2013年7月11日木曜日

花の色

柘植の小さなくしをいつも持ち歩いている。中学生くらいのころに、京都で買ってもらった。朝や夜は家でブラシを使うけれど、昼間や外出先での髪梳きは、このくしひとつでおこなう。今日も化粧ポーチをあけ、くしを取り出したところ、唐突に、数日前このくしが折れた夢を見たことを思い出した。それまで全く忘れていたのだが、くしの歯が欠け、折れ、まったく使えなくなってしまう夢だった。夢占いによれば、くしは健康、恋愛、対人関係を表しているとのことで、それが欠けたとあれば凶夢であろう。しかし、無惨に欠けたくしにとてもショックを受けていたので、現実では無事でよかった、と思ってほっとした思いの方が強い。

夢のせいか知らないけれど、自分にとってちょっと変わったことがあって、でも、誰が好きで誰がそうでないか、考えてわかったのはとてもよかった。今までずっと、考えてもわからないと思っていたので困っていたのだ。私は、人のしてほしいことはなるべくしてあげたいのでがんばるけれど、自分ではあんまりされたいことがない。だからと言って、すぐ「どっちでもいい」と言ってしまうのはやめようと思った。

週の真ん中の水曜日、起きたら9:30だった。あわてて後輩のKS君に電話してしまった。課長はもう会議に行ってしまってる時間だ、やばい、というのを瞬時に判断したのである。電話に出たKS君に、あの、今起きた、と言ったら爆笑された。正直で他にどうしようもないという態度を男の人に見せるのは悪くない。

KS君に、午前中休みますか、と聞かれたので、今から超特急で行く、と答えて、急いで準備して家を出た。結局11:00を回ってしまって、会社に着いたらすぐランチの時間になってしまった。家庭菜園に心血注いでいる元上司が今日も「トマトがたくさん取れる」という話を始めた。プチトマトですか、とひとつ質問をすると「黄色と赤があって、毎日5個ずつくらい取れる」という、より多くの情報が返ってくる。他に何が取れるんですか、と聞いたら「キュウリとなすとピーマン」と言われた。薬とかは使わないらしい。野菜は奥さまが育ててるんですか、という問いには、即答で「いや、俺」と返ってきた。続けて「かみさんは虫がいるからって触りもしないよ。ぜーんぶ俺がやってます」と言っていた。そのころ私は、野菜はどうでもいいからお花の話がしたい、と思っていたので、世の中のお花の色って白と黄色で7割占めるらしいですよ、と、何の気なしに言ってみた。元上司は「そうかな、そんなに多いかな。赤とかピンクとか紫とかあると思うけど」と過剰反応した。何だか急に苛立って私は、だって野菜の花なんてほとんど白か黄色じゃないですか、と乱暴に言った。普段ちっともそんな話しないくせに、なぜこんなときばかり役に立たなくて美しいほうの花の話にすりかえるのだ、と思ったのだ。

この人に会って話したら泣いてしまうかも、という人がいて、でもそれはその人の前で泣きたいわけではない。泣いたところで優しくしてくれるような人ではないだろうし、ただ何となく何を話しても涙が押し出されて極まるだろうな、と思うばかりである。でも30歳にもなって、(まだ29だけど)泣いてもみっともないだけだな、と思ってあきらめた。32歳になったら、またちょっといいかもしれない、と思ったので、二年は耐えることにした。

2013年7月8日月曜日

真夜中の虹

豪雨のあと、ビルの8階から大きなアーチを描いた虹を見た。うれしくて声をあげてしまったけれど、虹を不幸の前触れととらえる国もある、というのをいつも同時に思い出す。

本当に好きでなければ、悲しくもならないのだ。

蜜の眠り

ベッドに積み上げた洗濯物の山の中で目が覚めた。タオル、ストッキング、下着(上下)、Tシャツ、ハンドタオル、キャミソールなど。台所の電気もつけっぱなしだったし、浴槽にもお湯をはったまま流していなかった。昨夜、急に眠くなったところまでは覚えているのだが。洗濯物を律儀によけて寝ていたらしく、少し首が痛かった。起きてはりきってシーツ、枕カバー、ベッドの薄い敷物を洗って干した。(6時間後にやってくる壮絶な夕立で、この行為は無に帰すことになる)

