2013年7月3日水曜日

ピアノの夢

顔にばんそうこうを貼って、マスクをして一日過ごしていた。昨日痛くなったにきびが赤くなって、居たたまれなくなったためである。夏場のマスクは暑いので、ただでさえ日頃から真っ当ではない意識がたびたび朦朧とした。職場では、備蓄していた乾パンの賞味期限が切れたらしく(2012.09付)庶務さんから「文具の棚の横に置いておくのでご自由にお持ち下さい。個数:96個」という凄まじいお知らせメールが流れて、部内に衝撃が走っていた。96個の賞味期限切れ乾パンのことなんて、これまでの人生で考えたことがなかった。

昼休み、ブランケットをかぶって眠ったら、母が白いレースの長袖ワンピースを仕立ててくれた夢を見た。スカートが仕付け糸で留められていたことまで覚えている。赤い薔薇の花と緑の蔓の刺繍が襟元にあった。ただ、母と会話したはずなのに、ずっとずっとバッハのインベンションが流れていたので何も聞こえなかった。っていうかあれはインベンションだったのだろうか。ゴールドベルクの何番だか、かもしれない。とにかく、バッハだということは夢から覚めたあともぼんやり思っていた。
 
未だにというか何というか、文章を書いているときが一番楽しい。打ちのめされてうまくできなくて眠れなくて、つらいことのほうが圧倒的に多くて99.9パーセントを占めるけど、もう20年以上そうだから、一生変わらないといって差し支えないのではないかと思う。だいたい何で苦しいのだろうか、と考えたら、もっと上手になりたいと思うものがこれしかないからなのだった。読書と観劇以外にあんまり趣味がないし、残業の多い職種なので友達ともあまり会えず、旅にも出られない。人より相当世界が狭いけど、自分がこんなに楽しくてそのことばっかり考えていられるものに出会っててラッキー、という気持ちのほうが強い。

強く思っているからと言って、それをいちいち行動で表さない大人もいる。夜中にタクシー飛ばさなくても、抱きしめ合うことがなくても、たとえ一度も口にしなくても、誰かを強く深く愛せるということに、私だって気づいていないわけではない。頭で納得するのと、身体で信じるのには時間差があるというだけで。

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