出かけている男に何となく、ケーキを買ってきて、と頼んだことがあって、男はその時、せとかのタルトをおみやげに帰ってきたのだった。せとかという涼やかな名前を持つ果物は、柑橘類の新しい品種らしかった。でも食べてみてあまりおいしくなかったので、タルトひとつ食べ終わるのに少し難儀した。せとかは、オレンジにも伊予柑にも少し届かない青い硬さがあって、カスタードクリームとはあまり合わなかった。冷蔵庫にしまって翌日までかかってふたつ全部たべた。私は本当はラズベリーとかブルーベリーのタルトが好きで、あの時欲しかったのはそういうケーキで、柑橘類はお菓子にはあんまりふさわしくないと思っているしそんなに好きじゃない、ということを、あの人にはついぞ言えないままだった。今日、八百屋の店先にせとかを見かけたのでそのことを思い出した。私はあの人のことが本当に好きだったし、憧れていた。あの人が私の好きなものをきちんと知って、いつも望みを叶えてくれていたらどんなに幸せだっただろう。これはおいしくなかった、ごめんなさい私せとかは好きじゃないみたい、とあの時ちゃんと言えたらどんなに良かっただろうと思うと今でも涙が出る。
恋というものについて「恋とは桃色などではなく黒なのであり、私は自分の欲望のあまりに黒さに押しつぶされそうになった」などと宣った男がいて、私はそれを聴いた時にひどく嫉妬したし、安っぽく言えば、もう立っていられない、とまで思った。何かを(できれば地に膝ついて私にかしこまった男の顔を)踏みつけたいとも思った。どれだけ愛されても懐かれても欲情されても、不十分である。必要とされてもなお足りない。恋という名の淵に落ち、黒い欲望につぶされてずたずたに傷ついてくれるまで、私はあなたを信用できない。ただそういう恋がしたい。
どうしてあんな男と一緒に過ごしていたのだ、と問う人がいて、いつもそれにうまく答えることができない。私が彼と一緒にいたのは、私が彼に恋していたからということに尽きる。その恋は無色透明で、かたちは涙の粒である。透明だから、誰にも見えなくて証明もできない。わずかに、透過した光がまわりの景色をゆがめるくらいである。
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