お化粧の途中に折れた眉墨を拾って捨てようとしたら、小さな虫だった。あわてて小さく叫んで投げ捨て、ティッシュでつまんでつぶしたが、眼鏡をかけていなかったのでもしかしたらやっぱり眉墨の欠片だったかもしれない。ぜんぜん自信がない。落ちた眉墨は結局見つからなかった。真珠のピアスも片方落としたが、それは必死に探して見つけた。

芝居を二本観たあとに、人と本屋に行って別々のフロアを見てそれぞれお金を使った。
 
意外と自分が、神経質で純情なので困っている。そう遠くない真夏の朝にでも、いっそ溶けて消えてなくなりたい。

2013年7月6日土曜日

朝よりずっと夜が好き

よくやるねえ、と苦笑されたけれど、今の私が今の私でいられる時間は短いから今の私には全部しあわせなことなの、と答えた。そう言われちゃうとね、さすがだね、と彼女は笑った。どんなことがあっても大丈夫だよ。励ますわけでもないのにそう言ってくれる女の子は大切だ。私は思い込みが激し過ぎて、変化したらだめになる、という発想しかなかったことに、そのときまで気づかなかったのだ。

死んだみたいに寝てしまって、そんなこと久しぶりじゃないかしら、と思いながら目を開ける。心労が多いから普段眠れないのでしょうと言われたが、たいしていろんなことを考えているわけでもないのに不思議だな、と思う。余計な気を遣うせいで、損をしたりばかだと思われて悲しいけど、言葉だけがそれを取り返せるなら毎朝こうして起き上がるしかない。生じた空白を身体で埋めることはできるし、限定的な所有の夢を見ることも可能だけれど、開拓して進んでいけるのは言葉だけだと信じるなら。

たとえば誰かから、どういうときに僕のこと考えてる?と聞かれたときにどう答えようか、と想像した。「あなたが私のこと考えてるときはいつもそうよ」と言うのが一番嘘っぽくていいと思った。裏にある愛の深さ、伝わるかしらどうかしら。聞かれてもいないことについて答えたり、言われてもいないことについて怒ったり傷ついたりというのを、いつもよくやっている。 言われてもいないことで喜んだりはできないのが私の正常性。

ため息のいいところは、こめる感情に名前がいらないこと。いつだって、言いそこねた言葉は別の場所でこっそり形にするのが、いいの。

抑制

昨日、私が毎朝(致命的ではないにせよ)起きられないのを見かねた友人が、モーニングメールをくれたが、返信だけまじめにして、また15分寝てしまった。申し訳ない。でもどうしてあと15分寝ようと思ったのか思い出せないし、信じられない。

異動してから帰りが早い。たまに、昔の部署の後輩Tに会ったりすると「帰るの早いって聞いたんすけど、ほんとすか」と聞かれる。ちょうどそのころ私はもう帰ろうと思ってカバンを持っていたりしたので「ちょっと早くないすか、まだ18時すよ」と恨みがましく笑うTに、私はもう昔の私じゃないのかもね、と言って、手を振って別れた。

という話と関係あるかはわからないが、ある劇評を書いた。少なくとも、異動していなければ平日にその芝居を観ることはできず、土曜日に2回目を観ることもできなかっただろうから、確かに異動してよかった。今回やってみて、淡々とあらすじや演出や作家性の分析をする劇評は、もしかしたら私は書かなくていいんじゃないか、と思えた。「ヴァレリー的なものが安岡的なものを凌駕している」みたいなやつとかも。(※例文は気にしないでください)全部を平等に書くという、フェアネスさは捨てる。これに関しては特に、作家側の反発と不満は強いのではないかと思うが、たとえ印象批評と揶揄されたって(されてないけど)かつて「劇評の可能性を自分から狭めるようなことをするな」って言われたのを、信じてみようと思っているのだ。そのための、技術と私性の抑制について、時間を使いたい。

2013年7月4日木曜日

プラチナ

作ったスクリプトの単体テスト実行が面倒で、自席の端末からコンソールをいくつも開いたまま泣きそうになった。けだるい午後に単体テストほど憂鬱なものはない。久しぶりに使うviエディタのコマンドで、やっとの思いでファイルを編集、リリース、テストして後輩にチェックを頼んだ。

