2015年8月18日火曜日

ある日(エントランス、盆踊り)

朝食の仕度をしにキッチンに行くと、エントランスの方から少女の声がした。何度かこの町で会い、一緒に遊んだこともあるあの子だとすぐにわかって、声をかけに行った。「一緒にあそびたい」と、少女はおっとりと、意志の強さを感じさせる落ち着きをもって言った。「待ってね、今ごはん食べてるから」と言うと少女は食堂に来て、私が朝食をとっている間、自分のはめているおもちゃの指輪や髪かざり、かばんのなかに持っているペンダントなどを見せてくれた。ペンダントのひとつに、彼女の誕生日が刻まれており、それは私の誕生日と一日違いだった。「お姉ちゃんとお誕生日が近いね。もうすぐお誕生日だね」と言うと、まだカレンダーをよく知らない彼女は「どうして?」と問い返してくる。とっさに「だって5歳になってずいぶん経ったでしょう」などと答えてしまう。「もうすぐ6歳だね」と言ってあげると「お姉ちゃんは?」と訊かれて、まあ、嘘を言っても仕方ないから「32歳になるよ」と教えた。少女は、32歳の女というものがよくイメージできないらしく、怪訝な顔をしていたが、すぐに「今日は朝プリキュアやってなかったの。野球だった」と別の話を繰り出してきた。

その時、N嬢が食堂にやってきた。少女は、私とN嬢と3人でおせんべ焼けたかなをしよう、と提案した。それでエントランスのソファに座って、手のひらを差し出しあっておせんべ焼けたかなを5周くらいした。続いてかごめかごめをしたが、ひとりが真ん中で鬼をすると手をつないでまわるのはふたりなので円周が小さくなり、目がまわった。それから、グーチョキパーで何つくろうの歌とか、アルプス一万尺とか、お寺のおしょうさんがかぼちゃの種をまきましたとか、だるまさんが転んだとか、たくさんの遊びをして午前中を過ごした。

お昼は、ちょっとだけ手をかけて料理をしようと思った結果、オムライス。

夕方、近所のフォトスタジオのI夫妻に誘っていただいて盆踊りへ。浴衣の帯がいい感じに締められたので、気分よく歩く。にぎやかな神社に行ったら、ぜひお盆の魂をお送りしたい気持ちがして、城崎音頭にあわせて1時間ほど櫓のまわりをぐるぐる踊った。

戻ってから、食堂で晩酌。打合せを終えたO氏、O嬢も合流して、地酒をいくつか呑みくらべる。あてはオクラ、油揚げ、塩昆布、かつおぶし、梅肉をポン酢であえて冷や奴にのせたもの、ラタトゥイユ、豚肉のみょうが巻き味噌風味など。Fは昨夜の飲み過ぎを反省したそぶりで、なんとその場にいた人々の中でいちばん早く、23時過ぎに部屋に戻って就寝した。反省というよりは、山登りによる足の痛みが残っていたとか、そんな理由ではないかと思う。

2015年8月17日月曜日

ある日(パーティ)

朝はまず山の中腹にある寺をめざして、石段を上る。降りる時に数えたら477段あった。お寺では、ご住職にお会いすることができ、寺の謂れをおそわったり、観音様を見せていただいた。ご本尊は、30年に一度御開帳とのこと。次は3年後に開いて、そこから3年飾ったのち、また30年しまう。

Fとりっきーは、更なる山道に分け入っていった。私は別の場所を歩くことにしてしばらく付近を探索した。のち、アートセンターの前から桑の木のある場所をめざして歩いてみたが、道が険しく遠いので断念した。峠を上る600メートルと、平地の600メートルはまったく意味が違うことをすでに学んでいる。

りっきーを駅で見送る。Fは連日の山登りリサーチでかなり疲労した様子を見せ、やや不機嫌。でも、自分でどうしてもそのルートを辿りたいと言ったのだし、寝れば治るのだし、どうせ人が何を言ったってやりたいようにやるのだから、無視。疲れて打合せができなくなったり、スケジュールがぐずぐずすることは避けたいので、そのむね告げる。

