2013年6月24日月曜日

夜の散歩道

昨夜は25時前に早々に倒れて寝たのに、今日の禍々しい眠気ときたらすごかった。多少は抗ったが時々はそれに負けて、でもがんばって働いた。唐突に意識を失っては都度戻ってくるわたしを見て「今死んだかと思いましたよ」と、隣の後輩は言った。私もそう思った。

家庭菜園好きの元上司があまりに野菜に詳しく、ランチのあいだ何度も野菜の話を挟むので、じゃあブロッコリーってどうやって実るんですか、と聞いたらすらすら答え始めたので驚いた。ブロッコリーはアブラナ科、ということまで教えてくれた。まあ葉っぱはよく似てますよね、と相づちを返し、じゃあほうれん草は何科ですか、と聞いたら知らなかったらしく、食後のコーヒーを飲みながらWikipediaで調べていた(正解はアカザ科)。私、お花のことはあんなに好きなのに野菜への興味が著しく欠落しているのは、やはり生活に対する興味と執着が薄いのだろうか。知識としては面白いし、季節ごとの調理方法などは、まあ知りたいけれど、野菜を育てる実感なんてものはまったく今の私に必要ないと思ってしまう。

執着という言葉で思い出したけど、執着だけで書いている人にはなりたくない。執着で書くこともできる、ということを知ってしまってからは特にその思いが強い。

職場の最寄り駅までの道は暗く、アスファルトと歩きにくい曲がった道ばかりで面白味がない。本当に、ただ駅まで行くしか使い途がないルートである。普段は仕方なく歩いてしまうが、今日は永代通りを茅場町方面に行くことに決めた。永代橋を渡って茅場町についても、まだ地下に潜りたくなかったので日本橋まで行くことにした。日本橋についてももっとずっと歩ける気がしたけれど、せいぜい大手町までしか道がわからないのであきらめた。すぐ側の、初めて入ったお店でスカートとキャミソールを買い、地下鉄に乗って帰った。道がわからないくらいであきらめるからこんな人生を送るはめになるのだ、と毒づきながら明るいエスカレータで改札まで降りた。

買ったキャミソールなのだが、とんでもなく可愛いので、すごく誰かに見せたい。服の性質上、見せられる人が限られているので言うだけ無駄だけど、それでもここでは何だか言いたくなってしまう。たとえばtwitterは人に私の顔が見えるおしゃべりのような感じだけれど、ここはかなり装う(文体はともかく、私の意識を)ことができるので何の話をしようとも、たぶんうまくできるのではないかしら。

いつも昔のことを思い出した話ばかり書いているので、今日は今日あったことを書いてみた。こうしてみると、起きている時間の82パーセントほどは、過去の振り返りを行っているような気がしてきて目眩がする。先の事を18パーセントの濃度でしか考えられていないというのが、私の様々な問題の奥に潜む原因かもしれない。

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