私のママは、その乙女時代においてたいへん可愛かった。もちろん実際に会ったことはない。でも1970年代の女の子でママより可愛かった人を探すのはそこそこ難しいのではないかというのは、娘のひいき目ではないと思う。昔のアルバムを見て、手に持っているものを取り落とすほどのことはあまりないはずだ。もし生き写しに生まれていれば、どれほどのことが起きていただろう(残念ながらそうはなれなかった!)。ママの性格は、可愛く見せかけて奥底は可愛くないのだけれど、それに気づいているのはこの世で三人、つまり彼女の子どもたちだけなので、性格も世間的には可愛いと見なして差し支えない。そんなママはときどき「ママとパパは他人ですが、あなたたちとパパは血がつながっています」というようなことを、思い出したように子どもたちに教えてきた。その言葉は、年頃によって身に迫ってくるあり方が違うので、おそろしい。思春期はそれなりに。娘時代は少し薄らぎつつも真実みを帯びて。そして今は、いつか私も娘に同じことを言うのかしらと夢想して。たぶん言う。
どうしたってさみしいのは仕方ない。何買ったんだっけ、と思って宅配された段ボールをばりばりあけて、片付けもしないまま読み始めるからよけいに散らかる。タグがついたまま着てない服が今年はずいぶんある。私、買ったらすぐに着たくて、それが楽しみで服を買うタイプだったのに、いったいどうしたんだろう。脱いで捨てて椅子の背にかけただけのスカート、カットソーがつみ上がって、そこから拾って、また身につけるような毎日が続いている。単純に、眠いだけだったらいいのだけど。
ナオミちゃんから「今会社にいるの?」という メールが来たので「会社ですが、わたしは自由です」と返信した。それを読んだ彼女は、自由ならば、ということで電話をくれた。
駅前の西友で、電池と紅茶を買った。 夜遅かったので、レジの奥にあるソフトクリームカウンター(よく大きなスーパーにあるお菓子・軽食コーナー)は閉まっていたが、ここの前を通ると、ほんとに小さな子どもで、会津若松に住んでいたころ、母親とヨークベニマルのソフトクリームをたべたことを思い出す。だから杉並区の片隅のソフトクリームもきっと今を生きている子どもの思い出になる、ということを想像して、少し幸せでさみしい気持ちになりながら西友をあとにするのが好きだ。もう私は大人だから、帰りのコンビニでハーゲンダッツのバニラとかを買うのだけれど。
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