「タイムカプセル開けるの、反対してるんだよね、俺」
え、なんで。
「ずっと埋まってるっていうのがいい」
うん?
「だって埋まってないと、タイムカプセルなんだから開けたら意味ないでしょ」
それ、埋めるときから考えてたの?何のために埋めたの?
「開けるなんて考えてなかった。これでまた10年後会えるなあって思ってただけだよ」

しばらく行っていないから、病院にまた行かなければ。口と心がばらばらの動きをしたって、私は私の形をしていなくてはいけない。今日の夜は風が強くて寒くて落ち込んだ。明日着るべき可愛い洋服も、私の部屋には見当たらない。

2013年7月3日水曜日

ピアノの夢

顔にばんそうこうを貼って、マスクをして一日過ごしていた。昨日痛くなったにきびが赤くなって、居たたまれなくなったためである。夏場のマスクは暑いので、ただでさえ日頃から真っ当ではない意識がたびたび朦朧とした。職場では、備蓄していた乾パンの賞味期限が切れたらしく(2012.09付)庶務さんから「文具の棚の横に置いておくのでご自由にお持ち下さい。個数:96個」という凄まじいお知らせメールが流れて、部内に衝撃が走っていた。96個の賞味期限切れ乾パンのことなんて、これまでの人生で考えたことがなかった。

昼休み、ブランケットをかぶって眠ったら、母が白いレースの長袖ワンピースを仕立ててくれた夢を見た。スカートが仕付け糸で留められていたことまで覚えている。赤い薔薇の花と緑の蔓の刺繍が襟元にあった。ただ、母と会話したはずなのに、ずっとずっとバッハのインベンションが流れていたので何も聞こえなかった。っていうかあれはインベンションだったのだろうか。ゴールドベルクの何番だか、かもしれない。とにかく、バッハだということは夢から覚めたあともぼんやり思っていた。
 
未だにというか何というか、文章を書いているときが一番楽しい。打ちのめされてうまくできなくて眠れなくて、つらいことのほうが圧倒的に多くて99.9パーセントを占めるけど、もう20年以上そうだから、一生変わらないといって差し支えないのではないかと思う。だいたい何で苦しいのだろうか、と考えたら、もっと上手になりたいと思うものがこれしかないからなのだった。読書と観劇以外にあんまり趣味がないし、残業の多い職種なので友達ともあまり会えず、旅にも出られない。人より相当世界が狭いけど、自分がこんなに楽しくてそのことばっかり考えていられるものに出会っててラッキー、という気持ちのほうが強い。

強く思っているからと言って、それをいちいち行動で表さない大人もいる。夜中にタクシー飛ばさなくても、抱きしめ合うことがなくても、たとえ一度も口にしなくても、誰かを強く深く愛せるということに、私だって気づいていないわけではない。頭で納得するのと、身体で信じるのには時間差があるというだけで。

2013年7月1日月曜日

夏までの距離

昨日あんなに嫌がっていたにもかかわらず、思い立って、はじめてfacebookに友達の写真をアップロードし、名前をリンクしてみた。食事会の風景とでもいうべき、隠し撮りみたいな写真である。みんなが楽しそうにしているのは好きなのだから、同じように楽しくならなくたって 、私は私のやり方で観察すればいいし、写真だって撮ればいいのだ。ときどき私がカメラ(携帯電話だけど)を向けているのに気がついてピースする子もいたけれど、そういう写真はボツにして載せなかった。真ん中に集まって、ピースサインで撮るのはかなり苦手だ。まあ便宜上応じることができるくらいには安い魂なのだけど、苦手というよりは興味がないと言ったほうがいい。それは昨日、三野くんの写真展でのパフォーマンス『Z/G』を観ていてあらためて気づかされたことでもある。撮られたあとの私たちは、写真の中でゾンビになるのだ。意思のない、生きているのに死んでいる物体。ゾンビのくせにピースするなんておかしいと思っているのだろう。写真が切り取るべき、流れゆく”今”に対して、のんきにピースサインで静止する姿勢は私には取れない。そのあと、幽霊にもなるなら、なおさらだ。

