スパゲティ用のトマトソースをつくっていると、O氏が現れて稽古前の食事の用意を始めた。アートセンターのキッチンはコンロもシンクもたくさんあって、家庭科室のようである。少し離れた場所でフライパンを返しているO氏と、茄子の炒め方の話などをする。私は「油を吸うので、やっぱり最初に茄子だけ炒めて面倒でもお皿に取り出すのがいいと思いますよ」とお伝えした。
温泉街の中にある蕎麦屋さんに、かき氷を食べにいく。誘ってくださったのはFと親しい若旦那。ソフトクリームの土台に氷の山をかぶせ、水飴シロップとコンデンスミルクをかけて、あずきを乗せたもの。冷たくて甘くてすばらしい。京都から若旦那を訪ねていらした客人も合流し、しばらく話す。生霊と死霊の話をしていたら、急に豪雨がアスファルトを叩く音が聞こえはじめてびっくりした。蕎麦屋をおいとまして、Fとすぐそばの喫茶店で雨やどり。靴を濡らしたくないので、何とか傘をさして自転車で移動する。
お盆を過ぎて、外湯も通常の人の入りになってきた。ピーク時は湯船でかしましく騒いでいた若い娘のグループなども、今はお母さんに抱かれて温泉に初挑戦するみどりごを見守り、 「あつない? だいじょぶ?」と優しく気づかう余裕を見せている。
Fの自転車のかごに、バッタが止まった。何時間も、自転車を置いて風呂に入って戻ってきても、そのままだった。Fはバッタを付けたまま城崎を走り回った。少し離れた地区まで来た時に、かごに向かって「おうちから遠いところに連れてきちゃってごめんね」と謝っているのが聞こえた。動植物に対して、彼はときどき謎の慈悲を見せる。
海沿いの小料理屋、海猫に行く。昼間かき氷を食べた若旦那、Fと三人。あとでアートセンター職員のY氏も合流。焼き鳥を食べながら話す。調子に乗ってトンカツも揚げてもらう。私が日記で、女性の体は年齢を重ねるごとに個性があらわれる、と書いたのを、男性諸氏は新鮮に読んだようだった。「年配の女性の体を見る機会はそんなにないし」とFの弁。確かにそうだ。「しむらけんのコントの、あのおっぱい垂れさがったイメージ」と若旦那か誰かが言って、私はしむらけんを見ることを禁じられて育ったのでよくわからなかったけれども、まあステレオタイプな造形が何かしらあるということはわかった。しかし、テレビで老いた男の体は放映しないなあとも思った。まんがでもコントでも、老いた男性器(※おっぱいとの記号的対比で、ここでは男性器を用いる)の絵は見かけない。男たちは、女が老いるのは笑えるけれど、自分たちの体が老いるのは見ないふりをしたいのかもしれない。
ちょうどテレビではしむらけんのコント番組をやっていて、しむらけんが床屋でシャンプーしてもらっている時に理容師のおっぱいが彼の顔に当たるエッチな場面を映していた。小料理屋には、父親らしき男と息子らしき小学生が来ていて、じっとそれを見ていた。父親が「こんなことあるわけないわなあ」と笑うと、息子は恥じらいと女体への興味の混じった顔でうつむき「うん」と言った。コントは、しむらけんが目を開けると、おっぱいの持ち主は太ったおじさんだということがわかるところで終わった。
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