O氏の発案で、一品ずつの持ち寄り飲み会をすることになり、アートセンター食堂に皆が集まる。鶏肉と付け合わせのポテトサラダをつくった。O氏のゴーヤチャンプルー、N氏のアドボ(フィリピンの酢の効いた煮物)、N嬢の厚揚げとクリームチーズ、さやいんげんの和えものなど、大変おいしかった。Fは、私に教えてもらいながら(何を教えることがあろうかという気もするが)枝豆をゆでた。韓国から来ているY氏はインスタント麺を調理してくれて、これもビールにあう素晴らしい食べものだった。I女史が通訳をしてくれるので、日韓のメンバーで食事は大いに盛りあがった。そういう、終戦の日だった。

2015年8月15日土曜日

ある日(河原、はしご)

目が覚めて、動き出しが少し重たくなっている。小さな町に長く滞在して仕事をする時は、誰でもこうなる時期がくると、先月小豆島で話した作家が言っていた。いつものように基礎体温を測って記録する。低いのが続いていてなかなか上がらない。待つしかない。

明け方の雨がやんで、晴れ間がのぞいたのでアートセンターを出る。鴻の湯の駐車場に落ちていた赤い下着はなくなっていた。さすがに誰かが片付けたのだろう。駅向こうのパン屋をめざし、日傘をさして歩く。パン屋でウインナーパンとチョココロネを買って、すぐそばにあった階段から川の堤防によじのぼる。私の心の中にあるいちばん大きな川は東京の隅田川で、もちろん背景は永代橋、箱崎のIBM本社、スカイツリーなんかだ。こんなふうに山や田んぼや沢ガニや鷺のいるところではない。でも、川のほとりでパンを食べると安心するのは変わらない。川沿いの道が続くかぎり歩いていって、道の尽きるところまで行ってから引き返してもと来たように帰る。帰り道も、細い路地をたくさん入ってみたので、何倍も時間がかかった。

夜は柳湯へ。七つの外湯のうち、いちばん小さいのだが木の香りが豊かで、私はいちばん気に入っている。しかし今夜も、若い娘があまりにも多く入っていて、もうこの時間には来たくないと思うほど閉口した。いや、開口して小言のひとつでも言おうかと思うほどだった。柳湯はお湯が熱めなのだが、娘たちが「熱い熱い」と湯の中で暴れるので、かき回されてゆっくりつかっているこちらにも熱い波が来る。不本意だ。洗い場と脱衣所にあふれる娘たちの四肢を見て、何だか密集したシメジみたいだなと思う。

中華料理屋から焼き鳥屋、流しの唄うたいのやってくるバーを回って夜は更けた。こんな人生を送ることになるとは思ってもいなかった、と城崎に来てから何度も考えている。

2015年8月13日木曜日

ある日(雨)

「取り返しがつかない」という気持ちになる夢をよく見る。信頼している人に裏切られたり、無視されたり、ぼろぞうきんのようになって目を覚ます。夢でよかった、と最近は考えない。何でこんな夢見たんだろうと、ただ精力を失って茫然とする。

朝から雨が強かったが、スーパーマーケットを二軒まわる。2日分くらいは、これで食べられるだろう。N嬢が昨日つくっていてうらやましくなったので、焼きそばの麺と野菜を買って帰り、お昼はそれですませた。

テキストを頭の中でまとめながら、アートセンターのキッチンにあるまな板を、片っぱしから漂白、消毒した。私は水回りの掃除が趣味なので、楽しんでおこなった。大きなキッチンなので、やり残しが少しある。近いうちにまたやるつもり。

夜は、稽古を終えて食堂で執筆中だったO氏と、つるむらさきの調理方法などについてちょっと話した。そのあと、Fとりっきーを呼んで食事をした。カレーと、つるむらさきの胡麻あえ。食後に作戦会議をしている間に、O氏がシンクの調理器具や食器を洗ってくださったことには、あとで気づいた。

ある日(プールサイド)

抱えている仕事に悩みながら朝、キッチンに降りるとN嬢が焼きそばをつくっていた。隣で私もパンケーキを焼いて、食事にした。パンケーキを焼くのは今日が初めてだったので、かたちも焼き方も何もかも失敗してしまった。急いで食べて、駅前に向かった。