にきびをフランクに指摘することで、私との親密さを確認しようとする人に腹を立てた。女の肌に言及するにはその女としかるべき信頼関係を結んでからという決まりを知らないのかこのやろう、今すぐ治してやるからな(※心の声)という勢いで昼休みに近くの皮膚科に行った。よく通っている、なじみの皮膚科である。待合室で、3歳くらいのこー君と名乗る男の子が、自分の水いぼの説明を一生懸命してくれたので、そっかそっか、と成田亜佑美ばりの包容力で耳を傾けた。ふともものところに水いぼが二個できてしまって、先生に診てもらったらしかった。あのね、プール入るの、と、こー君はささやくように教えてくれた。水いぼにね、ばんそうこうしてるから入ってもいいんだよ、と話してくれた彼に、よかったねえ、暑いからプール楽しみだねえ、と言って別れた。診察室ではにきびを針でつつかれて、反射で涙が出るほど痛い思いをした。血が結構出て、顔の真ん中にばんそうこうを貼られた。薬局が混んでいたので昼休みを20分ほど超過してしまった。顔にばんそうこうを貼って歩くというのは、他人が見たら一瞬で気にしなくなるかもしれないけど、自分ではいつまでも気になるというたぐいの体験だというのがわかった。幸い血が止まって、1時間くらいではがして捨てた。でも、今も皮膚の下で白血球が戦っていて真皮のあたりまで痛い。

ずいぶん前から考えてきたし、最近また身に迫ってきたので再検討したのだが、文体と距離感の話、というテーマがいつもある。私の場合、ときどき、明晰に説明しようと試みていたはずなのに、いつのまにかひざをついてそばにすわり(ときどき肩に手をかけて、耳元に寄って)話しかけているような書き方に変わってしまう。 重要なのは、そうやって誰かのそばにすわっている自分を、部屋の扉の外から見ている私、が書くことだ。まあ、部屋の中に入って、私と誰かの顔の表情を覗き込んだり、後ろに回り込んだりしてもいいのだけど。それで明晰さを求めていくこともできるだろうし、かしこさは、まあ、難しいかもしれないけど、そういうのは他の人がやってくれるからだいじょうぶ、と思っていればいいのだ。

光合成希望

日付変わる前くらいの早さに寝るつもりだったのに、直前にかかってきた電話に何となくいらいらしたまま眠れなくなってしまってさまよった。そういう周期なのかもしれないが、結構きつい思いをした。もうほんとに悲しくなるから、お昼にごはんとか食べるのもやめてひたすら光合成して眠ってたい。私の身体と身体の周りは、私だけのもの。

メガネ忘れたし、水筒も置いてきちゃったし、ipodの充電も忘れたし、ネックレスもしてこなかったし、足りないものばかりで仕事に行く途中だ。出勤もしないうちから帰宅したいと考えている。何を話しても結局その人の話にすり替えられるなら甘く見られたものだと思うし、もう私、自分から話しかけることはないかもしれない。気の持ちようだと思っても、これまで大丈夫だったじゃないか、と思っても、派生していろんなことに思い出し悔し泣きとかしてしまうので、これではよくない、と判断せざるを得ない。

7月になったけど、あまり深く考える余裕はない。とりあえず観たい芝居と観に行くと決めた芝居と好きな人と会いたい人のことだけ考えて、あとは、書くだけだと思う。

夢みたいなこと

セックスに物語を必要とする男と、しない男がいる、というのは私が言ったわけではない。ナオミちゃんが言ったのでノートにメモしたまでである。しかしあらためてぼんやり考えてみると、前者っぽく思えて実はそうでもない人とか、後者かと思いきや意外とそうでない人がいるのではないかと思う。

私が何とも思ってなくても人はそうはいかない、ということが多々あって、何とはなしに避けられているような気がしながら、しばらく会わないようにしたい、とその人が思っている、のが分かった、という体験を思い出すような、夢を見た。説明が長くなってしまった。ものすごく寂しかった。目が覚めてしばらくしてから、押し出されるように洗面所で泣いた。でも、たとえばうれしいと思った夢があったとして、起きたあとに覚えていたことなど殆どない。いつも寂しい夢とか、慕わしい夢ばかりだ。

短いけど今日はこれで、また夢を見るために、眠る。