中学生の時、学校の奉仕活動で特別養護老人ホームへ行った。介護の仕事を手伝えるわけもないので、お掃除とかレクリエーションの時間に何かさせてもらいに行ったのだと思う。クラスの半分くらいの人数で行ったように記憶している。食事の後、入居者の人々とビーチボールを使って遊ぼう、ということになった。それが、幼かった私には傲慢に見えてしまった。当時は祖母がまだ存命で、学問が好きで働き者の祖母のことを思うと、ビーチボールで遊ぶなんていうのはただ敬意を欠いたおこないに思えた。15歳だった私は、引率の数学教師に「おばあさんたちとボールで遊ぶのは子ども扱いしているようで嫌だ」と言った。数学教師は、私が輪から外れたことを別に咎めもしなかったが、遊びの時間が終わってから私に話しかけてくれた。「僕も、今老いた母を介護している」と彼は言った。「うまく言えないけれど、人は年を取ると子どもに戻っていく時間があるんだよね。だから、単に甘く見て子ども扱いしているわけでは、ないんだよ」。数学教師のつたない言葉に、当時の私はやっぱり納得できなかった。でも、今こうして書くことが出来るくらいには、記憶に残った。
木更津に行って、とある託老所を訪ねた。ちょうどお昼が終わったくらいの時間で、そこでは翁や嫗がめいめい、お昼寝をしたりこたつでテレビを見たりしていた。私はこたつに入って、彼らと少し意思疎通をしたり、お菓子の袋をあけてあげたり、彼らが飲むためのお茶を冷ましたりした。言葉を話すのが難しい翁がひとりいたけれど、彼はテレビに岩手の寿司屋が紹介されているのをうれしそうに指差して教えてくれた。彼が岩手の出身であることを、ボランティアの人が説明してくれた。私は彼らの日常を邪魔しないように、だけど心をこめて出来ることをした。15歳から倍以上も年を取って、何人かの死や、人の生き方のバリエーションを多く知って私も、翁や嫗がいつか来る未来の自分の姿の一つであることを理解できるようになったのだな、と考えていた。それから、数学教師のあの言葉をやはり反芻したりもした。おやつが終わると、場所の空気はゆったりと緩んで、少し静かになった。先ほどの翁がひとり、熱心にテレビに見入っていた。ふと、職員の若い女性が、童謡の歌詞を書いたスケッチブックを、私の隣に座っていた嫗のところへ持ってきた。嫗は歌が好きだという。私にも、ぜひ一緒に歌ってください、と職員の女性が声をかけてくれた。スケッチブックをめくると手書きで『ふるさと』の歌詞が書いてある。
兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷
こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清き故郷
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷
こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清き故郷
職員の女性は「よかったね」と言いながら嫗の背中をさすった。「前は歌ってる時に泣いちゃったんだよね」。テレビには、四年前の津波の映像が大映しになっていて、先ほどの翁は食い入るようにそれを見つめていた。映っていた場所は、岩手の陸前高田だった。
さ霧消ゆる 湊江の
舟に白し朝の霜
舟に白し朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまだ覚めず 岸の家
鳥啼きて 木に高く
人は畑に 麦を踏む
げに小春日の のどけしや
かえり咲きの 花も見ゆ
嵐吹きて 雲は満ち
時雨降りて 日は暮れぬ
若し燈火の 漏れ来ずば
それと分かじ 野辺の里
いまだ覚めず 岸の家
鳥啼きて 木に高く
人は畑に 麦を踏む
げに小春日の のどけしや
かえり咲きの 花も見ゆ
嵐吹きて 雲は満ち
時雨降りて 日は暮れぬ
若し燈火の 漏れ来ずば
それと分かじ 野辺の里
『冬景色』は嫗の好きな歌だという。嫗の声はか細い。側に寄っている私でさえ、聞き取るのがやっとだ。それでも彼女は確かに歌っていた。
かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜぴいぷう ふいている
さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
しもやけおててが もうかゆい
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜぴいぷう ふいている
さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
しもやけおててが もうかゆい
秋の夕日に照る山紅葉
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓や蔦は
山のふもとの裾模様
渓の流れに散り浮く紅葉
波に揺られて離れて寄って
赤や黄色の色様々に
水の上にも織る錦
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓や蔦は
山のふもとの裾模様
渓の流れに散り浮く紅葉
波に揺られて離れて寄って
赤や黄色の色様々に
水の上にも織る錦
歌っているうちに、私の身体が拡張されて、喉から嫗の声が響いているような心持ちがした。嫗に身体を貸したつもりで、春も秋も冬もなくどんどん歌った。歌い終わった頃、ちょうど私たちの帰る時間になった。別れのあいさつのために嫗の手を取ると、彼女が小さな小さな声で「またきてね」と言ってくれたのが、私には聴こえた。
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