Mが帰京。帰りついたのちも、メールでアドバイスなどを送ってくれる。一見休むように見えることも、必要な時間なのだということがMの言葉だとよくわかる。そろそろ、何がいつの出来事だったか分からなくなってきていて、休んで整頓しないと難しいと感じる。原稿を仕上げ、編集部に送る。キッチンで夕食をつくっている時にオーケーの電話をもらい、小躍り。城崎屈指の名家であるホテルのプールサイドバーにお呼ばれして、アートセンターを出ようとしたところでずぶ濡れのりっきーと遭遇。雨が降り出しているようだった。プールサイドでは、フローズンカクテルを飲んだ。その夜にいただいたお風呂は大変広く、優雅なつくりだった。

2015年8月12日水曜日

ある日(海水浴、花火)

朝のしたくをしていて、洗顔用のせっけんをなくしたことに気づいた。すぐに昨日の柳湯に置き忘れたのだとわかったが、取りに行こうとは思わなかった。高価なせっけんではあって、もったいないのだけど、もらったものだし、その相手のことを思い出すとまああのせっけんはどこか遠い地で誰かの手に渡っていく方が、いいかな、いいよな、という気になったからである。私のせっけんよ、どこかで誰かの肌をうつくしく磨いてあげてほしい。

アートセンターからいちばん近い外湯、鴻の湯の駐車場にもう3日も同じ赤い下着(男もの)が落ちていて、見るたび気になる。私がはじめてそれに気づいたのが3日前というだけで、実際はもっと前からあるのかもしれない。

隣町の駅に行って、30分ほどかけて海岸まで歩いた。海水浴場はにぎわっていて、海にはすいかのかけらとか、浮き輪をつけた子どもとかがたくさん浮かんでいた。男たちは、半島の先端の灯台をめざして山をのぼっていった。 私は途中までついていったけれど、これは無理だ、とすぐ判断してひとりで先に降りた。それで、別の突堤とか岩場とかを歩き回った。思いついて観光案内所で電動自転車を借り、ひと山越えた海水浴場や、奇岩を見に行ったりした。山を降りた男たちを迎えに行くと、彼らはぐったりして汗に濡れたシャツを乾かしていた。バス、電車を乗り継いで帰れる方法と時間を調べるのは、いつも私がやる。

城崎では毎晩花火があがる。10分ほどの小さなものだが、平日は毎晩。今日は浴衣を着て、それを見に行った。町ゆく人々のように、浴衣を着て歩いてみることで発見もあった。まず、あまりにも涼しいので、冬が心配である。何を羽織るのか、何を履くのか、など。そういう気持ちを知れたことはよかったし、浴衣とはいえ、和服を着るのは楽しくて良かった。

リサーチメンバーのひとり、りっきーはその昔保育士をしていて、今日も同じ場所に居合わせた5歳の少女と上手に遊んであげていた。少女はりっきーの似顔絵を描いたりして、ごきげんだった。別れぎわ、母親の自転車に乗せられた少女はうしろを振り返って「りっきー、どこから来たのー?」と問いながら遠ざかっていった。彼女は、城崎の町には住む人よりも旅をする人の方が多いことを5歳にしてすでに知っているのだった。りっきーは手をふって、自分の住む町の名を叫んだが、自転車はすでに遠くなっていて、それが彼女に聴こえたかはわからない。

2015年8月11日火曜日

ある日(スーパー、キッチン)

頭は起きているのに体が動かない時間が続いていて、そうこうしているうちに、アートセンターの消防訓練のサイレンが鳴る時間になってしまい、大音量におびえながら時間が過ぎるのを待った。そこから気を取り直すまでにまた1時間くらいかかったけれど、窓の外の日差しが昨日までよりやわらかい気がしたので、麦わら帽子は置いて出かけた。しめつけるものを、半日以上頭の上に乗せていると頭痛がしてしまう。ネックレスも、数時間していると肩がこって頭痛のもとになるので、なかなかできない。ぶらさがる大きなピアスなども。

鴻の湯で、やもりが地面を這うはえを食べる瞬間を見た。食べるかな、と思って、やもりがはえに近づいていくところから見ていたのである。捕食のあと、やもりはするすると物陰に引っ込んでしまったので、私もその場を離れた。

