が70kmってすごくないですか。同じような舗装の、同じような細さの、同じような田舎の道だったら、日本だと制限速度40kmくらいなのに。
車内で、少し政治の話になる。40歳のリーヴは、革命の時(1989年)にはまだ子どもでチャウシェスクのことはそんなに覚えてない、と言っていた。アシュリーから「日本はまだこの人(画像検索して日本のS.A首相を表示)がプライムミニスターなの?」と聞かれたので「そうね、不幸なことにね」と答える。リーヴが「日本はプレジデントじゃなくてエンペラーがいるんだろう?」と言うので「でも政治的な力はなくて、シンボリックな存在なのよ」と説明する。ちなみに私はEmpressが綺麗な人だから好きよ、と個人的見解を述べた。
リーヴは過ぎ行く街の名前の看板を見ながら「ここはロシア風の街」「ここは家がドイツ風」「あっちの湖の街はモルドバっぽい」といろいろ教えてくれる。ここでも、あらゆる国家が隣接している大陸について考える。前を走るトラックも、ルーマニア国籍だったりイタリア国籍だったり、あらゆる国々が入り交じっている。ルーマニアがユーロに加盟したのは2007年だが、いまだに貨幣はユーロではなくレイ(来年導入予定らしい)であり、欧州という場所の複雑さ(アジアとはまた別の)について、考えていたはずなんだけれど、あまりにリーヴが車を飛ばすので車酔いしそうになり、思索を深める前にこうして頭の中にメモするに留めた。
そんなわけで100kmオーバーで車を追い越しまくり、無事にシビウに到着。不思議に落ち着く街だ。時差が6時間あるし、フライトは長すぎて時間がよくわからないし、ドライブも途中でブラン城に寄り道したから結局何時間移動していたのかわからなかった。
でも、いつだって新しい場所に移動するのは楽しいものだ。
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