川のほとりの喫茶店で、トーストを食べる朝。ゆでたまごも、トーストも久しぶりだった。コーヒー付きのセットなので、コーヒーに決まっているのかと思ったら、カフェオレや紅茶も選べるのだった。
自転車屋さんで、自転車をお借りする。2時間400円。円山川にかかる城崎大橋を渡って、かつてコウノトリがやってきたという湿地をめざす。川の幅が広いうえに、水面と橋の距離が近いので恐ろしい。子どものころから深い水のイメージが怖くて、船に乗ったり橋を渡ったりすると、川や湖(海はほとんど行ったことがない)に沈んで死んでいる自分の姿が見えて怯えていた。たぶん私の前世の体は、十和田湖か猪苗代湖など、北のほうの湖の底で朽ちているのだと思う。橋を渡りはじめて半分ぐらいで、怖くてたまらず引き返したいと思ったけれど、こんな川の真ん中では行くも帰るもどちらも怖い、と思ってがんばって走り抜けた。
湿地には、小さなたてものがあって、中には望遠カメラ、資料集などがたくさんあった。スタッフの女性が、朝からあそこに止まっているんですよ、と指さしたはるか先に、コウノトリのつがいがいた。このまま国道沿いを行けば見られると教えていただき、自転車をこいで向かった。コウノトリたちは電柱のてっぺんにいて、暑いだろうに、じっと田んぼを眺めていた。彼らがいつまでそうしていたのか、結局わからなかった。
海を見たり、公苑の方まで外遊して町中に戻り、地蔵湯に入った。20代前半の若いお客さんが多くて、脱衣所も浴室も、水をはじくような活気がどことなくある。いけないと思いながら、つい人の体を見てしまう。若い娘さんたちの体の差異は、ただ生まれた時の個性の範疇だ。 ここから時間が堆積していって、傷や痕も増えたりして、ひとりひとりの人生のにじむ体つきになっていくのだろう。
休息を挟み、日没の間際に極楽寺を訪ねた。しずかな枯山水の庭である。寺の門のところで、おそるおそる中を覗きこんでいる欧米人カップルがいた。たしかに、枯山水の庭園は入るのをためらう気持ちにさせるから、いたしかたない。背後からすり抜けようとすると、男性のほうに思いきりぶつかってしまった。彼らは結局、寺には入らなかった。
日が暮れて、極楽寺のすぐそばの、まんだら湯という湯に入る。ちょうど人々は宿で食事を取っている時間なのか、湯は人もまばらだった。私は四角い内風呂と、露天の桶風呂をすばやく堪能した。欧米人の女性がひとり、目についた。脱衣所を出たところに、欧米人の男性が待っていて、女湯にいたパートナーらしき例の女性を待っていた。それで、彼らがさっき、極楽寺を覗いていたカップルであったことに初めて気がついた。服を脱いでしまうと、人の顔がいかに意味のなくなることか。
F、M両氏と食事をとり、三たび、湯をめざした。 柳湯というところである。Fは、今日4度目の湯であると言った。あなたのようなお湯乞食も日に4度となるとお湯貴族に昇格です、と告げると彼は喜んだ。
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