スーパーで、同じくアートセンターに滞在中のO氏にたまたまお会いする。ここでは、地元産の野菜やたまご、肉などをかごにいっぱい買っても、東京よりよほど安いのだった。

夕方から夜にかけて仕事をし、休みがてら夜の風呂にゆく。ちょうど花火があがる時間で、川にかかる橋には浴衣姿のひとびとがずらりと腰かけて、空を見上げていた。ひときわ大きな花火が、その日最後の花火だと、誰もがわかって拍手を送るのは不思議なことである。しかし、そのあとの湯が混んだ。 柳湯というごく小さな、しかし檜の香りたかい、私の気に入りの湯に行ったのだけれど、あとからあとから若い娘がおおぜい押し寄せてきて、芋洗いのようになってしまった。芋であればまだよくて、若い娘の体がひとところに、服を着ない状態で密集しているのはおそろしいものがある。おびただしい数の裸体が放つ無防備で図太い空気に、気持ち悪くさえなった。娘たち、というより、哺乳類の群れ、という言葉が浮かんだ。人それぞれに、本当に形のちがう乳房を眺めていたからかもしれない。若い体というのは、束になると当てられる。波長の短い、エネルギーの強い光線でも発しているのかもしれない。

夜、キッチンで食事をこしらえている時に、最近私が書いた文章の中の、横浜駅の描写の話などをした。それで遠い横浜のことを思いながら、スーパーで昼間買ってきた肉と野菜を炒めて食べた。


横浜駅には足りないものがたくさんあって、不満をあげればきりがないのであんまり行かない。中でもカフェはぜんぜん足りない。別に普通の、炭水化物やたんぱく質のような栄養素を取りたい場合のたべもの屋には事欠かないが、道を歩けばコーヒーチェーンばっかりで、本がたくさん並べてあって落ち着いた雰囲気があるとか、焼き菓子がとてもおいしいとか、テーブル同士がじゅうぶんな距離を取っていてリラックスできるとか、日当りがよくて外を見ているだけで楽しいとか、そういうカフェがないのである。そのくせ、安っぽい居酒屋チェーンとかラブホテルだけはひそやかに、しっかりと、あるのだ。人間のごく普通の欲望のラインを、過不足なく満たすだけの町。よぶんな洒落っ気や、空間のあそびがあまり存在しない町。
『人魚が星見た・第一話』

2015年8月10日月曜日

ある日(温泉岩)

外に出た瞬間に、日傘を忘れたことに気づいた。少し考えたが、取りには帰らず鴻の湯に向かう。若いお嬢さんたちのグループに行き合い、にぎやかな朝風呂となる。20代までは、体を見れば年までもほぼわかる。それは自分が来た道だからでもあるが、おおよそ35歳くらいからは個人差がはげしくなって、男も女も、体を見ただけでは年がわからなくなる。若い40代か、不摂生な30代かなどは、日々の過ごし方によって表れ方がことなる。

ロープウェーのたもとで、アイスを食べてF、Mを待つ。玄米キャラメル味。この広場には「温泉岩」(わたし命名)という岩があって、それは城崎温泉の原泉を柵でかこったものなのだけど、いつも、つい吸い寄せられるように見てしまう。大きな岩から80度のお湯が吹き出している、ゆたかな岩である。冬はさぞかし湯気でもうもうになるだろうな、とまだ見ぬ城崎の冬のことを考えながらアイスを食べていると、 Mが来た。アイスのよもぎ味を買って食べはじめる。草餅をまるめてアイスにしたらこういう味にちがいない、という楽しさ。もうしばらくしてFが来たので、3人でロープウェーに乗る。乗り場までは石段がだいぶあって、それを見たひとりの老人が、降りてきた乗客に「上には何がありましたか?」と先取りして訊ねていた。聴かれた人は「まあ、町と川くらいですかね」と身もふたもないことを言い、老人は石段をのぼる意欲を失ってしまったが、家族に取りなされて結局乗り場までやってきた。

ロープウェーで山をのぼっているあいだじゅう、下にひろがる森を見て、木の種類などを数えていた。ぱちくりした目の生きものと目があって、「あ」っと思った。鹿の剥製かな? 何でこんな山の中に鹿の剥製が飾ってあるのだろう? と血迷ってから、いやいや本物の鹿だろうよ、と思い直すまで0.1秒ほどで、鹿はぴょんと走ってもう消えていた。びっくりすると、本物ではないのでは、とすぐ思い込んでしまうくせが自分にはあるのかもしれない。たとえば私が山育ちで、日常的にけものに注意を払う生活をしてきていたら、そんな考え方にはならないのではないか。まったく、私は都会で愚鈍な暮らしに慣れきっているんだ、とやたら自分を責める気持ちがわいたが、ロープウェーの終点について山の景色を見たらすぐ元気になって広場を歩き回って満喫した。確かに、町と川しか見えるものはないけれど、見え方が重要なのだ。何だってそうだ。

