2013年6月14日金曜日

ロマンティシズムの余地

ひどい修羅場をくぐり抜けても、透明感をまったく失わない人っているじゃん、あれって何なの、って思うよね。と、ナオミちゃんが言った。明らかに淀んじゃう人もいるけど、と続けたナオミちゃんを見て、そのかんばせの抜けるような白さとぬばたまの黒髪に、確かに何なの、とわたしも思った。
ナオミちゃんの唇は、小さくてぷっくりしていてとても可愛い。会うと唇ばかり見てしまう。唇以外にも見るべきところのたくさんある女なのに、見きれないのがいつももったいない。わたしもあんな唇だったら、ローズピンクの口紅が似合ったのだろうか。

定刻どおりに芝居を見るため「病院に行きたいから」と言って仕事を早めに抜けた。「お大事に」と、後輩が言ってくれた。人の話に合わせたりして嘘をつくのは苦手だが、自分のことは特に何も感じない。損なわれるものもないと思う。わたしは、病院に行くより劇場に行った方が健康になるし(どんなダメージを演劇から受けるにしても)、開演時間と同じく、診療時間という枠があることを考えてみれば、どちらにせよ早く上がらなければならなかったことに変わりはない。そうやって自分を正当化しているうちに、やっぱり今日わたしは本当に病院に行ったのではないかと思えてきて、白い診療所の壁のことやお医者さんの様子とかを、ぺらぺらしゃべることもできそうな気がしてきた。

株価の下落トレンドのときも(自己ポジションの取引は影響を受けるが)売買高は以前よりあるので、証券会社は儲かっているらしい。下げ幅に怯えて投げ売りするにも、手数料がかかるのだ。清貧であることが美しさの構成要素であるという意識はわたしにはあまりなくて、インテリのワルどもが仕手化させた銘柄のチャートでも、ロマンティシズムを感じる余地を見出だしてしまう。

パンプスに砂が入った。脱いで裏返すと23.5と書いてあったので、あれっ、と思った。いつもわたしは24センチの靴を履いていたはずで、でもこの頃は足が少し小さくなって、新しく買ったものはたいてい23.5だから驚くことでもないのだけど。
そういえば、靴をなくす夢を見なくなった。もう少し若いころは、夜な夜な靴をなくしていた。いつも、わたしだけが見つからないのだ。一緒にいた人たちは、靴を履いて先に歩いていってしまう。目が覚めてもその寂しさが残っている感覚だけは、今も鮮やかだけども。

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