咲き頃を迎えた道路脇のつつじは物量としてすさまじいものがあり、赤紫の派手な色も相まって、もうこれは狂騒、これが狂騒というのだわ、と独りごちながら歩いた。子供のころは多分に漏れず、花の蜜を吸って遊んだ。うてなから飛び出る虫の触角のような雌蘂を、気持ち悪いとも思わなかった。子供のころのこと、特に小学生だったころのことは思い出しているひまもあまりないし、そうしたいとも思わない。むっと香るつつじの蜜に、たいして美しくもない思い出がよみがえりそうになったので記憶をその場ではたき落とした。つつじは枯れたあとに散らばる花がらも汚くて嫌いである。
他人とけんかをするのは好かないが、けんかになることの方が私の人生では稀で、ずっと対等ではない関係のもと、私が相手を怒らせる、あるいは私が傷付けられる(と思い込むことも含めて)ことの方が多かった。けんかにもならない、もはや諦めが先に立つほどに大きな差異がある人とばかり、関わりを持ってしまう。
思うことを適切な言葉にできないせいで、他人や自分の生き方を無自覚に縛っているという人は本当にいる。たくさんいる。Twitterアカウントを開設している数十億の人のうち、あなたが気に入ってフォローしている人を除いたすべての人がそうだと言ってもいいくらいだ。私は言葉にして発することに希望を見出す人間である。巧拙を問うているのではなく、できるか、できないか。私はまだ、(自分にはある)能力がない、こと(人)への対応をどうするか迷っている。それは私が、言葉を駆使して生きようと思う決意とは何ら関係のないことではあるけれども。
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