山を降り、列車で隣の駅の玄武洞へ。円山川のほとりで電話をすると、渡し船が迎えにきてくれた。船頭である壮年の女性の導きにより、数分でわれわれは対岸のミュージアムについた。先に食事をすることにして、レジで食券を買おうとしたところ、三角巾を頭にまいて現れたのは先ほどの船頭女史で、「あれっ、船もお食事もなさるんですね」と言うと彼女は「そうですね、呼ばれたら船もこぎますし、われわれみんなオールマイティにやらさせていただいております」と言った。真の仕事人は、みずからの仕事をやたらと語らない。

城崎温泉界隈に帰り、駅前のさとの湯につかる。体力がここで尽き、アートセンターに戻って休む。ふたたび部屋を出られた時は19時半を回っており、あたりの道はすっかり暗くなっていた。温泉岩の前を通りかかると、もうロープウェーもアイスクリーム屋も終わっていて、暗い公園の中でお湯だけがこんこんと湧きつづけていた。当たり前だけど、誰も見ていなくても温泉岩からお湯は湧いている。寂しい夜、むなしい夜、どこかに思いを馳せたい夜に思い出すものが私にはいくつかある。人のいない世界で80度のお湯を吹き出しつづける温泉岩も、その中に加えたいと思う。

2015年8月9日日曜日

ある日(湿地、いくつかの外湯)

川のほとりの喫茶店で、トーストを食べる朝。ゆでたまごも、トーストも久しぶりだった。コーヒー付きのセットなので、コーヒーに決まっているのかと思ったら、カフェオレや紅茶も選べるのだった。

自転車屋さんで、自転車をお借りする。2時間400円。円山川にかかる城崎大橋を渡って、かつてコウノトリがやってきたという湿地をめざす。川の幅が広いうえに、水面と橋の距離が近いので恐ろしい。子どものころから深い水のイメージが怖くて、船に乗ったり橋を渡ったりすると、川や湖(海はほとんど行ったことがない)に沈んで死んでいる自分の姿が見えて怯えていた。たぶん私の前世の体は、十和田湖か猪苗代湖など、北のほうの湖の底で朽ちているのだと思う。橋を渡りはじめて半分ぐらいで、怖くてたまらず引き返したいと思ったけれど、こんな川の真ん中では行くも帰るもどちらも怖い、と思ってがんばって走り抜けた。

湿地には、小さなたてものがあって、中には望遠カメラ、資料集などがたくさんあった。スタッフの女性が、朝からあそこに止まっているんですよ、と指さしたはるか先に、コウノトリのつがいがいた。このまま国道沿いを行けば見られると教えていただき、自転車をこいで向かった。コウノトリたちは電柱のてっぺんにいて、暑いだろうに、じっと田んぼを眺めていた。彼らがいつまでそうしていたのか、結局わからなかった。

海を見たり、公苑の方まで外遊して町中に戻り、地蔵湯に入った。20代前半の若いお客さんが多くて、脱衣所も浴室も、水をはじくような活気がどことなくある。いけないと思いながら、つい人の体を見てしまう。若い娘さんたちの体の差異は、ただ生まれた時の個性の範疇だ。 ここから時間が堆積していって、傷や痕も増えたりして、ひとりひとりの人生のにじむ体つきになっていくのだろう。

休息を挟み、日没の間際に極楽寺を訪ねた。しずかな枯山水の庭である。寺の門のところで、おそるおそる中を覗きこんでいる欧米人カップルがいた。たしかに、枯山水の庭園は入るのをためらう気持ちにさせるから、いたしかたない。背後からすり抜けようとすると、男性のほうに思いきりぶつかってしまった。彼らは結局、寺には入らなかった。

日が暮れて、極楽寺のすぐそばの、まんだら湯という湯に入る。ちょうど人々は宿で食事を取っている時間なのか、湯は人もまばらだった。私は四角い内風呂と、露天の桶風呂をすばやく堪能した。欧米人の女性がひとり、目についた。脱衣所を出たところに、欧米人の男性が待っていて、女湯にいたパートナーらしき例の女性を待っていた。それで、彼らがさっき、極楽寺を覗いていたカップルであったことに初めて気がついた。服を脱いでしまうと、人の顔がいかに意味のなくなることか。

F、M両氏と食事をとり、三たび、湯をめざした。 柳湯というところである。Fは、今日4度目の湯であると言った。あなたのようなお湯乞食も日に4度となるとお湯貴族に昇格です、と告げると彼は喜んだ。

2015年8月8日土曜日

ある日(京都、城崎)

城崎に行くために、まず京都に行った。おみやげものを駅で見ていたが、夜中に食べたくなりそうないいお菓子がなく、おなかにたまりそうなものは若鮎くらいだった。結局、改札の中のセブンイレブンでメロンパンを買って、特急に乗った。結構混雑していて、自由席はぎっしり埋まっていた。眠かったけれど、知らない人の隣で寝るのが嫌なので起きていた。でも、知らない人が隣で寝ているのもものすごく嫌なので、どちらかを選ぶしかないと、つまらないことを考えていたら、いつの間にかうたた寝していた。和田山を過ぎるとどっと車内はすいて、二人掛けの座席に寝そべって眠ることもできそうだったけれど、そういうことはしなかった。特急列車は、途中で、前の列車が鹿と衝突したためにしばらく停まった。時を同じくして、滞在予定のアートセンターから「城崎町内で小熊の目撃情報がありましたので、お気をつけください」というメールを受けとった。

豊岡で特急を降り、もう二駅、鈍行を乗り継いだ。それはボタンを自分で押して扉をあけるタイプの車両で、不慣れな私はうまく降りられなかったらどうしようと思いつめて、動悸がした。乗る時は、先に乗った人のあとにすばやく付いて乗り込んだので、問題なかったのである。城崎温泉駅で、降りるのが私だけだったらどうしよう、とひそかに悩んでいたところ、車内アナウンスで丁寧に、扉の開け方を説明してくれたので少し安心した。列車が駅につく2分も3分も前から、帽子をかぶり、リュックを背負い、トランクを引きずって準備をととのえた。列車が停車して、アナウンスのとおりに扉の横のランプがついたので「開」ボタンを押して、慎重さと優雅さをぎりぎりあわせもつしぐさで、ホームに降りた。

見覚えのある男性が改札の中をのぞきこんでいる。1秒ほど考えて、アートセンターの近くにある温泉旅館の主人H氏であると思い出した。先月、懇親会でお目にかかったのだ。思いがけない再会にうれしくなり、こんばんは、と声をかけ、あらためて名乗ると向こうも私を思い出してくれたようだった。私は、人の顔を覚えられないことも多いのだが、ふしぎによく記憶できる場合もあって、それはどういう違いなんだろうと思う。H氏は、駅に今宵の宿泊客を迎えに来たとのことだったが、手違いで空振ってしまったと言った。どうやってアートセンターまでいらっしゃいますか、よかったらうちの車にお乗せしますよ、とおっしゃっていただき、思いもかけないことに喜びが温泉のようにわきあがる心地がした。ちょうど、湯上がりのF、M両氏が自転車で登場したので、私は一度アートセンターまで荷物を置きに行き、のちほど町で再会することにする。

H氏のご親切はそればかりでない。旅館の電動自転車を私に貸してくださったのである。城崎の町の人の、尋常ならざるもてなしと、協力を惜しまない心意気はとてつもない。先月おとずれた時にそれを感じて、あまりにも町全体で協力しあい、もてなしの心を持って交歓する様子が理想的で、にわかには信じがたいほどおどろいた。今夜は、H氏のご厚意に対し、あおぎみるようにして甘えた。

自転車を借りたおかげで、今夜はあきらめかけていた温泉にも入ることができ、F、M両氏ともふたたび合流することも容易だった。3人で食事を終えて店を出ると、時間は22時半をまわっていた。城崎の外湯の営業時間は23時までである。Fは「がんばればもう一度温泉行けるなあ」と言ったので、私は、そんなお湯乞食みたいなのはやめなさい、ゆっくり滞在するのだから明日にしなさい、と言った。